ーーーーーーーーーー
1990年4月21日(土曜日) 9:00 PM からのKCET28チャンネル National
Geographic Special は“Inside the Soviet Circus”というものであった。私はスターリニズムの国は大嫌いであり、サーカスはいつもエンジョイするどころか、彼らのジプシー的ボヘミアンの生活があわれで見ていられないため、ほとんど見ることはないのだが、どうしたことか、今回はNational
Geographic Special ということもあり、また、スターリニズムの国でのピエロとは、まさにぴったりだという気がし、同時に、最近のゴルバチョフによる自由化路線とソヴィエト市民の表情も、少しは知れるに違いないと思って、見ることにした。この日は、7時から“Atlantic
Realms”、8時から”Nature-Serpents”, そして、このサーカス。そしてこのあと、”Pasternak”というボリス・パステルナークの生涯を映画化した作品。そして、Huel Howserの“Hello、 Moscow” と続いていて、12時までテレビに密着した形で過ごし、”あさひ“の疲れもあって、他に何もしないでテレビを楽しんだ。
そして、この“サーカス”のフィルムを見て、私は満足だった。まず、1919年にレーニンがソヴィエト・サーカスを国有化して、丁度、官吏のようにし、或る意味ではエリートのような形にしあげてしまったため、ソヴィエト市民達にとっては、サーカスは、貧しく、わびしい、ジプシーの曲芸であることをやめて、プロフェッショナルな技術と芸術性を発揮するスポーツのような位置を占めるにいたり、子供達の中から、体操やバレーに優れた者は、競ってサーカスの学校に入ろうとするらしく、厳選された、本当のエリートだけがプロのサーカス団員となることができる。従って、最高のピエロ(Clown)は、一般団員の数倍の給料をもらい、年金や住宅をもらい、最高の科学者やエリート・コミュニスト政治局員並みに、リゾート(避暑地)ももっているという。そういうわけで、彼らサーカス団員達の顔には、暗いかげがなく、瞬間の緊張のために、激しい訓練を欠かさない、目標に邁進する人間の、健康な美しさがあらわれていたため、私はめずらしくエンジョイすることができた。
そのようにして、リラックスして見ると、ソヴィエトのサーカスというのは、確かに立派なものであった。主な街には立派なサーカスの建物が建ち、人々は5ドルほどの入場料を払って、見ることが出来るらしい。すぐれたサーカス団員が、次から次へと街を移動していくのは同じだが、季節労務者と違い、恵まれたエリートの扱いを受けているので、ただ、子供は学校を何度も変える困難はあるが、みな明るく自信に満ちている。そして、このサーカスのメンバーは、たしかに一流のスポーツマンであり、ダンサーであり、芸術家である。彼らの日々の訓練は本格的であり、その、国際的に有名なピエロといえども、普段の日はもちろんのこと、幕間も、手の訓練、足の訓練、芸の訓練に余念が無い。まさに、ホンモノの世界であり、ベテランといえども、緊張に耐える訓練を、日々、寸時も怠り無く準備しているという事を示していて、私は素晴らしいと思った。
私は、“Nature” シリーズで、Condor コンドル や Eagle鷲 のこどもが、何度も何度も飛ぶ練習をし、その厳しい訓練のあと、やっと飛び方を身につけて、悠々と、らくらくと舞い上がるのを見て、何度も感心したが、このサーカスの団員の訓練も、丁度、それを思わせるものであった。本番において、何気なく、易々とやってみせるたった一回の見せ場のために、ベテラン ピエロも、アシスタントを使って、何日も、何時間も練習を続けるのであり、その成果が、本番の見世物の際、芸術的な完璧さで遂行されるのであった。
それは、やはり、動く芸術、瞬間の芸術といえるもので、わびしさを取り払ってしまえば、鍛えぬかれ、磨きぬかれた、人間の創造の美しさ、すばらしさが現れていて、たしかに見事な、すばらしいものであった。
スターリンが支配した暗い粛清の時代、恐怖政治の時代においてみれば、サーカスは政治とは無縁であり、団員は、作家ほど苦悩は感じなかったに違いないが、そのような時こそ、底に哀しみを隠した、すぐれたピエロの存在は、時代を象徴する意味をもったであろう。 ほとんど、全インテリがピエロの役を演じなければならなかった国で、サーカスが国民的国家的競技であると言う事は、なかなか意味深いと言える。
(完 記 1990年4月22日)村田茂太郎 2012年2月26日
No comments:
Post a Comment