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2/27/2012

李商隠 “夜雨寄北”をめぐって

これは比較的最近、あさひ学園高等部の国語の教師の臨時代行として生徒指導を引き受けたとき、たまたま、内容が漢文だときいたので、教科書指導をしながら、余談として、わたしの好きな驚異的な七言絶句を紹介しておこうと思って、文章にまとめ、簡単に説明しました。
何時見ても、この漢詩には感心します。全然古さを感じさせない見事なものだと思います。
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 少ない字数で豊富な内容を凝縮したような、漢詩でなければあらわせないような詩の代表として、わたしはいつも李商陰(り しょういん)の“夜雨寄北”(夜雨 北に寄す)を思い浮かべる。これは、たった28字の漢字で、膨大な内容をこめたものとして、いつも私は、ほかの言語では、同じ内容を詩的に簡潔に表現するのはまず無理だろうと思ってしまう。まさに漢語の偉大さを象徴するような、すばらしい漢詩である。

夜雨寄北                                         李商隠                                                             七言絶句

君問帰期未有期            君 帰期を問うも いまだ期有らず

巴山夜雨漲秋池            巴山の夜雨 秋池に漲る(みなぎる)

何当共切西窓燭            いつか まさに 共に西窓の燭をきり

却話巴山夜雨時            却って、巴山夜雨の時をかたるべき

押韻   期、池、時

<あなたは、いつお帰りになりますのと聞いてきたが、いまのところ、まだ確かなことはわからない。今、ここ、巴山では、夜で, 秋のなが雨で、池が満ち溢れるほどに降りしきっている。

いったい、いつになったら、あなたと一緒になって、西に面した窓際にならんで、燭台形の芯をきりながら、今、こうしてあなたのことを思いながら、巴山で、夜の雨の音を一人でききながら、もんもんとしていたわたしの胸の思いを語ることができるのだろうか。>

 短い28文字のなかに、禁句といわれる同じ文字を重複させて、それが、この場合においては、最大の効果を発揮して、余韻を生み出している。驚くべき内容というのは、この短い詩の中に、場所、時節、時間、天候そして雨の降り方を含めながら、連綿とした重い感情の動きを伝えていることをさす。これだけの内容をこんなに簡潔に表現するには、日本語では不可能である。英語その他の外国語でもまず、無理であろう。場所は巴山、季節は秋、時は夜、天気は雨、そして池があふれるほどに降りしきる状況。そのなかで、あなたのことを思って、悶々としている姿。絶品である。妻を思う孤独な姿を秋の夜雨にとけこませ、余韻嫋々として、叙情たっぷりの詩となした。秋の物憂い夜の雨を叙景しながら、心の憂悶を含ませたおどろくべき漢詩である。


 盛唐の詩人杜甫の五言律詩に“月夜”と題する有名な詩があり、それを踏まえることによって、詩の調べが屈折した深みを生み出しているといえる。杜甫の詩は、安禄山の乱に巻き込まれて一時虜囚となった杜甫が妻子を思いながらつくったもので、再会の喜びを想像しながら、希望に胸を膨らませていた。わたしも、この“夜雨寄北”を読んで、すぐに杜甫の詩を思ったくらいだから、だれもがこの李商隠の詩を読むときに、杜甫を思い出しながら、この短い絶句の見事さを嘆賞したことであろう。“今夜ふしゅうの月” で始まる杜甫の“月夜”は、月を眺めながら、妻子もまた故郷で同じ月を眺めているだろうという懐郷の思いから始まり、未来の再会のときの想像へと発展していく。
 英語で意味をつたえる訳文をわたしが作成すると, 拙いが以下のようになる。訳文には詩に隠された悶々たる暗い憂愁の思いを表せなかった。やはり、漢語で描出された叙景のなかで、はじめて、憂悶の思いが浮き出てくるのであって、英語のアルファベットではわたしには描出できないといえる。

 You ask me when I can go home, but I cannot tell when it would be.

Here, Hazan Mountain at autumn, it is raining hard and water abundant on pond at night.

I wonder when it would be possible to talk to you, sitting together at the west side window, cutting lamp’s core, what I was thinking on this rainy day at night in Hazan.

  李商隠 は813-858年ごろ、晩唐の詩人(日本では平安時代の初期)で、有名な杜牧と同じころのひとである。故事・典故を含んだ難解な律詩をつくり、詩霊とよぶひともいた。“無題”の恋愛詩は円熟濃厚で特に有名。簡単な五言絶句でも、意味するところは深遠。“楽遊原”など。この“夜雨寄北”は、千古不滅の愛唱詩として、古来、中国では千年以上にわたって人々から愛され、暗誦されてきた。わたしもまた、この驚嘆すべき詩には、感心するばかりである。千年以上も前に作られたにもかかわらず、まるで昨日今日つくられたような、古さを感じさせない美しさを示して不滅である。
ついでに“楽遊原”を紹介しておこう。

向晩意不適      晩に向かいて 意(おもい)かなわず

駆車登古原      車を駆けて 古原に登る

夕陽無限好      夕陽 無限に好し

只是近黄昏      ただ これ 黄昏に近し

押韻                  原、昏
 
 日暮れにむかうにつれ、わたしの心は安らかでなくなってきたので、馬車を走らせて楽遊原に登ってみた。そうすると、おりから夕陽がかぎりなく美しく輝いていたのだったが、ただ、それは、ひたすら、たそがれ時に向かって沈もうとしていたのだった。
滅び行くものの美、それに敏感なのが李商隠であった。唐の盛時はすぎて、ひたすら崩壊に向かう時勢に、敏感な詩人の感受性が鋭く反応し、爛熟した美を簡潔な文字の中に読み込んだといえる。京都大学の夭逝した中国文学者・作家・批評家 高橋和巳がこの詩人を愛好したらしく、代表的な漢詩紹介の選集の中で、“李商隠”を担当して翻訳・解説をこころみている。

 (          2010年10月28日)
村田茂太郎 2012年2月27日

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