心霊現象の科学をめぐってーその1
去年、日系人の知人の家でHair Cut をしてもらったあと、美容師がわたしに質問されました。
このロサンジェルスの日系のお寺で、人が死んだらどうなりますかと訊ねたら、なにもありません、無ですという答えが返ってきたが、どう思われますか、という質問。
わたしはその答えを聞いて、なるほど、学生時代の私なら確かにそう答えただろう、しかし、普通人がそう答えるのならともかく、お寺の人がそうはっきり断定していいものかしらと思いました。というのは、わたしはリトル東京のお寺で京都大学のエライ先生(アメリカ人)が日本語と英語を上手につかって仏教について講演されたのをきいていたからです。
開口一番、仏教では”あの世”は存在する、あの世の存在を信じなかったら、仏教は成立しないといわれました。そういえば、私は子供の頃、父が仏壇でお経をとなえるのをきいていましたが、仏説阿弥陀経の中で、仏陀が弟子に向かって極楽のすばらしい様子を描写している場面をなんども聞いた記憶があります。あの世の存在を認めなければ仏教は成立しないというのは、その通りだと思いました。
そして、京大の博士は、自分が手がけた臨死体験について話されました。ある日本の若者が交通事故でほとんど死にそうな目にあった。医者も誰もがあきらめていたが、49日目に若者は蘇生した。そして、本人はその間の体験を話し、一度も会ったことの無い人と出会ったとかというので、ふるい家系の先祖の写真を探してきて見せたら、あっ、この人だと指さし、確かめたら、本人はもちろん知るはずも無い祖先のひとであったということで、”あんたはまだこちらにこれない、さっさと帰れ”といわれたとか。まさに有名な臨死体験に当たる話で、世界中にそうした実話がちらばっています。本もたくさん出ています。臨死体験はどう解釈するかによって、この世も違って見えることになります。
さて、わたしは何度か生徒に読んで聞かせたりしたのですが、小林秀雄があるとき、若者を相手に講演をしました。”信じることと知ることと”とかという題名です。その最初の部分を取り上げて、高校生に感想を書いてもらいました。
ユリー・ゲラーのスプーン曲げの実演などが話題をまいていたころの話で、小林秀雄は、自分は学生の頃からそうした不思議な現象に興味を持っていた、別におどろくにあたらないことだといった調子で説いてから、現代のインテリとか知識人とかという人たちは堕落しているとかなり激烈な批判を行います。なぜ堕落しているのか、それは世の中に起こる不思議なことを不思議なことだと認める素直な心を失っているからだというわけです。そして、哲学者ベルグソンの話に入ります。ベルグソンが、ある講演会で、精神感応・テレパシーの体験について、ある女性が話すのを聞いた。あるとき夫が戦場で死ぬ夢を見たが、あとでわかったことは、まさに自分が夢で見た同じ情況の中で、同じ時間に死んだという話で、これをどう解釈すればよいのかと、当時の有名な医者・学者にたずねたところ、夢では当たる夢もあり、当たらない夢も在る、どうしてたまたま当たった夢だけを気にするのかというトンチンカンな返答をした。それを横できいていたベルグソンと一緒に居た連れの若い女性が、あのドクターは間違っていると思うと言ったのに対し、人間は有名になればなるほど、自分の価値観とか世界観とかにこだわって、自分の考えにあわないものは、はじめから排除する傾向が在るという形で、ベルグソンの哲学を展開する。そのあと、小林秀雄は、なぜこのようなインテリ・知識人の反応があらわれるようになったかを彼なりに分析して、それは近代科学の過大評価に起因すると考えるわけです。要するに、近代科学は異常なほど、すばらしい発展を遂げたが、それは高々400年ほどのあいだのことである。なぜ近代科学は発展できたのか。それは科学の対象を’計量できるものに限定するということを行ったからである。だから、確かに科学は発展し、すばらしい業績をうんでいるが、それは計量できるものに限定したからだという科学の限界を諸君は忘れないで欲しいといいます。つまり、夫が死ぬというテレパシー的な夢を見るというようなことは、一生に一回起きるか起きないかというようなことで、科学的に何度も再生実験するというようなことは不可能である。したがって、そういう領域を科学は避けて通ったということを知っていなければ、科学万能、ゲラーなんてインチキだ、というインテリの態度がうまれるというわけです。これを読むと、小林秀雄は世の中に今の科学では解明できないような不思議な現象は起きると考えていたことがわかります。
さて、私の解釈は? わたしは、色々不思議な現象はおきるように思います。科学者はもっと謙虚に科学的な態度をもって、現象に対応すべきでしょう。昔、えらい科学者が、幽霊現象をみせてもらっても、自分は信じないといったそうですが、頭から信じる信じないでは科学者のとる態度とはいえません。科学者は世の中に起きる不思議な現象を不思議だと認めて、ではどうなっているのか、何がおきているのかという科学的な解明に乗り出さなければなりません。幸い、欧米では19世紀末からまじめに研究するグループが出来、そのあと、大学でも真剣に研究・調査が始まり、いろいろな研究が発表されています。ここ、UCLAでもいろいろ実験・研究がなされてきました。
あの世は存在するのか。パスカルの賭けの理論からすれば、在るかもしれないと信じていたほうが、もし本当に在ったとき戸惑わなくて済むかもしれません。霊媒の話では、自殺者は自分が死んだことも知らなくて、灰色の世界をむなしくうろついているといいますから。まあ、今のところ、私は判断保留の状態です。
ただ、離魂体験 Out of Body Experience は面白い科学的研究可能の領域で、丁度、臨死体験者が病院の自分のベッドに横たわった身体を天井近くから見下ろしていたという話と関係してくるかも知れず、次回は魂というのがあるのかというお話に移ります。
村田茂太郎
2012年2月24日
No comments:
Post a Comment