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1966年10月21日、イギリスのある街で悲劇が発生した。鉱山の街 アベルファン(Aberfan)にある Pantglas Junior School がボタ山のなだれにあって、埋まり、大人を含む約150人の生命がうしなわれた。
この事件を1ヶ月ほど以前にまでさかのぼって追跡した医者が居た。Dr. J.C. Barker といい、彼はその調査によって“予知”の研究に大きな業績を残した。彼は彼が調査結果からひきだした結論を元に、イギリスにBritish Premonitions Bureau をつくった。それは、アメリカの研究者の関心を捉え、2年後の1968年にアメリカにCentral Premonitions Registry がつくられることになった。
Barkerのアベルファン事故研究の結果、明らかになったことは、次のようなものであった。事故の起こる約1ヶ月前から、何人かの敏感な人は、ボタ山の山崩れのような出来事を夢の中に見始め、それが事故の日に向かって、一週間ずつ近づいていくにつれて、その夢の内容がだんだん本当らしい夢になり、発生、一週間前には、独立に16件の予知夢があり、そのうちの一人は、彼にとって全く意味を成さない A-B-ER-FAN という字がつづられるのを見た。犠牲者である子供達も、二週間ほど前に、自分がクラス・メートと共に、死ぬ夢を見ていたことが親の報告からわかった。
一方、William E. Cox という研究者は、別な角度からの研究を行った。彼は28件の列車事故について調査した。彼の調査方法というのは、たとえば、1952年6月15日のシカゴでの Eastern Illinois Train の列車事故に関して、同じ時刻の、同じ列車の、乗客数を、その事故当日から一週間前まで調べるとともに、同じ曜日について、一ヶ月以上まで、週ごとにさかのぼって調べ、事件後の数日をも調べるというものであった。この事故に関しての調査結果は次のようなものであった。
9、68、60、53、48、62、、70
9、35、55、53、54
9 が事故当日、乗り合わせていた乗客で、同じ列車の前日の乗客は68名であり、同じ列車の一週間前、二週間前の乗客は、それぞれ、35名、55名であった。いったい、この数字は何を意味しているのか。W.E. Coxは、乗客のかなり多くの人が、ハッキリと意識しないで、何らかのイヤな予感(第六感)を感じ取り、知らないうちに、いつも乗る同じ列車を避けていたに違いないと判断した。あるいは、アベルファンのケースのように、鋭敏な人の中には、列車事故の夢を見たり、感じ取ったりしていた人がいたかもしれないが、そういうことを考えに入れなくても、いわゆる、普通の人々が、なんとなく何かを感じ取り、自然と事故を避けていたといえるわけであった。
様々な学者の研究結果を総合してみると、いまや、以前にはありえないとか、起こりえないとか、信じられないといわれていた出来事が、実際起こっており、しかも、それにスペッシャルな能力を持った人だけでなく、普通の人々が、そうした出来事を体験したり、情報を無意識のうちにキャッチしているということがわかった。人間を研究する科学は、今や、新しい次元を示しているのである。Parapsychologyの名の下に、膨大な領域にわたって、様々のすぐれた研究結果が明らかにされつつある。UCLA医学部の助教授Thelma Moss Ph.D.(当時、1980年以前、79歳で逝去)は“Probabilities Of The Impossible” という本を書いた。題の意味は、それまでの科学では、不可能だとか、ありえないとかといわれていたものが、現在では単純に否定してしまうことが出来なくなり、もしかして本当に起こっているのかもしれないという、蓋然性Probabilityの領域に達しているという意味である。テルマ・モスは、その中で、信じられないような話だけれども、本当にあった話であり、アベルファンの話しを知っている人には、そういうこともありうるだろうとうなづくような話を書いている。
科学を専攻するUCLA大学院生が、ある日、突然、Dr. Thelma Moss に会いたいといってきた。約束の日に会うと、その青年は、まず何も言わずにこの絵を見てくれとさしだした。その絵は、あざやかに、自動車事故の現場を描いていた。それから、青年は話し出した。本当に、こんなことがありえていいのだろうか、という調子で。約一週間前に、自分の妹が恐い夢を見た。その夢があまりにも鮮やかであったので、絵をほとんどかかない妹が、その恐ろしい場面を描きとったのであった。妹が友達とクルマでドライブしていて、大事故に遭い、ほかの女友達は怪我をしただけであったのに、妹自身は死んでしまうという場面であった。そして、一週間後、妹が描いたのと全く同じ状態の自動車事故で、他の乗客はケガですんだのに、彼女だけが死んでしまった。
全く、信じられないようなことが、現実に起こっているらしい。この方面の科学的探究はやっと始まったばかりである。これまで、科学者は、そんなことはありえないの一言で片付けてしまい、何か異常な出来事が起こると、それが本物かインチキかといった議論ばかりしてきたため、ほとんどそれ以上の科学的解明もなされなかった。19世紀末からの偉大な研究者たちの努力のおかげで、この研究困難な領域も、やっとまじめに取り上げられ、少しずつ、研究成果が現れてきた。有名なDr. J.B. Rhine のESPやPKに関する実験的証明から、最近のDr, Stanley Krippner, Dr. Montagu Ulmann らによる Dream Telepathy と Dream Precognition の研究など。
人間が夢を見る状態というのは、完全な眠りの状態と違って、脳波は活躍をしており、学者たちが Altered State Of Consciousness 意識の変様態 と呼ぶ、特殊な状態にあり、このとき、脳細胞は異常に鋭く、柔軟になっているので、無線探知機のように、外部から届くエネルギーをキャッチし、それをそのまま夢の中に織り込んだり、少し変形させて夢の中に取り組むということが、彼らの実験・研究から明らかになった。
これは、フロイトの夢分析、クライトマン、アセリンスキーによるREM期(Rapid Eye Movement)急速眼球運動の発見につぐ、一大革命的な研究であり、Dr. Krippnerはそれによって、テレパシーと予知の能力を、普通一般のひとが持っているということを、ライン博士とは全く違った方法で、実験的に証明したわけである。
予知ということが、科学的・哲学的に何を意味するのかは、まだ誰も何も言えない状態で、今のところ、黙々と証拠を集めている段階といえる。
(完)1980年4月 執筆
この項は、特別なテーマであるので、コメントを入れさせていただく。この文に関しての責任は私(村田茂太郎)にある。数年前、二年ほどの間にParapsychology(テレパシー、予知、透視、PK, Haunting、Hypnosisなど)の英文研究文献約200冊読了した。興味のある人に対しては、本を紹介してもよい。ただし、すべて英語の文献。その中には古典的あるいは歴史的といわれる名著もある。一度は、こういう話をしておきたいと思った理由は、いろいろある。第六感というのは、本当にあり、大切にすべきで、何かいやな予感がしたら、その予感に従って、避けるべきということを強調しておきたかったこと、それから、次の理由による。
数年前、東北地方で、成績優秀な小学上級生が断崖から投身自殺をした。それは、本人にとっては、特別な意味を持った実験であった。当時、お墓でとった写真に人の顔らしいものが出ているといった話、或いは、そうした探求が、小学生や中学生の間ではやり、彼らは非常に真剣に、そして純粋に追求していた。小学校全体でも問題になったりしたが、残念なことに、こうした領域をまともに、真剣に扱えるだけの知識と能力をもった教師はほとんどいなかった。バカらしい話しだとか、もういいかげんにやめろといった態度が、教師のとった反応であった。そうした中で、、生まれたのが、この一つの小さな悲劇であった。彼は自分が死んで、あの世からメッセージを送り、(彼はひそかに、何かを、どこかに隠していた。)、その事によって、死後の世界があるということを証明しようとしたらしい。その結果がどうなったのか、誰も知らない。ムダな死であったといえる。私が今まで集めえた情報を彼のケースにあてはめてみると、彼は全く死ぬ必要は無かったし、死んで、誰かがメッセージどおりのものを見つけたとしても、それは、死後の世界があって、彼がそこから指示したということにはならにということであり、それがParapsychologyの現段階が示している姿である。Parapsychologyの最近の異常な進歩は、人間が全く驚嘆すべき能力、昔の人なら全く信じられないような能力を持っているということを明らかにした。そして、それは、死後の世界をもちださなくても、いろいろな説明が可能だということを示している。
1980年4月 執筆
村田茂太郎 2012年2月26日
村田茂太郎 2012年2月26日
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