「心霊現象の科学」をめぐってーその49 Psychic Defence (?)についてー Susy Smithをめぐって
The Power of Prayer(祈りの力)をしらべていて、雑誌 Psychic World 1976年9月号に Martin Ebon が“How I received healing prayer”というエッセイを書いているのを見つけ、読んでみて、彼が大変な病人であった時があったということを知った。私は彼がEditorとしてすぐれていて、Martin Ebon Editということで、Psychic Fieldのいろいろな分野で本を出しているのを知っていたし、わたしも10冊ほど彼の編集した、または彼自身が書いた本を持っていて、断片的に読んでいたので、彼がサイキックInvestigatorとしてはまともであることを知っていた。Ebonがその後どうなったのか、興味が湧いたので、Wikipediaでのぞいてみた。この病気の話をしていたのは1976年ごろであったが、亡くなったのは2006年、89歳であったということで、彼なりに長生きし、このPower of Prayerは本当に意味があったことを知った。(彼は三度ほど死にかかったと自分で書いている)。
そこで、Ebon編集の本の中から“Exorcism”(魔除け?)と題する本を取り出し、目次をみると、Susy Smith 「Confession of a psychic」というエッセイの一部が含まれているのを見つけ、すぐに読んで、これは大事だと思った。
この「Confession・・・」という本の名前を知ったのは、同じMartin Ebon編集の「The Evidence for Life After Life」という本の中で、EbonがSusy SmithにInterviewをした記事(約8ページ)がでていて、その中で彼女がこの本の話について説明していたからである。Martin EbonのInterview は“From Agnostic to Believer”という題であり、これもよくできていて、私はSusy Smithの判断はまともだと思った。
実は私は、このSusy Smithの本は、昔から大分読んでいて、非常に読みやすいので、おおいに私自身のサイキック分野の教育に役立てた。私はSusy自身がサイキックだったとは知らず、サイキック現象に興味をもって、勉強し、本を書けるまでに達した人だと思っていた。
このSusy SmithはMartin EbonのInterviewの記事の題名が示しているように、大学で勉強をしていた頃は、まだ、死んだら別の世界があるとか、Godがいるとか、そういうことを信じないAgnostic 不可知論者であった。
その彼女が Survival of Death がReality現実にあることだと信じるようになるには、彼女自身のサイキック体験が必要であった。彼女の場合は、それはAutomatic Writingであった。亡くなった母親がAutomatic Writingでコンタクトしてきたという。のちに、彼女は「Book of James」という本をだし、それは本当かどうかはともかく、あのアメリカの偉大な哲学者・心理学者William JamesがAutomatic Writingでコンタクトしてきて出来上がったものだといいう。
ともかく、いくつかのサイキックな体験から Survival of Deathを信じるようになったというわけである。
さて、このAutomatic Writingを始めたころに、彼女は大変怖い目に遭うことになった。お母さんの霊Spiritらしきものがコンタクトしていた間はいいけれど、そういう、自分の意識は無にして、Spiritたちが自由にコンタクトできる状態にあるということで、Earth Bound地上に密着して昇天できていない悪いSpiritsが、彼女が何も集中していない時に、一日中、頭の中で恐ろしい言葉を喚き散らすようになり、夜も昼も妨害されて、神経がめちゃめちゃになり、気が狂ってしまうのではないかとまで思われた。そして、最後には、ただ頭の中で脅迫的なことばを伝えるだけでなく、それまでそんなことはなかったのに、急にAccident proneすぐになんでもないところで事故に遭って怪我をするということが、頻繁に起こるようになった。そして、あるときはProtective Guideのようなかたちで優しく接してきて、はやくその体から抜け出してOut-of-Bodyで、あちらのいいところに行こうとまで誘いかけ、もう少しで、同意するところで、Susyは、おかしい、Protective なGuardianがそんな、死んであの世に移るようなことをいうはずがないと反抗したところ、もうすこしでうまくいったのに残念とかといって立ち去ったという。まさにFictionのような話であるが、Susyにとっては本当の恐ろしい体験であった。そこで、Spiritualistたちにも相談し、最初はCounter-attackで、最後には、いわゆる“白い光のベール”で自分の身体全体を包むというイメージを描くと、悪いSpiritsは近寄ってこないということがわかり、それを実行することで、彼女のAutomatic Writingはそれなりに成功することになった。
このEarth bound spiritsの悪い・恐ろしい体験が彼女に貴重な教訓となり、Confessionを書かせることになった。
彼女もMartin EbonもAutomatic WritingやOuija Boardが危険であることをよく知っており、Susy Smithはこの自分の体験をPublicに知らせることによって、素人で、サイキック現象に興味を持ち、Automatic WritingやOuija Boardをやり始める人や、やり始めて、彼女と同じ恐ろしい経験をしている人に、どう対応すればよいかを明らかにし、おかげでたくさんの読者から感謝されたという。
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Martin EbonのInterview (The Evidence for Life after Life)から、Susy Smithの言葉を引用しよう。(p.50-51).
“In my days as a
gnostic I thought that survival really had to be proven scientifically. It
seemed to me that only with such proof of life after death could any kind of
religion be of value. And yet, during all my research, I was never able to
receive anything that could really be considered such scientific proof. I had
many psychic experiences of a personal nature that I found totally convincing
(some very beautiful, and many quite frightening); but there was no single
incidence that could prove survival of the human soul to anyone who did not
want to believe.
不可知論者であったころ、わたしはSurvival(死んでも無ではなく、Spiritの世界で生きている)は科学的に証明されねばならないと思っていた。そのような、科学的に死後の世界があると証明されて、はじめて宗教も意味があるとわたしには思われた。しかも、わたしの探求した限りでは、科学的に証明されたというようなものとは、一度も出遭うことがなかった。わたしは個人的には自分で納得できるサイキックな体験をいっぱいしてきた。(その体験のあるものは、とても美しく、また何度も怖い体験もした)。でも、あの世のがあると信じたくない人を納得させられるようなSurvivalの証明に出遭ったことはなかった。
“This is unfortunately
true of the vast body of researched and published material. Even the wonderful
collections of ghosts who brought evidence, drop-in at séance who gave their
identities, out-of-body experiences in Heaven, etcetera, published in my book Life is Forever, does not represent the kind
of repeatable evidence required by science. Granted that science is unfair in
its demands, the fact remains that no one can say at this point that survival
after death has been proved scientifically.
このことは、不幸にも、膨大な量の研究され発表された資料についてもいえることである。証拠らしいものをもたらしたGhostに関する資料、Séanceで予知なく現れて証拠を示したGhostたち、体外離脱でHeavenを体験した話、など、みな、わたしの書いた“Life is forever”のなかにあるが、それらのすばらしい資料も科学が要求するRepeatableな証拠は示していない。科学はこういうRepeatableなどという理不尽なことを要求するいやらしさをもっていることを認めても、だれも、今の時点で科学的に死後の世界があると証明されたとは言えないという事実はのこる。
“To me, today, proof is
unimportant. I convinced myself; and many readers of my books have been helped
by my conclusions; and this is enough for me. I rather doubt that actual proof to
suit the skeptic will be found for a long, long time. I have come to the
conclusion that each person must reach his own decision by his own efforts. This
does not mean that I recommend that anyone attempt to communicate with spirits
of the dead. Reading about the experiences of others can be just as
encouraging, and certainly less dangerous. In my own search for truth I had so
many disquieting experiences that I certainly warn others away from making
similar attempts. Since publication of my book Confession of a psychic, in which were related many unpleasant and
dangerous experiences I had with `bad spirits`, hundreds of letters have been
received from readers who were getting into trouble trying something of the
same nature. They thanked me for warning them away from it, and perhaps this is
the area in which the most good has been done by all my writing and work in the
psychic field. If only a few have been saved from possession or even insanity
by my words, then my striving all these years has not been in vain.
現在、私にとっては、科学的に証明されたかどうかというようなことは大事なことではない。わたしはこう確信している;私の本のたくさんの読者がわたしの抱いた結論によって助けられたと感じている、それで充分である。懐疑的な人が満足するような形の証明が、今後、どんなに時間がたってもでてくるとは思えない。だれもが自分の努力で自分の納得する結論をだすほかないと思う。このことは、しかし、だれもが自分で死者のSpiritに接するというサイキックな探求をしなければならないということではない。ほかのひとの体験談を読むだけで充分刺激的で、危険もすくない。私個人のこの道の探求上、本当に不快な経験をたくさん持った。だから、ほかの人がそういうことがないように警告をする。わたしの本、“あるサイキックの告白”のなかで、わたしが持った“Bad Spirits”との、不快で危険な体験について語ってから、わたしは何人もの読者から、サンキュー レターをもらった。わたしのアドバイスが役に立ったというわけである。わたしが、このサイキックの分野でたくさん本を書いてきて本当にほかの人々の役に立ったと自分で思えるのはこの点に関してである。もし、すこしの人でも、Possessionやキチガイになることから救われたなら、今までの私の格闘も無駄でなかったわけだ。
“I am aware that this
is a kind of `don’t do as I do, do as I say` proposition. Everyone should not
have to go through what I did, however, in order to prove survival to their own
satisfaction. I am a great one for believing, now, that if a supernormal
experience occurs naturally and spontaneously, enjoy it! But do not try to
force it to happen to you. Fortunately, most people are the type who are
willing to read about experiences and beliefs of others, and not insist that
they become personally involved.”
わたしは、この種のアドバイスが「わたしがやったようにはしないで、わたしが言っているようにしなさい」という形のものだということはよく知っている。自分が満足のいくように、Survivalの探求を私がやったようにだれもがやらないといけないとは思わない。もし、普通でない、異常な超常現象に自然に、突然であったら、それを喜びなさい、しかし、そういうことが起きるように自分のほうから無理をするのはひかえなさい。幸いにも、ほとんどの人は、ほかの人の体験談や信仰を読むことで満足し、個人的にそういう体験をしたいとは思わないようだ。
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要するに、サイキック現象に関与するには、それ相応の知識と準備をもってかからないと、恐ろしい、取り返しのつかない目に遭う危険があるということである。
そういえば、すでに紹介したDr. Sandra Gibsonも、「Beyond the Body」の中で、何度も、くどいほど、悪い霊Spiritにとりつかれることを心配し、MediumのTrance状態に入ることも長い間いやがっていた。そして、最初にこのサイキックのProといえるひとに相談に行った時も、相手のひとは、イメージで白い光が自分の身体全体をおおっているようにすることによって、悪いSpiritsからの侵入をふせげるとサンドラに教え、まず、そういう具合に、Protectしてから次の行動に移ったのであった。
Mediumたちがそういう邪悪なSpiritsの攻撃から守られているのは、多分、強烈なPowerをもったSpirit GuidesがMediumたちのGuardian AngelとしてMediumたちを邪悪なSpiritsの攻撃・侵入から守っているからであろう。考えてみれば、Mediumshipを発揮するということは、自分の意識はどこかにおいて、頭の中をからにして、Spiritsが自由にふるまえるように、パイプのような役割を果たすということであり、そういうEmptyの意識状態なら、何が入り込んできても不思議ではないのだ。まだ、防御方法も知らない素人が、気楽に踏み込んでいくのはまちがっているといえるだろう。
過去にも、Automatic WritingやOuija Boardを単純に信じてしまったため、家庭をめちゃめちゃにして、殺人まで犯した例がいっぱいあるのだ。この地上に邪悪な犯罪者がいっぱいいいるように、Spiritになっても、急にかわるわけではないから、特に昇天できないEarth Boundの邪悪なSpiritもいっぱい居るにちがいない。Trance状態に入るということは、そういう邪悪なSpiritに侵入の機会を与えるということで、結果的にPossessedの状態になったり、場合によっては、死んでしまうことになるかもしれない。
Psychic Defenceのやり方をよく心得て、新しい領域の探求に入ってかねばならない。そういう意味では、ひとりで探求するのではなく、Spiritualistたちの仲間と行動するのが比較的安全といえるだろう。
村田茂太郎 2013年1月2日、1月3日
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