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1/29/2013

「心霊現象の科学」をめぐって-その62 S. Ralph Harlow 「A Life after Death」1961年 を読む-その7 Arthur Ford Mediumアーサー・フォード


「心霊現象の科学」をめぐって-その62 S. Ralph Harlow 「A Life after Death1961 を読む-その7 Arthur Ford Mediumアーサー・フォード

Mediumというのは、ともかく、科学者たちからは信用されないようだ。そして、疑ってかかる人がSitterをしめていると、当然、Negativeなエネルギーが作用して、まともなサイキックらしい能力もだせなくなる。有名になればなるほど、否定的に見ようとする科学者も増えるわけで、困難さも増加するわけだ。

Arthur Fordもその点に関して例外ではない。アメリカを代表するMediumといわれていたが、一方ではインチキだといっているひとも多かったようである。その点、科学的探究心も多く、みずから積極的に自分のMediumを解明したいと願い、科学者に協力をしたEileen Garrettのほうが、全く、問題は残さなかったといえる。

私は、Arthur Fordの自伝 Nothing so strange を読み、そのほか、Arthur Ford関係の本を4冊ほど持っている。彼が特にほかのMediumとくらべてどうだと思うようなものではなく、どれも本物のMediumであれば、向こう側とコンタクトできるということにかわりはない。Arthur Fordがとくに有名になったのは、Magicianで有名であった HoudiniCodeを解いたからといわれている。ほかに、1960年代にBishop PikeケースでもTVなどで有名になった。Bishop PikeケースはFordにかぎらず、Ena Twiggとか、ほかにもたくさんのMediumがコンタクトしているようで、結局、ひとりのMediumとしてはホンモノであったということで、ベストとかいう言い方は意味がない。その彼も、晩年、サイキック・パワーがおとろえたのか、問題があったというようなことが、Wikipediaに書いてあった。どうであったのか。われわれは、ともかく、自分で調べるわけにゆかないので、信用するほかないので、もし本当であればという条件をいつもつけないと、なにも言えないことになる。Margery Crandonもそういう意味では、インチキ騒ぎで、本当にインチキをしたこともあるようだが、ホンモノであったこともあり、不確定性原理のこともあるから、初めから疑ってかかる自称科学者を相手にしないということが大切な基本原則だと思う。当時は、そういうことは、量子力学の世界でしられていただけで、だれも、サイキック現象の世界、特に、Medium の世界では大事だなどと知らなかったので、 結果的にはみんなが苦労して、得るものは少なかったということである。

Dr. Ralph Harlowは直接、Arthur FordSéance に参加する機会があった。第一回目に良い印象を受けたHarlowは5年後に、親しい友人を連れて、もう一度、FordSéanceに参加した。そのとき、たまたま、友人の女性が訪問してきたので、彼女もつれて4人でSeanceに出かけることになった。Fordは、この最後の女性4人目が来ることは知らなかった。こういうPrivateSéanceはもっとも、うまくゆくようである。Arthur FordTrance状態に入った時、あらわれるSpirit GuideFletcherというコントロールで、有名であった。FletcherFordが子供の時の友達であったとか。9歳ころに分かれて、第一次大戦で亡くなったとか。1924年からFordのコントロールとして活躍することになった。それは、Margery Crandonのときのコントロールが彼女の死んだ兄であったのと、似たようなものである。

99分にわたるSéanceTypescriptしたNotesからDr. Harlowは、Verbatim Record生きた会話のレコードを引用している;

Fletcher: Hello, I have met you before. [He was speaking to me.]

フレッチャー:ハロー、以前あったことがあるね。(彼は私“Dr. Harlow”に話しかけている)。

Harlow: Hello, Fletcher. This is Mr. and Mrs. Kaplan and Mrs. Shapiro.

Dr. Harlow: ハロー、フレッチャー、こちらはカプランご夫妻、それからミセス・シャピロ。

Fletcher: I am glad to meet you all. Over here we make a distinction between religion and spirituality. Many people who are formally religious and not spiritual, and many who do not seem connected with formal religion are deeply spiritual. Race is not geographical and religion is universal. [This comment greatly interested me because here was Fletcher, a former Roman Catholic, speaking to three Jews. Then suddenly, as if he had finished a required, formal introduction, he changed subject.]

フレッチャー:皆さんにあえてうれしい。こちら側では、宗教というものと霊性Spiritualityというものについて、明確に区別している。形式的に宗教的であった多くの人が霊的Spiritualでなかったり、逆に、形式的な宗教にとらわれないひとが深く霊的Spiritualであったりする。人種は地理的ではないし、宗教は普遍的である。{ここでフレッチャーがコメントしていることは非常に興味深い、フレッチャーはローマン・カトリックだったのであり、そして彼が話しかけているうちの3人はユダヤ系なのだから。そして、突然、最初の紹介の段階は終わったと判断したのか、フレッチャーは話題を変えた。}

Fletcher: There are several people who want to speak with you. A man tells me his name is Herman and that he is well and happy over here.

フレッチャー:何人かがあなた方に話しかけたいようだ。一人の男性が自分の名前はHermanだといい、彼はここで、うまくいっていて、ハッピーだ。

Emily Kaplan: I had a brother Herman. He died several years ago. [At this point Fletcher gave Emily several intimates and personal messages that I do not wish to reveal. These gave evidence that the message was indeed from her brother, and Emily was deeply moved.]

エミリー・カプラン:私の兄弟にHermanがいる。彼は何年か前に亡くなった。{この時点で、フレッチャーはいくつかのエミリーに関する個人的な極秘のメッセージを伝えたが、ここでは明かさない。これらのことが、メッセージは本当にBrotherからだと納得して、エミリーは深く感動したようだった。}

Fletcher: Kivie’s mother is here. You look like your mother, Kivie. She wishes me to say that in her last years on earth you did all you could for her and she is most grateful. She has no conscious memory of when or how she passed away. She says that had she lived longer in your world she would have been an increasing burden, so she is glad she escaped from it for her sake and for yours.

フレッチャー:Kivieのお母さんがここにいる。Kivie、あなたはお母さんにそっくりだ。彼女は私にこう伝えてほしいといっている、地上での最後の日々、あなたはできるだけのことをしてくれた、心から感謝している、と。彼女はいつ、どのようにして死んだのか記憶に残っていない。彼女は言う、もし、もっと長く生き続けていたら、自分の存在はただ重荷を増加させただけであったろう、だから、そういう世界から抜け出せて、自分のためにもあなたたちのためにも良かったと思っている、と。

[Both Marion and I had known Kivie’s mother well, and the messages, many of which I do not include because they are personal and intimate, gave evidence of coming from the same sort of person we had known. Kivie’s devotion to his mother had been most admirable. Every morning on his way to his office he would drop in to see her. She had become very helpless, both physically and mentally, toward the close of her life, and Kivie gave unselfishly to her needs. Both Marion and I were witness to his wonderful care for her. As Fletcher relayed Mrs. Kaplan’s message, Kivie grew excited with delight. It was his first experience with psychic messages, and the remarks he was receiving were both humorous and very much the type his mother was wont to make.]

{マリオン(Dr. Harlowの妻)と私はKivieのお母さんをよく知っていた。ここで触れないが、多くのメッセージがお母さんから届いたが、それは私たちがよく知っている同じ人物からのものと確信させた。Kivieはお母さんに献身的であって、毎朝、オフイスへの出勤前に、最後のころは、肉体的にも精神的にも救いのない状態であった母(つまり、認知症Alzheimerでもあったということか?)に、彼女のために損得を離れてヘルプした。マリオンと私はそのことをよく知っていた。フレッチャーがミセス・カプランのメッセージを伝えると、Kivie Kaplanは喜びで興奮につつまれた。これは彼にとってははじめてのサイキックな体験であった。彼が受け取ったメッセージはいかにも母親らしいもので、ユーモアがあり、母親らしいと納得させるものであった。}


Fletcher: There is a young woman here who says she wants to talk with mother. Her name is Mary and she has been over here several years. [Mrs. Shapiro had had a daughter who passed over many years ago. Neither the Kaplans nor I knew about this.] Mary says, “I came over here when I was very young but I have grown up and am very happy in my work here, Mother, I love you dearly and am so happy to have this first chance to tell you so and give you a short message. Also tell my father that I am proud of his work as a doctor and that he is doing much good.”

フレッチャー:ここに若い女性がいる。彼女はお母さんと話したいといっている。彼女の名前はMaryで、もう何年かここにいるという。{ミセス・シャピロは娘をもっていて、だいぶ以前に亡くなっていた。カプランも私もこのことについては全然知らなかった。} Maryが言っている、「私はまだずいぶん若い時にこちらがわにやってきた、私は成長し、ここの仕事で大変ハッピーだ、お母さん、私はあなたを心から愛しています、そして、こうして、はじめて、この機会に、あなたに短いメッセージを伝えることができてとても満足しています。お父さんに伝えてください、ドクターとしてがんばっていることをとても誇り高くおもっています、とてもよくやっていますね、と。」

Fletcher: There is an ancestor here named Macoski.

フレッチャー:ここに先祖でMacoskiという人がいる。

Mrs. Shapiro: I had ancestors with that name.

ミセス・フレッチャー:私はその名前の先祖をもっていました。

Fletcher: Mrs. Kaplan says, “I want very much to build up knowledge of how to communicate with you now that we have begun this contact. Give my love to Marion.”

フレッチャー:ミセス・カプランが言っています、「こうして、私たちははじめてコンタクトすることになったのだから、今後、どうすればCommunicationが可能なのかの知識をたくわえたい、マリオンにもわたしからよろしくね。」

Kivie: Is my father there?

Kivie: わたしの父もいますか?

Fletcher: Yes, your father is here. There is a man here who has the same name as you. [This delighted Kivie, for he had been named after his grandfather, a famous European rabbi.]

フレッチャー:イエス、あなたのお父さんもここに居ます。それから、あなたと同じ名前のひとがここに居ます。{これを聞いて、Kivieは喜んだ、というのは、彼はおじいさんの名前をもらったのであって、そのひとはヨーロッパでは有名なRabbiであったのだ。}

Kivie: But my father knew no English, so how can he communicate with us?

Kivie: しかし、父は英語をしゃべらない、どうして私たちと会話ができるの?

Harlow: Do you use languages over there?

Dr. Harlow: そちらの世界では言葉を使いますか?

Fletcher: No. We use thought transference, but it is too difficult to explain to you in the earth plane. When we communicate with you we have to use the language we know, Rabbi Kaplan transmit his thoughts and I pass them on to you in English.

フレッチャー:いいえ、我々はThought Transference思考伝達 という方法を使います。しかし、それについて地上の感覚で説明するのは非常にむつかしい。我々があなた方に話しかけるとき、我々はわれわれが知っている言葉を使う、Rabbi Kaplanは彼の考えていることThoughtsを伝えてくれる、私はそれを英語であなたがたに伝えるわけだ。

The remainder of that sitting was concerned with intimate messages that would serve no purpose to be reported here.

残りのSittingは個人的な情報の交換であったので、ここでは省略する。

As remarkable as that sitting was to the Kaplans and to the unannounced Mrs. Shapiro, my first meeting with Ford five years earlier was even stranger, because I came in on him as a complete stranger only five minutes after telephoning him for an appointment, and Fletcher brought me myriad messages from persons who were complete unknowns to Ford.

このKaplan夫妻やMrs. ShapiroとのSittingはなかなか際立ったものであったが、私の5年前の、最初のFordとのMeetingはもっと不思議なものであった。なぜなら、私は5分前に彼に電話で予約して、全くの見知らぬ人として彼の前にあらわれたわけであったが、彼はFord自身にとっても完全に未知な人々からのたくさんのメッセージを伝えてくれたのだから。

The most convincing message came from Mary Hussey, a member of the department of religion at Mount Holyoke College whom we had known slightly and who had died suddenly the previous summer. She said, “I want you to tell Paul something for me. Tell him that I regretted leaving so suddenly with my work unfinished. It was in the classics. Tell him I am proud of him and his work and will try to help him find someone to finish my work.’

その中でも、とくに納得のいくメッセージはMary Husseyからのものであった。彼女はMount Holyoke大学の宗教学科に属していて、私自身はほんの少し彼女を知っている程度であったが、彼女は突然、その前の年の夏に亡くなったのだった。彼女は「私はあなたに頼みがある、私からとPaulに伝えてもらいたい、こういう内容です、私の仕事が終わらないうちに、突然死んでしまったことを悔いています。それは、古典の領域に関するものでした。彼に伝えてください、私は彼と彼の仕事を誇りに思っている、彼が、だれか、私の仕事を完成させてくれる人を見つけるようにヘルプしようと思っている、と

It was perfectly clear to me who Paul was. He was Paul Williams, a very close friend of mine who was chairman of Mount Holyoke’s department of religion. When we returned to Northampton I went over to see Paul and asked him what Mary Hussey had been doing at the time of her death. He said, “She was translating some cuneiform tablets and had not finished her work. We are trying to get someone to complete it, as the publishers want it as soon as possible.”

私にとっては、Paulがだれを指すかは、きわめて明白であった。彼はPaul Williams、私の特に親しい友人の一人で、Mount Holyoke大学の宗教学科のChairmanを務めていた。私たちがNorthamptonに戻ってから、Paulに会に行き、Mary Husseyが死んだときに何をやっていたのかと訊ねた。彼は言った、「彼女はあるクネイフォルムのタブレットを翻訳していたのだよ、しかし、完成しなかったが。我々は誰かそれを完成してくれる人を探そうとしているのだ、出版社ができるだけ早くおわらせてくれと言っているからね。」

I suppose it is possible that some of Arthur Ford’s, or Fletcher’s, messages could be explained on the basis of telepathy, but if so the telepathic ability involved seems as remarkable as Fletcher himself. But even granting telepathy we must exclude the Mary Hussey message; Arthur Ford did not know Paul Williams or Mary Hussey; and none of us in that room knew of her work in the classics.

私は、Arthur Fordの、或いはFletcherのメッセージの幾分かはテレパシーで説明できると思う。しかし、そうだとしても、そのテレパシーの能力はFletcher自身と同じほど、際立ったものだといえる。しかし、テレパシーがかなり説明可能としても、このMary Husseyに関するメッセージはそうはいかないと思う、Arthur FordPaul WilliamsMary Husseyを知らないわけだし、あの部屋にいた我々の誰も古典に関する彼女の仕事については知らなかったのだから。

――― ――― ―――

Dr. Harlowもただ単純になんでも信じる人ではない。彼なりにいろいろな可能性を検討し、やはり、ホンモノのサイキックは居て、向こうの世界とコンタクトできるという確信をつかんだから、この本の題名が示すように“A Life After Death”を信じることができたわけである。

やはり、この領域は科学的証明などということはあまりあてにならないものとして、無視して、自分が納得できるかどうかにかかっていると私は思う。私も、30年以上前から、いろいろな本を読んで勉強して、あの当時も、30年前の昔、やはり、ホンモノのMediumに会って、自分で確かめてみるほかはないというのが当時の結論であり、最近、その一部、つまり、電話でMediumと話すということが実現して、私はなるほどと思った段階である。もう少し、自分で探求しなければならないが、なんとなく、臨死体験はほんもので、脳内体験ではないという結論、つまりLife After Deathは事実だという確信に向かいそうである。そして、私が死んで、だれかに、やっぱり、意識はSurviveするぞと伝えても、科学者たちは Super-ESPで説明して終わるのは明らかだから、After Lifeがあっても、よほどのことがない限り、地上の人にコンタクトする気にはならないであろう。

村田茂太郎2013年1月25日、29日

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