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2/22/2022

私のブログ・スタートから10年記念日ー2022年2月22日

 私のブログ スタートから10年記念日 2022年2月22日

2012年2月22日に、こわごわ私のブログをスタートして、ちょうど10年経つ。

今日は2022年2月22日、なんとナンバーの2が並んだ意味のありそうな日である。

最近はあまりNew essayOpenしていないが、始めたころは毎日何かを公開していた。

 

私のブログは内容的に6種類が展開されていたと思う。

1 私の教育論関係のエッセイ(補習校での教育体験が生んだもの)

2 心霊現象の科学 をめぐるエッセイ

3 私の読書感想文関係

4 私が旅をして自分のカメラでとらえた日本の自然とアメリカの自然の紹介・紀行文など

5 私が属するSFV Bonsai Club・盆栽クラブ活動の報告、月例会と夏の盆栽ショー

6 我が家の犬猫 の紹介

 

 私にとっては皆大事な展開であったと思うが、今、このブログが私の成長に特に役立ったと思うのは 「心霊現象の科学」 に関する領域であった。

 2012年のスタートから、一応、私なりに結論に達したと思う2015年12月31日までの約4年にわたるこの領域に関する私の探求が、いまや私自身の心に平静心を生むまでに至った。

 学生時代からの展開を顧みれば自分でも驚くばかりである。

 私は京都大学西洋哲学史科に属し、自分ではプラトンやヘーゲルそしてマルクスが好きであった。今も好きである。(しかし、最近、私はDavid HumeSpinoza そしてGoetheゲーテを偉いと思っている)。私が京都大学にいた間(1960年代)は各種のデモ(主にヴェトナム・反戦)と大学闘争が盛んで、私もその中にいた。私の京都大学時代というのは私にとっては最も暗い時期であって、今振り返ってみて、それなりに大事な時であったと思えるのは、この京都大学時代に私の自分の哲学が確立したといえることで、恐れ多くも卒業論文は「哲学の成立次元」というものであった。私の自信の現れであったと思う。今思えば恥ずかしい限りであるが。審査をしたのはデカルトやハイデッガーやアウグスチヌスなどの研究で日本でも有名な教授たちであった。そしてPositiveな評価をいただいた。私が独自に哲学したということを評価してくださったのだと思った。私は自分の哲学を「自覚と方法」ととらえて、その線で展開するつもりであったが、構想はともかく、肉付けするだけの知識も学力もなく、生きていくのに精いっぱいで、趣味的に勉強するだけであった。

 そして、私は海外見学のつもりでアメリカにわたり、今のワイフと知り合って、その縁で永住権を取得し、最終的にアメリカ市民になった。もちろん、親を放っておいて一人アメリカにわたるなどということは、一人息子であれば不可能であったはずで、私は姉に任せっきりであった。姉に対しては感謝するばかりである。

 さて、私は若きマルクスが好きであった。今もマルクスの青春期の労作「経済学哲学草稿(または手稿)」が世界史のあらゆる哲学者の著作の中の最高傑作であるというのが私の評価である。そこで、マルクスが、私はマルクス主義者ではないといったという有名な話があるが、本当である。世の中は、その後、レーニン、トロッキー、スターリン、毛沢東その他の指導者がうつりかわり、マルクスの影響でひどい世の中がうまれたように思われているが、マルクスの展開した哲学は立派なもので、後に続いた連中とは異なる。

 さて、マルクスで間違っていたと思われるのは、いわゆる唯物論 ― 死んで無 Nothingというアイデアで、私は京大のクラスメートのひとりが自殺した時に、ひどいショックを受け、魂があの世で安らいでいるとわかれば、どれだけ落ち着いた気分になれただろうというような感想を当時クラスで発行していた新聞に書いたほどで、当時だけでなく、その後もずっと私は唯物論者で、死ねば無にかえるというのが当たり前の考えであった。

 そのあと、やはりクラスメートの一人がまだ二十代の若さで病死したニュースに接して、1975年からPsychic Science 心霊現象の科学 の探求にすすんでいくことになった。そして 心霊現象の科学への私の歩み というエッセイを、当時私が指導していた補習校のクラスの生徒たちに示し、この興味深い領域が日本以外の国ではまじめに研究されているのを知った。

 そのころ、Raymond Moodyの有名な本「Life after life」が現れ(1975年)、飛躍的にAfterlifeの探求が深まっていくのを知り、私の探求心も一層深まった。

 死んで無 であれば、何も心配はいらない。無 でなければ、大変である。そして最近の研究は、死んでなくなるのは肉体だけで、意識も記憶も個性も保持するということを事実として示している。そこで宗教が問題となる。宗教の起源はもちろんこの世に存在する か弱い人間が精神の安寧を求めて人間が生み出したものである。神 God を作り出したのは人間である。そしてそれが世の中に悲劇を生み出してきた。Thomas Jefferson は信仰の自由を宣言したVirginia州法を自分の三大業績のひとつとした。キリスト教を国教にしたコンスタンチンとえらい違いである。この宗教を国教にした結果がカトリック教会の専横を生み、限りない悲劇を生み出した。宗教は政治から独立しているべきであるが、コンスタンチンは宗教の力を利用して、国を統一しようとした。結果はカトリックのほうが力をもって、有名なカノッサの屈辱などの喜劇を生み出した。

 この、ある種の宗教の間違ったドグマのせいで、まじめに信じたひとは、死んでなくなったのは肉体だけで、意識も記憶も個性もみな保持しているのを見出して、どうしてよいのかわからず、闇の世界をウロチョロする存在となってしまうようだ。(Dr. Carl Wickman 「Thiry years among the Dead」など)。

 今は一見平和な世の中だが、テロ・大事故・大天災・コロナ Covid19・宗教戦争・無差別殺人などで、いつ何時死と出会うことになるかわからない世の中である。子供だからといって老人になるまで生きれる保証はない。いつ死に出会っても迷わなく次の行動ができる準備はしておかねばならない。チベットの死者の書 などはそのための準備を示したものである。

 今や私はこの世に生きてあるということは、次のエネルギー次元に移る準備の時期であるという様々な研究書の示しているのは正しいと思う。人間はこの地球上になぜ生まれてきたのか。もちろん、生まれてくる子供は男女の生殖行為の結果であるということは事実であり、生まれてくる子供には責任がないようにみえる。ところが最近の研究が示していることは、魂があり、肉体がなくなって次の次元に移るということは、生まれてくる子供は自分の親を選んで、自分の意志で生まれてくるということらしい。つまり次のエネルギー次元に移ると地球上での様々な体験ができず、成長の機会がない。この世で肉体があるから苦労も喜びも悲しみも苦痛も快楽もみな体験して魂は成長していくという話である。つまり人がこの世に生まれてくるのは体験するためであるという。

 ともかく私のブログが10年経って、もう終わりにすべき時かと思うが、統計を見ると、あちこちで私の様々なエッセイを覗いてみてくれている人がいるようで、Closeしていいかまだ決心がつかない。

 今読んでいるEdwin Hubble の伝記 (膨張する宇宙を証明して20世紀最大の天文学者とたたえられ、Einsteinとも親しく、宇宙探査に役立っているHubble Telescope 探査衛星の名前)は彼がものすごい勉強家で、弁護士であると同時に天文学者で、様々な言語をマスターしたおどろくほどの人物であったが、最後が見事である。親は熱心なクリスチャンであったが、彼自身は No Funeral, No Memorial Service, No TombCremation火葬のみ ー 葬式もメモリアル・サービスも墓地もいらないとワイフに遺言し、30年生き延びたワイフは彼の遺志を守って、その通りに実行した。遺体は火葬で、遺灰はどうなったのか、誰も知らない。私の理想とする死後の処理方法である。私も、葬式もサービスも墓地も何もいらない。遺灰はどこかの山に撒くか海に撒くということで充分である。Hubbleは宇宙を眺めて一生を過ごし、人間が作った神Godのむなしさを感じたのであろう。

 今の私の生きがいは犬猫との共生である。本当に犬猫の美しい姿は今の私のLifeline生命線であるといえる。心霊現象の科学 の勉強の結果、すべての生命体は次のエネルギー次元に移行するということが明らかなので、私は次の次元(あの世)で、先に亡くなった SashaPepe, Duchess, Eureka そしてあと余命わずかの Hana, Thumper その他すべての犬猫に再び会えるということを楽しみにしている。私にとって、死は恐怖でなく、楽しみである。

 ということで、このブログも終わりに近いが、犬猫の姿と盆栽クラブの活動だけは、しばらく展開するかもしれない。本当に犬猫はかわいい。今の私の生きがいである。

 

村田茂太郎

2022年2月22日 火曜日

 

 

 

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