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8/28/2018

寺子屋的教育志向の中から - その3 “癌と人生” 


寺子屋的教育志向の中から - その3 “癌と人生” 

“癌と人生” ローレンス・ル・シャン博士の本を読んで 

 この文章はとても大切な内容を含んでいて拙著の中でも一番大事なエッセイの一つである。私の友人・知人の多くは、みな、なんらかのCancer癌で亡くなったようだ。この本には癌に対抗して生きる秘訣が書かれている。私は自分でも知らないうちに、この著者が展開した内容を身に着けて実行してきたから、自分が癌にはならないという自信がある。(?)


 70歳ごろUCLAの私のPrimary DoctorがColon cancerの検査(Colonoscopy)を10年ごとにしなければならないといったので、仕方なくOKしたが、もちろんその必要はなかったほどで、健康体であった。80歳の検査は拒否するつもりである。


 この本の著者ルシャン博士と同じ考え・姿勢で癌その他に対決して効果を上げているドクターがいる。Bernie Siegel MDである。「Love, Medicine, & Miracles」はとても重要な本で、日本でも翻訳されていることを希望する。私の「心霊現象の科学」のブログの中(雑談 癌をめぐって)でも少し紹介したが、生きる意欲をもつことが一番大事で、”余命いくばく”という癌ドクターの判断は死刑宣告にひとしく、MDドクターたちも、もう少し人間について勉強して、めちゃめちゃな宣告は辞めるようにしてもらいたいと思う。


 私が知っている実例は姉婿(義兄)の姉に当たる女性のケースで、60代でガンの第4期末期症状ですでに転移しているからあと半年保てばいい方だとドクターは宣告した。本人は自分の孫たちの結婚までは、つまり80代までは生きると宣言し、実行した。80代半ばで亡くなったとき、医者たちはミラクル・奇跡だといったそうである。私に言わせればありうる話で、人間のもつ意志の力、生きる意欲が肉体をコントロールしているという証明で、ミラクルでも何でもない。ありうる話である。


 LeShanの本はその辺のことを展開したもので、ドクターSiegelの本はさらに一歩進めた内容といえる。Siegel自身、彼の本の中でDr. LeShanの本に触れているくらいである。


 私は今ではこれらの本から学んで、人間は自分の中に自然治癒力を保持していて、それを充分発揮させる事が大事だと確信している。Holistic Approachというらしいが、臨床医たちももっとまじめに人間の研究をしてもらいたいと思う。癌患者が医師の推定通りに期日前後に死んでしまうのも、医者が死刑宣告したためであって、本人はそれを聞いただけですぐにあきらめてしまうから、そのあとどんな治療をしても効果がないわけである。医師は今後、末期症状の状態でも30年近く生き永らえた人もいるから、あなたに生きる意欲があれば、まだまだ頑張れると本人の生命力を喚起するように心がけてもらいたいと思う。


村田茂太郎 2018年8月18日



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生命力         “癌と人生”ローレンス・ル・シャン博士の本を読んで     

 

You can fight for your life. By Dr. Lawrence LeShan


  私は普通こういう題の本は好まない。ダイジェストとか人生読本とかといった本は大嫌いである。“あなたは生きるために闘うことができる”というような本も、ふだんなら本屋で見つけても手に取ることさえしないだろう。私が数年前にこの本を買ったのは、著者がローレンス・ル・シャンであったからである。私はこの実験心理学者の名前は、世界的に有名な霊媒(Medium)アイリーン・ギャレットを使った霊媒力や治癒力に関する真摯な研究でよく知っていた。当時この超心理学とも呼ぶべき第六感に関する領域の研究書をすでに百冊以上読んでいた私にこの科学者の名前は親しいものであった。


読んでみて、単純に、癌患者の心理療法に関する本であることがわかったが、その内容には驚いた。私は、もしこれが本当なら、これは日本に翻訳・紹介の価値があると思った。

 ともかく、読みやすい本なので、同じ本屋に行き、そこにあった六冊全部買い込んだ。この本を読んだ中国人の知人が友人にプレゼントしたいというので一冊手渡した。私が読んだ本もすでに何人かの人に読んでもらった。この本はそれほどの価値があり、深い印象を残した。それはまた私自身の成長の後をふりかえらすものであった。


 私は以前から現代医学の難問である癌と対決するのに発がん物質の研究という方面からのアプローチではなく、癌患者で医者に見離された筈の人間が、自分で好き勝手に生きて、気がついたらいつのまにか癌はなくなっていたという自己克服のケースの症例的研究とか、そうした奇跡的に回復した人々の類型的研究といった方向から、どうしたら発癌するのかではなく、何が あるいは どうすれば癌に対して対抗できるのかといったものを探る方向をとりたいと考えていた。あるいは、ある地域、たとえばある町で百人中十人が癌になったとしたとき、癌になった十人と他の人とに違いはどこにあったのか、なぜある人が癌になり、ある人は癌にならないのかといったような問題である。


私がル・シャンの本を読んで驚き、共感したのは、彼が私とにかよったアプローチで癌患者のパターンと癌との関連を見出し、そのことによって、どうすれば癌に対抗して生きることができるかを心理療法のかたちで考え、また実際に応用して、癌を殺す方向からではなく、人間を生かす方向から、ある程度効果的な結論に到達したと思えるからである。



 私はこの本を読むまでは、しかし、癌患者、特に致命的な癌患者(Terminal Cancer Patient)の個性に、ある決まったパターン(型)があるなどということはまったく知らなかった。だが、この説得力のある本を読んで、たしかにそうかもしれないと思うようになった。そしてこれが本当なら、日本での対患者、対家族の療法も完全に変えねばならないという私個人の結論に達した。


つまり、普通、日本では家族の一人が癌であることがわかったときに、医者も家族もできるだけ本人に知らせないでおこうとする。とはいえ、絶望的な家族の雰囲気というのは、いくら何気なく装っていても、少し注意すれば感づくものなので、癌になった本人はそれとなく気がつくのだが何も知らないふりをする。そこにお互い隠しあっているという不自然な精神的心理的関係が生まれる。これはお互いにとっていっそう悪い結果をもたらす。だましあっているような後味の悪い意識を両者が共有するわけで、これが患者にいいわけがない。これは癌というものは致命的だという悪い面ばかり見つめて、なぜ、あるいはどうして癌になったのかという発生の面の重要性に気がついていないからである。



 ル・シャンの研究によると、癌というのはそれぞれの人生のどこかにあやまちがあった、そのあやまちの最後の仕上げとして発現してくるものであり、癌であることがわかったということは、それゆえ、自分の今までの生き方を再検討してみる必要を告げているのである。したがって、本人が癌であるということがわかったときに、その事実を本人から隠蔽するのではなく、逆にハッキリとその事実を告げることによって、その人のそれまでの生き方を反省し、違った生き方を模索するようにつとめるべきだということになる。


つまり、癌という事実は、その人の生き方を再検討すべき警告としてあるわけなので、本人にハッキリと告げ、本人のそれまでに抱えていた問題を明らかにし、今後の方向を探るという方向をとらねばならず、本人に隠して、はじめからあきらめの態度を保持するというのは一番悪いありかたであるということである。そしてル・シャンの研究は、彼が接した範囲内では彼の結論が正しかったことを示している。


 それでは、まず、この本に取り上げられた具体的な Case Study (症例)から見ていこう。


ジョンは父親の経営する弁護士事務所で働く、若く有能な弁護士で、何不自由なく、傍目には非常に幸福な家庭を営んでいた。三十五歳で、魅力的な婦人と三人の子供に囲まれ、郊外の高級住宅地に将来も約束されて暮らしていた。ところが、彼はだんだんと激しい頭痛を感じるようになり、がまんできなくなって病院で検査してみたところ、脳腫瘍でもう助からない、あと二~三ヶ月の命だということになった。



 すでに癌患者の心理療法家として有名になっていたル・シャン博士を彼は訪ねて、どうすればよいかを相談した。


 そのころには、癌患者とその送ってきた人生との間に特有のパターンがあると気づいていたル・シャンは、彼の過去のあり方と子供のころからの希望や人生への態度を訊ねてみた。


ジョンは自分の過去を説明した。自分は間違った人生を歩いてきた。自分は子供のころから音楽が非常に好きで、本当は音楽家になりたかった。ところが弁護士である父親は息子に自分の跡をついでもらいたく、子供の好き嫌いなど問題にせずに、弁護士への道を歩ませようとした。自分は音楽をやりたかったにもかかわらず、父や母に反対して悲しませたくなかったので、いつも自分の内部の希望を押し殺し、両親の望むように生きてきた。自分の人生は自分が選んだ人生ではなく、父親のこしらえてくれた人生であり、自分は自分の生きたい人生を満足するほど充分に生きたことは一度もない。いつも親に逆らわないように心がけ、結婚も母親が選んでくれた女性とした。自分自身の感情や個性をいつも殺して、ただただ親の気に入るような自分、つまり本物の自分ではなくニセモノの自分でありつづけた。癌が発生する二年ほど前に一度自分の希望を試してみたいと思ったが、結局、家族を養っていくだけ稼ぐことができず、あきらめと家族への罪の意識で前よりもひどい状態になって帰ってきた。それからしばらくして、頭痛が始まったのであった。



ル・シャン博士の論文を読んで、最後の人生相談に行った彼は、博士から、まだまだ生きるために闘うことができるということを学んだ。そして博士の指導で、もう一度、人生への希望を持った彼は、すべてを忘れて自分の子供のころからの夢であった音楽に打ち込んだ。夫人とも離婚した。二~三ヶ月で死んでしまうのであったなら、結局同じことなのだから、あまり人のことばかり気にしないで、一度、自分が生きたい様に生きるしかない。そうして、ル・シャンのもとで心理療法を受けながら、もう一度はじめから音楽家への道を歩き始めた。時の医学が、あと二~三ヶ月しか命がもたないといっていたのに、彼の人生で、はじめて、本当に自分の好きなことをやりたいという強烈な生きる意欲を見せたとき、癌細胞は萎縮してしまった。療法は三年間続き、その後、ジョンは希望通り音楽家となり、オーケストラの団員の一人として元気に充実した毎日を過ごしている。自分自身の生の本源的な願望を充足させることが出来、人生に希望を持って力強く歩み始めたとき、彼は自分の生命を癌の手からかちとったのである。癌は彼の誤っていた人生の最後の証明として出現したが、彼が命がけで自分の過去の誤りを修正しようとしたとき、生命力は癌を克服したのであった。



ジョンの例はル・シャンの見つけたパターン療法がうまく成功したケースであった。ル・シャンによると、たとえ手遅れで助からなかった場合でも、彼の指導で自分の過去の再検討を行い、それまで知らずにいた生きがいを見出して、残り少ない人生を燃焼するかのごとく、激しく充足して生き、死ぬときには自分の最後の生き方に満足を見出して死ぬことが出来た人が多いという。信じられる話である。日本でも、時々、癌になって死ぬはずの人が、医者に見離されたあとで、それなら自分で生きたいように生きるといって、何でも食べ、すきなことをしていたら、いつのまにか元気になって、ピンピンしているという話を聞いたことがある。これも自覚せずに、今までの生き方とは違った生き方に入り、その人生の転換によって、癌が発生する根拠となったものをとり除いた例といえるであろう。



ル・シャンによると、彼が調べたケース(医者に見離されたガン患者)には次のようなパターンが見出された。すなわち、ガン患者は致命的なガンにかかる前から、人生にいかなる望みも持っていなかった。彼らは子供のころから失敗や拒否ばかりに会い、自分を守るために攻撃的になることも出来ず、怒りや拒絶をハッキリとあらわすこともできなかった。いつも孤独で、人に受けられず、愛の充足を心から渇望していながら、いつも、満足できたためしはなかった。子供のころや思春期を、孤絶感、つまり自分が愛されていない、受け入れられていないという感情をいつももって過ごしていた。そうしてそのまますごしていくケースもあれば、あるとき急に人間関係に意味を見出す場合もある。つまり、一度も友情や愛情を体験したことがなかったのに、突然、愛されているのを発見して、有頂天になり、自分のそれまで充足されなかった欲望のすべてを一本のその関係につぎ込んでしまう。そうして、瞬間的に幸福な人生を送った後、愛する夫や妻や子供が死んでしまうと、突然、心の中に広がった空虚感はどうすることも出来ず、その時点において発生する癌細胞と戦う気力ももたなくなっている。



致命的な癌細胞の発展の前に、必ず、中心的な人間関係の喪失があるのをル・シャンは彼のCase Study(症例研究) から発見した。癌患者の多くは、子供時代に両親との間に冷たい満ち足りない関係を持っていた。そうした人生を送ってきた人たちは、暖かい友情や愛情に対して、それだけいっそう敏感になっているため、愛する人を亡くしたりしたときのショックもそれだけ大きいし、その感情の捌け口が見つかりにくく、内向していくために、怒りや激情として、発散できる人とは違って、そのような怒り、悲しみ、心配が、はけ口もなく体内に蓄積され、やがて、身体のもっとも弱い箇所を侵し始める。もし体質が癌になりやすいものであった場合、激情を外に表現することができないひとのもっとも弱い場所に癌があらわれはじめる。



現代の癌研究者たちは、一般に、癌細胞というものはわれわれの肉体にいつも存在しており、ただわれわれの抗体システムが癌細胞の発現を抑え、破壊しているのであり、正常なときには癌細胞は成長も発展もしないのだと信じている。したがって、人生に対して生きがいを喪失し、絶望的な状態になっているときに、癌細胞は活躍を始めるが、すでに人生に対して敗者となっている人間においては、抗体は癌細胞の発達に抵抗できない。



 大切なことは自分を認めることである。この地上でのかけがえのない存在としての貴さを認識し、自分の人生に自信を持って、自分の希望、自分の人生の夢の実現に向かって激しく生きようと努力することである。


 自己実現。自分の持っている最良のものを全力を尽くして出し、充実したといえる生き方をすること、これこそ、癌細胞と闘う最も強力な方法であり、最もやりがいのある方法なのである。


 自分の子供のころからの自然な欲望に忠実に生きよう、自分自身の生命であって、他の人の生命ではないのだとハッキリ自覚して、自分の人生を自分の手で自信を持って築いていこうとすることがもっとも大切なことなのだ。自分の本然の姿、内面の欲求に従おうと努力するとき、彼はあらゆる面においてますます健康になっていくのだ。


 致命的な癌にかかった人は、たいがい、自分の内面の欲求に従わず、いつも人の意見にばかり従っていた人であるといえる。自分の内部の欲求をいつも無視していると、生きるという意欲さえ希薄になり、人生が自分の人生ではなく、どうでもいいようなものになってしまう。生命の根底が、そういう意識で犯されたとき、襲い掛かる病魔に対して全力で徹底して戦うことなどできるはずがないのである。


 したがって、癌にかかってしまった人にとって、もっとも大切なことは、自分の遠い過去の生きる喜びや希望、夢など、人生の意味の再発見であり、これから成長していく子供たちにとって大切なことは、自分の本当の内面の欲求には、まじめに耳を傾け、両親の希望と自分の希望と一致する場合は問題がないけれど、そうでない場合には、自分の生きる意欲を殺してまで親に従うのではなく、自分の生命力の叫びには充分注意しなければならないということである。そしてまた、人間的な感情というのは発散させるのが自然なのであるから、人のことを気にして自分の感情を押し殺すようなことはせず、おかしければ笑い、悲しければ泣き、腹が立てば怒り、うれしいときには心から喜ぶという態度を維持することが大切である。


また、たった一つの趣味、たった一つの愛、たった一つの関係というものは、それが切れてなくなったとき、ものすごく危険なものとなる。何でも愛し、何でも楽しみ、何にでも喜びを見出すという生き方がもっとも強い生き方である。ひとつの趣味に偏らず、バランスの取れた態度や志向を持つことが大切である。ル・シャン博士も、この人生に多様な興味と喜びを見出すことを特に大切にみなしている。もし、あるひとのエネルギーがたった一つのものや一人の人に集中されているとき、そのひとつのもの(一人の人)をなくしてしまった状態というのは、想像するのも恐ろしいくらいである。その人にとっては空虚な暗黒しか存在しないであろう。夫も妻も子供も兄弟もみんな愛し、いろいろな“遊び”を楽しみ、どのような人生になっても生きる楽しみを見出していける人は、はじめから癌の心配などしなくてよいのだ。



この本の最後で、ル・シャンは癌と闘うための基本的な態度について挙げている。それは、怒りの表現力や趣味や楽しみの多様さ、自分の価値を認め、愛されると思っているか、自分のやりたいことをやっているかなどについてである。この本によると、ル・シャンは自分の到達した結論から、逆に、その人の半生をきいただけで、癌をもっているかどうか、かなり正確にあてることができたそうである。すなわち、いつも自分を押し殺してきた人は、ほとんど例外なく癌の重症患者であったという。



 子供というのはある意味では非常に繊細で、親が決めた道に逆らうということには非常な抵抗を感じ、つい、自分の内心の夢や希望とは違っても、そのまま親の思うとおりにいってしまおうとする。したがって、あとになって子供が不調和を感じて苦労することになる。親は親として、経験をつんだ視野からの希望と忠告はあるに違いないが、自分の子供をよく理解し、その子供のもつ才能や特性を出来るだけ生かすように努力すべきであろう。教師も結局、ソクラテスのようにアドバイスできるだけの産婆役に過ぎないように、親というのも子供のよき相談役にとどまるべきであろう。

この本はこうして癌患者とその人の人生との関係を探った本であったけれども、同時に癌を始めから防ぐ方法としての充実した人生を生きる方法、すなわち、自分の最良のものを発展させることー自己実現―に向かって生きることの大切さを示したものであった。自分の内面の欲求には忠実に従い、感情の動きは出来るだけ正直にあらわすこと、趣味や遊び、人生の喜びに対しては出来るだけ多様であること、自分の生命というものに自信を持って、あくまでも徹底的に生き抜こうとすることといった大切な点が、はじめから癌を寄せ付けないもっとも強力な方法であることとして示すものである。 おわり。


(ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園中学部教師 1983年9月ごろ執筆)



ここで、私自身のことについて述べてみたい。



まだ、とても元気な父は(1983年執筆当時、2007年逝去九十五歳)、大阪市立工業研究所の有能な機械設計技師であった。私はどうしたことか子供のころから機械工学関係にすすむべきものだと信じさせられて育った。高校で理科系に入っていても、私は数学や物理などなんでも勉強できることを喜んでいて、工学部に進むことは当然のことと考え、何ら異常に思っていなかった。



はじめから何でも自分の好きなものを選びなさいというのであれば、まったく私の人生も違ったものになっていたと思う。無意識のうちに工学部にいかねばならないと思っていた私は、何の疑問ももたずに静岡大学工学部精密工学科に入学した。そして大学で本を読み進むうちに、私は自分が一番興味のない学部に入ってしまったことを悟った。何度か父と激しく言い争った末、私は“私の人生は私が選ぶ”とえらそうなことをいって、工学部三年目の秋に退学してしまった。父にとっては私のためを思っての工学部入学であったのだから、ショックであっただろう。フランス文学かギリシャ文学を選びたいと思い、ギリシャといえば京都大学を狙うしかないと思った。



約三年間の空白で、受けた入学試験は当然のことながら失敗であった。しかし、京都大学文学部の校庭の松ノ木をめぐるようにして雪が降ってくるのに感動した私は“よし、来年はきっと入学してやる”と心に決めて帰った。そして、次の年、“サクラ ガ サイタ”という電報を受け取ったとき、誰よりも喜んでくれたのも父であった。とびあがって喜んでくれた父を見て、少なくとも工学部中退のショックは薄らいだに違いないと、はじめて私も心から入学を喜ぶことができた。



入学してからの人生も単純ではなかった。いくつかのショックがまちかまえていた。そして私の学問への志向もギリシャ文学からギリシャ哲学そしてヘーゲル哲学から哲学そのものへとかわっていった。私は自分は、当然、大学教授になるつもりであったし、それ以外の生き方は考えていなかった。しかし、工学部を経由しての四年間のロスは、ただでさえ過剰気味な哲学専攻生には大きなロスであった。私は助手になるには大学院を何歳までに卒業していないといけないというような話を聞き、私にはもうチャンスは失われたのだと知った。そのあとのことは重要ではない。



 私は私の遍歴の中で、わたしにあったもの、つまり哲学こそ私がもっとも興味を引かれたもの、自分の探求の根源であったことを知った。哲学とはある意味では便利なもので、どのような職についていようと、自分の時間、自分の志向を持っている限り、すべてが哲学の対象となり、研究の対象となるわけなので、自分の欲望を満足させることができる。
それはともかく、私は自分のこの体験から、子供が自分の将来を自分で選ぶことの重要性を身にしみて感じた。そして、ル・シャンのこの本を読んで、私は自分で過ちに気がついて、すぐに人生の流れを変えたのだ、親が選んでくれた将来に危機を感じて、自分で方向転換したのは正しかったのだと悟った。

完)1983年9月執筆。村田茂太郎

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