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8/28/2018

寺子屋的教育志向の中から - その8 “探偵小説の読み方”その1 ロス・マクドナルド 

寺子屋的教育志向の中から - その8"探偵小説の読み方”その1 ロス・マクドナルド 



文学と科学1           “探偵小説の読み方”その1 ロス・マクドナルド         

                       

 つい最近、(1983年7月11日)、サンタバーバラ在住の作家 ロス・マクドナルドが亡くなった。思いがけない突然の死で、私は、朝日新聞に、批評家がロス・マクドナルドの死を一つのハードボイルドの流れの終わりと見て、探偵小説の最近の動向を書いている文章を読んで知った。67歳と言うのは随分若い死であり、私は心から彼の死を惜しんだ。


 実は私が今までに何百冊と読んできた推理作家・探偵作家の中で、ロス・マクドナルドこそ私が最も愛読した作家であり、私が方法的にももっとも正しいと思う方向を取っている作家であり、あるべき理想の探偵小説にもっとも近い作品を書いてきた作家であった。


 去年(1982年)の11月にサンタバーバラまで出かけたときも、私はここに私のロス・マクドナルドがいるのだなあと思い、どんなに訪問したかったことか。しかし、一愛読者に過ぎない私が、いきなり家庭に土足で侵入するようなことは出来なかった。今では、わたしほどの愛読者であれば、当然、会いに行けば、喜んであってくれたに違いないと、永遠に逸してしまったチャンスを惜しまれる。


 では、なぜ、ロス・マクドナルド なのか。


 探偵小説の歴史はエドガー・アラン・ポーに始まると言える。“モルグ街の殺人事件”や“ぬすまれた手紙”の中で、名探偵デュパンを創造したのはポーであった。そのあと、コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズの創造によって、探偵小説は一躍世界的になり、次の黄金時代を準備した。続いたのはヴァン・ダインやアガサ・クリスティー、エラリー・クイーンやアール・スタンレー・ガードナーなどであった。ここでは、“娯楽としての殺人”が叫ばれ、ファイロ・ヴァンスやエルキュール・ポワロあるいはドルリー・レーンやエラリー・クイーンが大活躍をした。ディクスン・カーやクロフツの名も忘れてはなるまい。


 これらの作家の共通の目標は“謎解きの巧妙さ”ということであった。“密室殺人”とかといった不可能犯罪の方法を追及し、トリックの奇抜さが小説の中心を構成していた。“娯楽としての殺人”と言われるゆえんである。いわば謎解きの添え物として、登場人物が配置されていたわけで、どうしても純文学と言う質の高い次元から眺めた場合には、人物も社会も時代も鮮やかに描かれているケースがほとんどなく、ある意味では探偵小説という“ジャンル小説”として低く評価され、時には探偵小説は文学か、などという馬鹿げた論争がまじめになされることにもなった。文学として成功しているかどうかは、登場人物が生き生きと描き出されているかどうか、社会や時代が鮮やかに描かれているかどうかにあるのであって、殺しの方法やトリック・謎解きとは無関係なのである。


 さて、そうしたことへの明確な意識を持ってなされたのかどうか明らかでないが、今までの探偵小説とは違った探偵小説が1930年代から生まれてきた。ダシール・ハメットによる“血の収穫”と“マルタの鷹”の出現である。


 ハメットに始まり、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドと続くハードボイルド派の流れは、ロス・マクドナルドによって完全にその質を変え、探偵小説としても面白く、純文学としても見事な質を持った作品が作り出されることになった。しかし、なんと言っても、ハメットの重要性は不滅である。彼が持ち込んだのはリアリズム・現実主義であったといえる。それまでの探偵小説のように、頭でっかちで、脇役や自己主張で名探偵振りを見せる主人公と違って、生きた血の通った全体的な人間、つまり、苦悩し、孤独で、しかも真剣に生きようとしている私立探偵を主人公に、生きた当時の社会の中で、殺人事件に出会うという形を創造したのであった。この出現には、ハリウッド映画の隆盛も大いに影響したといえる。


 チャンドラーは魅力ある私立探偵フィリップ・マーローを創造した。彼の作品、“さらば、いとしき女よ”(Farewell, My Lovely)や “長いお別れ”(Long Goodbye)は時代と人間を描いて不滅の魅力をもっている。そしてこの二人の巨匠をついだのがロス・マクドナルドであった。


 ロス・マクドナルドによる約二十篇にのぼる私立探偵リュー・アーチャーを主人公・ナレーターとした探偵小説は世界探偵小説史上不滅の位置を占め、特にその円熟期に発表された幾多の名作は、どれも傑出していて、文学創造上の驚異といっても言い過ぎではない。“動く標的”以降、どれと優劣をつけがたい名作が次々と発表されていった。“ウィチャリー家の女”、“縞模様の霊柩車”、“さむけ”、“ドルの彼方”、“ブラック・マネー”、“瞬間の敵”、“別れの顔”、“地中の男”、“眠れる美女”、“青いハンマー”。どれをとっても、探偵小説としての複雑で深みを持った、面白い構想と同時に、私立探偵リュー・アーチャーの目を通して、カリフォルニアの病んだ世界が、その時代と社会の諸相を明らかに示しながら鮮やかにとらえられ、しかもそこに描かれた人間たちの悲劇が過去の深みを踏まえて全体像としてつかみだされることになる。探偵小説がある時代、ある社会、ある世代、ある人間をこれほど深く、これほど鮮やかに、これほど魅力的に描ききったことはかってなかったことである。探偵小説という区分け、大衆小説としての探偵小説という分類を超えて、筋だけでも面白い探偵小説が、真に文学としての偉大さを併せ持つことが出来るということを、ロス・マクドナルドは自ら、実地に示したのであった。


 しかも、その叙述の方法は、常に私立探偵リュー・アーチャーの体験と目をとおして語られ、読者はリュー・アーチャーの歩みとともに、犯罪の秘密が明らかにされていくのを知る。そこには作家の視点の移動による、“話し替わって”とかといったインチキな方法はない。まさに認識の方法として正しい方法が叙述においてとられ、読者は最後にアーチャーがそれまでの手がかりから犯人に到達したとき、あっと驚くのである。リュー・アーチャー、このとても魅力ある人物と親しむと、まるで生きているかのように想像力の中で活躍をはじめる。そして、私は彼の小説が彼の過去と全人間性を反映したものであり、何年もアイデアが温められて、丁度、成熟しきったときに生み出されてきたものであることを、最近“自画像”を読んで知り、どの作品も、時代・社会・人間・個人を描ききってすばらしいのも当然だと納得したのであった。


(その1 完)

1983年9月 執筆 村田茂太郎

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