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3/04/2018

ブログ表紙写真 その315回目 日本の河川・渓流 賀茂川 京都 Japan

ブログ表紙写真 その315回目 日本の河川・渓流 賀茂川 京都 Japan

 京都で学生時代(1960年代)を過ごした私は、賀茂川を紹介しなければ、この日本の河川・渓流の紹介が中途半端で終ることになると感じる。

 賀茂川というと私はいつも、私が中学生のころ流行歌手の三橋美智也が歌っていた”ああ、新選組”(昭和30年頃)という歌がすぐに思い浮かんでくる。

 加茂の河原に 千鳥が騒ぐ
 またも血の雨 涙雨
 武士という名に いのちをかけて
 新選組は今日もゆく

 幕末の血なまぐさい京都の、ある世界を、実情とは関係なく、かろやかに、きれいな声で歌い上げた覚えやすい歌謡曲で、千鳥がいたのかどうか、雀が遊ぶでは 歌にはならないだろうなどと思いながら私も歌ったものであった。これは時代映画の主題歌であったのかもしれない。私は映画はみたことがなかったが、声のきれいな三橋美智也が大好きで、哀愁列車 や リンゴ村から などは一生懸命覚えたものであった。中学1年生の時に大人の雑誌の”平凡”とかの付録に当時の流行歌集がついているということで、母に平凡を買ってと頼んで、”アホか、勉強の本なら買ってもいいけど、流行歌などとんでもない”と叱られたのも今では懐かしい思い出の一つである。

 賀茂川といえば、”我が意にならぬもの 賀茂川の水” と後白河法皇(?)が山法師の横暴とならべて歌い上げたことでも有名だが、昔は洪水を起こしたのかもしれないが、今は完全に人口的に整理・管理されていて、昔の面影もないにちがいない。

 日本訪問のたびに、京都を訪ね、四条河原町周辺を歩き回り、賀茂川を渡ったものであった。(去年、2017年11月の日本訪問は例外で、四国訪問や銀行訪問、介護ホーム訪問などで忙しく、京都へ行く時間的余裕はなかった。)京都の街の真ん中に賀茂川が流れているのはいいことだと、そのつど思ったものであった。川は特に大きくはないが、河原と周辺の空間を入れると息抜きができる素晴らしいスペースが賀茂川のおかげでうまれていることがよくわかる。川のかわりに街の家並みで埋まっている場合を想定すると、京都の街の中央に賀茂川流れていることの重要さはあきらかである。


 賀茂川といえば、1960年代、今から50年以上前、ベトナム反戦運動が日本で盛んだったころ、ベトナム反戦運動デモ隊の一員として、百万遍を出て、賀茂川を渡り、今出川通りを四条までくだって、左折して円山公園で流れ解散をするというのが常であった。今から思うと京都大学から円山公園まで、そして下宿までと歩いて一周したわけで、よく歩いたものであったと思う。今出川通りは広くて、手をつないで道幅いっぱいに歩くフランス・デモをやり、四条の通りではジグザグ・デモというのが通例であった。機動隊が出て、デモ隊はこわごわ動き、私にとっては悲しい運動であったが、反戦デモに参加することに意味があるという考えで何度か参加したわけであった。そういうことで、賀茂川は私の学生時代と縁がある川であった。

 新選組といえば桂小五郎と幾松とが登場し、近藤勇が貫禄のある所をしめすというストーリーがほとんど必ずでてくるので、長州の桂小五郎生誕の家や出石の逼塞地、そして城崎と桂めぐりをやった私は、賀茂川の、幾松が関係のあった料亭があるということで、友人を招待したいと思ったこともあったが、縁がなくて、先斗町のその料亭を訪れる機会をなくしてしまった。残念である。

村田茂太郎 2018年3月4日 次回からは、また アメリカ Southwestを紹介予定。

京都 賀茂川
















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