旅の思い出――ツアーバス・ガイドのこと(日本)
アメリカでは一人旅をするのになれていた。どこにいってもチェーンの簡易モーテルがあり、予約も簡単、そしてクルマでの旅なので融通が利く。わたしはクルマでの一人旅にキャンプ用テントを積み込んで、適当なところがあれば、キャンプを、なければモーテルをというぐあいにして、年間約三万マイル、五万キロほどの旅を十年にわたって楽しんできた。テキサス州の街エルパソを去る三年ほど前からは同僚で気心のあった友人と一緒に旅をする楽しみを味わったが、基本的にわたしが実行してきたのは単独行であった。
最近、様々な理由で日本訪問の機会が多くなり、ただ親や友人に会うだけでなく、日本全体が温泉地帯の中にあるようなものだから、温泉旅行をしなければもったいないと思い始め、アメリカでの一人旅の要領で温泉一人旅を考えたが、どうも日本では感覚が違うようであるということが分かった。五十歳を過ぎた老人(?)の一人旅は日本では自殺する可能性があるとかで、基本的に旅館が毛嫌いするというようなことであった。気軽に手ごろな旅館に泊まって、一人旅を楽しむというようなムードではないのである。これは困ったということで、アメリカ旅行を楽しんでくれた友人が相棒として、旅行の手配をしてくれ、一緒に旅をすることができることになった。
そうして、アメリカ旅行と同じように、二人でメールのやり取りで企画して団体ツアーに入らない旅をたのしんできたが、冬の北海道を旅行しようと決めたとき、さすがに、これは団体ツアーにはいるほうが安くて便利で沢山見られるとわかり、ツアーに申し込むことになった。
この北海道旅行は二月下旬に三泊四日で実行され、最高に楽しむことが出来た。その理由の一つは北海道現地で四日間にわたってつきあうことになったツアーガイドのおかげである。わたしが一番感心したのはこのツアーガイドのガイドぶりであった。
この女性のガイド振りを見て、わたしは日本のツアーガイドもプロであると確認し感嘆した。プロといえば医者や弁護士、会計士あるいは将棋囲碁の有段者や音楽家などを普通思い浮かべるが、ガイドもプロが居るということがわかった。ロンドンではタクシーの運転手も国家試験のようなテストを受け、合格者だけ正式のタクシー運転手となれるようであるが、アメリカなどでは誰でもなっているようで、従って、レベルにも違いがある。ガイドについてはどうなのか知らないが、わたしの判断ではあきらかにこの北海道旅行のツアーガイドはプロの域に達していた。
この女性の知識量は膨大なもので、それは山の名前や高さだけでなく、その地域の歴史や文化、経済、現在の状況、自然現象から文化現象まであらゆる領域におよんでおり、そのときの天候、状況に応じて、冗談を言いながら滔々(とうとう)と何も見ないで見事に語りとおした。
実はわたしはプロではないが、アメリカの地元(エルパソ)では格別に知識が豊富と人も思い、自分でも思って(豊富なアメリカ南西部一人旅体験から)、日本からの来客の案内をつとめたりしていたが、それはとてもこの女性のプロぶりとは比較できないようなものであった。わたしもあらゆるものに興味を持っているが、とうてい休みなく、澱みなく、滔々と説明できる程度までは達していない。ガイドというのは、頭がよく、暗記力、記憶力も優秀で、ほとんどあらゆるものに本当に興味を持ち、それが、ただ商売道具としての知識程度でなく、本当に好きでなければ勤まるものでないとしみじみ思った。
実はわたしはプロではないが、アメリカの地元(エルパソ)では格別に知識が豊富と人も思い、自分でも思って(豊富なアメリカ南西部一人旅体験から)、日本からの来客の案内をつとめたりしていたが、それはとてもこの女性のプロぶりとは比較できないようなものであった。わたしもあらゆるものに興味を持っているが、とうてい休みなく、澱みなく、滔々と説明できる程度までは達していない。ガイドというのは、頭がよく、暗記力、記憶力も優秀で、ほとんどあらゆるものに本当に興味を持ち、それが、ただ商売道具としての知識程度でなく、本当に好きでなければ勤まるものでないとしみじみ思った。
この北海道の旅は、従って、ガイドに感心しづめであった。驚くほど豊富な情報をためこんで、それを適宜披露してくれるわけで、私達は北海道のあらゆる事を理解できたように思えた。そのツアーバスが通過する地点だけでなく、北海道経済状況の全般にわたっていたので、その知識はホンモノといえた。ただガイド用に暗記したといったものではなかった。札幌からはじまって、旭川旭山動物園、大雪山 三国峠、阿寒湖、摩周湖、オホーツク海流氷船、網走刑務所、大雪山層雲峡、と沢山見学できた旅で、すべてが順調に運んで、あとで私たちの幸運を喜んだほどであった。大雪の札幌、オホーツクの流氷など、すべて心に残る自然との出会いであったが、私の心に一番深く残ったのはこのバスツアーのガイドの女性の見事なガイド振りであった。
このあと、団体ツアーバスに乗って、名ガイド振りを味わうのが私の楽しみとなった。五月の信州旅行では北海道のガイドと同じレベルの人に出会えなかったが、ともかく、団体旅行も悪くないと感じ始めたのは、名ガイド振りを発揮した何人かの女性ガイドのおかげである。
2006年5月に東京浅草あたりから、隅田川の観光船に乗ったときも、ガイドの女性には感心した。一緒の旅が楽しくなるようなガイドぶりで、天性のガイド向き女性だなと、ガイドという職業を見直したほどであった。
2006年5月に東京浅草あたりから、隅田川の観光船に乗ったときも、ガイドの女性には感心した。一緒の旅が楽しくなるようなガイドぶりで、天性のガイド向き女性だなと、ガイドという職業を見直したほどであった。
村田 茂太郎 オリジナル執筆 2010年9月1日