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7/31/2012

旅の思い出――ツアーバス・ガイドのこと(日本)


旅の思い出――ツアーバス・ガイドのこと(日本)


 アメリカでは一人旅をするのになれていた。どこにいってもチェーンの簡易モーテルがあり、予約も簡単、そしてクルマでの旅なので融通が利く。わたしはクルマでの一人旅にキャンプ用テントを積み込んで、適当なところがあれば、キャンプを、なければモーテルをというぐあいにして、年間約三万マイル、五万キロほどの旅を十年にわたって楽しんできた。テキサス州の街エルパソを去る三年ほど前からは同僚で気心のあった友人と一緒に旅をする楽しみを味わったが、基本的にわたしが実行してきたのは単独行であった。

最近、様々な理由で日本訪問の機会が多くなり、ただ親や友人に会うだけでなく、日本全体が温泉地帯の中にあるようなものだから、温泉旅行をしなければもったいないと思い始め、アメリカでの一人旅の要領で温泉一人旅を考えたが、どうも日本では感覚が違うようであるということが分かった。五十歳を過ぎた老人(?)の一人旅は日本では自殺する可能性があるとかで、基本的に旅館が毛嫌いするというようなことであった。気軽に手ごろな旅館に泊まって、一人旅を楽しむというようなムードではないのである。これは困ったということで、アメリカ旅行を楽しんでくれた友人が相棒として、旅行の手配をしてくれ、一緒に旅をすることができることになった。


そうして、アメリカ旅行と同じように、二人でメールのやり取りで企画して団体ツアーに入らない旅をたのしんできたが、冬の北海道を旅行しようと決めたとき、さすがに、これは団体ツアーにはいるほうが安くて便利で沢山見られるとわかり、ツアーに申し込むことになった。


この北海道旅行は二月下旬に三泊四日で実行され、最高に楽しむことが出来た。その理由の一つは北海道現地で四日間にわたってつきあうことになったツアーガイドのおかげである。わたしが一番感心したのはこのツアーガイドのガイドぶりであった。


この女性のガイド振りを見て、わたしは日本のツアーガイドもプロであると確認し感嘆した。プロといえば医者や弁護士、会計士あるいは将棋囲碁の有段者や音楽家などを普通思い浮かべるが、ガイドもプロが居るということがわかった。ロンドンではタクシーの運転手も国家試験のようなテストを受け、合格者だけ正式のタクシー運転手となれるようであるが、アメリカなどでは誰でもなっているようで、従って、レベルにも違いがある。ガイドについてはどうなのか知らないが、わたしの判断ではあきらかにこの北海道旅行のツアーガイドはプロの域に達していた。


この女性の知識量は膨大なもので、それは山の名前や高さだけでなく、その地域の歴史や文化、経済、現在の状況、自然現象から文化現象まであらゆる領域におよんでおり、そのときの天候、状況に応じて、冗談を言いながら滔々(とうとう)と何も見ないで見事に語りとおした。

実はわたしはプロではないが、アメリカの地元(エルパソ)では格別に知識が豊富と人も思い、自分でも思って(豊富なアメリカ南西部一人旅体験から)、日本からの来客の案内をつとめたりしていたが、それはとてもこの女性のプロぶりとは比較できないようなものであった。わたしもあらゆるものに興味を持っているが、とうてい休みなく、澱みなく、滔々と説明できる程度までは達していない。ガイドというのは、頭がよく、暗記力、記憶力も優秀で、ほとんどあらゆるものに本当に興味を持ち、それが、ただ商売道具としての知識程度でなく、本当に好きでなければ勤まるものでないとしみじみ思った。


この北海道の旅は、従って、ガイドに感心しづめであった。驚くほど豊富な情報をためこんで、それを適宜披露してくれるわけで、私達は北海道のあらゆる事を理解できたように思えた。そのツアーバスが通過する地点だけでなく、北海道経済状況の全般にわたっていたので、その知識はホンモノといえた。ただガイド用に暗記したといったものではなかった。札幌からはじまって、旭川旭山動物園、大雪山 三国峠、阿寒湖、摩周湖、オホーツク海流氷船、網走刑務所、大雪山層雲峡、と沢山見学できた旅で、すべてが順調に運んで、あとで私たちの幸運を喜んだほどであった。大雪の札幌、オホーツクの流氷など、すべて心に残る自然との出会いであったが、私の心に一番深く残ったのはこのバスツアーのガイドの女性の見事なガイド振りであった。


このあと、団体ツアーバスに乗って、名ガイド振りを味わうのが私の楽しみとなった。五月の信州旅行では北海道のガイドと同じレベルの人に出会えなかったが、ともかく、団体旅行も悪くないと感じ始めたのは、名ガイド振りを発揮した何人かの女性ガイドのおかげである。

2006年5月に東京浅草あたりから、隅田川の観光船に乗ったときも、ガイドの女性には感心した。一緒の旅が楽しくなるようなガイドぶりで、天性のガイド向き女性だなと、ガイドという職業を見直したほどであった。


村田 茂太郎 オリジナル執筆 2010年9月1日

Travel Japan (49) 樫野崎灯台ー和歌山、吉野熊野国立公園 写真紹介

Travel Japan (49) 樫野崎灯台ー和歌山、吉野熊野国立公園 写真紹介

 樫野崎灯台は潮岬灯台ほど有名ではありませんが、いわゆる条約灯台のひとつで、日本灯台の父と言われているリチャード・ヘンリー・ブラントン設計の日本最古の石造り灯台であり、また日本最初の回転式閃光灯台であるといわれています。1870年7月8日、はじめて点灯され、熊野灘を照らし始めました。紀伊半島東端の断崖に建ち、付近は吉野熊野国立公園に属し、海岸線が美しい景勝の地として知られています。

 串本の大島にあり、現在は高速の橋をドライブして訪問可能です。

 ここには、ほかにトルコ海軍の遭難碑、立派な慰霊塔が建っています。1890年9月16日トルコのオスマン帝国海軍・軍艦エルツールル号が台風にあって遭難し、587名の死者をだし、日本漁民のヘルプで60名ほどが救出されたという大事件で、この日本側の、漁民から明治天皇までが遭難者をヘルプしようとしたことが日本とトルコの関係に友好的に働いたといわれています。当時はオスマン帝国で日本側の忠告に従わずに出港して遭難したとのことです。

 ともかく、日本人は死者を手厚く扱い、存命者を救助したということで、トルコ人によい印象を与えたようです。そのこともあって、イラン・ホメイニ革命のとき、JALがとばなくて、日本人200名ほどの救出はトルコ大使の援助で、トルコの飛行機でトルコへ脱出できたという事実が伝わっています。

 そういえば、ひとりトルコ人か、遺族なのか、この灯台への道端にペルシャ絨毯(?トルコ絨毯)のRug Shopを開いていました。南紀の、海の眺めが素晴らしい、あかるいところです。雑踏がなく、いいところだと思いました。買い手は、この辺鄙な景勝の地へやってきた旅行者の中の限られた人数だと思いますが、もしかしてトルコ政府の援助があるのかもしれません。日本流に言えば、商いをしながらお墓を守っているということでしょうか。まちがいなく、遭難者に関係のある人だと思います。

 今の樫野崎灯台はきれいな近代的無人灯台で、展望台にあがることができ、きれいな紀州・熊野灘の海を眺めることが出来ます。とても気持ちのよい灯台であり、周辺もあかるく、広々して美しい眺めが展開しています。

村田茂太郎 2012年7月31日

串本、大島、和歌山県 遊覧船にかわって大橋ができました。

大島への大橋

トルコ記念館









トルコ海軍エルツールル号1890年遭難慰霊塔





かしのざき灯台
























7/30/2012

Travel Japan (48)紀州 勝浦ー吉野熊野国立公園 写真紹介

Travel Japan (48)紀州 勝浦ー吉野熊野国立公園 写真紹介

 日本はどこも景勝にめぐまれた、素晴らしい国です。若い人たちに、まず自国のすばらしさを、若いときにこ知悉してもらうことが大事だと私は思います。コンラート・ローレンツのImprinting刷り込み をもちだすまでもなく、若いときに親しんだものは、いつもまでも心に残ります。自然の美しさを知ったひとだけが、自然を保護する大切さを学ぶと思います。子供のころにコンピューター・ゲームだけで育った人が、政治家になったときのことを考えると恐ろしい気がします。金のために平気で自然破壊をするようになるでしょう。丁度、レーガン政権のときにYellowstone周辺の土地を宗教団体に切り売りしたように。

 今はどうだか、一時、高校生の修学旅行で、お金持ちの私立の学校だと思いますが、海外旅行をしているところがあったように思います。自分の国をよく知らないで、危ない外国に行くのは間違っていると私は思います。まず、自国の実体を知り、過去を知り、歴史や文化 人文地理を知った上で、外国に行けば、見る目も一段と成熟して、より学習効果もあがるでしょう。

 アメリカの自然と文化をよくしるにつれ、日本の自然と文化の高さ、美しさが一層よく理解され、わたしは、日本全国をよく知らないままでアメリカに来たことが悔やまれます。遅ればせながら、日本訪問のチャンスがあるたびに、あちこち見て回るように努力し、ますます、日本の独自の美しさを心から嘆賞できるようになりました。

 ”ヨーロッパは歴史と文化”、”アメリカは自然”、そして日本は?”日本は歴史と文化と自然”のすべてを最高度に備えた国だと思います。そして、それらを世界中の人々とわかちあうことが出来る、”平和で民主的”な国です。これからは、日本は歴史と文化と自然を世界中の人々に、よりよく知ってもらい、地球保護の最先端にたって率先してゆかねばならないと思います。日本はそれだけの重みと実力を保持しているはずです。唯一の核爆弾被爆国として、今後は地球保護を目標に世界中の平和を目標にがんばらねばならないでしょう。

 紀州和歌山は海・山・川・街とすべてが美しいところです。カリフォルニアの面積に日本が全部入ってしまうほどの小さな国にもかかわらず、日本はなんという自然美にめぐまれた国でしょう。アメリカから日本を訪問するたびに、わたしはただただ、この平和で民主的な国の自然の美しさに感嘆します。そして、それを破壊してはいけないとつくづく思います。危険な原子力発電など、リスクの大きさを思えば、ただちに廃止して行くのが当然の方向だとわたしは思います。

 大江健三郎氏のScience Fiction、「治療塔」 と続編 「治療塔惑星」 が描いたような、地球が核戦争で破滅してしまい、”エリート”だけ100万人脱出しても(2200年ごろを舞台としたSF)、10年後に結局、まだ汚染された地球に帰ってくるほかないというような事態にならないように、人間にとって、この宇宙で最も美しく、快適に棲めるはずの地球を、これからも破壊しないだけでなく、より美しい健全な形で維持してゆくのが私たちの使命だと思います。その美しい地球のひとつのサンプルが日本という国だと思います。

 これは日本の愛国心とかと関係ありません。地球的視野から見た日本観です。地球人としての私が見た日本列島観です。

 和歌山県 ”勝浦” は”紀の松島”といわれているそうです。わたしはこういう表現は好みません。
松島は松島、勝浦は勝浦 で充分です。
コロラドのRocky Mountain National Parkを訪れたとき、一番高いAlpine Visitor Center(海抜11796Feet,約3600メートル)からのぼった山の上に標識があり、”ここは、かの有名なオレゴンのMount Hoodと同じ高さ”などと、書いてありました。これもおかしいと思いました。美しい自然はそれだけで美しいのであって、他と比較する必要などないのです。これは1998年の夏の話で、そのあと、2004年の夏に友人と再度訪れたとき、標識は、ただ、山の高さだけを示して、オレゴンとHoodの名前は消えていました。誰かが指摘したのでしょう。それが正解です。

 もう一箇所、コロラドで気になるところがあります。Durangoからの有名なSan Juan Skywayで、Ourayという街に入る手前に、立て札があって、Little Switzerland of Americaといわれているとか書いてあります。スイスとの比較など余計なことだと、通るたびに思います。誰もおかしいとおもわないのかと、それも不思議です。

 十津川、谷瀬の吊り橋、湯の峰、川湯、熊野、瀞八丁、那智、新宮と見て、勝浦につきました。まさに日本的な風景の連続で、アメリカ南西部の荒涼とした、自然美をみなれた目には心が和む光景です。勝浦のホテルで一泊し、早朝、友人とふたりで船に乗りました。女房と旅行するときは犬が一緒なので、船に乗ることなど不可能ですが、友人とは気安く、希望した行動がとれます。アメリカの自然とはまたちがった美しさがいっぱいで、日本はもっと他の国の人たちに見にきてもらわねばならないと思います。

いつも、日本の友人のおかげで、本当にすばらしい旅が出来ました。いつも、思い出しては心から感謝しています。

村田茂太郎 2012年7月30日