心霊現象の科学をめぐってーその15 Hereward Carrington
前 回、Carringtonに言及しました。
Rogoの The Haunted Universe を読んでいても、よくCarrington がでてきます。
彼は1933年、最高のMediumサイキックといえるEileen Garrettにであって、テストし、35年間、Psychic Investigatorとして研究してきて、Life After Death の可能性は高いけれども、断言はできないといっていたのが、Garrettにめぐりあえて、YES 、Life After Death と断言したわけでした。つまり Mediumと独立にMental Entitiesが存在するということで、確信を持ったわけでした。
では、なぜ Garrett まで待たねばならなかったのか、ということで、今日のテーマに入ります。
1908年、ナポリのEusapia Palladino という人がサイキックで有名だということで、彼と仲間が研究し、ホンモノのサイキックだと確信して、1909年にはアメリカに招待して披露したわけですが、そのとき、Palladinoがインチキをやってばれてしまい、いっぺんに信憑性がくずれてしまいます。Carrington自身はPalladinoのやってみせたことは、みなParanormalで普通には出来ないことであると最後まで信じていました。
なぜ、Palladinoがインチキをしたか、それは、ホンモノであったからで、Magicianではなかったからです。ホンモノのサイキックは、まわりの人の反応に左右されます。つまり、あいつは偽者だ、インチキ・トリックを暴いてやるぞという姿勢の、いわゆる科学者ばかりあつまっているところでは、エネルギーがNegativeに働いて、ホンモノのサイキックとしてもっている本来の力量を発揮できなくなるわけです。
まわりが、期待にみちた、肯定的な人ばかりであると、そういうまわりのエネルギーを利用できるわけで、期待されている効果がすぐに発現したようです。これは、ユーリー・ゲラーも書いていますが、Negativeな姿勢を持った人が多いと、あるPerformanceをするのに必要なエネルギーが集まらず、失敗する事になるとか。いわば、失敗はインチキの証明、偽者の証明ではなく、ホンモノである証明のようなものです。自分ではコントロールがきかないところにホンモノの発現があるといえるわけです。
19世紀にはMediumを中心にしたSeanceが盛んにひらかれ、ホンモノも偽者もいっぱいでました。そこでWilliam James がひとりでもホンモノがいれば、まじめに研究しなければと発言したわけです。Jamesの場合はMirs. Piper というホンモノとであいました。
Eileen Garrett は無学無教養のPalladinoとちがい、自分で自分の能力に疑問を持ち、どういうことかと、解明したい探求心旺盛のひとでした。従って、Parapsychology研究に協力し、J.B.Rhine の意味の無いような研究にも付き合いました。やはり、たいしたことはなかったと自分でも感じたようですが、RhineはいやPositiveであったといったとか。ともかく、Garrettという女性は独立心と探求心の旺盛な女性で、自分で出版会社をひらいて、アメリカ在住のThomas MannとHeinrich Mannの短編を出版するなどをやり、一方ではサイキック研究の雑誌 ”Tomorrow"を1941年に出版するなど、公私にわたって、大活躍をした、非常なインテリ女性です。1951年にはParapsychology Foundation まで作って研究をヘルプしようとしています。別に、ドクターでも大学卒でもないけれど、精神はしっかりしています。そしてビジネス・ウーマンでした。
そういうGarrettにあって、Carringtonもインチキの心配などなしに自分の気がすむような研究が出来、彼なりの結論を引き出せたのでしょう。
ただ、インチキをしたPalladinoがダメであったのかというと、そうとは思いません。彼女もホンモノで、いろいろPsychokineticなことができるMediumだったようです。ポイントはMediumはまわりの人間からエネルギーを吸収し、利用することによって、、いろいろな現象を引き出せるわけで、自分ひとりではほとんど何もできないのです。そこで、協力的なひとがあつまれば、すぐにすばらしい反応が現れたりするのに対し、Negativeな意図を持った人ばかりでは、何も出来ないでおわることになります。
Carrington が Human Fluid ということを言うのは、本当のMediumがSeanceをもったときに、まわりからエネルギーを吸収しながら、エクトプラズマとかいわれる、何かの流体がMediumから流れ出して、亡霊の姿を形作ったりすることから、何度もMediumshipを研究する中で、人間にはPhysicalな自分のほかに、Human-fluidといえるダブルがあって、それがOut-of-body Experienceをやったり、生き霊になったり、いろいろなことをすると考えたようです。このHuman-Fluidが人から人へ流れるという考えは、Healerの場合は、まさに単純にそういうことかとわかるわけです。そして、たとえばユーリー・ゲラーがスプーンをなでるだけで、曲がっていくのを説明できると思います。では、テレビで演じれば、見ている人が、同じことをやれたというのは、これは、まさにRogoの人間の精神の隠れた能力がゲラーのPowerで自己発現しているということでしょうか。 ともかく、こういうことが、実際に起こるということを了解して研究しようとするのが筋道で、インチキだと騒いでいたのではいつまでたっても、科学的研究といえないでしょう。
この本の大部分はMediumshipを自己訓練するための本といえるほど、いろいろMediumに関する注意や特徴、さまざまな現象について書いています。
かれは従って、Human Aura も信じて疑っていません。Human AuraもHuman-fluidの一つの発現だというわけです。この本の中に、Auraの分析を書いているほどです。例のDr.Kilner 1911年についてもPositiveに言及し、彼のAuraを見分ける器具をつかって、自分で研究したのか、人間には三種のAuraが身体を蔽っているといっています。これは、Edgar Cayceもいっていることで、そうなのでしょう。
ここで、例のRogoがHaunted Universeの第一章で自分はKirlian PhotographyがHuman Auraを見せるとは信じないと書いていますから、わたしとは意見が異なります。Kirlian Photographyはいまどのような段階にあるのか知りませんが、わたしがDr.Thelma Mossを読んだかぎりでは、木の葉でもカットすれば、まだ、影のようなものがうつっていましたから、なにかを写しているのは確かです。
Carringtonの本のP.240にPhantasms Created by Thought という小見出しがあります。すでに Thoughts はThings だという意見を展開しましたが、ここでは、そのThoughtsがApparition、この場合は生き霊を生み出すという話で、Experimental Apparitions というところでは、An individual succeeds in creating a phantasmal figue at a adistance, by an effort of will or thought..あるひとは、意志の力であるいは考えただけで、幻のような姿を遠くにうみだすことができる、と書いてあります。
さらに, Apparitions may be induced experimentally by willing very strongly, just as you are falling asleep that you will appear to a certain person at a certain time, and, if this is properly managed, it will be successful in a large number of cases.実験的に、眠理に陥る前にあるひとの前にある時間にApparition幻のようにして現れると意志すれば、本当にそういうことが可能のこともある。-これはサイキック Eileen Garrettがやった有名な実験で、サイキックは実際それが可能でしたが、この本はEileen Garrettに出会う10年以上前に書かれているので、CarringtonはほかのMediumでそれをたしかめたのでしょう。
つまり、源氏物語”夕顔”で、六条御息所の生き霊が夕顔または源氏のまえにあらわれたという話は科学的に可能な話なのです。そして、Rosemary Brownにリストの亡霊が語ったところでは、彼らは地名で訪れるのでなく、その人間のことを考えるだけで、TelePortationでその人のところにいるというわけですから、六条御息所が夕顔や源氏の秘密の家を知っている必要は無く、夕顔を直接知らなくても、源氏を思うだけで、源氏と一緒に居る夕顔の前に現れることが出来たわけです。
今日は、これで終わります。
村田茂太郎 2012年4月17日
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