外国での母国語教育は親・子・教師の三位一体の教育体制が維持されないとうまく身について行かないと思います。わたしは悪い例もみてきましたし、すばらしい例もみてきました。
やはり高校までは、なんといっても親の責任は重大です。
村田茂太郎 2012年4月7日
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保護者の皆様へ(中一国語)
私がクラス担任していた時、毎年五月に行われる懇談会はとても重要なので、いつも私は保護者の方々と会えるのを楽しみにしていました。前の週に懇談会用レジュメを配り、当日はほとんど全員を前にして、私は、まず三十分、補習校教育の特殊性、家庭学習の重要性、学力テストの分析、私の問題意識、私の授業の在り方、保護者のあり方などについて説明し、そのあと、質疑応答という形に入りました。
サンタモニカ校に主事補として勤務し、クラス担任をはずされたため、こちらに来てからは一度も直接保護者に説明するチャンスはありませんでしたが、今回、大事な中一国語担当という事になり、生徒の学力と親の意識の相関について、これは今回、私も米川先生のクラスに行って、保護者の方々に説明させていただかないといけないなと思って、過去に用意したレジュメなど見直していると、五月一日、学校からの連絡で、今年は授業参観だけだということがわかりました。
仕方が無いので、ここで少し、私の考えを述べさせていただきます。既に、私の“言語と文化”論等で何度も展開しておきましたが、アメリカでの日本語学習の意味を、親がどれだけ理解しているかによって、子供の国語力、或いは日本語学習への意欲がかわってきます。アメリカン・スクールさえまともにやっていれば充分とか、会話さえ出来れば充分などと親が考えているとき、その子供は例外なく、ワルで授業の妨害者となっていました。
それで、私は、以前、パサデナ校の父母の会誌に“親を見れば子が分かり、子を見れば親が分かるという恐ろしい関係が成立しており”、“その子の国語力を見れば親子の関係がどのようなものか、スグにわかる”、“なぜなら、小・中学生の国語力を維持するには、親子の緊密な関係なくしては不可能だから”といったような意味の文章を載せてもらったところ、自分のクラスの女の子から“先生は、うちのお母さんを侮辱した。”と言われました。
私の意図は、個々の親を非難することではなく、日本とは状況が異なることを親が理解し、親子合同で協力し、努力して、はじめてまともな国語力が身に付くということをわかってもらいたかったわけであり、それが出来ていない現状に対する、そして保護者に対する怒りの表明であり、責任の追及であったわけでした。
サンタモニカ校にやってきて、私は情況がもっと悪いことを知りました。パサデナ校にいたときも、従って、私は親の意識をかえようとして、親子向けの国語教育論(エッセー)を沢山書き、かなりの効果はあったと思われましたが、今、サンタモニカ校の実態を知って、保護者への注意を喚起することが実に大事であると、新たに認識し、今回、拙文“言語と文化”をお配りした次第です。
これは一つの考え方であり、大事なことは、小・中学という国語力修得期の子供をほったらかしにして、週一回の“あさひ”だけで充分などと考えていてはダメだということです。面倒なようでも、親子の協力体制の確立が肝要です。既に、別の連絡に書きましたように、国語力充実のための個人面談を実施する予定です。ご協力、よろしくお願いします。裏に偏差値分布図とわたしの分析を示しておきます。(省略) (記 1993年5月5日)
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