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4/02/2012

フロリダの季節労務者 -Frontline


I can input Japanese using keyboard as if it were Hiragana Typewriter.
It takes time but at least I can write in Japanese if necessary.

But here I write in English.

This essay was about Migrant Workers of America, written over 20 years ago.
They were legal residents, just doing farm works as mentioned in the John Steinbeck's masterpiece "Wrath of the Grapes". This book was about poor white from Oklahoma after the sand storm devastation., trying to find the job in California
It is sad to know there are many people who are willing to work but they have no chance except seasonal labor. And this labor also is not a steady job.

KCET, PBS program had many nice, improtant news developed.

S. Murata 04/02/2012
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フロリダの季節労務者 -Frontline                 
 今日、(1990年4月17日)、火曜日、9:00PM からのKCET28チャンネルFrontlineNew Harvest, Old Shame) は、すばらしく感動的なドキュメンタリーであった。フロリダ、ジョージア、ノース・カロライナ、インディアナを移動する季節労務者(Migrant Worker)の実態をとらえたもので、アメリカ市民でありながら、年金も保険も有給休暇や有給病欠もない、ひどい労働状況の中を、逞しく生きている姿を、そして、その哀しい生活を見事に描き出していた。


 彼らは、自然の実りに依存しているだけでなく、グアテマラやエルサルバドルなどからの不法入国者を低賃金で雇用しようとする農場主やその意図と結びついたロビイストの在り方にも、左右される、わびしい生き方を強いられている。


 1989年には、ハリケーン ヒューゴー Hugoがノース・カロライナを襲ったため、期待した収穫がゼロとなり、更に、最終目的地フロリダでは、寒波で農作物がほとんど全損となったため、働くにも仕事がないという、みじめな実態。しかも、失業保険も医療保険も彼らには開かれていない。子供は既に10歳前後で仕事に精出し、まじめに働く。農場に収穫物があり、仕事がある時は、みな、甲斐甲斐しく一生懸命に働く。そこには、犯罪的な暗さ、みじめさなどはなく、ただただ、額に汗して働く人間の労働の美しさと哀しさがあるばかりである。


 農場主の中には、季節労務者たちの生活や待遇を改善してやろうとするところもあるが、一方では、法律を変えて、安い労働をメキシコから持ち込もうとするものもある。中には指導的な人がユニオン化をはかろうとするが、なかなかうまくゆかない。季節労務者の労働市場は不安定で、まさに、その日その日を生きながらえているような生活である。インディアナのトマト狩は、そんな彼らにとっても、まともなといえる収穫で、小さな子供達は学校に通い、それなりに家族的・共同体的な生活を楽しめるものであった。


 このフィルムは、ある家族集団の移動を追跡する形で展開され、その間、1960年ごろの季節労務者の実態を知らせるニュースがはめこまれ、実は、情況は少しも改善されていないことを告げていた。臨時学校の教師が、また移動する子供達と別れるつらさを語っていたが、いわば、安定した、まともな学校にゆけず、いつも中途半端な学業と交友に終わらねばならない、彼らの不幸をどうすることもできないという悲しみが、私にもよくわかった。安定した家があり、家庭があり、学校があるということは、子供の教育と成長にとって必須の条件といえるが、それを満たせない親あるいは家庭がまだまだ沢山ある。ただ、勉強していればよいという子供であった私は、何と恵まれていた事だろう。


 家族一同が精一杯働いても、まともに食っていけないような社会が、このアメリカ合衆国の中にある一方では、ゼイタクが氾濫している国でもある。政治の貧困ということであろうか。メキシコなどはでは、明らかにそうである。ティファナを走ると、ボロボロの小屋が、ハイウエイ沿いに目に入る。メキシコでは食っていけないため、みな危険を犯して、アメリカに密入国を試みる。


 丁度、フランクリン・ルーズヴェルトがニューディール政策で試みたように、どうしてメキシコ政府は広大なメキシコ領土の開発や開拓によって、雇用を生み出そうとしないのであろうか。まさに、政治の貧困がここにある。メキシコでさえ、そうなのだから、それ以下の中米諸国の人々が、アメリカ季節労務者の最低賃金以下で、不法入国をして職を得ようとするのは当然のことかもしれない。


 生活に余裕がない時、人間教育がうまくいくはずがない。かわいいメキシカンの子供達が成長するにつれてスポイルしてゆき、怠惰になれ、無為に過ごし、悪い事を平気でするようになるのを、このロサンジェルスで見てきたが、本当に、世界は、まだまだ貧しく、わびしい。彼らの未来は教育にかかっているはずなのだが、一体、いつになったら、まともな世の中になるのだろう。
(完       記 1990年4月17日)                             村田茂太郎 

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