When school starts, I always give some of my prints for the students.
Since beginning is always important, I tried to utilize their expectation and tension in full.
To get interest in Kanji is the most important point, I believe.
Once learned and interested in Kanji, it will be much easier.
Sorry, I had to write in English while speaking on Kanji.
In the meantime, my PC Keyboard will be fixed.
Thank you for your patience.
S. Murata 04/03/2012
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漢字の学習について
“現代日本語における漢字の機能”という論文の中で、岩田麻里は、漢字を“意味を内蔵した原子”とみる見方を提出している。それは、丁度、酸素原子と水素原子との結合から水が出来、酸素原子と炭素原子とで、二酸化炭素(炭酸ガス)が出来るようなものであるという。岩田麻里の例を引くと、“鮮”という字は、あざやかという意味やあたらしいという意味、なまの肉という意味などをもっており、それ故、それぞれ“明”と結びついて”鮮明“、”新“と結びついて”新鮮“、”魚“と結びついて”鮮魚“という具合に、熟語が構成されていく。ここで大事なことは、”鮮“という字は、”あざやか“という意味しか持っていないのではないということである。
漢和辞典で調べれば、重要な元の意味がいくつか書かれている。従って、漢字の学習は、元の意味とその用例を同時に覚えていくようにすれば、熟語を字源的に覚えるような形となるので、単なる暗記にくらべれば、はるかに面白く、意味のある学習となるのである。同じく、岩田麻里があげている例では、“美”と“甘”がある。“美”には“よい”、“うつくしい”、“ほめる”、“うまい”といった意味がある。一方、“甘”には、“あまい”、“うまい”。“いやがらずに”、“満足する”、“ゆとりをもって中にはまるさま”などの意味だある。“うまい”の意味同士が結合して“甘味”という熟語が出来るといった具合である。漢字の学習を、いわば、構造的に行うものとして、なかなか優れた発想だと思われる。
さて、昔、小学六年生を教えていたとき、毎週の漢字のテストの平均点が、どうしても七十点に達しなかった。いつもゼロ点近くをとる子供が二、三人いたせいである。去年、中学三年生をもったとき、一学期の間は、みな、まじめにやっていたのか、半数近くが百点で、時には最低点が八十八点、平均点は九十三点という状態であり、私は、みんな、しっかり勉強していてくれると喜んでいた。ところが、七月末に期末テストをやり、その中に、既に学習した漢字の問題を入れておいたところ、ほぼまともに出来た生徒は一人だけであった。一体どうしたことか。ここで、この子供たちの漢字の学習法が、一夜漬けであったことが、暴露されたのであった。
金曜日の夜、あわててつめこんでも、それはその瞬間だけの記憶に過ぎず、本当に頭の奥にまで、しみこんでいるわけではないので、テストが済んだら、すぐに忘れてしまうのだ。これでは、一体、誰のためのテストかわからない。教師を喜ばすためにやっているのなら、私はそんなことはハッキリお断りする。勉強は自分のためにやっているはずであり、やらなければならないのに、そのような学習の仕方をするなら、堂々と一時間遊んだほうがまだマシである。
昨年の、苦い体験を反省し、私は今年はどうしようかと迷った。そして、教科書中心の漢字はヤメにし、デル順漢字も使わず、私が丁度持っていた、“グループ別漢字”というテキストを中心にして、漢字学習をすすめることにした。これは、単なる問題集ではなく、漢字を分類して、筆順と熟語が書かれているので、そのプリントで勉強してもらって、翌週、その部分をテストするという形で行えば、一年で、中学三年間の漢字がマスターできるだけでなく、小学六年間の復習(全漢字)も出来るので、どちらかといえば、基礎がおろそかになりがちな海外子女の漢字の学習に最適であると思った。
従って、諸君に、中学一年だけでなく、三年間の漢字を勉強してもらう事になるが、これをうまくやりこなせれば、言うまでも無く、後が楽になるのである。今、君たちは、新鮮な意欲と決意に燃えているので、この際、漢字もしっかりと学習する覚悟をきめてほしい。そして、テストの前の日に勉強するのではなく、毎日、十五分だけ、漢字の学習にあててほしい。十五分ぐらいは、どのようにしてでも、生み出せるはずであり、実行してもらいたい。
そして、漢字の学習において大切なことは、筆順や、ハネの有る無し、語句の意味、熟語を同時に、正確に覚えることであり、これは、ノートに何回か抜書きして練習を重ねることによって、はじめて身に付くものだということである。そして、書くときは、下手でも良いから、丁寧に、正確に、ハッキリと書くということである。一画一画、正確に書くことが大切である。略字とか、続けた字は絶対に避けるべきである。紛らわしい字も書いてはいけない。いったん、間違って覚えると、一生直らず、気がついても、大人になってからでは、直すのが大変である。小・中学という漢字取得期なら、まだ訂正は可能なので、この際、少なくとも、文部省が選定している常用漢字は、全部マスターする意気込みで取り組もう。
中学三年で習う漢字を、一年で覚えて悪いわけが無い。鴎外や漱石や樋口一葉などは、小学生の頃で、現代の大人がかなわないぐらいに、漢字や語句をよく知っていた。漢字は日本語にとって、生命といえるものであり、学習すればするほど味わいの出てくるものである。反対語や同意語、四字の熟語や三字の熟語と、漢字に取り組む意欲さえ見せれば、いくらでも学習は可能であり、四字の熟語などは、故事成句とも関係が深いので、興味深い漢字の世界に更につっこめることになる。
起源を踏まえた理解は、隠れた教養ともなり、国語への一層の理解とつながっていくに違いない。漢和辞典に親しみ、折に触れて、何でも覚えるようにしてもらいたい。また、人間は、ある程度強制されないと、学習を怠る傾向も有るので、この漢字の学習は、宿題のつもりで取り組んでもらいたい。また、言うまでもないことだが、意味のわからない熟語、漢字があれば、必ず、国語辞典や漢和辞典で、意味を確認してもらわねばならない。あくまでも、自分自身のための学習であることを忘れないで、出来る限りの努力はしてもらいたい。そして、プリントは捨てないで、復習整理用にファイルして使って欲しい。
(記 1986年4月16日)
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