“赤穂浪士“をめぐって 「物語日本史(学研)」
「あさひ」の図書に学研「物語日本史」10巻がある。裏の貸出票を見ると、誰も借りていない。これはまことに残念なことである。立派でむずかしそうな本なので、手にとって見ようとも思わなかったのであろう。ところが、この本はおとなでも楽しんで読める歴史の本であり、ある時期やある人物達を物語として描く事によって、名前と年代と出来事だけで終わりかねない日本史の背後に広がるすばらしい人間像を上手に伝える事に成功しており、しかも全漢字にフリガナがふってあるので、ひらがなとカタカナをマスターした小学1年生以上は、誰でも読むことが出来るのである。
たとえば8巻を見ると、「勇将山田長政・赤穂浪士」となっている。私はこれは素晴らしいと思う。私が子供の頃、そろばん塾のマンガで親しんだ山田長政や由井正雪などは、高校日本史でやっと名前だけ出てくる程度であり、赤穂浪士―大石良雄となると、いまだに教科書にも出てこない。コンナ状態では、日本史の教科書が面白くないのも当然である。
忠臣蔵として名高い赤穂浪士による吉良上野(きらこうずけ)襲撃事件は、五代将軍綱吉の時代、つまり元禄文化の最盛期に起きた異様な事件であり、当時の人々に衝撃と感動を与え、それ以降、現代に至るまで、庶民に最も人気のある劇となり、映画となった。
現代の日本史の教科書はデモクラシーの形式だけを重んじるあまり、忠君愛国に生きた忠臣蔵の世界など子供に紹介するに値しないと思っているのであろうか。情け無い話である。忠臣蔵の話は、主君の仇を討つというある目的に向かって、ある集団が、困難を乗り越えて、とうとう見事にその目的を達成するという話であり、あの太平の世で、しかも幕藩体制という身動きの困難な時代に、権力を持った実力者を打倒するという困難をやりぬいた人間達の生きた感動が、今、「物語日本史」赤穂浪士 を読んでも伝わってくる。そして、大石良雄という男が、実はこの忠臣蔵という大事件を演出したのだということがわかると、人間というもののもつ魅力にうたれることになる。もし、大石良雄という人間によるマネジメントのたしかさがなかったら、元禄のこの大事件も起きていず、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみ ながのり)はバカ殿様の切腹という記録だけで終わっていたであろう。
人間とは不思議なものである。この赤穂浪士たちは成功し、そして切腹して、華々しく散っていったが、人々の心に大きな影響を与え、感動をいつまでも与え続ける事になった。成功しなくても、意志を示した事によって、政治政策に大きな影響を与えたケースもある。由井正雪の乱とか“慶安の変”といわれる事件である。私にとっては、由井正雪など小学校の頃から馴染み深く興味ある人物であったが、中学校の教科書にも出てこなかった。中2の頃、日本史の中で、思い浮かぶことといわれて、他の人が参勤交代とか荘園とかといっていたとき、私は”慶安の変“などと発言したが、教師でさえよく知らなかったのか、全然問題にされなかった。大学受験用日本史の中で、はじめて由井正雪と慶安の変が載っているのを見て、やっと私は満足した。今の日本史の教科書を見ると、ちゃんと載っているが、忠臣蔵、赤穂浪士、大石良雄はまだである。
由井正雪の乱は、乱が起きる前に陰謀が露見して、由井正雪は事前に切腹自殺、丸橋忠弥らはつかまって処刑された。だから、たいしたことではなかったはずなのだが、実はこれは江戸という将軍の居るところで、はじまったばかりの江戸幕府を転覆しようという異常な事件であったため大騒ぎになったわけであり、これが教科書に載るようになったのは、由井正雪の行動を挫折した革命運動と見るようになったからではないかと思う。
江戸幕府創立期は、徳川政権安定のために、不信のある大名達をとりつぶすことに必死になったため、主家を失った浪人(ジョブレス・ホームレス)がわんさかと巷にあふれた。社会福祉法など無かった当時、武士は失脚すると、傘はりの内職や寺子屋の教師、剣道指南などで細々と生活をしたが、それも出来ない人がいっぱいいたわけで、由井正雪は、こんなメチャメチャな社会はダメだと思い、変革を試みたが失敗をした。しかし、この失敗は意味があったわけで、徳川政権も反省し、あんまり浪人ばかり生み出すような政策はこれを最後にとりやめにした。そして、元禄期の平和で安定した文化の時代へと移っていくわけで、失敗して自殺しても、やはり、世の中を動かすことが出来たのである。
ともかく、教科書からはなれて見ると、日本の歴史には、本当に面白く楽しく、すばらしい人物と出来事がいっぱいつまっているのがわかる。歴史を学ぶときに大切なことは、ひとつの法律、ひとつの制度、ひとつの事件の背後に、どれだけ多くの人間の苦悩と歓喜、悲哀と絶望が詰まっているかを知ることであり、そうした、一見ムダに見えるような、絶望的な苦労を積み重ねながら、一歩一歩住みよい社会を作る努力を重ねてきたというところに、人間の偉大さがあるということを実感として悟ることである。過去の人間の成功と失敗、苦悩と悲哀と歓喜を反省することは、現在を生きるうえで、大きな力となり、支えとなるであろう。
赤穂義士47名、1702年 元禄15年12月吉良義史を討つ。忠臣蔵。
由井(由比)正雪 慶安事件 1651年 慶安4年。慶安太平記。
1994年5月9日 執筆
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