寺子屋的教育志向の中から - その40 ”はじめに” & ”あとがき”
このブログではまず教育関係のエッセイ、それから主にアメリカの私が旅をした自然の風景の紹介(主にSouthwest と California)、ついでに日本を訪問して友人と旅をした(私の日本美再発見の旅)の写真。心霊現象の科学(Afterlife その他の領域)に関して私が勉強した内容の紹介、そして我が家の犬猫の紹介、あと、読んだ本の感想などを公開していることになる。それと私が所属しているSan Fernando Valley Bonsai Clubの毎月一回の会合と年一回のお盆祭りのときのBonsai Showなどをメンバーへの報告を兼ねてこのブログで公開している。SFV Bonsai Club 月例会報告。
ブログの初めに現れる表紙写真は毎週Changeすることで、いわば私自身がまだ生きて編集できる状態にいることを暗黙に証明しているつもりであるが、なにしろ最近は旅行もしていないので風景写真も新しいものがなく、古いものを使用している状態で、すこし自分でもがっかりといえる。本当はイギリスやギリシャ、ドイツその他を旅行したいが、年老いたワイフ、そして何よりも犬猫が3匹いたのでは、どこにもゆけない。ワイフとアラスカ・カナダに行きたいといいあったものであったが、いつも犬猫がいたので、無理であった。
犬1匹のときは一緒にPet AllowedのモーテルをさがしてCalifornia Scenic Loop Drive の旅を楽しめたが、犬猫3匹ではそれは無理で、お互いどちらかが留守番をして犬猫の世話をするというかたちが最近のやりかたである。それが不満なわけではない。犬猫は本当に個性を発揮して、毎日の生活を明るくしてくれる。犬猫に限らず、生命体はすべてSpiritualでSoulをもっていると今の私は感じている。そして「The Afterlife Interviews I, II」(Jeffrey A. Marks) などによると、死んだ犬猫もそれぞれ人間と同じように意識も記憶も保持して、死ねば迎えに来てくれるとか。私もそうだと思う。だから、死は私にとっては恐怖の対象ではなく、楽しみである。ただ、痛みは苦手なので、その時が来れば苦痛を感じないで死ねればと願うだけである。死という言葉は悪いイメージがつきまとう。Transition移行というのが正しい表現のようだ。あきらかに肉体は今の地球的規模の中で約14Billion(13.5Billion)Yearsを経て生まれてきたわけで、ひとつの意識形態の在り方に過ぎず、次のエネルギー次元に移行すればまた別の理解度が展開するようである。
というわけで、旅行のチャンスがない。わたしは Southwest Sentimental Journey 自分のクルマで一周の旅も実行したいと思っているが、なかなか機会を作るのがむつかしい。去年はGreat Courses という講義のDVDなどで様々な領域の新情報を毎日3-4時間 勉強し、今も続けているが、今年になってLove Romanceの本を8か月ほどの間に60冊以上2万ページ英文で読了した。相変わらず忙しい毎日である。Retireして悠々自適という言葉があるが、一日8時間以上講義や読書につかっていたのではそんな余裕はない。その気分転換をしてくれるのが犬猫の存在である。
もう同じことの繰り返しでは見る方も興味をなくし、そろそろこのブログもCloseすべきかもと思ったりしたが、どうもこのブログに関する統計データをみると、昔書いた教育関係の読書感想文、その他が様々な国で閲覧されているらしく、わたしはそれぞれの国で頑張っている日本人海外帰国子女の役に立っているのかもしれないと思い、ともかく今の時点でのCloseはやめることにした。私自身への刺激になっていることも確かなので、このブログを見てくれる人がいる限り、頑張って続けたいと思う。
今は私は教育関係よりも「心霊現象の科学」関係のエッセイ・紹介文を皆さんに読んでもらいたいと思っている。ニュースであきらかなように、世界中でテロ・大事故・自然大災害などで今の人間は大人であれ子供であれ、いつ死に巻き込まれることになるかわからない。わたしのこれまでの心霊現象の勉強に関する理解から判断すると、今は小学低学年からモラル指導の中で死というものに関して教育することが大切だと思う。
死は移行なのだから、恐がる必要はないわけで、ある程度この移行によってどういうことが起きるかを理解していないとSoulがどうしてよいかわからず苦労することになる。そういう迷ったSoulを救済する仕事をVoluntaryに実施しているMedium/サイキックもいるようであるが、できれば迷わず自分で移行できるように必要最小限の知識は与えておくべきだと思う。私が昔から信じていたように、死んで無にかえるということであれば、それはそれでよい。無ではなく、意識も記憶も備えている自分、ただ肉体だけがない自分を見つけたときにどうしていいかわからないわけで、このAfterlifeの知識を持っていると、安心できるわけである。
というわけで、このブログでの展開内容は豊富である。どなたかの役に立てばありがたいと思う。
村田茂太郎 2018年9月24日 7:27AM
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拙著「寺子屋的教育志向の中から」の”はじめに” 紹介(本からのコピー)
わたしは、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園での15年の生徒指導中に、子供たちを刺激しようと、様々なテーマにわたって、文章(エッセイ)を書いて、教室で子供に配り、説明したりしました。15年のあいだに、本2冊分くらいの量になり、去年、2011年9月、壱生社から、その一部を出版しました。そのとき、分量の関係で半分以上カットしたので、心残りがしていましたが、今年2012年の2月22日にはじめて私自身のブログを開設し、そこに、すでにWordにInputしてあった、他のエッセイをコピーしてもちこむことが可能とわかり、もれていたものなどほとんどすべてブログで公開しました。直接教育と関係ないようなさまざまなエッセイがありますが、基本的にほとんどすべて、生徒指導用に私が書いて子供たちに提示したものです。”寺子屋的”となづけることになったわけです。今回、InternetのSearchで自分の名前を入れると、各出版社でのInternet上の販売宣伝のほかに、自分の本の”はしがき”の部分がでてきて、コピーしてみると、ちゃんとコピーできました。拙著に載せたエッセイはブログに収録するわけにゆきませんが、”はじめに”はブログの内容とも関係があり、自分で書いたものなので、出版社には無断でここに掲載いたします。許されるでしょう。すでに目次に関してはブログで公開してあります。本当に興味をもたれた方は、アマゾン、紀伊国屋、ジュンク堂その他からお求めください。興味をもたれたみなさんに読んでいただきたいと思って、コスト以下の値段にしてありますから。日本では本当に安く手に入ります。アメリカでは今はわたしの手元に200冊ほどあるだけで、売れ残ったら、学校に寄付するつもりでいます。日本でも2年経って売れ残ったものは中学校・高等学校などに寄贈するつもりでいます。
”拙文集あとがき”も本当はコピーして、ブログで公開したいのですが、わたしが出版社に渡したWordのコピーなら添付可能かもしれません。PDFはどうも勝手にコピーして添付は出来ないようなので、こまります。
村田茂太郎 2012年7月19日
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拙著「寺子屋的教育志向の中から」(瞑想と回想と感想とーロサンジェルス日本語補習校あさひ学園での15年)ー壱生社 ISBN 978-4-9905937-0-4
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わたしは、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園での15年の生徒指導中に、子供たちを刺激しようと、様々なテーマにわたって、文章(エッセイ)を書いて、教室で子供に配り、説明したりしました。15年のあいだに、本2冊分くらいの量になり、去年、2011年9月、壱生社から、その一部を出版しました。そのとき、分量の関係で半分以上カットしたので、心残りがしていましたが、今年2012年の2月22日にはじめて私自身のブログを開設し、そこに、すでにWordにInputしてあった、他のエッセイをコピーしてもちこむことが可能とわかり、もれていたものなどほとんどすべてブログで公開しました。直接教育と関係ないようなさまざまなエッセイがありますが、基本的にほとんどすべて、生徒指導用に私が書いて子供たちに提示したものです。”寺子屋的”となづけることになったわけです。今回、InternetのSearchで自分の名前を入れると、各出版社でのInternet上の販売宣伝のほかに、自分の本の”はしがき”の部分がでてきて、コピーしてみると、ちゃんとコピーできました。拙著に載せたエッセイはブログに収録するわけにゆきませんが、”はじめに”はブログの内容とも関係があり、自分で書いたものなので、出版社には無断でここに掲載いたします。許されるでしょう。すでに目次に関してはブログで公開してあります。本当に興味をもたれた方は、アマゾン、紀伊国屋、ジュンク堂その他からお求めください。興味をもたれたみなさんに読んでいただきたいと思って、コスト以下の値段にしてありますから。日本では本当に安く手に入ります。アメリカでは今はわたしの手元に200冊ほどあるだけで、売れ残ったら、学校に寄付するつもりでいます。日本でも2年経って売れ残ったものは中学校・高等学校などに寄贈するつもりでいます。
”拙文集あとがき”も本当はコピーして、ブログで公開したいのですが、わたしが出版社に渡したWordのコピーなら添付可能かもしれません。PDFはどうも勝手にコピーして添付は出来ないようなので、こまります。
村田茂太郎 2012年7月19日
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拙著「寺子屋的教育志向の中から」(瞑想と回想と感想とーロサンジェルス日本語補習校あさひ学園での15年)ー壱生社 ISBN 978-4-9905937-0-4
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はじめに
わたしは1979年8月から1994年7月までの15年間、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園で生徒たちを指導する機会に恵まれた。
あさひ学園は、基本的には日本帰国を予定した海外子女教育の場であったが、時と共に実態もかわり、現在は帰国子女だけでなく、日本に帰国しなくても、日本語で、日本の教科書で、日本の教育課程を学びたい永住組みや日系アメリカ市民の子弟でも通学可能。土曜日だけなので全日制と異なり、補習校といわれる。週日はアメリカン・スクールで学び、土曜日だけ日本語補習校でそれぞれの学年分を学習する。あさひ学園はロサンジェルスの日本語補習校の総称。はじめ1校だけ(ヴァージル校)であったが、生徒数が増えて6校になったこともある。現在(2011年現在)は、サンタモニカ校、サンゲーブル校、トーランス校、オレンジ校の4校。現在、学校によっては幼稚園部から高等部まである。日本語を、英語を交えながら教える地元の日本語学園とことなり、あさひ学園では、日本語で文部科学省の選定した教科書を使いながら、それぞれの学年分を1年で終える。たとえば中学生の場合、国語・数学・社会・理科の4教科を土曜日週1回で、日本の同じ学年の教科書を全部やり終える。1週間分を土曜日1回で指導。生徒は6日間(アメリカン・スクール5日、補習校1日)勉強し、日本での1週間分を1日でマスターしなければならないので、苦労は大変。私立であるが、日本からの派遣教官が校長・教頭等としてマネジメントにかかわり、ロサンジェルス現地の日本語のわかる教員が生徒指導をする。ある程度日本語が分かる児童(日本語で読み・書き・話し・聞くことが出来る生徒)でないとついていけないので、入学資格テストが実施される(有料)。
わたしは、当時まだ1校であったあさひ学園ヴァージル校(小学部)でスタートし、パサデナ校とサンタモニカ校を行き来する形で、中学部・高等部を担当した。
あさひ学園は補習校であって全日制ではないとの認識の下、わたしは文部省(文部科学省)の教材(教科書・指導書)は参考資料として扱い、生徒諸君の能力に応じて、学年を超えた指導をもおこなった。結果的には教科書全部をこなし、さらに小学6年生から漢詩・漢文や百人一首、あるいは1、2年上の数学指導などを行う事になった。ある学年では国語文集を11号まで、いわば毎月発行するようなことまで実現できた。補習校なればこそであったろうと、私は私流に補習校の特権を生かした、私の望む寺子屋的教育を幾分か実行できたことを懐かしく、そして誇らしく思い返すことが出来る。放課後、職員会議のはじまるまでの30分足らずを、有志を対象に古典講座と題して、漢文指導や百人一首を、小学4年生から中学3年生までの生徒と一緒に、そしてときにはお迎えのお母さま方にも参加していただいて、数年間展開できたのは、まさに寺子屋的教育の実践であったと思う。ここに収録した拙文のほとんどすべては、その教育の中で生まれた。
ここに収載したエッセイは、子どもたちを刺激し、すべてに関心をもてるようにと、わたしが読んだ本や、見たニュース、テレビの感想から、日ごろ考えていた日本語と日本人に対する考え、そのほか様々な問題に関する感想を子どもたちに示したものである。わたしは、一般的な感想ではなく、この生徒諸君と接している「私 ムラタが」どう思ったかを示すことによって、すべてがより身近に感じ取れるだろうと期待した。対話が成立する場を提供したといえる。
あさひ学園での教育15年の間に、小学6年生から高校数学・古典・国語表現まで担当したが、場所の特殊─海外子女─を考慮して、中学生の国語教育が一番大事と思って、できるだけ中学生の国語指導ができるようにと希望した。従って、中学生を指導していた時期は10年になる。中学生には国語、数学、社会、理科のほとんどすべてを指導する機会があったため、エッセイで扱った内容も多岐にわかれたわけである。しかし、わたしの文章はとくに子ども用という書き方ではないので、お父様お母様がたが、熱心に読んでくださり、それが刺激にもなって、わたしはある時期は毎週のごとく書き続けたりした。子どもたちには、難しければ、ご両親と一緒に読んでくれるように期待した。
最初は、子どもたちに読書感想文のサンプルを示そうと書いていたが、そのうちにいろいろと書きたいものがあるのがわかり、補習校という特殊な環境の中での教育指導に関する教育論を書き続ける(一部収録)と同時に、ここに収載したさまざまなエッセイをも書き上げることになった。ひとつひとつが書いた当時の思い出とつながっている。効果はあきらかで、たくさんの生徒がみごとな作文を書いてくれるようになった。
このエッセイ集をうみだす原動力となったあさひ学園で、わたしが接することができた生徒諸君には、わたしに人生の生き甲斐を感じさせてくれたという意味でも、心から感謝する。
わたしの指導ぶりを遠く日本から応援してくださった、今は亡き畏友─防衛庁〔当時〕の田中敬史博士(UCLA Ph.D. Physics)の霊に感謝の思いを捧げ、また、あさひ学園で精神的支柱としてわたしを励ましてくださった、わたしのよき理解者長嶋昭子先生、そしてわたしの教育の模範であり、高等部国語教育の在り方を実践的に示されて、すべてがそこから生まれる事になった本当の恩師─当時大阪府立生野高校教諭─田中住男先生に感謝の思いを込めて、このエッセイ集を捧げる。
補記─収載エッセイの中であさひ学園以外のところで書いたものは、「コウモリの飛翔をめぐって」、「ビタミンCをめぐって」、「哲学の成立次元について」そして「メールストロームの渦をめぐって」の4篇だけであるが、メールストロームに関しては、小学六年生担当当初から生徒諸君に紹介してきたものを、後日、エルパソ時報(注)にエッセイを載せる必要があって執筆となった。
2011年4月 村田茂太郎
(注)エルパソ時報…エルパソ日系人社会の横の連携を助ける一助として当時日系会社20社足らずの組織(エルパソ日本人会)の会長を務めていた大昌電気工業アメリカ会社・社長小棹工(おざお・たくむ) 氏が作りはじめた会報で7号まで続いた。
拙文集あとがき
ここにまとめたものは、「はじめに」に述べたように、ほとんどすべて、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園で教育指導にあたっていた期間、生徒達を何らかの形で刺激しようと書いたもので、既に書き溜めてあった文章の三分の一ほどにあたる。私が書き溜めたエッセイは、大きく分けて直接補習校学習指導に関する私の意見書と生徒達を刺激しようと様々なテーマについて書き記した雑文集とにわかれるが、ここには主に補習校教育以外のテーマで展開した作品を集めた。
これだけのものでも、本にするにあたってはいろいろな人のお世話になった。まず、当初から、まとめて本にすることを提案されていた京都大学時代からの畏友、経済学博士井上正氏、農学博士佐藤英明氏に対しては、おおきな励みをあたえてくださったということで、お礼を申し上げる。この段階にあたって製本が可能となったのは、私が経理の責任者をつとめていた米国にある旅行会社の社長であった松永健氏の援助による。きわめて緻密な松永氏には、実際的なマイクロソフト・ワードでの原稿用紙設定のヘルプから、エッセイに関する個人的な感想、その他、何から何までお世話になった。厚く御礼申し上げる。
これが本になるには一生社(壱生社)の斎田和男氏ならびに斎田氏を紹介してくださった大宮智信氏が決定的な援助をしてくださった。大宮氏の斎田氏に対する信頼が無ければ、わたくしも一生社を知ることが無く、今の時点での出版はあきらめていたであろう。お二人にお礼を申し上げる。また、この大宮智信氏を紹介してくださった大宮ふみえ氏、そして大宮ふみえ氏に出版の相談をはかったわが妻・村田多恵子の気遣いに感謝の思いを捧げる。
いつか、残りのエッセイ集の半分を出版したいと思っているが、それはどうなるかわからない。わたしの能力としてはここまでかもしれない。わたしは自分には哲学的才能があると思っていたが、わかったのは寺子屋的な教育志向がつよいということであった。その結果がここにまとめた諸エッセイとなった。自分の天分を発見する場があさひ学園であったという意味で、あさひ学園で楽しい教育の場を作る上で協力してくださった同僚の先生方、生徒達、そして特にわたしを終始励ましてくださった長嶋昭子先生に再び心からお礼申し上げる。
最後に、わたしのわがままな生き方を認めてくれた今は亡き父の霊に言い尽くせぬ思いを捧げ、わたしを信頼し続けた母に深く感謝する。姉が批判的意見をよせてくれたことは肯定的に作用したのはいうまでもない。ここに我が姉久保田寿美にお礼を述べる。思えば、姉の存在は私の成長に必要不可欠なものであったことには、わたしは早くから気付いていたが、ここで改めて、それを確認する次第である。。
村田茂太郎
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