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9/12/2018

寺子屋的教育志向の中から - その28 “贈る言葉”(解説付き“私”の好きな格言)

寺子屋的教育志向の中から - その28“贈る言葉”(解説付き“私”の好きな格言) 


“贈る言葉”(解説付き“私”の好きな格言)       サンタモニカ校 

 
この”贈る言葉”のなかにはマルクスと関係のある言葉がいくつか出てくる。そこで私は現時点での注釈が必要と今、思う。  2018年9月12日
      
   カール・マルクスは哲学者としては極めて優秀で、世界史にあらわれた哲学者の中でも最高の哲学者であったと今も私は思っている。特にまだ若いころに考察した跡を示す、「経済学哲学草稿(手稿)」はみずみずしい思考の軌跡を示すもので、私の選ぶ哲学の中の ”一冊の本” である。

 しかし、そのあとマルクスは人間的に問題がある行動を起こしたようである。ミセスが金の工面に行っている間に家政婦と性関係を持ち、まだ避妊も堕胎もなかった時代なのか、家政婦が生んだ子供をエンゲルスの子供としてほったらかしにして、認知もせず、面倒も見なかったようである。そのため、死に際の告白でエンゲルスから父の悪業をきいた娘のEleanorは、ほかに理由もあったに違いないが(11年間、同棲関係にあったEdward Averlingが彼女のすべての財産を持ち出して逃げたとか。この男はほかの女性とすでに結婚していて、いわば公然と不貞をやれる男であった。しかし、問題はそんな男と関係を持ち続けたEleanorも少し問題があったのはあきらか。どうもマルクスは哲学者としては極めて優秀であったが、ほかの面では目茶目茶で、ミセスも大変な苦労をし続けたようである。Yvonne Kapp 「Eleanor Marx] 2Volumes Biography。)立派な父親と信じていた娘にとっては悲観と絶望に落とされるような内容で、結局、絶望し、まだ42歳という若さで自殺をしてしまったと故ロンドン大学名誉教授の森嶋通夫は書いている。(1992年4月24日 Asahi Journal - 隠された系図)。

 Eleanorのショックは、父親が母以外の女性と性関係をもって子供まで産ませたという事実よりも、その子供をエンゲルスにまかせて里子にだし、父親としての認知どころか、経済的援助も、教育相談も何もせず、ほったらかしにして平気であったということを発見したことで、崇敬していた父の非人間的な実態がはじめてわかって、そのことが彼女の自殺への大きな原因の一つとなったらしい。(森嶋論文のほかに David McLellanの「Karl Marx His life & thought」のP.271,272  published 1973、Yvonne KampのBiography「Eleanor Marx  上下2巻」、Volume OneのAppendix 1、Frederick Demuth など.
Published 1972)。

 Engelsは世界の共産主義運動の親分・生みの親であるMarxを不名誉な事実・失態から守るために、生まれた子供Frederick Demuthを自分の生んだ私生児としたが、彼も愛人Mary Burnsと暮らしていて引き取るわけにゆかなかったのか、マルクスの子供は労働者階級の里子に出された。エンゲルスの死の床での告白があるまでは、Eleanorはエンゲルスの子供だと思っていた。

 Frederick Demuthはマルクスの子供の中では一番長生きして1929年78歳で亡くなった。マルクスの二人の娘、次女Lauraと7番目のEleanorは自殺。エンゲルスは私生児への自分の扱いがひどかったと自分の死後、自分が非難されるのを恐れて、マルクスの子供だったんだと死ぬ間際にスレートに書いて告白した。死ぬ一日前のことで、癌で声が出なかったとか。

 自分の子供を捨てたに等しいマルクスに問題があるのは明らかだが、誰の子供であれ、ほったらかして平気であったエンゲルスも人間的に問題があったと私に分かった。通常は、エンゲルスは、本当に、経済的にも、ほかのあらゆる面でもマルクスを助け、もしエンゲルスがいなければ、マルクスの生活はめちゃめちゃで資本論執筆どころではなかったのは明らかである。エンゲルスのヘルプがあっても、ミセスは金の工面に苦労しつづけた。結婚前のマルクスは恋人Jennyに捧げるLove Poemをたくさん書き、詩人になろうかどうかと真剣に悩んだという嘘みたいな過去を持ったマルクス (廣松渉 「青年マルクス論」P.84-93)。しかし、自分の子供なのに教育もつけず、平気で捨て去れたというマルクスは異状だが、マルクスの子供だというのに教育も何もない低所得者に里子に出せたエンゲルスもやはり異常だと思う。森嶋論文によると1867年頃までのマルクス家のロンドン生活は、エンゲルスの援助があっても大変であったが、1868年ごろからは様々な遺産が入ったりして当時の大学教授なみの所得であったはずだとか。

   マルクスには7人の子供があり、そのうち6人はワイフJennyとの間の子供で、2人(男の子と女の子)は一歳前後で亡くなり、期待した男の子Edgarも8歳で亡くなった。私たちが有名な写真で見るエンゲルスを入れたマルクス家族写真は女性3人が写っている。マルクスの子供たちーJenny, Laura, Eleanor。ただし、ワイフ Jennyは写っていない。(Eleanorが8歳のころの写真だとか。)マルクスは男の子が欲しくて、女の子が生まれたときは妻を非難したほどなのに、家政婦との間に生まれた男の子はほったらかしにできたというのは、ひどい、異常な話である。

 偉大な哲学者ヘーゲルの場合は自分の私生児の男の子をちゃんと引き取って家族の一員として育てたという話は昔読んだWalter Kaufmannの「Hegel ---  A Reinterpretation」という素晴らしい本に記されていた。ゲーテの場合は家政婦 Christiane Vulpius  と暗黙の了解という形で事実上夫婦として生活したが、有名なナポレオン戦争のイエナ戦役のときに、ゲーテ宅が侵略され、どうなることかと、さすがのゲーテも困惑していた時に、この内縁の妻Christianeが機転を利かしたためにゲーテ一家は無事に生き延び、感激したゲーテはすぐに彼女を正式に妻とした。ワイマール家の総理大臣のような職務を務めていたゲーテが家政婦を正式の妻にというのは、当時としてはむつかしいことであったらしい。

 この”私の好きな格言”にでてくるマルクスの言葉またはマルクスの引用は、それ自体は立派な内容を持っていると私は信じるが、マルクス自身の行動はモラリスト(?)の私にはNegativeにうつる。昨今、暴露されたアメリカの教会関係の多くの聖職者たちによるアクドイ性犯罪ならびにその隠蔽と同じように、私には許しがたい行動であったと思う。やはり指導者の位置を占める人は、あらゆる面で人間の信頼を裏切らない、誠実で優しく、自己の行為に責任を持つ人であって欲しいと思う。

 贈る言葉 1 の マルクスが好んだという テレンチウス の言葉に対しては、今の私はそれだけでは不充分で、人間だけでなく、自然も含めないと大事な部分が欠けていることになると思う。自然の一部であり、大事な自然のおかげで生きながらえている人間である。人間だけに関心を持つというのではダメで、この美しい生きた自然を保護し、豊かな生命体を全体として健全に保っていかねばならないと思う。人間だけが関心であれば、大事な自然を破壊して平気な人がますます多くなる。マルクスの時代は労働者階級の悲惨な状態が問題で、まだ自然問題に目を向ける余裕はなかった。もちろん、すでに石炭の吐き出すスモッグでロンドンなどの大都会は空気も汚れ、ひどい状態であったが。

 Big Bang から始まって、現在、宇宙の年齢は 約14 Billion Years(約140億年)だという。そして太陽系宇宙の中から地球が生まれて現在約4.567Billion Years(45.67憶年) だとか。ということは地球の年齢も約14Billion Yearsといわねばなるまい。なにしろBig Bangの当初は水素かヘリウムだけで、重い元素が生まれるまでに何度か超新星の爆発が必要だったわけで、地球上に重い金属元素があること自体がまさに14Billion Yearsを象徴しているわけである。そんなにも時間をかけて生まれてきたこの地球の美しい大自然を核戦争などで破滅させては全宇宙に対して申し訳ないはずである。

 アニメに傑作 "WALL・E" という映画がある。核戦争のあと、生命体が死に絶えた地球には廃墟の残骸しかない。そのなかでロボットが見つけたWild Plant一本をめぐって、ストーリーは展開し、汚染で処分しろとかというメッセージをのりこえて、宇宙船が地球にもどってくる。地球に雑草が生えだすほど放射能汚染から回復したということで、見つけた雑草一本がみんなを生気づけたという話である。

 したがって、テレンチウスの、そしてマルクスの言葉は、次のように言い換えねばなるまい。「私は自然の中の人間である。したがって自然の中の人間である限り、私はすべてのものに興味がある。人間だけでなく自然も含めて。」これはまさにゲーテの活躍を要約したような言葉になる。ゲーテはあらゆることに興味を示し、すべてに本格的に取り組んだ。文学者であっただけでなく、自然科学者・芸術家、政治家、・・・。

村田茂太郎 2018年9月6日/12日

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“贈る言葉”(解説付き“私”の好きな格言)       サンタモニカ校 


 あるとき、マルクスの娘が父親にアンケートをだした。その中に“あなたの好きな格言”という項目があり、それに対して、マルクスは “私は人間である。人間に関係のあることで、私の興味を引かないものはない”を挙げ、“好きな標語”に対しては“すべては疑いうる”と答えた、といわれている。そして、これらは父と娘の間にかわされた、ささやかな問答に過ぎないが、実は、マルクスの本質を物語る重要な言葉であることは、彼の残したすべての書物から明らかである。そこで、私も自分の好きな格言・標語の一部を挙げ、諸君の参考に供したい。



1.“私は人間である。人間に関係のあることで、私の興味を引かないものはない。”

    ローマの劇作家テレンチウスの言葉で、上のマルクスもそれを挙げただけなのだが、書物によっては、この言葉をマルクスの言葉としているものがある。意味は明白で、人間と関係のあることなら、すべて私には関心があるということで、現代世界へのコミットメントの姿勢を示すものといえる。


2.“人間にとって根本のもの、それは人間そのものである。”  

  これは正銘マルクスの言葉で、“ヘーゲル法哲学批判序説”にある。私にとって思考の原点を示すもので、たとえば、なぜ、“生類哀れみの令”が悪法であったのかを原理的に説明する視座を提供している。


3.“人の言うことは気にするな。汝の道を進め”  

       マルクスもいったようであり、マルクスが座右銘にしていたらしいし、私にとっても常に座右銘とみなしてきたものである。事実はイタリア、ルネッサンスのミケランジェロか誰かの天才の作品に彫られているとか言う説明をどこかで読んだ記憶があるが、特に前人未到の道を進もうとする気迫を持った人間には、欠かせないモットーである。同じような言葉を、ノーベル物理学賞の受賞者リチャード・ファインマンが言っていた。“What do you care what other people think?” というもので、同題の遺稿集の中で引用されていて、心に残る感銘深い作品となっている。自分が正しいと信じたら、他人のうわさなど気にしないで貫徹するだけの勇気と自信と信念を持ちたいものである。人のことを気にしていたら、何も出来ないうちに終わってしまうことになる。


4.“すべては疑いうる”            
     
   クリスティの名探偵エルキュール・ポワロがよくつぶやいていたと思われる言葉であるが、ふつうはマルクスの言葉とされている。哲学者にとって基本的な原点を開示した言葉と言える。科学的探究を志すものにとっても至上命令といえる。


5.“汝自身を知れ”(ギリシャ、デルフォイ神殿碑)。                                                    

 神殿での意味は、“人間よ、おごるなかれ、お前は死すべきものだということを自覚しろ”と言う程度の意味であったが、ソクラテスは革命的な解釈を行った。ここから、人間の哲学が始まった。それは言ってみれば、“自覚”ということであり、自分が何も知らないと言うことを知ること、“無知の知”であった。自己探求の道がここから開かれた。


6.“我事に於いて後悔せず” 宮本武蔵 (独行道)

  小林秀雄は“私の人生観”の中で、これをあげて、見事な分析をおこなっているので、私もいろいろと考えてみた。人間はふつうおろかな存在で、必ず後悔するものである。それはそれでよいけれど、“我が事”といえるような大事な対象に対しては後悔しないですむようなコミットの仕方がしたいものと私はとるようにしている。


7.“努力している限り、人間は間違いをおかすものだ” ゲーテ ファウスト 

 間違いを恐れてはならない。真剣にコミットし、努力している限り、失敗もすべて無駄ではないのである。要は、熱意であり、真剣さであり、努力なのである。


8.“天才とは努力しうる才である“ ゲーテ

  すべては努力の産物である。天才であれば、それだけ努力もまた大変なもので、それは天才モーツアルトの血のにじむような努力のあとをたどればよくわかる。努力しないで得たものは、またすぐに失う。凡人も、よく努力すれば、ある水準にまで至りうるもので、努力と根気こそ何かを生む原動力と言える。


9.“人間は自己を敬い、自己が最高のものに値するという自信をもたなければならない”            ヘーゲル ベルリン大学での聴講者への挨拶。

 自分に自信を持って、すべてに取り組むことは何より大切である。人間の歴史的位置付けをよく知っていたヘーゲルは、人間の崇高さを聴講者に呼び覚ますことから、彼の講義をはじめた。


10.“集中・反復・持続―努力”       By Murata 学習効果を挙げる基本をまとめたもの。            効果抜群。 

() 1990年3月5日 執筆 村田茂太郎

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