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9/04/2018

寺子屋的教育志向の中から - その20 「(心霊現象の科学)への私の歩み」

寺子屋的教育志向の中から - その20「(心霊現象の科学)への私の歩み」 

 この文章はすでにこのブログにもコピーして公開している。なにしろこのブログで「心霊現象の科学をめぐって」を発表し続けていたので、いわばその序論ともいえる私のこの文章を提示することは必要と感じたからであった。ここに、もう一度提示することになる。私の本の一部を順番に公開しているので、一冊の本全体の公開という意味でやはり再度公開ということにせざるを得なかった。

 これも私にとって大事な文章で、一応、この時点までの私の学んだことを整理したものであった。

 それから30年以上たち、特にブログを2012年2月からスタートして、この領域に関する私の理解も飛躍的に発展した。ブログ「心霊現象の科学をめぐって」を書きだした頃はまだAfterlife, Soulその他に関しての理解はPending判断留保という段階であったが、たくさんの関連領域の本を読み進むにつれて私の理解も深まり、いまでは私はSpiritualistといえるほどである。Not Religious But Spiritual -NRBS という立場にいるのが現在の私である。


 肉体を持った人間はエネルギーの過渡的状態にあり、肉体喪失後、次のエネルギー次元に移行する。したがって、Death 死 というよりも Transition 移行 というのがエネルギー的存在である人間の肉体喪失を表明するのにふさわしい。肉体を喪失してエネルギー状態になったSoulは肉体以外のすべて -意識、記憶、個性 その他ー を保持するようである。


 もし死んで、無 に帰るということであれば、それはそれで結構。もし、無でなければどうなるのか。意識があり、記憶もあり、自分の個性も保持していて、ただ肉体だけがないという状態。これはある意味ではFrsutrationを感じる状態にいる自分を発見することになる。Dr. Wicklandの「Thirty years among the Dead」(死者の中で30年)という1924年にLos Angelesで発表された本によると、キリスト教の間違ったドグマで、死んで眠りにつきJudgement Dayに蘇って審判を受けると聞いて育った熱心な信者たちは、死んでも意識があり、ただ肉体がないだけでという状態にいる自分を発見する、そしてそのためどうしていいかわからず、いわばLimbo宙ぶらりんの状態で何十年何百年ただよっている魂が無数にあるという。幽霊現象が起きるわけである。”その65 -On the Fringe of Paranormal"で紹介した本には面白い幽霊現象が事実談として記されていたが、これは地上をさまよっている霊のある種の現象といえる実例であった。


 ともかく、今やこの地球上ではテロ、事故、天災、殺人その他、あらゆる悲劇にいつ自分が出会うかしれないという世界に住んでいる自分を発見することになる。それは年齢に関係なく訪れることは世界中の悲劇的事件が証明している。小さな子供といえどもその悲惨な渦中にあるのはかわりない。そこで、私はモラル教育は必要であり、その中で 死とその後 Death & Afterlife という現象に関して、子供たちにも教えておくことが重要と考える。いきなりWorld Trade Centerのような事件その他に巻き込まれると、Soulはどうしていいかわからないという話である。中にはPsychicのなかでRescue Missionとしてリーダー格のSoulに接触して、光を求めろとかと指導しているグループがいるとか。これからますます心霊現象の科学に関する理解が必要になると思う。


 これは何も死んでからの話だけでなく、癌で余命を宣告された場合でも、医者が間違っているということを患者は証明できる能力を備えているということが私の紹介した本などから明らかであるはずである。Bernie S. Siegel MD 「Love, Medicine, Miracles」。


 最近、もう何度もどこかで記したが、私の義兄の姉が60歳代で癌の第4期末期症状でーすでに転移して余命あといくばくと宣言されたのに、自分は80歳代まで生きて孫の結婚を見てから死ぬと宣言し、事実80歳代で亡くなった、そしてドクターたちはミラクルだと感心するばかりであった。この義兄の父親は、川か池にはまった、自分の子供ではない、よその人の子供4-5人のうち一人だけ助けられなかったが、4人ほど救助したという。そのため警察と報道は4人ほどの子供の人命救助を褒賞しないで死んだ子供のことだけ報道したという話(戦前というか戦中、1940年ごろ?、奈良県郡山で起きた水死事故)を去年、義兄(80歳代)から直接耳にした。こうした親の隠れた善行がもしかして何らかのエネルギー次元で影響をもたらしたのかもしれない。大事なことは人間の意思・意志・意欲が肉体に大きな影響を与えうるということである。

 ということで、この心霊現象の科学への私の歩みを記述した以下の文章は私にとっては大事な文章となっている。


村田茂太郎 2018年8月28日/9月4日



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第三章   科学とパラサイコロジーをめぐる考察“     



「(心霊現象の科学)への私の歩み」

         

日本のある女優が二十七歳で亡くなったというニュースが新聞の週刊誌広告のところに出ていた。(1985年)。私の全然知らない女優で、なんとも感じなかったが、二十七歳という若さ、そして白血病という病名を見て、心に感じるものがあった。


ロサンジェルスに住むようになって三年目に、私は一度、休暇をとって大阪へ帰省した。三週間の日本滞在の間に、東京や京都の友人と会うことが、父母と会うことと同じ程、重要であり、楽しみであった。既に、京都大学を卒業して岡山の生家に引っ込んでいるというクラス・メートが、一時、病気で入院していたという話を聞いていたが、もう一人の友人の連絡のおかげで、大阪まで会いに来てくれるということを聞き、私は喜んだ。そして、結局、天王寺の植物園で会い、温室に入って、久しぶりの会合を味わった。岡山からの友人は、大学時代に私から借りていたフランス語の教科書を律儀にも、手ずから返してくれた。私達は阿倍野の旭屋書店を覗き、少しうろついて、ゲームをしたりして別れた。それは十一月も終わりに近い頃であった。


六月になって、私の帰省を連絡してくれた同じ友人から手紙が届き、驚いた。そこには、岡山の友人が四月に病死したという知らせが記されていた。その友人も、全く知らないで過ごし、たまたま、元気にやっているかどうかと彼のところへ電話して、ご両親から彼の死をきかされることになったのであった。私は、その友人が亡くなったという日に何か私の身の周りで起きていなかったかを調べようと思い、簡単につけていたメモ・ダイアリーをのぞいてみた。すると、その日、家の電話が不通と記してあった。私はそのときの事を思い起こそうとした。そして、そうだ、あの時、どうしたことか、電話が完全に沈黙してしまい、私はどうしても連絡しなければならないところがあったため、市外通話用に小銭を沢山用意して、近くのガス・ステーションの公衆電話へいったのであった。翌朝、電話会社に連絡するつもりでいたところ、朝になってみると、まるで何事も無かったかのように、電話は通じたのである。私達はおかしいなと思い、ともかく、もう、電話会社に連絡しなくてもよいということで、そのままになった。ただ、その出来事だけは、メモとして残った。彼は、確か、まだ、二十七、八歳、病名は白血病ということであった。


このときも、その時になって、一体、自分は何をしていたのだろう、と深く反省した。会ってから、四ヵ月後に病気で亡くなるという、その進攻性から見て、私ともう一人の友人は、当然、死の予感ともいうべきものを持ってしかるべきだと思い、そんなことに、まるで鈍感であった私自身を大いに恥じた。そして、私は二度とそんなことが起きないように、私は人間への洞察力を鍛えねばならないと痛感した。


それから、しばらく経って、私はコリン・ウイルソンの“Strange Power”(不思議な能力)という本を読み、私もまじめに探求してみようと思うに至った。丁度、ピラミッド・パワーに関する本があらわれだし、共産圏での、超能力研究の本がベストセラーになって、膨大な文献が出はじめた頃であった。私は、タイミングよく、一ヶ月に十冊くらいの読書力で、英語のパラサイコロジー(超能力の科学)関係の文献を読破していった。そして、この迷信と恐怖と疑惑に満ちた領域の研究が、欧米においては、ほとんど、百年の歴史をもって、まじめに探求されてきた事を知り、また、その内容がまさに膨大であり、限りない面白さに満ちているのを知った。一方、科学的に探求することのむつかしさも、大いに感じさせられた。


こうして、膨大な文献を渉猟する中で、たとえば、岡山の友人が亡くなった日に電話が不通となった出来事、これは全く無関係な出来事であるかも知れないが、報告された歴史の中では、こういう出来事がよく起こる事を知った。中には、死んだ人から電話がかかってくるというようなケースがあり、そういう事例を集めて考察を加えた本もあった。この領域の研究は、実験でやれないケースが多く、丁度、不確定性原理が観測者の影響を無視できないのと似ていて、厳密な科学性を保ちにくく、中には、ドクター・ヘンゼルの如く、統計的分析の不十分さから、現象としてのテレパシー等の超能力現象を否定してしまう人も出る始末である。


私が高校生の頃、テレビでアメリカから輸入された“トワイライト・ゾーン”(未知の世界)と“世にも不思議な物語”が連続放映されていて、私達は大のファンであったが、私は“世にも不思議な・・・”の方は、少し恐かったので、時には、掌で目を隠しながら、覗き見るようにして眺めたりした。“トワイライト・ゾーン”はすばらしく独創的な空想力で、ファンタジーに富んだシリーズを展開していて、見ごたえがあった。その中に、戦場で、ある男が同僚の顔が異常に見えて、そのあと必ず、その同僚が死ぬという体験をし、最後には鏡に映った自分の顔の異常さに気がつくというストーリのものがあった。アーサー・フォードというMedium霊媒能力者の自伝を読んでいて、彼が全く同じような体験をして、自分の持つ能力を発見していくのを知り、それぞれのストーリーが何らかの事実をもとにしてつくられていたことがわかった。“トワイライト・ゾーン”の場合は、想像力にあふれた作品が多かったが、“世にも不思議な物語”の方は、その種の沢山の文献を読んだ後では、確かにありうる話しであったのだと悟った。テレパシーや透視や予知が、主なテーマであったように思う。


サンフランシスコ大地震の予知夢を体験して、気違いと思われる男のストーリーもあったが、今では、私は当たり前のことのように思うほどである。私たちのアメリカの友人の話では、1971年のサン・フェルナンド大地震の時には、そこの飼い犬が地震前に、庭をグルグルまわって、異常な興奮をしめしていたという。一番、鈍感なのは、人間であって、オーストラリアの原住民の間では、テレパシーといった超能力は、実は超能力でもなく、誰もが持っている普通の能力であり、もっていない鈍感な人間のほうが、彼らには信じられないほど異常なのである。人間は文明化とともに、そうした能力を喪失していったのであり、現代においても、個人的には、そうした超能力をより強烈に持っている人が居ても、不思議でも何でもないのである。もともと、人間は自然の一部であったのであり、大自然の生命体と共有するものを持っていて当然である。


“世にも不思議な物語”の中で、今も覚えている(1985年現在、約二十五年経っているにもかかわらず)ストーリにこういうのがあった。ある女性が病院に入院していて、毎晩、奇妙な体験をしていた。真夜中に靴音がして、それが決まって自分のいる病室の前で、とまるのである。気持ち悪がって、ひとに話してみても、誰もまじめに受け止めてくれない。決心をした彼女は、その夜、いつもの音が始まると、恐れながらも、あとをつけていくことにした。女が歩いていたのだが、エレベーターに乗って、その女の行き着くところまで行って、彼女はぎょっとした。その女は、向き直り、ニヤリとしたが、そこは、ナント、死体置き場であったのだ。その部屋の番号を目に留めながら、彼女はぎゃっと叫んで、病室に逃げ帰った。そのうち症状がよくなって、退院することになり、飛行機で去ることになった彼女は、最後の一人として、出発しようとしている飛行機に追いついて、タラップを上り、機内に入ろうとしたとき、そのドアーのところにいたスチュワーデスが、死体置き場に居た女と全く同じであり、よく見ると、飛行機のナンバーが、死体置き場の部屋のナンバーと同じであった。今度こそ、キャーッと叫んでタラップを降りると同時に、その女はドアーを閉めた。そして、飛行機が離陸すると殆ど同時に、爆発して空中分解してしまい、その女性は、予知夢的な体験のおかげで命拾いをしたのであった。このストーリーは劇的に構成されているが、この種の体験をする人は決してめずらしくないらしい。


現存在分析学者メダルト・ボスは、“夢―その現存在分析”の中で、予知夢をとりあげている。彼は、その中で、それが予知夢であることは、何人も証人が居て、疑う余地がないという。第一次大戦勃発の直接的原因になったと思われるオーストリア皇太子夫妻のセルビアでの暗殺に関する夢で、皇太子の友人であり、大司教であるラニィという人の体験である。夢の中で、皇太子からの暗殺通知の手紙を受け取ったラニィは、驚ろいて、時間を確かめ、その場面を図にまで描き表した。召使たちにも自分の見た恐ろしい夢の話をし、絵も見せて、彼はそれが真実である事を疑わないで、皇太子夫妻の冥福をみんなで祈った。はたして、それから12時間経った同じ時刻に、オーストリア皇太子はセルビアで暗殺された。それから、少したって発表された新聞の報道写真は、大司教がスケッチしておいた光景と全くおなじであったという。この、歴史的ともいえる予知夢は“サマリアでの約束”を思い出させるほど、人間の運命の決定性を示しているが、ほとんど予知夢と同じ体験をしたが、重要なところが少し違っていたというケースも多く発表されている。


そうこうして、私は、様々な本をよみすすめていった。そのうちに、“Talks With The Dead”(死者と語る)という本を読んだ私は、自分でも実験してみたく思った。この本は、戦後発見された現象を扱ったもので、ヨーロッパではコンスタンチン・ラウディーブという科学者が“Breakthrough”(突破)という本を書いて、一躍、非常に有名になったが、アメリカでも、孤立して、その種の研究は積まれていた。発見というのは、ある人が、誕生祝のパーティをテープ・レコーダーに吹き込み、それを流していると、突然、彼の亡き母の声で、本来、沈黙のあるべき箇所で”Happy Birthday・・・“ (・・・誕生日、おめでとう。)といっているのを聞き取ったことから、はじまり、それを発表したのを読んだ科学者が、ファラデー・ケージをこしらえて、いろいろと実験を繰り返し、ともかく、まっさらのテープにも、何かが記録されるという事を確かめたわけであった。そのうちに、”こちらはゲーテ“とか”ベートーヴェン スピーキング“と言った調子の会話が記録され、まじめにとるべきかどうか、冷静な判断力が要請されるに至った。


私は、ともかく、テープ・レコーダーと新しいテープとがあれば、やってみることが出来るので、ある晩の十二時に、すべての部屋をしめきり、テレビもラジオも消し、女房も犬もネコも寝静まったのを確かめてから、テープをセットし、ボリュームを最大にして、沈黙の状態で約十分、流してみた。十分経って、テープを切り、巻き戻してみて、私はジーっと耳を傾けた。三分ほど経ったところで、男のだみ声で何か名前らしきものを言っているように思ったとき、私は正直言って、気味悪くなってきて、女房の部屋に駆け込んで、たたき起こそうかと思ったほどであったが、かろうじて、それをとどめた。十分ほどの長さの、ほとんど何も入っていないテープに二箇所ほど、その種の異常が記録されていた。私は、この種も何冊か読んだが、彼ら著者たちが信じているようには、単純には信じられない。何かが起きているのは確かなのだが。


この心霊現象の領域は、様々な可能性があり、様々な解釈が成立しうるので、私達は、よほど慎重に立ち向かわなければ非科学的といわれても仕方がないことになる。“Ghost Investigator”(幽霊探求家)とかと、自分で名のっているハンス・ホルツァーなどは、本を読んでいても、いろいろな可能性をチェックすることもなく、ほかにもおかしい点がいっぱいあるのに、ある一つの現象から、いきなり、死後の世界を認め、それを前提にした解釈を行っているので、私は、随分、ハッピーなひとだなあと思ってしまう。こういう人が多くいる間は、ヘンゼルのような否定的な人が出るのも、当然だという気もしてくる。現象を、まず、認める態度は重要であるが、その解釈に対しては、様々な角度からなされねばならない。


ドクター・イアン・スチーブンソンの“転生らしき二十のケース”という、今では、古典的といえる本を読むと、彼は単純にReincarnation転生があるとは信じていないが、それらの現象をうまく説明するものとして、たとえば、転生とPossession(魂ののりうつりー憑き)とが、考えられると書いている。この領域の研究は、ほとんど、最終的な断定を拒絶しており、私達はProbability(蓋然性―そういうことは、起こりうるらしい)という程度の確信しか、持てないのかもしれない。


1975―76年であったか、日本の東北の小学六年生が断崖から飛び込み自殺をしたというニュースを新聞で読んだ。当時、日本の小、中学生の間では、怪奇現象に対する関心が高まり、お墓で写真を撮ったら、幽霊が写っていたというような話しが盛んに行われていたらしく、その小学生は、まさに、命をかけた実験を行ったのであった。私は既に、ロサンジェルスに居たので、日本のこの種の領域に関する文献の出版状況は知らないが、ヘンに科学的という態度になじんでしまった日本人一般は、科学という名のもとに、はじめから幽霊現象を否定してしまい、ある種の現象を認め、冷静に観察・実験・追及するという、科学者として取るべき基本的態度を喪失していたようだ。


特に、学問のメッカといえる、旧帝国大学はそれが強く、日本人で唯一、この種の領域の研究史で、1920年代に名前をのせている東京帝国大学心理学教室の福来教授も、退官させられて、高野山大学へうつらされたという事実がある。そういう、日本的風潮に純粋に抵抗した児童の反応が、実験的自殺行となってあらわれたのが、その児童の死であった。新聞によると、教師たちもはじめから、まじめに取り上げず、バカな事をしていないで、もっとまじめに勉強しろという態度であったらしい。好奇心こそ、何よりも学問のはじめであり、科学の基本であってみれば、そういう熱心な児童に対しては、それ相応の真摯な対応がなされねばならない。その失敗が、その無駄な死を生んだ。


死後の世界があるのかどうかは、死者にしかわからないといえるかもしれない。ただ、人間が様々な能力を保持しているということ(テレパシーや透視、予知力)は、もう、ほとんど、誰も疑えないところまで来ているといえる。そうして、たいがいのことは、そうした能力によって、説明できるのである。


カナダのその種の研究グループが“Philip Experience”(フィリップ体験?)と呼ばれる実験をやり、その結果が本になっている。クロムウエルの時代の架空の人物フィリップと彼をめぐる恋愛譚を創作し、その架空の人物を幽霊のように呼び出そうというもので、結果的には、反応があり、テーブルも持ち上がり、YesNoかの質問に対しても、積極的な反応があるようになったという。これは、何を意味しているのか。集まった人々は特別に超能力のある人々ではなかった。しかし、彼らの精神のエネルギーが集中されると、物理的な効果となって、現象したのである。架空の人物の設定は、幽霊の想定を排除するためであったに違いないが、別な解釈によれば、無意識のエネルギーの働きという見方のほかに、いわば地上に密着して、昇天できない亡霊が反応しているという見方もあり、ただ、現象の存在を認めるところまでしかいっていないといえる。


しかし、この七~八人が集まったときに、何らかの物理的反応が生まれるということは、十九世紀にもわかっていたらしく、今では、Table Levitation(テーブルを持ち上げる)実験は、パーティ・ゲームにも取り上げられているほどである。UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)のドクター テルマ・モスも、その著、“Probability Of The Impossible”(不可能の蓋然性)の中で、とりあげて、UCLAでの実験結果を報告し、イギリスの コリン・ウイルソンも”Poltergeist”(ポルターガイスト)その他で、彼の実験結果を報告している。私たち、素人にはインチキというよりも、ほとんど不可能に思われる現象が、簡単に起こりうることは、私たちの持つ潜在的エネルギーや能力の強さを示している。四~五人が指一本を使って、いすに座った大人を、椅子まるごと空中に持ち上げるという実験は、見たことのない人には、トリックか不可能としか思えないに違いない。


 一方、子供の玩具屋で手に入る、“ウイジャー・ボード”(Ouija Board)のようなものが、考えようによっては、とても危険な道具になることは、過去に起きた例が示してあまりある。私たちの無意識のエネルギーが演じるのか、それとも、ある人々が単純に信じているように、死者の魂がウイジャー・ボードの周りに集まってきて、生じるのか、説明はいろいろとありうるが、何らかのメッセージ的反応があるのは、昔から知られていて、日本ではコックリさんとかいわれ、欧米ではTable Tippingとかと呼ばれ、最近では“Ouija Board”が一般化している。トーマス・マンが“魔の山” に用いて、作品の画竜点睛としたことは、既に、“魔の山 を再読して”で、書いておいた。この遊びから、有名な“ペイシャンス・ワース”現象が生まれ、1913~1919年に世間を騒がせた。


Mrs.Curran(ミセス・カラン) が友達と遊んでいると、突然、メッセージがあらわれて、“Many moons ago I lived. Again I come. Patience Worth my name.”(月がめぐったむかしむかし、私は生きていた。ふたたび、わたしはやってきた。ペイシャンス・ワースがわたしだ。)と、つづったので、二人の女性が驚いたのも無理は無かった。恐怖映画 “Exorcist”エクソシストのPossession(魂が憑かれる)も、このウイジャー・ボード・ゲームからスタートする。素人で、この遊びにふける人の多くが陥る危険は、大概、批判的精神を喪失してしまい、自分は何か絶対的真理の源泉とコンタクトしていると信じてしまい、何でもメッセージの言う事を信じてしまうところから来る。ある人は、そのため夫を殺したり、殺人を犯したり、家財を散失したりする結果を生んだ。身から出たさびといえばそれまでであるが、批判的な態度を維持することは困難なのであり、冷静に対処できる余裕と科学的精神を持たない人は、かかわるべきゲームではないといえる。或いは、はじめから、遊びであるとわりきって、かまえることが必要である。


“うらない”もまた、この領域の重要なテーマである。星占い、トランプ占い、手相術といろいろな占い術があり、ギリシャの神話もまた占いである。映画“外人部隊”では、ジプシー(?)の女が行うトランプ占いが重要な要素となっていたが、これも、インチキとかデタラメと言えないもののひつである。易とかタロットとか、みな、宇宙に何らかの摂理が働いていて、たまたまピックアップしたものは、実はたまたまではなくて、ピックアップされるべきものとしてあったということになるらしく、タロット・カードから引き抜く一枚一枚のカードの構成の中に、自分の過去から未来へとつながる全貌が現れてくるという。このタロット・カードは、トランプ・カードの起源といわれ、中世を象徴するカードから構成されており、ユング派の精神分析学者の中には、この象徴的なカードとシンクロ二スティクな カードの選択との関連から、その人間の精神の深奥を探知する材料として使えると考える人も居るほどで、単に偶然の遊びとはみなせないものがある。


私は、このタロット占いのほうも、ある人を介して、スペイン女性を紹介してもらい、テープ・レコーダーをかかえて、その家を訪問し、2時間ほどタロット占いをやってもらった。私は出来るだけ自分の情報を与えないようにしたため、相手は何をうらなっているのかもわからず、結果的にはどちらともいえないことになってしまったが、私としては、その方法や、読解術を理解しえただけで満足であった。


占星術に関しては、私は、そのうち、“星への想い”(学としての占星術は成立可能か)という論文を書きたいと思っていたが、今ではその気もなくなった。ともかく、占星術に関しては、ここでは触れない。ただ、私を納得させるに足る科学的・学問的な探求書は、ほんのわずかしかないことは事実として、指摘しておきたい。巷に氾濫している占星術の本は、その学的根拠を解明していない点で、単なる、空想の産物といえるものである。それにもかかわらず、それぞれの星のところを読むと、あたっているような気がするのはどうしてか。


 私の、この、心霊現象の学問探求への歩みは、もともと探求心旺盛であった私に、友人の病死とそれを四ヶ月前に感知できなかった反省が加わって、加速度的に没入していくという形でなされた。今では、私は、ほとんどすべての心霊現象に興味を持ち、それらを、科学的学問的に探求していきたいと思っている。それらが、みな、手遅れに終わった亡き友人たちへの供養となるに違いないと思っている。もし、死後の世界があり、何らかの形でコミュニケーションが可能なものならば、私はその方法を探さねばならない。自殺した彼女や、病死した彼のように、最後の言葉を交わすこともなく、去った人々に対しは、いつまでも怨念と自責が残る。たとえ、科学的証明は不可能でも、もし、私自身が、あるすぐれたMedium(霊媒)と接触して、その人から、彼(彼女)が当然、知るはずもない情報や感情を伝達されれば、きっと私は、真実を感知できるに違いないと思う。


英国に予知情報収集局を作ったドクター・ベーカーは自分でも占い師たちの予知力を調べるために、何人かのジプシーや手相見を訪問し、“Scared To Death”(死へ至る恐れ)の最後のところに、その印象記を書きとどめている。彼はこの本を書いて、すぐ、そのあと、まだ四十代の若さで亡くなった。すぐれたホンモノの占い師は、彼のそうした短命を予知していたに違いない。しかし、ホンモノの占い師は、そのようなときでも、その人間へ与える精神的、心理的影響を考慮して、わかっていても、断定的なことは言わない。それに対して、巷間にあふれるインチキな占い師は、ひどい・ショッキングな予想を断定的に行うため、信じやすい人間は、その妄想に捉えられてしまうことになる。


 私もまた、いろいろな情報を自分自身で集めたいと思う。タロット占い師を訪れたのも、その一つであった。水を探し当てるDowsingの実験もやってみた。“Ouija Board”の方も、一度だけ、女房ともう一人を入れてやってみた。メッセージらしきものがあらわれるところまではいかなかったが、異常なエネルギーが指先に感じられ、ひとりでに指示器が動き出すところまでは確認した。


 私の誕生日に関しては、母のおかげで、時間までわかっているので、あるAstrology(占星術)の情報局に送って、二十ドル支払って、占星術的データーを送ってもらった。分析や予知はデタラメかもしれないが、私が生まれたときの各惑星の位置は正確にわかるわけである。そして、面白い結果を得た。それで、私は姉のデーターも送ってみた。しかし、資料がきてみると、それを分析するにも、よく知っていたはずの姉について、殆ど正確な判断が下せないことが分かった。結局、私は自分しか知らないということを知った。


ユングも学位論文には“ある霊媒の生理的・心理的研究”を行い、占星術に関しても、統計的データをあつめ、中国の易にもかなり凝った。彼もすべてのことに、興味と関心を示し、その死に至るまで、冷静に観察し、分析し続けた。


この現実世界には、まだ発展途上にある科学では説明のつかないことが沢山あり、私達はただひたすらに、そうした現象の学問的解明をめざして、日夜、努力するしかない。日常的世界に起きる事象の一つ一つが、見方によっては、その解明への手がかりを与えてくれているかも知れず、ただ、私たちが大きな視野と客観的・批判的精神と科学的探求心と柔軟な態度でもって、その解明に対して尽力するとき、徐々に、この世界の全貌があらわになるに違いない。

(完)1985年10月10日 執筆 村田茂太郎

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