寺子屋的教育志向の中から - その26 “失敗談 vs 成功談”
体験と教育 “失敗談 vs 成功談”
私が書く文章の最も厳しい批判者は、私の姉である。そして、私は肉親の姉をもっていることの良さをつくづく感じる。誰も人の文章を特に批判したりしない。バカな奴だと内心思っていても、表面に出して言ったりしないものだ。私は、姉が正直に、どこが良くないかを指摘してくれたとき、私は彼女に同意はしなかったけれども、さすがに、きょうだいだと、姉を見直したほどであった。
姉が批判したのは二年前の文章であったが、今の私の文章を読んでも、姉は同じことを言うに違いない。姉がもっとも気に入らなかったのは、私が自分の成功体験を自信満々で書いている文章であったのである。そして、今も、私は自分の昔を思い出しながら、ともかくも、ある対象に成功したような話しばかり書いているのだから、姉が読めば、きっと喜ばないと思う。
姉は立派な人というのは、もっと謙虚であるはずであり、自慢話などしないものだ、自分が知っている塾の先生なども、失敗した話しはされることがあっても、成功した自慢話などは絶対にされないと書いてきた。私は、姉の率直な感想には感謝したが、ここでは、私の考え方は姉とは全く異なる。
私は、その塾の先生に対しても、道徳指導という意味なら理解は出来るが、習学という教育面から見た場合、たいしたことはないと判断する。
ここでは、謙譲の美徳と体験的学習法が混同されてしまっている。“私はどうして失敗したか”を人に説いても、それだけでは、同じ問題にぶつかっている人に対して、何の解決策にもならない。こうしてはいけなかったということは、直接には、こうするべきであったということには結びつかない。大切なことは、少なくとも、私個人に関しては、ある対象に対して、どうすることによって解決していったかということである。
人はそれぞれ、性格も才能も違っているから、私個人の体験が、そのまま他のひとにあてはまる筈はない。しかし、ある人間が、ある方法で、ある問題を、解決したという事実は、より柔軟に解釈することによって、それぞれの人に同じ対象に対する方策決定を容易にする結果となる。
私は別に経験主義者ではないが、私は自分のやってきたことに対しては、少なくとも、確実にやったという自信を持っている。そして、失敗の記録自体は成功の記録ほど意味がないことは、私が調べた様々な伝記によっても明らかである。その典型的な例として、スコットとアムンゼンの南極点競争を挙げることが出来る。人はスコットの記録によって、混沌に陥るが、アムンゼンの記録によって、自信を持って、確実に対象に向かう方法を身につけることが出来る。失敗の記録も、無いよりは良いが、成功の記録には劣るのである。
失敗談、こうしてはいけなかったという話しは、こうすることによって成功したという話しと明らかに異なる。こうして失敗したということは、では別な風にやれば成功するという具合に直結しない。別な風にやっても失敗するかもしれないのである。失敗談は謙譲の美徳を示すかもしれないが、方法的には何一つ明らかにしないのだ。成功談は一つの方法は確実に示すのである。その方法をコピーしても、それが、そのまま成功につながるものではないが、失敗談と違って、方法的に確実に参考になるのである。
私が高校一年のとき、担任の先生が、自主的に生徒と個人面談をされ、何時ごろまで勉強しているのかと訊いたりされた。私が何時までと応えると、先生は、もう三十分伸ばせないかという風な形で、私の学習へのコミットメントを刺激しようとされた。その時、私は、トップ クラスにいるアイツは何時までがんばっていますかと聞きたくてたまらなかった。しかし、そんな人のことを気にしているように思われる質問をするには、私はあまりにもプライドが高く、結局、何もたずねないで、ハイハイと返事し、実行した。そんな時、みんな何時間はやっているとか、英単語はどのようにして征服したかといった話しを聞くことが出来れば、どれほど心理的に落ち着き、学習方法として参考になったであろうと思う。
私自身は哲学を専攻するほど、方法的であり、また教育的でもあるので、いろいろな学習の方法を検討するとともに、自分が体験した方法を参考として、生徒諸君に提供したいと思い、今までの拙文となってきた。方法と刺激が私の意図であって、決して、姉の言うような自己満足が目的ではない。もっとも、このように、非謙譲的に私が書くのも、長年アメリカに住んで、何でもハッキリという習慣がついたせいかもしれない。あるいは、この点に関しては、方法的・教育的な私は、アメリカに来る以前から、アメリカ的であったというほうが本当かもしれない。
私の大好きな作家、トーマス・マンの短編に“マリオと魔術師”という作品がある。1929年に発表され、ナチズム台頭とその結果を正確に予言した名作として、世界的に有名なこの作品の中に、重要な言葉が出てくる。“もし、私が事態を理解したとするなら、それは、若い男がなにもしないでいようという闘う姿勢の否定的な性格の故であった。欲しないということは、精神にとっては実際的な状態ではないらしい。あることをしたくないということは、結局、それに逆らうことが不可能な精神のあり方かもしれない。あることを欲しないということと、何も欲しないということ、別な言葉で言えば、他人の意志に従うこととの間には、自由の考えが入り込む余地がほとんどないのである。”何を言っているのかというと、ある催眠術師がある男を踊らせようとしている。従って、男は意識して踊らないようにと抵抗している。そして、逆に、その事によって、催眠状態に入り、結局、魔術師に操られて踊りだす。それを分析しているのである。
何かをしようという明確な意志を持たず、ただ何事かに対して否定しようとしているだけの精神は、結局、柔弱なものであり、より強力な意志の力に巻き込まれるしかないという集団心理学を鮮やかに、鋭く説いたものであり、まさにドイツ大衆がナチズムに巻き込まれていく現実と対応していった。ナチスは、従って、鋭い批判家トーマス・マンを徹底的に憎み、ブラックリストに載せたのであった。
トーマス・マンには、戦後、聖グレゴリウス伝説を扱った名作“選ばれし人”という作品もあり、その中でも、似たような意味のことが書かれている。
ある国の豪傑を打ち破ろうと、何人も戦いに出るのだが、誰も勝てない。青年グレゴリーは、その状況を分析し、どうやら、相手の豪傑の有名さに対して、戦う前から既に圧倒されているため、誰も堂々と戦うことができないのだと解釈する。そして、グレゴリーは、はじめから圧倒的な勝利の意欲でもって、敵にぶつかり、ついにこれをしとめるのである。ここでも、否定的な精神と強烈な意志の世界とが対立されている。あることを意欲することが勝利に導くのである。否定的な考えを持っていては、何事においても成功しないのである。
この、トーマス・マンの話は、姉の説く失敗談とは少し異なるように見えるのだが、実は内容は全く同じといってもいいものだと私は考える。既に述べたように、どうして失敗したかを何度説いても、それは、どうすれば成功できるかという話しには直結しないのだ。ある一つのことに失敗したから、それを避ければ成功するのかというと、そういう保障はどこにもない。その程度のことで成功するかどうかはわからないのだ。成功した話しにおいてのみ、少なくとも、そういうやり方で成功した人は居るという事実が成立し、それは、少なくとも参考にはなるのだ。
日本では、どうやら、自分の失敗談を人前で語ることが謙譲の美徳だと誤解されているらしい。私なら、失敗談をいくつ聞いても、ちっとも参考になったと思わないし、何か意味あることが話されたとも思わないだろう。塾であれ、学校であれ、生徒が学びたいのは、いかに効率よく目的を達成できるかであり、そのためのすぐれた方法である。意欲も努力も、その中で養い育てられるはずである。
私は“学習効果を高めるために”という文章を書いた。私は、自分の体験の中から学んだことを書いたわけであり、それはまた、私の友人たちとの話し合いの中でも確認されたことであった。私は、自分が、はじめから、こうした方法を知っていれば、もっと安心して、楽に勉強できたろうと思う。不幸にして、誰も教えてくれず、自分自身の暗中模索の中で、学んでいくしかなかったわけである。私はすべての人が、同じ苦労を一から始めなければならないとは考えない。人類の進歩は、過去の文化の蓄積のうえに成り立つものであり、経験は生かされねばならない。
(完)1986年2月9日 執筆 村田茂太郎
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