寺子屋的教育志向の中から - その15 “日本語と日本文化”
“日本語と日本文化”
フランス文学者である市原豊太の“国語審議会委員への公開状”という文章が1985年一月の“文芸春秋”誌上に出ている。“国民を古典から遠ざける漢字制限と新仮名遣い。後世への最悪遺物を論じ、碩学が日本文化の低落を切々と訴える警世の一文”という出版社からの宣伝文が付されている。まことにその通りで、この文章はとても感銘深く、味わい深い。私は国語・国字・古典そして日本文化とそのあり方に関心のあるすべての人に読んでもらいたい文章であると思う。
その中に、次のような引用文がある。フランスの外科医のモンドール博士が、たまたま偉大な文学者であるポール・ヴァレリーとポール・クローデルが談話しているのを聞き取って記録しておいたものである。クローデルは今世紀(二十世紀)前半を代表するフランスの劇作家であると同時に、戦前の日本へのフランス大使であった。この談話は昭和18年つまり、第二次大戦中に行われ、日本はフランスにとっては敵国であった。対談の終わり近くに、クローデルはヴァレリーに次のように言った。“私が断じて滅びないことを願う一つの国民がある。それは日本人だ。あれほど興味ある太古からの文明は消滅させてはならない。日本は驚くべき発展をしたが、それは当然で、他のいかなる国民にもこれほどの資格はない。彼らは貧乏だ、しかし、高貴だ。あんなに、人口が多いのに。”
これは単なる観光客の感想文ではない。フランスを代表する大使として六年間日本に滞任中、クローデルは日本の自然と文化とをよく理解した。自国のフランスの言語と文化に深い愛と理解と尊敬を持つクローデルであればこそ、日本の自然と文化の独自の美しさ、その尊さを理解できたのである。
現在、はたして、どれだけの日本人がクローデルの発した、この深く、味わいのある言葉を理解できるだろう。クローデルは“貧乏だ、しかし、高貴だ。”と言った。私は、今、日本と日本人の現実を眺め、この深い意味を持った言葉が通じなくなり、かわって、“豊かだ、しかし、傲慢だ”としかいえないような情況が生まれていることを淋しい思いで見つめる。
日本は物質的には豊かになったが、何か大切なものを失くしてしまったと思うのは私一人だけではないであろう。日本人自身がどれだけ自国の言語と文化に理解と愛情をもっているだろう。私の書いた“言語と文化”という文章に対して、アメリカへ移民すれば英語が母国語になるのは当然であり、日本語など学ぶ必要がないという発想をした人がいた。そういわれれば、たしかにそうなのだが、フランス人であるクローデルでさえ尊重し、感嘆した言語と文化を、私は同じ日本人が忘れ、無縁になってしまってもいいものだろうかといぶかる。もちろん、既に、市原豊太が歎いているように、日本人として日本に住みながら、偉大な日本文化もよく知らず、日本語もおぼつかないような人が増えてきている現状である。移民してしまえば、日本のことなどどうでもいいと、居直られれば、それ以上、文句は言えない。ことは、その個人の存在価値にかかわってくるのだから。和歌や俳句を知らなくても生きていけるわけである。何を求めるかによって、その人の位置が決まってくるのである。日本語と日本文化の持つ深い意味も知らない人間が増え、そうした人々によって、最良のものが忘却され、捨て去られていくとしたら、日本の将来はどのようなものとなるであろうか。
今では、西洋の科学万能主義が行き詰まって、東洋の思想に真剣な関心が向けられている。日本語や日本文化を学ぼうと決意する人が増えてきている。そして、私はたしかに日本文化はそれだけの偉大さを備えていると信じる。私は、将来、道元の禅を研究するためだけでも、或いは、小林秀雄を原典で熟読するだけのためにも、日本語と日本文化を学ぶ人がたくさん現れるに違いないと思う。そして、いったん、日本文化の、古典の豊饒さに接し、理解すれば、彼らは苦労して身に着けた日本語に対して、感嘆し、努力が充分報いられたと感じるに違いない。
どの国の言語も文化も、ただ、その国民だからということで簡単にものになるわけがない。ただ、自国の文化への深い愛と理解を踏まえて、たゆみない努力を行うとき、はじめて、その国語も文化も深い意味をもって向上し、発展していくのであり、それが同時に世界文化としての価値を示すのである。
(完) 1987年5月29日 執筆 村田茂太郎
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