寺子屋的教育志向の中から - その19 日本語と朝鮮語
朝鮮半島は誰も知っているように北と南に分裂している。同じ民族が政治的に分裂しているというのは悲劇以外の何物でもないが、今はそれは問わない。しかし、政治的に分裂していようと、民族としての言語は「朝鮮語」のはずである。今、私の手元にある講談社現代新書の渡辺キルヨン [初めての朝鮮語」昭和58年。そして渡辺キルヨン/鈴木孝夫の本の題名は「朝鮮語のすすめ」昭和56年出版。ほかに「標準 韓国語」(基礎から会話まで 正続2冊)高麗書林 という 韓国人大学教授の書いた1972年出版の本も持っている。
韓国語といえば韓国での言語にちがいないが、では北朝鮮では別の言語を話しているのかとなると、彼らは韓国語とは言えないというか言いたくないから、北朝鮮語を話しているということになるのであろうか。
分裂が起きるまでは朝鮮半島は朝鮮人が仲良く暮らしていたはずで、言語、母国語も朝鮮語であったはずである。
ということで、以下の文章は韓国語とか北朝鮮語とかいわずに、「朝鮮語」で朝鮮半島の言語一般を代表したことになる。
私がこの文章を書いた時(1986年)もそのつもりであった。
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飛鳥・奈良時代にいたるまでの大和朝廷は朝鮮半島を一部経営するほど(任那日本府など)交流は頻繁で、朝鮮半島からの日本への帰化人も多く、朝鮮半島からの知識人の流入が古代知識階級の形成におおきな役割を果たした。
2012年にこのブログで紹介した「もう一つの万葉集」という韓国人の女性(イヨンヒ)が著した本では、額田王の歌が朝鮮語で読めば、難訓の歌などでなく、簡単に解読できるという話であった。この難訓の歌に関しては、最近、上野正彦という京都大学出身の弁護士・会計士が独自の研究で立派な本を出版された。近いうちに、この第9番に関する上野氏の解釈を紹介するつもりである。
村田茂太郎 2018年9月2日
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日本語と朝鮮語
外国語を理解する事が、自国語をより深く、より正しく理解するうえで不可欠である事は今では誰でも知っている。その外国語が英語であれ、ギリシャ語であれ、中国語であれ、どれであっても、その“比較”が言語の構造や発達をより正しく明示する事になる。“比較”は対象を理解する基本的方法のひとつであり、どの学問もそこから出発した。従って、日本語の理解に英語やドイツ語を知っていることは大きな手助けとなるが、それだけではトンチンカンな解釈を生む危険もある。
金田一春彦の“日本語”(岩波新書)は情報量が豊富で面白い本であるが、その中にこういう文章がある。“しかし、会話などにさかんに助詞を省く事が、今でも「かどがたたない」という理由で好まれている。あたし、困っちゃったわ。あなた、あの方とのお約束、どうなさる?いずれも「は」、「を」をどんどん省いている例である。”
渡辺キルヨン女史の“朝鮮語のすすめ”(講談社現代新書)を読むと、面白い指摘がある。女史は、“日本語”のこの箇所や同じ金田一春彦の他の文章{“あまり論理的に完全なものの言い方をするというのも、女の人は遠慮するのじゃありませんか。” “ハッキリ言い切ると、なにか角が立つような気がするんだと思います。”}を引用し、こう続ける。
“金田一氏は、欧米語に見られない助詞の省略表現が日本語に現れるのは、ほかならぬ日本人の性格―すなわち、論理的に完全な文を避ける、角の立つ言い方を嫌う日本的な精神の現れであるという解釈を下ろしているように思われる。いいかえれば、金田一氏によれば、助詞の省略という一言語表現は、単に日本語に内在する言語的な特色ではなく、日本文化や日本人の性格が言語面に投影されている証拠として提示されているということなのである。しかし、はたして、このような考え方は、どれほど妥当性をもつのであろうか。もしも、金田一氏が朝鮮語の知識を持っていたなら、このような結論に至らなかった事だけは明らかである。なぜなら、朝鮮語の初学者でも、日本語の助詞と朝鮮語の助詞が瓜二つの言語現象であることぐらいすぐに気がつく。また、助詞の省略という問題にしても、朝鮮語にも同様な現象が見られること、そして日本語よりもむしろ朝鮮語の方が、ひんぱんに助詞が省略されるといったことをたやすく判別することができるはずだからである。”
“日本語を通じて日本人を考えようとする今日、日本語と最も類似している朝鮮語に顔を背けたまま日本語が論じられている。その結果は、朝鮮語と共通するいくつもの言語現象が、あたかも、日本語だけの特色の如く扱われているという嘆かわしい現状を呈している。” “金田一氏によって提示された助詞の省略が、日本人の角の立たない表現心理の現れであるという説は、朝鮮語を考慮に入れると、論としてのもろさが目立つ。もし、金田一氏の説が正しいとするならば、韓国人のほうが日本人よりも「角の立たない」表現をはるかに好む事になる。しかし、これには、日本人も韓国人も異論を申し出るであろう。韓国人は日本人を「もどかしい」と評するほど、歯に衣をきせずにものをいう。それに、韓国人は、日本人ほどにんげん間の摩擦をおそれない。むしろ、にんげん間の摩擦は、ある程度さけられないものという考え方を持っていて、日本人ならば相当きついと受け取るようなことを韓国人は平気で言う。それにもかかわらず、助詞は日本人よりも省略しているのである。従って、助詞の省略と「角のたたない言い方」をむすびつける考え方自体が、そもそも正しくない。率直に言ってしまえば、助詞の省略は、日本人の特有の性格の現われでもなければ、日本語だけの特色でもないのである。”
引用が随分長くなってしまったが、大事な部分なので仕方がない。渡辺キルヨン女史は、日本人男性と結婚した韓国女性で、現在〔1985年ごろ〕慶応大学助教授・東大講師を務めている少壮の言語学者である。日本語の助詞省略という現象を、日本人の特性という面から説明しようとした金田一氏の失敗は明らかである。キルヨン女史の言うように、金田一氏に朝鮮語の知識があれば、そのような発想の危険さにすぐ気がついた筈である。
しかし、「あたし、困っちゃったわ。」といった表現は、たしかに「わたしは困りました。」という表現とは違ったニュアンスがあり、是を細かく分析する事は、面白い課題である。そして、日本人としては、たしかに、金田一氏のような解釈も自然に受け止めやすい。従って、こういうことが言えるのではないだろうか。日本人は、ある種の特性を言語表現に含ませるために、助詞の省略をおこなう事があるが、助詞の省略があるから日本人はこういう性格をもっているということにはならない。金田一氏のあやまりは、助詞省略という言語現象から、日本人の特性へと思考が短絡してしまったため、性格から言語を説明するという結果を生んだわけであり、渡辺女史の批判を生んだわけである。
朝鮮語に無知であるために、様々な国語学者があやまった説を堂々と吐いている事については、同書の他の部分でも指摘されている。たとえば、野元菊雄は“主語なし文”を、野暮(やぼ)をきらう日本人の省略の美学、日本的美意識のあらわれと唱えているのに対して、“まったく、同じ「主語なし文」を有する韓国人には、そんな美意識はない。”ということになる。
これは、考えてみれば、恐ろしい指摘である。論文を書く時に、よく調べもせず、深く考えたりしないで、安易に一般化したり、特殊化したりしやすい私たちが陥る危険をまざまざと示してくれている。こと、日本語に関しては、論じる際には、絶対に日本語という言語だけから推察して、日本人の特性を云々することは避けなければならない。個別や特殊を普遍化する危険を、よく示している例といえる。
そして、もちろん、朝鮮語を知る事が、日本語の正しい理解に何よりも大切な事は、以上の例からもわかる。私は哲学科の専攻で、朝鮮語は学ばなかったが、たしか、京都大学の国語国文学科は朝鮮語が必須であり、ひとり権威者がいたように思う。“朝鮮語のすすめ”を何年かまえに読んだ時、私は、国文学専攻者に朝鮮語の学習を強いる京都大学の基本方針(そして理解)は正しいと感じたのであった。そして、言語学的に最も科学的といわれる朝鮮語を、ほんの隣国である私たち日本人が殆ど知らず、目はいつも欧米に向いているだけでなく、朝鮮人に対して、ひどい差別と隷従を強いてきたという事実に対してはずかしく思った。
日本人は圧制者として、過去においては、日本語を強制することによって、朝鮮人から自国語を奪おうとした犯罪的な事実をもっている。今、朝鮮では自国語を守る意識が盛んである。そして、韓国からの日本訪問者は、現代日本語の主体性喪失ぶりに驚くばかりである。これは、“民族と文化”で本多勝一氏が指摘したように、虐げられてきた民族とほとんど民族的に安定していた国との文化史的な相異が背景にあるからかもしれない。
キルヨン女史は最後に言う。“日本的な抽象論にはしる前に、自分の祖先たちが、どういう方法で弱小国を食いものにし、人々の生活を不幸にし、彼らの自国文化の流れをねじまげてしまったのかを、彼らと同じ人間の一人として、まず、真剣に学ぶべきだと私は考える。”
この”朝鮮語のすすめ“は、日本語をよりよく知るための朝鮮語入門書として、国語に関心ある人への必読書であるといえる。そして、単なる外国語の本であるにとどまらず、すぐれた日本文化批判の書となっている。
日本語は中国語と朝鮮語との影響の中で発展してきた。中国語が日本語よりは英語と構造を同じくしているのに対し、日本語と朝鮮語は似た構造をもっている。古代日本人が、中国語を日本風に読むために訓読法を考案してくれたおかげで、今の私たちでも、二千五百年前の外国語を原典で読めるという光栄に浴している。従って、漢文を学習する事の重要さは言うまでもないが、かって中国文化を日本に伝播する上で、中心的な役割を果たし、帰化人として日本語・日本文化の成立・発展に貢献してきた隣国人の言語、朝鮮語の学習も、今後の国語・国文学研究者の必須の課題とならねばならない。
(完 記 1986年3月12日) 村田茂太郎
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