二十世紀の作家の中で私が一番好きな作家はトーマス・マンである。大江健三郎のエッセイ集・講演集(?)を読んでいて、ノーベル文学賞受賞たちがあつまったSwedenでの会合の中で、二十世紀を代表する作家としてだれを選ぶかと皆で話し合ったとき、自分・大江健三郎はトーマス・マンを選ぶと言ったと書いてあった。我が意を得たと思ったものであった。半世紀以上にわたって息長く大作を発表し続け、作品だけでなく人間としても立派に生き続けたトーマス・マンはやはり二十世紀を代表する作家であるといえる。25歳で完璧な小説といえる「ブッデンブロークス家の人々」を書きあげたマンは、さらに成長して、「魔の山」を生み出し、その後も次々と素晴らしい作品を発表し続けた。私は京都大学入学試験の日にトーマス・マンの「ファウスト博士」の訳本をもって試験場にでかけたのを思い出す。試験内容とは関係ない別世界が展開されていて、精神の鎮静に役立ったわけであった。
”心霊現象の科学” 関係の本を沢山読み漁ったおかげで、この「魔の山」で展開されるこっくりさん Séanceの場面を比較的容易に理解できるほど私自身も成長し、トーマス・マンがこの領域でも真剣に探求心を発揮していたことを知って、安心したわけであった。
(「心霊現象の科学をめぐって」その7-Eileen GarrettとThomas Mann。)
やはり二十世紀を代表する作品であると思う。私が何よりも楽しめるのは彼の心地よいユーモアぶりとそれを楽しんで書いている様子がうかがわれる点である。本当にすべてのページをエンジョイできる作品であると読み返すたびに感心した。
村田茂太郎 2018年8月19日
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発見 “トーマス・マン ―「魔の山」 を再読して
(1984年) 六月中ごろから読み始め、約三週間たって読了した。読んでいる間、ずーっと楽しい思いがしつづけだった。約二十一年ぶりの再読であった。読み進めるに従って、初めて読んだときの記憶が鮮やかに浮かび上がってきた。そして、今回は、より細部に目が届き、作者の小説的工夫のうまさに感心しながら、とても楽しく読み終えた。膨大な観念小説、思想小説であるとともに、綿密な写実小説であり、日常小説であり、また同時に類まれな教養小説、成長小説であった。トーマス・マン以外の誰にもかけないような小説であり、私は読んでいる間、全期間、すべてのページを賛嘆しながら読み進め、本当に偉大な本を読む楽しさというものを堪能するほどに充分、心から味わうことが出来た。
この小説は10年以上かかって作られただけあって、大変な内容に富んでいるが、なんといってもマンその人の個性が染み出たと思われる主人公の創造に当たって、比類ないユーモアと暖かい人間性をこころゆくまで、そそぎこんだところに、この小説が私にとって限りない喜びとなっている根拠がある。ここに描き出された人間描写の適切さは、二十五歳で完璧な長編傑作“ブッデンブローク家の人々”を書いたマンならではといえるもので、読み終えた後も、いつまでも登場人物たちが、まるで実在の人物で、本当に長い間慣れ親しんだ人々に別れるのは、たまらなくつらく悲しい気持ちを起こさせるのと同様な印象をあとあとまで残し続ける。
今回、私が驚いたのは、主人公ハンス・カストルプという青年がいかに魅力がある人物であったかという発見であった。この主人公が示す好奇心、探究心、理解力、柔軟性、コミットメントは非凡といっても言い過ぎではなく、私は文句なしに、この主人公の人間ぶりに魅了されてしまった。そして、マンの書きっぷりも、余裕とユーモアがあり、温かみと真実味があってこの物語を限りなく魅力あるものにしていた。
この堅実に構成された小説にはいくつかのヤマ場がある。女主人公とも呼べるクラウディア・ショーシャをめぐるカストルプの反応は全巻の丁度真ん中で最高潮に達する。また、全巻の白眉といえる“雪”の場面がある。丁度、1時間で読める長さであり、実は私は、この”雪“だけは、今までにも何度か読み味わってきた。すばらしい風景描写に支えられて、ハンス・カストルプが体験する夢の世界は、なんといっても圧巻である。
吹雪にあったハンス・カストルプは、夢の世界に入っていって、その中で夢を見る。平和で愛らしいギリシャ的世界。楽しそうな人々の姿。そして、突然、カストルプはその彼らの平和の背後で演じられている残虐な血の祝祭に気がつく。そして、一つの根本命題にたどりつく。“愛は死に対立する。理性ではなく、愛のみが死よりも強いのである。理性ではなく、愛のみが善意ある思想を与えるのだ。形式もまた愛と善意からのみ生まれる。・・ 人間は、善意と愛のために、その思考に対する支配権を死に譲り渡すべきでない。”
スイスのアルプスの中の街ダボスのサナトリウムを舞台として展開されるこの綿密な小説は、ほとんど終わり近くになって、真に“魔の山”らしき形態をとる。退廃的なムードが漂い始め、心霊術への関心が深まっていって、ついにある日、カストルプは“コックリサン”に参加することになる。同じ病院で亡くなったイトコの亡霊を呼び出そうというのである。
今回、この部分を読んで、トーマス・マンがこの現象を非常に上手に扱っているのに感心した。20年前には、なんのことかさっぱりわからなかった。大学でドイツ文学者をつかまえて、この心霊術の部分をマンはどういうつもりで書いたのか、何度か訊こうと思ったほどである。しかし、どうせドイツ文学者でもわからないだろうと思い、誰にも質問しなかった。そして、この私の疑問は自分で解くことが出来た。この数年の間に、テレパシーや予知や霊媒を扱った研究書を英文で二百冊ほど読んできた。そして、マンがここで書き記したような現象は、どう説明を与えるかは別として、ポピュラーであり、起こりうる現象であることを学んだ。それどころか、私はマンがこうした領域にもまじめな興味を示し、有名なドイツの科学者の実験にも立ち会ったりしていたことを知った。
マンが“魔の山”という題をつけたとき、この最後の部分の構想が成り立っていたとは思わない。しかし、この場面が入ることによって、名作“魔の山”は画竜点睛を施したといえる。
晴天の霹靂の如く、第一次大戦が始まり、覚醒したカストルプは山を降り、志願兵となる。彼の前途は暗い。“君は死と肉体の放縦の中から、予感に満ちて、愛の夢が生まれてくる瞬間を経験した。この世界を覆う死の饗宴の中から、雨の夜空を焦がしているあの恐ろしい熱病のような業火の中から、そういうものの中から、いつか愛がよみがえってくるであろうか。”この意味ある言葉で、この膨大な内容を持った歴史的な名作は終わっている。
その後、マンはノーベル賞を受け、そして、更に、ナチスが勢力をもってくると、国外に亡命して、デモクラシーを代表して、ナチズムと闘った。善意と愛とユーモアに支えられたトーマス・マンとしては当然の生き方であった。
(完)
1984年7月 執筆 村田茂太郎
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