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8/28/2018

寺子屋的教育志向の中から - その13 ロタリー (籤)” “The Lottery” Shirley Jackson 

寺子屋的教育志向の中から - その13 ロタリー ()” “The Lottery” Shirley Jackson 




幸運と偶然性           “ロタリー ()” “The Lottery”  

                                     

 California Lottery が1985年十月から始まった。SupermarketSweep Stake のスタイルで、その場で結果がわかり、一枚一ドルで手ごろなため、人気を集めている。テレビでは、ミリオン・ダラーを当てた人のニュースが宣伝され、一攫千金の可能性をまざまざと示して、購買欲をいっそう煽り立てている。


 この種のロタリーは企画者・主催者側に絶対損が出ないように出来ていて、利益は教育費にまわすとかというので、購入するほうは寄付をしている気にもなり、あわよくば巨富にありつけるというので、誰もが運を試してみる気になっている。別のロタリーでは何人かで組んでうまく当てた人もおり、私の居るオフイスでも、その種の試みがなされているのを、今日、知った。


 物価が高騰し、維持費が高くなって、生活が困難になると、一時的でも人生への展望が暗くなる。限られた給料で生計を立てている人間は、ほかに余裕がないため、味気ない生活を送ることになる。そんな時、1ドルの投資で百万ドル当てるチャンスがあるということ、あるいはせめて五千ドルでも当てるチャンスがあるということは、あてどのない人間にとっては大きな魅力である。運を試すということも遊びの一つの大きな領域を占めていて、賭けは昔から人間を魅了してきた。


 私も少し試してみたが、どうしたことか、ぜんぜんダメである。昔から、こういうことに運の強かった姉がロサンジェルスにいてくれれば、何か当たったかもしれないのにと思ったりする。誰でも富くじを当てたいに違いないのだが、なかなか思うようにならないのが現実である。英語のどの辞書を見ても、“ロタリー”には、必ず、“チャンス”という言葉で説明がなされている。“偶然性”のゲームがロタリーということなのであり、私たちも、そうだからこそ、“もしかして”を期待して1ドルを投資するわけだ。


 このいわゆる“幸運”の問題を“偶然性”としてとらえずに、その背後の意味を探ろうとした思想化がカール・ユングであった。ユングは一見、意味を成さない出来事の連鎖の中に因果関係を離れた別の法則性を考え、それをシンクロ二シチーSynchronicity (共時性態?)という言葉で表明した。ユングの研究が成功したかどうかは疑問だが、この種の“偶然性”の問題をまじめに扱い、いわば後続者への種をまいたのは確かである。アーサー・ケストラーもアラン・ヴォーンもみなまじめに、このシンクロ二シチーと取り組んだ。


 私が一読して非常に面白く思い、これなら翻訳しても売れそうだと思ったマックス・ガンサーの“ラック ファクター”(The Luck Factor)もその種の本の一つである。この本は、一見、まったく偶然性に支配されているかのごとくに見える“幸運”の世界が、もしかして、ある限度内で、コントロールされることも可能だということを資料を駆使して説得している。


 パラサイコロジーに親しんだ人なら、まったく偶然性に任されていると見えるサイコロの目にさえ、人間はある影響を与えることが出来、本格的な賭博師は、イカサマでなく、任意に希望する賽の目を出すことが出来るという話を聞いたことがあるに違いない。この本は偶然性のゲームにおいて、それとなく感じている現象を整理して、そこから何らかの指針を導こうとしたものである。ガンサーは幸運であった人や不運であった人をインタビューし、たくさんのケースから帰納して、何が幸運たらしめているかを考察した。運・不運のあり方をとおして、人生への態度をあきらかにしたこの書は、なかなか含蓄のある書となっている。


 さて、“ロタリー”といえば、まず、私の頭に浮かぶのは、このシンクロ二シチーとシャーリー・ジャクソンの“ロタリー”である。(Shirley Jackson “The Lottery”)。シャーリー・ジャクソンは50歳にも満たないで亡くなったアメリカの作家で、現代の魔女(Witch)と呼ばれたほどの意味深い小説を書いた女性である。彼女の作品の質はきわめて高く、どれも独特の気品をもっている。夭折したのが惜しまれる。


 もっとも有名な作品は“出没”Haunting という題でで映画化された“Haunting Of The Hill House”であるが、短編にも優れ、表題作にもなっているこの”ロタリー“は、十ページ足らずの小編ながら、もっとも見事に彼女の資質を発揮した、きわめてすぐれた作品で、これを読み味わうと、どうして彼女が“魔女”などというニックネームをもらったか、よく納得がいく。彼女はさりげない筆さばきで、独特のムードをかもしだすのがうまく、適切な人物描写とあわさって、どの作品も印象深いものとなっている。


 この“ロタリー”は、どうやら、ニューイングランド風なムードを漂わせ、それが、この作品に不気味な影を投げかけることになっている。有名なセーレムの魔女裁判の匂いさえ、なんとなく漂ってくる。


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 六月二十七日の朝十時ごろ、村の人々は広場に集まり始めた。人口三百人程のこの村では、全部のくじ引きが2時間以内で終わるのだった。子供たちがまず集まったのは当然のことだった。ボビー・マーチンは、もうすでにポケットにいっぱいの石を詰め込んでおり、他の子供たちもそれをスグに見習った。子供たちは広場の一角にいっぱい石を積み上げて、他の子供たちにとられないように見守っていた。まもなく男たちも集まり、そして女たちもつづいてやってきた。


 “くじ”は黒い箱の中に入っていて、それは既に何代もつづいて使用されてきた。“くじ”はもともと持っていた儀式をなくしていったが、この年一度の行事だけは引き続いて行われていた。


 係りのサマーズ氏が集まった村人たちのほうに向かったとき、ミセス・ハッチンソンが急いでやってきた。家事の最中、窓から子供たちがいなくなったのを見て、今日が何の日であったかあわてて気がつき、とるのもとりあえず、駆け足でやってきたのであった。


 サマーズ氏が咳払いすると、沈黙が襲った。みんながそろったのを確かめてから、サマーズ氏はルールを説明した。“私が名前を読むー家族の代表者をまずーそして、呼ばれた人はやってきて箱から紙を取る、そして、すべての人が引き終わるまで、それを見ないで手に持っていること、みんな分かったね?”


 人々はもう何度も同じことをやってきたので、半分しか聞いていなかった。最初の男はアダムスだった。ユーモアと神経質とが交じった表情で男は籤を引き、急いで戻ると、家族からは少しはなれて、手を見ないようにして立った。次々と男たちは籤を引いた。アダムスはこの村で一番の年寄りと話していた。“北の村では、ロタリーをやめようと言っているぜ。”“バカな奴らめ、若い奴のいうことに耳を貸すとろくな事はない。・・・六月にロタリーがあると、とうもろこしがよくとれる・・・と言ったものさ。・・・ロタリーはいつもあったのさ。”


 みんなが取り終わってからも、長い息もつけない沈黙があった。サマーズ氏が合図した。すべての紙はあけられた。そして、突然、女たちのだれもがいっせいに喋りだした。“誰だい?”“誰があたったんだ?”さまざまな憶測の後、“ハッチンソンだ。”と言う声があらわれた。人々はハッチンソン一家を見回した。ビル・ハッチンソンは手の中の紙を見つめて静かに立っていた。突然、テシー・ハッチンソンがサマーズ氏に叫んだ。“あんたは彼に気に入った紙を取る暇を与えなかった。あたしは見たよ。公正じゃなかった。”“お黙り、テシー”ビルは言った。サマーズ氏は時間内に終わるため、先を急ぐ必要を説き、ビルにルールを確認した。ミセス・ハッチンソンは嫁いだ娘にもチャンスをやれと言って叱られる。ビルはすべてを認める。“何人、子供がいる?”“三人、ビル・ジュニアとナンシーと小さなデイブ、それにテシーと私だ。”そして今度は、そのハッチンソンの家族五人でもう一度くじ引きが行われることになった。ミセス・ハッチンソンはいつまでも“フェアじゃなかった”と文句を言っていた。サマーズ氏はもう一度ルールを説明した。デイブがまずとり、グレイブ氏が手助けした。次にナンシーがとった。彼女は十二歳であったので学校の友達のほうがドキドキした。ビル・ジュニアがとりおわると、テシーの番であった。彼女はためらっていたが、いどむようにあたりを眺め、唇を引き結んで箱に向かい、ひったくるようにして紙を取った。最後がビルだった。群集は押し黙っていた。一人の少女がささやいた。“ナンシーでなければいいのだけど・・・”。

 サマーズ氏が開くように合図した。グレイブ氏は小さなデイブの紙をあけ白紙を見届けたとき、安堵の吐息が群集から漏れた。ナンシーもビル・ジュニアも同時に開き、いっぺんに明るくなり、笑いがもれた。二人は群集に向かい、紙を頭上にかざした。サマーズ氏が“テシー”と言った。ためらいがあり、サマーズ氏はビルを眺めた。ビルは紙を開き、みんなに見せた。白紙だった。“それでは、テシーだ。ビル、彼女の紙を見せなさい。”サマーズ氏の声はきびしかった。ビル・ハッチンソンは妻のところへ行き、無理やりこじあけた。それには黒点がついていた。“よし、それでは、諸君、早く、終えよう”サマーズ氏は言った。


 村人たちは儀式も忘れ、元の黒い箱も失くしてしまったが、まだ石を使うということだけは覚えていた。子供たちが早くから用意していた、いっぱいの石があった。道にも石はいっぱいころがっていた。ミセス・ドラクロワはものすごく大きな石をえらんだので、両方の手でかかえねばならないほどであった。子供たちは既に石を持っていたし、だれかが小さいデイブにもいくつかの小石を与えてやった。テシー・ハッチンソンは、今では人の居ない中央にいた。そして村人が彼女に向かってくるのに対して、絶望的に手をかざした。“公正じゃない”と彼女は言った。一つの石が彼女の頭にあたった。“やれ、やれ、みんな”と叫んでいるものもあった。ミセス・ハッチンソンは悲鳴を上げた。“公正じゃない、正しくない・・・!” そして、やがて、みんなは彼女に襲いかかった。


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 簡潔で、緊迫した描写を味わうには原文を読んでもらうに越したことはない。これは短編だが内容的には長編に値する、恐ろしさを秘めた文章である。この小説は、幸運のくじ引きだけでなく、この話のような“死”への“くじ引き”が、もしかして、ほんの少し前まで行われていたのかもしれないという可能性さえ信じたくなるほどの自然な叙述で、一つの小説空間をつくりあげており、恐怖小説の中でも特に傑作に属する。人間と習俗の生み出す恐ろしさを、さりげない文体で鮮やかに描き、一読、忘れがたい作品となっている。


(完)

1985年11月27日 執筆  村田茂太郎



補記

 Wicker Man という小説を読んだ。これもおそろしい小説で、いわゆるHappy Endingではない。英国の作品で、まじめな警部がよばれてMissing Childを探しに来て、豊饒をいのる儀式のいけにえとなって焼き殺される話で、英国で映画化もされ、この種のUnderground Cultの名作になっていたとか。その後、ごく最近、Hollywood のニコラス・ケージが主演警部となって再度映画化されていた。彼も映画では最後に焼き殺されていた。 
  むらた 2008年12月12日付記。

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