拙著の中身を毎週一回公開していくと昨日書いたが、それでは40篇近くあるエッセイを全部紹介するのに半年以上かかることになる。このテロと事故と天災の多発する現在、自分がいつ死ぬことになるかわからない。読んでもらいたいエッセイもあるので、毎日一篇は紹介することにしたい。ときには、私の前書きも付記したい。順不同と書いたが、やはりナンバーをつけて順番に公開するつもり。
村田茂太郎 2018年8月17日
寺子屋的教育志向の中から - その2 ファインマン
ホンモノとは “ファインマンの回想録”<Surely, you ‘re joking,
Mr. Feynman !>
ノーベル賞の受賞者によって書かれた本が、どれもすばらしいとは限らない。しかし、このファインマンの回想録は、誰が読んでも面白く、何か得るものがあるという点でも、ベストに属し、私は息もつかせずに読了したといえる。それほどすばらしかったので、私は友人の幾人かにペーパー・バックを送り届けたほどである。
ファインマンは1965年、朝永振一郎博士らと一緒にノーベル物理学賞を受賞した。カルテック(California Institute Of Technology カリフォルニア工科大学)の教授として活躍中、若くして既に伝説的存在であった。この回想録には、好奇心に富んだ人物の冒険(Adventure
of a curious character) という副題がついているが、読んで全くその通りだと思った。
この本は、ユーモアに富んだこの物理学者が、ノーベル賞の栄誉に輝いたのは、偶然でないことを示して余りある。全編を通じて、私が最も驚き、感嘆したのは、彼のコミットメントの姿勢であった。つまり、どのような場面、どのような情況にあっても、自分を完全に没入させていく、ホンモノの姿勢である。それは、自分の信じることに対して、自信を持って、誠実に対処していく、偉大な精神の反応といえるものであって、その対象がどのようなものであれ、その行為にはいい加減さなど全くない。さまざまな領域において、生きた伝説を生み残していったのも、なるほどと了解されるのである。真理探究に対する誠実な態度と好奇心に富んだ性格の自由な展開が、彼の人生経路を生み出してきたわけで、私達は、この本から、ホンモノであるとはどういうことかという、人間教育という視点から見て最も大切な教訓を学ぶことが出来る。
先入観を排除して、虚心に、自分の目で見、耳で聞き、自分の頭で考えるという、これは当たり前のことであるはずなのだが、これを誠実に実行することほど困難なことはないといえる。ファインマンの生み出した数々の輝かしい業績は、彼がそのあたりまえのことに徹する中から自然と生み出されたものであった。好奇心、真理への欲求、大胆さ、真剣さ、どれも彼の場合、ホンモノであった。
たとえば、彼がカリフォルニア州の教科書検定委員の一人に選ばれたときの行動。ファインマンは、すべての教科書を丹念に読み、メモを作って委員会にのぞんだ。その時、出版が遅れて、本の表紙しか届いていなかったものもあり、ファインマンは正直に、本を受け取っていないから判定は出来ないと述べた。結局、その本は、まだ出版されていないということが分かったが、驚いたことに、その本を、何人かの人が他の本よりも高く位置づけていたことであった。ファインマンはすべての本について、ハッキリと自分の意見を述べることは出来たが、他の誰も、話をそらして、ファインマンの意見だけを引き出そうとした。ファインマンにとって、教科書検定委員たちのいかがわしさは明白であった。何一つ真剣に、自分で取り組み、自分で判断しようとしていないのである。
同様のことは、教科書についても言えた。数学(算数)の教科書で、科学への応用を説いた箇所のサンプルに、こんなものがあった。赤い星は四千度で、黄色い星は五千度といった形で、星の色と温度(かなりデタラメな)を挙げた後、“ジョンと父親は星を見に出かけた。ジョンは二つの青い星と一つの赤い星を、父親は一つの緑の星と一つの紫の星と二つの黄色の星を見た。ジョンと父親によって見られた星の温度の合計は?”という質問。これを見て、ファインマンは恐怖で爆発しそうになった。全く無意味なサンプル。“彼らは何について話しているのかわかっていない。”“すべてのものが、自分が何について話しているのか、分かっていない人によって書かれている。自分が何について話しているのか全く分かっていない人によって書かれた本を使用することによって、どうして我々は上手に教えようとするのか。私には理解できない。”という具合で、ファインマンの怒りは爆発する。彼は教えることが大好きであり、教育が、そして良い教科書が大事だということを知っているから、余計に、教科書の著述や選定委員のいいかげんさがガマンならないのである。
同様のことは、客員教授として、ブラジルの大学に一年、招待されたときにも起きた。その頃のブラジル大学は、一生懸命、ヨーロッパ・アメリカに追いつこうとしていたのか、優秀といわれる学生がいっぱいファインマンの講義に集まってきた。そして、物理の教科書にある、難しい定理や公式の話になると、反射的といえるほど、すばやく正確な解答が返ってきて、ファインマンを感心させた。ところが、ちょっと教科書に載っていない話になると、ほんの簡単な事柄でも、全く理解を示さない。よく調べてみると、何をやっているのか、全く理解しないで、ただ、言ってみれば、教科書を丸暗記しているだけなのであった。本当に分かっているわけでないから、応用が利かないのであった。
一年経ったとき、帰任の挨拶をブラジル大学の科学者や学生の前で述べることになったとき、ファインマンは、おべんちゃらを言って、お茶を濁すということはしないで、ハッキリと自分の感想を述べた。“ブラジルでは科学は教えられていない。”そして、彼は具体的に例を挙げて説明した。そして、最後に、“もしかして、自分はまちがっているかもしれない、というのは、私のクラスの二人の学生だけは、とてもよくできたから、ブラジル流のやり方でも、ちゃんとやっていけるのかもしれない”、と。科学教育部の部長は応えた。“ファインマン氏は、我々にとって、とても聞くに堪えぬようなことを言った。しかし、彼は、本当に、科学を愛しているようであり、批判も誠実なものであった。従って、我々は彼の言ったことに耳を傾けねばならないと思う。私は我々の教育システムはどこか病んでいると知って、ここへ来たが、私が知ったことは、我々は癌をもっているということだ。”そのあと、討論があったが、その時、一人の学生が立ち上がって言った。“ファインマン氏が話した学生のひとりだが、自分はドイツで教育を受けて、今年、ブラジルにきたばかりだ。”同様のことが、別の学生についても起きた。“私の予期していなかったことである。私はシステムは悪いと知っていた。しかし、100パーセントだめだったとは。なんと、おそろしいことか。”
ファインマンは二度目の奥さんとマヤに新婚旅行に行ったとき、一緒にピラミッドを上ったり降りたりするのに疲れて、ドレスデン博物館にあるマヤ文字のコピー本を買って、ホテルでそのマヤ文字の解読に取り組んだ。大学生時代に謎という謎に挑戦して、すべてを解きつくしたという伝説の持ち主で、その分析的頭脳は、エドガー・ポー以来といえるかもしれない。ファインマンは見事にマヤ文字を解読し、後に、誰かが発見したというマヤ文字盤がインチキであるということを、たちどころに証明することが出来た。
すべてが、この調子である。自分が興味を持った対象、それは理論物理からLockerのKey,アフリカのドラム(ボンゴ)、そしてヌード絵画と、広範な対象に向かって、どれも真剣に、本当の情熱をもってぶつかっていく。生きた人間の生きた反応が、生き生きと伝わってくる。単なる、回想録として読んでも面白いが、いかがわしい人間、いい加減な人間が氾濫している今日、ファインマンのような人間が居るということは、私たちに大きな励ましとなる。
(“ご冗談でしょう、ファインマンさん”岩波書店) (完)
1987年5月6日 執筆 村田茂太郎
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