私のブログに対する感想並びに付記 2018年8月16日 村田茂太郎 &
拙著「寺子屋的教育志向の中から」 その1
拙著「寺子屋的教育志向の中から」 その1
2012年2月に自分のブログを公開し始めてもう6年半を過ぎた。
このブログで展開したのは
私の補習校教育論など教育関係のエッセイ
私が知っている日本・アメリカ California・ Southwestの自然の紹介―写真・紀行文
私の探求の後を示す「心霊現象の科学」に関する紹介文
わたしの恣意的な読書感想文
盆栽クラブの活動報告
などであった。
結果から見ると30年以上前に書いた教育関係のエッセイが比較的よく読まれたようである。それと1994年、私がエルパソに移動する前、小学6年生を相手に書き上げた日本歴史に関する紹介文。
そこで、つい最近、「補習校における授業の在り方」 という35年前の母の会だよりに載せたエッセイを公開したが、この際、私の自費出版の本「寺子屋的教育志向の中から」(瞑想と回想と感想とーロサンジェルス日本語補習校・あさひ学園での15年)という本の中から毎週一篇ずつ紹介していこうと思う。有名なベストセラーでもないので、ほとんど売れなかったはずで、今、このブログの場を借りて紹介してゆけば、もっとたくさんの人の目に触れるだろうし、私の意図は子供たちに学習の基本を身に着けるきっかけとなれば、ありがたいと思ったわけで、このブログはまさにその場所を提供してくれているわけである。自分の本の中身の紹介なので、別に版権が問題になるわけでもないので、順不同で気まぐれに紹介していくつもりである。すでにこのブログの中身との関係で「自殺論」、「心霊現象の科学」などいくつかはブログで紹介しているので、それ以外のエッセイを公開してゆきたい。編集の関係で内容に少し違いがあるのもあるが、横書きの最終校正前のものをコピーするつもり。
この下に添付。まず、目次から。そして Poe をめぐる感想文。
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「寺子屋的教育志向の中から」(瞑想と回想と感想とーロサンジェルス日本語補習校・あさひ学園での15年)
【目次】
〈NO.〉 見出し 〈表題〉
(1)「読書」をめぐる哲学的考察
1 哲学と科学 「メールストロームの渦 をめぐって」
2 ホンモノとは ファインマンの回想録
3 生命力 「癌と人生」(ローレンス・ル・シャン博士)
4 発見 トーマス・マン 「魔の山」 を再読して
5 生きることと考えること 滝沢比佐子「比佐子その生と死」
6 私の卒業論文 「哲学の成立次元」について
7 出会い 一篇の文章―小林秀雄「平家物語」
8 文学と科学1 探偵小説の読み方(1)ロス・、マクドナルド
9 文学と科学2 探偵小説の読み方(2)エドガー・アラン・ポー
10 信念 「ワン・チャイルド」(トーレイ・ヘイデン)
11 形式 芭蕉雑感
12 無知 「いくさ世を生きて」(沖縄戦の女たち)
13 幸運と偶然性 「ロタリー」籤 “The Lottery”
(2)「言語と文化」をめぐる考察
14 日本語力 「言語と文化」
15 日本語と日本文化
16 海外子女と日本語
17 日本語の魅力
18 国語表現クラス「言語と文化」をめぐって
19 日本語と朝鮮語
(3)「心霊現象の科学(パラサイコロジー)」をめぐる考察
20 厳密な科学との相克 心霊現象の科学への私の歩み
21 水とエネルギー 水
22 記憶・夢・回想 ユングの自伝
(4)「授業・教育・学習」をめぐる考察
23 授業の在り方 回想のモデル講義
24 学習におけるプランク効果 学習効果を高めるために
25 卒業生に贈る 絶望と人生
26 体験と教育 失敗談VS成功談
27 遊びの意義 遊びと人間
28 遊びと文化 百人一首
29 “日本の歴史”を学ぶということ
30 “贈る言葉” (解説付き“私”の好きな格言)
31 作文のすすめ 1 私の作文指導
32 作文のすすめ 2 “何を書くのか”
33 反復・継続の大切さ “塾の思い出”
34 コツコツと努力 “蹴上がり”
35 健康な好奇心・探求心 昆虫学・生態学・思い出―雑感
36 コウモリへの畏敬 コウモリの飛翔をめぐって
(5)生と死・人間をめぐる哲学的考察
37 自殺論 ある記憶(残されたものの痛み)
38 自覚と方法への想い “自己探求”
39 郷愁 原田泰治の世界
40 いじめと寛容 差別と日本人
(6) その他の体験的考察
41 ビタミンCとポーリング博士 ビタミンCをめぐって
あとがき
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「寺子屋的教育志向の中から」 その1
「寺子屋的教育志向の中から」 その1
哲学と科学 “メールストロームの渦“をめぐって Edgar Allan Poe
Edgar Allan Poe(エドガー・アラン・ポー) の作品に、“A Descent into the Maelstrom”(メールストロームの渦に呑まれて)というのがある。英文で十二ページほどの小品であるが、一読、忘れがたい印象を残す傑作である。
私は小学生のころ、NHKのラジオ放送で、この “メールストロームの渦にのまれて”を聞き、エドガー・アラン・ポーという天才の名前とこの作品を一度に覚えてしまい、後で作品を読み返す必要がないほど、それは、いつまでも心に残った。後になって、ロサンジェルスの日本語補習校の国語補助教材の中に、NHKの“お話”のテープで“メールストローム”というのがあるのを見つけたとき、私は小学生のときに聞いたあの作品であることを直感し、それを確認することができた。
“メールストローム”は、ストーリーは単純である。哲学を専攻するに至った私は、このポーの作品がいろいろな意味で教訓的・哲学的・科学的であることを感じ、特に、補習校で“理科”を指導していたときには、必ず、最初の時間は、この“メールストローム”の話から始めることにしていた。これは私にとっては、まさに哲学と科学の基本を示すストーリーと思われたのである。
“メールストローム”はひとつの思考実験である。ノールウエー沖のロフォーテン諸島の近くに、本当にこのような巨大な渦があるのかどうか、私は知らない。本当のように書くのが、ポーの好んだ書きぶりで、これはあくまでも一つの思考実験と見たほうがよい。
断崖の上に立つ老人らしき男とその聞き手。老人らしき男は、メールストロームの渦の方を指し示しながら、奇跡的に生還してきたというその恐怖の体験を語る。
男は漁師であった。彼の兄弟も漁師であった。三人で出かけて、同じ恐ろしい体験をし、そしてこの男―語り手であるこの男だけが生きて還ることが出来た。それはなぜか。私の解釈では、この男は漁師であったが、それだけでなく、その上に、哲学の心と科学の心を併せ持っていたから生き延びることが出来た。哲学者とか科学者と呼ぶのは、この漁師にはふさわしくないが、肩書きとは関係なく、この男の心の中には科学者と哲学者が共存していた。
“I became possessed with the
keenest curiosity about the whirl itself”(私は渦そのものについての測りがたい好奇心にとりつかれた)という表現が出てくる。“Keenest Curiosity”(研ぎ澄まされたような好奇心) !!これである。“好奇心”。昔、アリストテレスは、人間は好奇心の強い動物で、このおかげですべての学問が始まった、というような意味のことを“二コマコス倫理学”で述べていたが、本当である。好奇心、関心、探究心、興味・・・なんと言い換えてもよいが、このCuriosity(好奇心)がすべての学問探求の基本であるといえる。私が科学の授業を始めるにあたって、まず、ポーの“メールストローム”から始めることにしていたのは、すべての科学的探究の根本に当たる“好奇心”の在り方が一つの思考実験をとおして、鮮やかに描き出されていたからである。
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危険であるとは知りながら、大漁を狙えるメールストローム付近で漁をすることに慣れていた三人の兄弟は、その日もいつものように出かけたが、突然、襲ってきたハリケーンにあわてふためいているうちに、気がつけば、誰も生還したことがないという恐ろしいメールストロームの渦の中に巻き込まれていた。弟はマストと一緒に、海に飲み込まれてしまい、兄と私は船にしがみついていた。絶望的な状況の中で、気も動転していたが、私はそのうちに自分の周りの様子をクールに“観察”できるようになった。そうすると、最初に襲った恐怖にかわって、“Unnatural Curiosity”が、不自然と思えるほどの”好奇心“が、私の中に生まれてきた。しがみついている船から周りを見回すと、渦に飲み込まれたさまざまな物体が漂いながら、まわっている。よく見ると、ある物体は自分の乗った船より下にあったのに、しばらくすると自分の船のほうが下になっている。ある物体はどんどん渦に呑み込まれて、こなごなになっていく。ある物体は傷ついた様子もなく漂っている。いろいろな漂流物体の情況を観察した私は、とうとうその中から、希望に満ちた結論を引き出すに至った。つまり、自分たちの乗った船は、はやく渦にのみこまれて、海底の岩で木っ端微塵になりかねないのに対し、シリンダーの形をした物体は、その形状から、渦に呑み込まれるのが遅く、うまくいけば渦の巻き戻しにあえるかもしれないという推理である。”I
no longer hesitated what to do. I resolved to lash myself securely to the
water-cask・・” “私は躊躇せず、水の樽に体を縛りつけ、水の中にとびこむ決心をした。”飛び込む前に、マストにしがみついている兄に自分と同じようにしろと合図したが、恐怖に取り付かれた兄はなすすべもなく首を振るだけであった。時間もないので、私は仕方なく、樽にしがみついて海に身を躍らせた。しばらくすると、私が推定したとおり、兄を乗せた船は渦のそこに呑み込まれていったのに対し、私はゆったりと漂っているうちに、渦の巻き戻しにあい、奇跡的に生還することが出来た。しかし、この六時間の恐怖のために、一瞬にして、髪は白くなり、身体もヨボヨボになって、友人たちも私を見分けられなかったし、誰もこの話を信じてくれなかった。
これが、メールストロームの渦 の話である。
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この単純なストーリーの中に、哲学や科学にとって大切なエッセンスが鮮やかに描きだされている。Curiosity(好奇心) とならんで Watch, Observe(見る、監察する) という表現があらわれ、 Strange Interest(不思議な興味)、 Unnatural Curiosity(不自然ともいえる好奇心) から Perceive, Reflection、 Conceive(知覚する、省みる、ある考えを抱く) という表現が次々と出てくる。
“I made, also, three important observations.” 「わたしは、また、重要な三つの観察をなした」という結論あるいは推理は、この観察と推理の当然の結果であった。そして、この男は、自分が引き出した結論にすべてをかけて行動することが出来た。自分の置かれた特殊な環境の中でのクールな観察。観察したものをすばやく整理し、法則性を導き、可能性を推理する冷静で方法的な判断力、推理力。そして、自分の出した結論に対して、決然と身を投じるだけの勇気または主体性。
この男が、この一つの巨大な思考実験の中で、ただ一人無事生還できたのは偶然ではない。この男には科学の心と哲学の姿勢がふたつながら相備わっていたから、自分を救うことに成功したのである。好奇心、探究心、観察力、推理力、総合力、そして主体性。これが、この渦の中から浮かび上がってくるエッセンスである。
ポーは、推理に関しては、異常なまでの興味を示し、探偵小説の元祖になっただけでなく、さまざまな作品で方法や論理的思考に寄せる関心を、小説的形式で見事に展開した。“The Purloined Letter”(ぬすまれた手紙)などはその代表的なものといえるが、わたしにとっては、メールストロームの渦の話は、小学生のときに衝撃を受けて以来、ポーの天才を如実に示す一大傑作でありつづけ、すべてを呑みこむ渦巻きは、あるときは時代の流れや歴史を象徴するかのような印象を受ける。
そのとき、この生き延びた男のあり方は、それ自体、象徴的な人間のあり方を示すものとなる。哲学と科学はこの男の中では鮮やかに共存している。哲学の心、科学の心を持った人間は、どの様な環境の中でも生き延びることが出来るといっているように思えるほど、この男はこの小説の中で真にその全存在をかけて生ききっている。名作中の名作といえる。
(完)1995年2月13日執筆 村田茂太郎
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