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8/28/2018

寺子屋的教育志向の中から - その9 “探偵小説の読み方” その2  エドガー・アラン・ポー

寺子屋的教育志向の中から - その9 “探偵小説の読み方” その2  エドガー・アラン・ポー


                  


文学と科学2           “探偵小説の読み方” その2  エドガー・アラン・ポー

                  

 探偵小説史上、ポーの占める位置の大きさは、匹敵する人がないといえるほどである。名探偵デュパンが登場する作品は三篇か四篇に過ぎず、しかも、どれも、現代の小説の長さから判断すると短編としかいえないものである。それでは、なぜ、ポーがそのような高い評価を受けるのか。それは、いうまでもなく、ポーによって、はじめて探偵小説という新しい分野が創始されたからであり、しかも、そのやり方が非常に鮮やかであったからである。つまり、ポーこそ、はじめて意識的に“方法の問題”をとりあげて、それを想像力で磨き上げ、不滅のいくつかの作品を作り出したからである。


 ポーは推理の方法をまともにとりあげて、それを創作の中でうまく例を挙げて紹介し、“方法の問題”が一つの文学上の重要なテーマとなりうることを示した。それは、単に、デュパンが登場する小説においてだけではない。たとえば、名作“メールストロームの渦に呑まれて”のような作品においてさえ、鮮やかに象徴的に示されているのである。


 この印象的な物語は、一度聞けば二度と忘れることのないもので、私自身、小学生のとき、ラジオで母や姉と一緒にこの話しを聞いて、底知れない感銘を覚え、エドガー・アラン・ポーという異常な天才の名前を一度に覚えてしまった。この渦巻きの話しは、私の心に消しがたい印象を与え続けた。大人になって、ポーを読み返したとき、渦巻きの話は読む必要もないくらいに、ハッキリと記憶に残っていたが、今度は私は方法的に、違った視点から眺めることによって、ポーの偉大さを確認したのであった。


 渦巻きは、すべてを呑み込んでいく何かおおきなもの、たとえば歴史の流れとか社会や現実の動きの象徴と捉えることも可能である。大切なものは、生きて帰ることに成功した“私”の反応である。狂乱状態に陥った兄が、なすすべもなくマストにしがみついていたのに対し、“私”はこの恐怖のどん底にあって、冷静に、まわりを観察していたのである。その観察から考察して、ある結論にたどり着いた”私“は、敢然と命がけで、自分の結論の示す方向に身を任す。その結果、兄を乗せた船は渦の底にのみこまれていったのに対し、私がしがみついた樽は沈むのが遅く、そうして、渦の巻き戻しに会い、無事生きて還る事が出来た。ストーリは非常に単純であるが、語りのうまさと場面の設定の鮮やかさ、そして、そこに示される明確な方法意識は、誰が読んでも印象的で、ポーの代表作の一つと目されてきた。ここには、ポーの分析的な意識がハッキリとうかがわれる。


 さて、このように、探偵小説でない作品においてさえ認識の方法、推理の方法を主要テーマとしてしまったポーである。はじめから、名探偵デュパンを登場させた作品において、きわめて鮮やかな“推理の方法”の講義をデュパンにさせるのも当然と言える。


 名作“ぬすまれた手紙”Purloined Letter はその意味で不滅の価値を持っている。これは殺人事件でも何でもなく、ただただ、名前も分かっている犯人から、ぬすまれた手紙を取り返すだけの話しであり、この短編のほとんどは、デュパンがいかに手紙を取り返すのに成功したかの説明である。しかし、この短編の中には、ものすごく大きなテーマがひそんでいた。空想家と想像力の違い、詩人という特別な存在、盲点ということ、読心術あるいは思考の基準ということ、と言った問題である。ポーはいくつかの具体例をひきながら、推理の方法を展開し、もっとも有名な結論に導く。その間、地図遊びでの盲点、ジャンケン遊びでの、相手の能力に合わせた思考法、警察的思考法といった、ポー自身にとって大切であったに違いない問題がわかりやすく展開されていくのである。この際、ポーにとって、あくまでも大切であったのは、方法の問題であった。


 分析的なポーの頭脳はミステリーや謎を解くことに異常な興味を示し、ニューヨークで起きたメアリー・ロジャーズ殺人事件がまだ解明されないうちから、マリー・ロジェ ミステリーを書き始めたり、新聞に暗号や難問を解く広告をだして、その解読にかなり成功したりした。


“黄金虫”は暗号解読を主題としたもので、この種の作品の中では古典である。私はポーが、この“黄金虫”で示した方法が、1930年代にイギリスの若い天才建築家マイケル・ヴェントリスが古代ギリシャ文字である線文字Bの解読に成功したその方法と酷似しているのに驚き、あらためてポーの才能に感心したことがある。


 ポー以降の探偵小説作家は、すべて彼の影響の下に作品を書いてきた。彼らが学んだのは、感情を交えず、すべてを理知的に処理するという態度であった。奇抜なトリックによる不可能犯罪を追求することが、探偵小説の唯一の在り方のように思われだしたほどである。そこにおいては、“方法”だけが強調され、“娯楽としての殺人”がとなえられて、分析の面白さだけで読者を楽しませようとし、たしかに、その点では成功して、多くの不朽の名作が生まれた。この系譜に欠けたものを補う形でハードボイルドがあらわれたことについては、既に、その1 ロス・マクドナルド で述べた。いずれも、探偵小説という一つの分野、一つの形式が文学として成長していく上に、必要なものであったといえる。


 さて、探偵小説は犯人を捜すことを最大の目標とする。警察側あるいは探偵が犯罪現場に残された大小の手がかり(ある場合には隠匿した手がかり)から、犯人を、そして事件の真相をつきとめていく。そこに推理の方法というものが現れてくる。そして、それは科学や哲学の方法とも類似していることに気がつくことも、それほど困難なことではない。現象という、そこに現れた具体的な事実関係から、思考によって、その現象の奥に、それを構成する根本のもの、すなわち、原因とか、原理とか、真理とかといわれるものに到達しようとするのが、自然科学の方法であり、また哲学の方法のひとつでもある。これは、まさに、犯罪現場に残された手がかりから犯人に到達する推理小説の方法と同じと言ってもあやまちではない。ここに推理小説をまじめに読むときに、推理小説からわれわれが学ぶことが出来る(方法的に)、一つのメリットがある。そして、これが、ポーが最大の力量を発したところである。


 自然科学の方法を、少しわかりやすく例をあげて説明してみよう。ニュートン力学形成の第一段階はデンマーク人ティコ・ブラーヘの天体観測に始まる。ティコはその地味な一生をまじめに星の観察に費やし、それを克明に記録した。この観察事実を丹念に整理し、何十年という超人的な努力をして、ついに惑星運動の三法則というものを発見した科学者がドイツに出現した。ヨハネス・ケプラーである。ケプラーは惑星の楕円軌道に関するすばらしい方程式を完成した。ここに至って、バラバラな現象、バラバラな星の動きとして記録されていたティコの資料が、実は、自然の法則に従って運動しているものであったことが明らかになった。しかし、まだ、この段階では、なぜそうなのかということが解明されていなかった。そのもっとも美しい数学的解明は天才ニュートンの出現を待たねばならなかった。ニュートンは作用・反作用の法則、慣性の法則、加速度の法則とともに、彼の最大の法則―万有引力の法則を発見し、それを数学的に美しく、表現した。そして、この万有引力の法則によって、惑星がなぜ楕円軌道を描かねばならないかが解明されたのであった。


 この、ニュートン力学の形成過程こそ、自然科学の発展の方法をもっとも典型的に示したものであった。現象から本質へと推理していく方法は、このように学問の最も大切な方法の一つであるが、人からの説明をうのみにせず、自分で現場を確かめてから推理を始めるシャーロック・ホームズの方法や誰かを先入観によって容疑者から除外せず、すべての人を疑わしい状態にあるとみて、犯人捜索にかかるエルキュール・ポワロの方法など、どれも推理における基本の方法を推理作家たちは身につけて、方法的に正しく思考し、推理していたと言える。


 人間というのは、好奇心の旺盛な生き物である。未解決の出来事をそのままにほうっておくことは出来ない。人間はスフインクスの謎を解いたというオイディプス王の昔から、ミステリーを解明することに喜びを見出してきた。自然科学の進歩も、人間の、この好奇心・探究心の上に成立してきたといえる。エドガー・アラン・ポーが推理の方法を小説に実現したとき、人々は、またまた新しく、面白く、興味深い“遊び”の世界が出現したことに気がついた。ポー以降、現代に延々と続く推理小説の隆盛がそれを証明している。そして、この知的な遊びは、人間存在の根本要因ともいえる探究心・好奇心と思考方法にその存在の根拠を持っているので、永遠に人々の興味をそそり、魅惑し続けるであろう。


(その2 完)1983年10月14日 執筆 村田茂太郎



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