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11/08/2012

「風の歌を聴け」村上春樹 を読む


「風の歌を聴け」村上春樹 を読む

 村上春樹は2012年度は有力なノーベル文学賞候補のひとりであったが、どう風向きが代わったか、日本で山中伸弥京都大学教授が生理学医学賞受賞となったことと、そして竹島・尖閣諸島問題で中国・韓国と緊張状態にはいっているため、政治的配慮が働いたのか、今年2012年は受賞からはずされた。しかし、彼の作品はまさに文学としての読む楽しみを読者に喚起するものであり、内容的にも、時にHumanityに深くかかわったりするため、わたしは近未来、この2-3年のうちに受賞は間違いないと思う。

 わたしはこの作品(「風の歌を聴け」)をのぞけば、去年から村上春樹を読み始めたばかりといえるほどで、まさに個人的な感想に過ぎないが、村上春樹の小説はFictionらしさをもったすばらしい作品だと思う。

 「ノルウエイの森」、「羊をめぐる冒険」、 「海辺のカフカ」、 「ねじまき鳥クロニクル(三部作)」が、私の最近読んだ作品である。そして、今、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み始めて、楽しんでいる。この「世界の終わり・・・」は。いきなり異次元空間というか、不思議な世界に読者を導入して、文学を読む楽しみを、作者の想像力の見事な展開振りを充分に味わわせてくれる。私小説的な作品には無い、想像力、構想力の魅力を伝える作品である。

 村上春樹の代表作は、「ノルウエイの森」以外は、それぞれ、SFFantasyTeleportation的な Parapsychology的要素も含み、童話的で、ストーリーが起伏に富んでいて、興味が尽きない。これらの代表的作品にはつねに茫洋とした感じの柔軟でタフな主人公が登場するが、どれもなんとなく作者の分身というイメージが浮かぶ。そして、これらの代表作を読んだ後で、もう一度、この「風の歌を聴け」を読むと、まさに、古来いわれているように、最初の作品にすべての要素がもりこまれているというのが本当であるということがわかる。わたしは、この本の最後のページに記した記録によると、今度で三度目の読了であった。今、上記、代表作を全部読んでしまった後で考えると、この「風の音を聴け」は、作者の方向を決定した重要な作品であることがわかる。

 この「風の歌を聴け」は、自伝的要素と、1960年代を学生として過ごした、もろく、哀しく、むなしさに満ちた一時代(一瞬間)をさわやかなタッチと斬新なスタイルで描いている。 彼の作品は、どれも完璧とはいえないところを残すが、小説としての特異な文学空間を見事に生み出している。軽いタッチで性関係も描かれ、時に小説によっては近親相姦まであらわれたりするが、どぎついものではなくて、ストーリーの展開で必要に応じて現れる程度で、それがまさに人物を具体化するのに役立っている。なによりも、Fantasy、メルヘンを読んでいるような楽しさが生まれている。

 「風の歌を聴け」は1970年の夏のひとときを舞台に描かれた、青春のむなしさ、かなしさが強く感じられる、さわやかな小説で、構成も斬新で、まさに内容にふさわしいといえる。

 この小説はデレク・ハートフィールドという1930年代にアメリカのパルプFictionSF, Fantasy, Horror で活躍したという人が重要なキーノートとなって、構成されている。

私はWikipediaGoogle, Bingでこの人を調べてみたが、確かにWeird Talesという雑誌は1920年代から出版されていたが、その代表的作家の中には入っていなかった。このひとについて書いてあるというThomas McClureというひとと、その1968年出版の作品さえ、Web Searchではでてこなかった。それほど、このハートフィールドは忘れられた存在なのである。わたしの確信として、もし村上春樹がノーベル賞を受賞すれば、この、忘れられたアメリカの冒険小説・SF/Fantasy作家デレク・ハートフィールドのある種の作品はRevivalし、再評価が行われるであろう。

 ある本は翻訳などの方が原本より文学的価値があるという場合がときたま発生する。有名なのは通俗小説といわれたアンデルセンの「即興詩人」が、森鴎外の翻訳で、日本では、文学的名作と扱われることになった。

 このデレク・ハートフィールドの場合も、この「風の歌を聴け」に引用されたり、あらすじを紹介される事によって、原作以上の価値が生み出されているのではないかと、私には思われる。少なくとも、わたしの関心を誘ったのは確かである。

 この本の最後の記述によると、著者はハートフィールドのお墓を訪ねるだけのためにアメリカにわたり、バスでNYからOhioまで行き、ちゃんと苦労して探して、お墓を見つけたそうである。高校生の頃神戸の古本屋で外国船員がおいていったらしいハートフィールドのPaperbackをまとめて買ったのがハートフィールドとの出遭いであったという。まさに運命的なといえそうだ。

 行きつけのバーで介抱した若い女性をめぐる、なんとなく物足りない、味気ない付き合いをめぐる話の展開がメインのテーマとなっている。ほかに、たまたま友人になった“鼠”と自称する金持ちの得体の知れない若者とのやりとりが、もうひとつのテーマで、こういう筋らしい筋の無い小説の展開の仕方は、Henry Millerなどがまさに饒舌振りを発揮して展開し、そのあと、On the RoadJack Kerouacなどが展開したように思うが、このあと、村上春樹はFantasySF的趣向をこらして、物語的な興味にあふれた小説を書くように成長していくが、基調は同じ、主人公の青年の偶然の出会いが話の発展のテーマとなっている。

 ラジオのテレホン・リクエストの場面などをはさんで、転調をはかり、それが効果的にストーリーにつながっていくなど、でたらめな展開に見えて実は計算されつくしているわけで、その構成は結果から見れば絶妙といえる。

ともかく、軽いタッチで、青春期のかなしみをさわやかに描いた魅力的な青春小説といえる。ここに、後年、村上春樹が展開するその基本の語り調が完成してあらわれているのが今回の三読目でよくわかった。

「もし、デレク・ハートフィールドという作家に出会わなければ小説なんて書かなかったろう、とまでいうつもりはない。けれど、僕のすすんだ道が今とはすっかりちがったものになっていたことも確かだと思う。」(p。153)。

この「風の歌・・・」のなかで、ハートフィールドの“火星の井戸”という“レイ・ブラッドベリの出現を暗示するような短編がある。”と書いて、大まかな筋が紹介されている。

村上春樹の想像力、空想力の展開は、このハートフィールドから受けた印象が基調になっているということがよくわかる作品である。まさに、彼の文学の方向を決定したような影響を与えた作家ということになる。それも、高校生の頃に古本でみつけた原作が限りない影響力を持ったということで、まさに人生は不思議だと感じさせる出会いであったようだ。

村田茂太郎 2012年10月29日、11月7日、11月8日

 

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