Travel Japan (88) 箕面渓谷 みのお ー大阪府箕面市
わたしが Konrad Lorenz の Imprinting 刷り込み 理論を正しいと思ったのは、わたしの子供のころの思い出があるからだ。
わたしは自然が大好きで、特に緑深い渓谷、渓流にはたまらない魅力を感じる。わたしは自分を分析していって、その理由はきっと子供のころの箕面訪問にあるに違いないとわかった。
母が空気の悪い映画館に子どもをつれてゆくかわりに、毎年のように、父に職場を休んでもらい、夏のあるとき、あるいは秋の紅葉の時期に箕面の滝と渓流を見に家族みんなで行くことが子供のころの最大の楽しみとなっていた。
大阪府箕面市にある箕面渓谷は、昔から“もみじの名所”としてしられていたようだ。終点みのお駅で降りると、ほんの少し歩くだけで、深山の趣のある箕面渓谷に入っていくことになる。目的地は滝だが、わたしたちは滝そのものよりも、滝にいたるまでの山深い渓谷の途中で渓流におりて、きれいな流れに足をつけたりしてリラックスしながら、用意したお弁当を食べるのが楽しみであった。
山はそんなに高いわけではないが、どうしたことか、樹木、特に”もみじ”が鬱蒼と繁って、滝へのコースがすべて、青空がみえないほど、木の下影道をつくっていて、夏でも暑さを感じず、滝への山道を歩くすばらしさをいつも感じて、日本中でも、こんなに素晴らしいところはないのではないかと思っていた。普通、渓谷は川沿いの道で、上をのぞめば、青空と太陽というのが一般であるが、みのおは本当に木の枝が山道をおおうようにかぶさり繁っているので、深山幽谷といえば私はすぐに箕面を思い浮かべるほどであった。
小学生の間は、毎年のように箕面を訪れた。昆虫博物館があり、どうしたことか、野口英世がお母さんをこの箕面に案内したらしいという話も伝わっていた。後日、わたしは渡辺淳一の伝記小説「遠き落日」野口英世伝を読んで、本当に、母親思いの野口英世は母を”みのお渓谷”に案内して楽しいひと時をもったということを確かめることが出来た。
また、この深い渓谷で大雨のときに巡査がひとり、見て回っていて、増水して激流となっていた渓谷に落ち、殉職したというニュースも聞いた。のちに、その碑がどこかにつくられていた。
そのうちに猿を放したとか、いろいろ通俗的になる傾向が現れ、また、孤独な深山ではなく、心斎橋筋や銀座並みのおどろくべき混雑がみられるようになり、ほとんど行かなくなった。
成長してからは3-4回訪れただけである。渓谷は相変わらず、うつくしかったが、人ごみがすごくて、ゆっくり楽しむムードではなかった。
2キロ・メートルほどの短い距離が変化に富んでいて、Up・Downがあり、夏は蝉やトンボなど昆虫も豊富で本当に子どもにとって楽しいところであった。
わたしが自然の素晴らしさを知ったのはこの箕面渓谷のおかげであり、清流や峡谷、もみじの紅葉、道を蔽うほどの深山の赴きなどに限りない魅力を感じるのも、この大事な成長期にせせらぎに手を浸すようにして自然と親しんだおかげだと思う。そして、幼い子供のころに美しい自然に接し、自然を愛する心をそだてるのは、これからの地球環境保護を考えるとき、全人類的な課題だと思う。自然の美しさをわからないで育つと、そういう人が政治家になれば、金のためには遠慮なく自然を破壊していくであろう。
写真はあまりたいしたことないので、どうかと思っていたが、大事な箕面渓谷を紹介しておかねば片手落ちだと思って、人のうつっていない若干を添付した。2003年に訪れたときには11月末にちかく、滝は水が豊富であった。駅からおりて、少し歩き出したところにみやげ物屋やうどん屋などがあり、女房とその一つに入って、意外にうまいうどんを食べることになり、みのおの印象もよくなった。
その後、わたしはアメリカで様々な滝や渓流を見る機会に恵まれ、あちこち旅するのが楽しみであった。たくさんのすばらしい自然を見てきたが、駅からスグに深山幽谷の趣のある箕面渓谷はやはり素晴らしい自然だと思う。まだなにもわからない子供のころからこういう素晴らしい自然を楽しむことができて、わたしは幸せな子供時代を送ったと、親の配慮に感謝するばかりである。
村田茂太郎 2012年11月22日 On Thanksgiving Day
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