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5/30/2012

Travel Japan (9) 津和野(島根県)森鴎外生誕地ー写真紹介

Travel Japan (9) 津和野(島根県)森鴎外生誕地ー写真紹介

 つわぶきの生い茂る野、ということで町の名前が生まれたといわれる島根県津和野町はまずなによりも森鴎外の生誕の地、そしてお墓のある地として有名です。鴎外は生前に親友に遺言として津和野のお寺に埋葬されることを委託し、ただ"森林太郎”とだけ碑銘を入れるように指示したということで、わたしはそれを確かめてきました。

 津和野は市だと思っていたら、津和野町でした。歴史と文化にとんだ町で、山陰の小京都といわれたほどで、徳川家康の孫、千姫伝説で有名な坂崎出羽守が礎石を築き、そのあと、亀井氏が4万3千石の城下町を維持したということで、代々、教育熱心な君主がでたため、明治前後に逸材を生み出し、そのTopが日本近代哲学の創始者西周(にし あまね) と夏目漱石と並ぶ日本近代文学の双璧といわれる森鴎外の出世の地となっています。

 中国山脈の真ん中にある田舎というか自然に囲まれた、すばらしいところです。山、川、畑、田んぼ、白壁、そして疎水や川に泳ぐみごとな鯉が、落ち着いた、きれいな街をつくっています。牧歌的で、すばらしいところです。

 ただ、一点、汚点がありました。1868年、キリシタン禁教令で浦上4番崩れといわれる教徒の流罪が各地に行われ、津和野にもキリシタンが送られてきましたが、ここでの拷問が残忍、最悪の一つといわれるほどであったとか。岩倉遣欧使節団が外国でこのキリシタン弾圧が条約改正の障害のひとつであることを知って、急遽、禁教令を取り除くように電報を発信したほどで、1873年禁教令が解除されるまでに3千人をこえる流人のなかから600人を超える死者が出たといわれており、ここ津和野だけではありませんが、悪名を歴史に残したのも事実です。

 そのキリシタンを留置した場所とそれを祭った社寺も訪問しましたが、暗い悲しみを秘めたうすぐらい場所でした。

 そして、西周、森鴎外のほかに立派な漫画家の安藤というひとのMuseumまでできていました。

 私と友人は、この旅では、なれたもので、自転車を借りて、付近を見て回りました。萩、津和野、山口、みな自転車を借りての観光でした。

 わたしが一番気に入ったのは、きれいな疎水を泳ぐ鯉の姿と町並みの美しさで、岐阜の郡上八幡にも同じような鯉の泳ぐ疎水があるのを写真で見ました。

 この津和野の鯉の養殖は、非常事態の際の食料として採用されたそうで、実際にそういうことがあったのかどうかは、知りません。この津和野はなかなか恵まれた自然環境で、ゆたかな町・村であったと思います。今も、キリシタン悲話をのぞくと、おだやかな、美しい街です。

村田茂太郎 2012年5月30日


















































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