ある年の国語文集ーその11-3 中学1年生 1983年度 パサデナ校
この最後の文集は、やはり、全部載せたほうがよいと思います。
したがって、前からの続きにあたる文章もありますが、そのまま、載せることにします。
この中学1年のクラスは非常に反応が良く、ある生徒がショートのFictionを書くと、すぐに翌月には自分もFictionを書いて載せるという具合で、最後の文集も、大分、Fictionがたくさんのページをつかって載っています。これだけのものを書けるということなので、カットしないで全部載せることにしました。したがって、11-5 までになります。
そのあとは、予定として、1986年度の、やはり中学1年生の国語文集第1号をこれも3-4回に分けて載せるつもりです。そして、そのあと1988年度。
今、その準備をしていて、この1986年度は1983年度に比べて、私の評注・感想がずいぶん長くなっていて、原稿用紙1枚をつかっているのがたくさんあり、なかには作文1枚足らずに対して、私の評注・感想文が原稿用紙3枚というのもありました。その1枚足らずの作文の添削・評注・感想のために1時間半ほどかかったこともあったなあと、今、思い出します。
また、1986年というのは、私が12月に”言語と文化”に関する大事なエッセイを書き始めたときで、4-5月の段階で、まるでそのエッセイのドラフトのような主旨を展開しているのがありました。
結局、あさひ学園で子供たちに国語指導をする中で、私の”言語と文化”論は築き上げられたということがわかります。
いくつかの主な「言語と文化」論は私の著書「寺子屋的教育志向の中から」の第2章 「言語と文化」をめぐる考察 で展開しました。(ISBN: 978-4-9905937-0-4 壱生社 リベルタ出版 ¥1200)。
本当に、みんな、素晴らしい子供たちでした。わたしは恵まれて、充実した人生の一時期を過ごすことができました。今、思い出しても、私の人生の最高の時期だったと感慨深いものがあります。こうして、Photo-sacnすることになって、もう一度、あのころを思い出せることになり、喜んでいます。
村田茂太郎 2013年2月1日、5日
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