ある年の国語文集ーその11-1 1983年度 中学1年生 パサデナ校
このクラスの国語文集は第11号まで続きました。
先に第1号を紹介しました。彼らがどこまで成長したか、今度は最後の号を紹介します。
最後には全員がすくなくとも一篇は書いてくれました。書くのが好きになって、何篇も書いてくれた人、それから、このクラスは短編小説創作意欲のある人が多く、Fictionらしきものを何人かが書いてくれました。自分の子供のころと比べると、信じられないほどの文章力です。ほかの学年でも同じ傾向がありました。前の号からつづいているものがあり、途中からではあまり意味がないようにも思えます。
この文集の”はじめに”と”あとがき”も、すでに「ある年の国語文集ーはじめに、あとがき集」に入っていますので、それをご覧ください。
私の今の構想では、同じクラスばかり紹介しても、ほかのクラスの生徒に無視しているように思われて、よくないので、いくつかのほかのクラス、ほかの区域(パサデナ校のほかに、サンタモニカ校)での国語文集も載せて、まだまだ余裕があるようだったら、また、初めに返って、いくつかを拾いながら紹介したいと思っていますが、実際はどうなるか未定です。
ともかく、この1983年度は中学1年生でパサデナ校の生徒で、一応は1号と最終号の11号をとりあえず、紹介します。この11号は1号に比べれば長大で、11-5 くらいまで続くことになりそうです。
なお、私が国語担当であった手前、わたしの国語授業を楽しんでくれたとか、いろいろ生徒からの感想が書かれています。これら生徒の反応ぶりは、全力投球した私の、教育成果が上がった証拠と私は受け取り、このあとの私の国語教育論執筆に自信を与えてくれました。
目次の最後のほうにある米山勝彦というのは、この私が国語を担当したクラスの担任の先生で中学生社会科を担当しておられました。このクラスの国語の時間がうまく進行したのも、米山先生のご指導の賜でした。しかし生徒と違って、勝手に文章を載せるのも失礼なので、省かせていただくつもりです。米山先生は、立派な見事な文字で書かれていて、私などくらべものにならない美しい文書なので、勝手に載せられないのが残念です。私は、当時、中学2年生のクラス担任で、数学を指導していました。そして、1年生の国語の一つのクラスを受け持ったわけで、これが私に最上の喜びを生み出してくれるとは予想もできないことでした。数学は数学で楽しんだのですが。
最後のほうに載せた私のエッセイ、「歴史の見方」とか「凧」などは、すでに別箇、このブログで紹介してあるの、再録はしません。
生徒の名前として第1号で使用したABC順をこの11号でもつかっていますから、1号でAの文章を書いた人は11号でもAで書いていますから、成長の跡がうかがえます。名前のイニシアルではありません。このあと、11号紹介が終われば、別のクラスの文集紹介でもABCででてきますが、これは完全に別のクラスで、別の生徒です。また、いつか1983年度のほかの文集を紹介する場合には、成長の跡が分かるように、同じABCをつかいます。
村田茂太郎 2013年1月30日、31日、2月2日
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