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2/22/2013

ある年の国語文集ー1985年 パサデナ校 中学3年生 第5号 その5-4

ある年の国語文集ー1985年 パサデナ校 中学3年生 第5号 その5-4

 この文集は第5号が最終号でした。
その5-4 で5号は全部紹介したことになります。
私のあとがきを読むと、国語文集に関しては、まあ、満足できる程度であったと書いてあります。
ただ、クラス担任として、わずかな人数の生徒であるにもかかわらず、私の希望するような学習状態がうまれなかったのは残念でした。

 昔、大久保利通が臨席しているだけで、全体がきわめて静粛な状態になったといわれていますが、私の場合、わたしが現れると若者たちはほっとするらしく、部屋が明るくなって、ささやきが大声であらわれてくるほどでした。それで、あるお母様は、娘が学校(あさひ学園)に行くのが楽しくてたまらないとか、日本の学校でこんなに学校が楽しいと感じたことはなかったと娘が言っているとか話されたほどでしたが、この中学3年生のクラスはそれが悪いあらわれかたをした例でした。

 わたしは学問的な指導には自信を持っていましたが、モラル指導などは土曜日だけではできないと思っていたこともあって、態度の悪い生徒は扱いきれなかったようです。でも、アメリカン・スクールの悪さとくらべれば、全然、悪いわけではなく、ただ、授業効果が減少する程度で、今では、あの子たちがどうなっただろうかという興味はあります。

 ひとりの女の子は音楽学の博士号をとり、国際的に活躍しています。日本語・国語力も最高で、国語文集にも立派な文章をたくさん書いてくれていたので、国際交流の場にあっても、日本のことを知らない無知な人間ぶりを発揮する政治家のような恥ずかしい場面が出現することはありえないはずです。

 アメリカにいると英語さえできれば、それで通用するというまちがった考えを持った人が多く、わたしはそれを是正するために、親子に対して言語と文化の関係の重要さを訴えてきました。英語に上手になって日本語に翻訳をしようと思っても、肝心の日本語が日常会話程度の理解ではどうにもならないのです。日本語を支える古典の文化、漢文・古文を自分で楽しめるほどでなければ、まともに健全な日本語を維持することもできないでしょう。わたしの指導した生徒たちが、そのことをわきまえて、世界のあちこちで、英語と日本語の両方を生かして、活躍してくれていることを期待しています。

 この国語文集にあらわれたこの子たちの日本語表現力をみると、安心できるように思います。


村田茂太郎 2013年2月22日
















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