感動的であった1983年度中学1年生の国語指導から引き離されてサンタモニカ校の高等部の国語と数学の担当と決まったとき、わたしは勝手な人事異動をするマネジメントに対する口惜しさと、この子供たちと別れるかなしさで、本当になみだを流しました。
高等部では国語4時間、数学1時間、古典1時間と6時間休憩時間もなしに働いて、それなりにがんばりましたが、わたしには中学1年生が向いていると自覚し、パサデナ校に戻ることを希望しました。その希望がかなえられ、1年生ではなかったけれど、あの感動的なクラスの生徒がいる3年生の国語担当をまかされました。
2クラスをもって、国語文集は5号まで作成できました。ここでは、第5号をご紹介します。
1983年度1年生でつかったABCD... (つまりこの文集ではF,P,K,D,U,S)は同じ生徒です。
新しい生徒がたくさんいるわけで、ギリシャ語のアルファベットをつかいました。Kカッパーは同じ文字にみえますが、K子は1年生と同じ生徒、K男は3年生のあたらしい生徒です。アルファーからニューまでが3年生で出会った生徒です。
4回に分けて紹介します。
この第5号は最終号で、中学3年生卒業学年にあたるため、この号では特別にほかの先生方も寄稿してくださいました。しかし、無断で載せるわけにゆかないので、それは省略させていただき、あくまでも「国語文集」としての、生徒の作品と私の添削・評注・感想文と私の文章だけを載せます。
1983年度は本当に興奮の渦の中に巻き込まれたような感動の年でしたが、今、この中学3年生の文集をみると、1985年度は波風荒き大変な年であったことが思い出されてきます。単純によろこんでいたのではなく、消耗したり、生徒から励まされたりと、いろいろ厳しい年でした。
女生徒たちはきれいな文字でしっかりと内容豊かな文章を展開していて、これが中学生の作文かとは信じられないほど立派なものがたくさんあります。
男子生徒も、やはり成長の跡を示しています。
日本に帰国してしまった生徒も多く、中学1年生の生徒全員の3年生としての作品をみれないのが残念です。
村田茂太郎 2013年2月19日
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