Translate 翻訳

1/31/2013

ある年の国語文集ーその1-2 1983年度 中学1年生 パサデナ校

ある年の国語文集ーその1-2 1983年度 中学1年生 パサデナ校

 その1-1 のつづきです。
第一回目はこれで終わりです。

 前回は8人、今回は6人分。合計14人。

 クラス全員で最後(11号)は22人、途中で二人ほど増え、ひとり減ったから、最初のころは全員で20人足らずであったと思います。3号までで全員が少なくとも1回、多い人は4-5篇載せています。

 ほかの学年、ほかのクラスの文集も紹介しなければならないので、この第一号の子供たちが、どのように成長していったか、あと2-3集(9号10号11号などの中から)紹介はしたいと思います。全部載せるのは、大変で、一通りの紹介がすんで、余力があれば、ほかのも紹介ということにします。

 ここに載せた最初の2篇 どちらも I子の文章に対する私の評注は最後のページに載っています。

村田茂太郎 2013年1月29日、1月31日














1/30/2013

ある年の国語文集ーその1-1 1983年度 中学1年生 パサデナ校

ある年の国語文集ーその1-1 1983年度 中学1年生 パサデナ校

 
 私のブログで、最近、「ある年の国語文集(はじめに・あとがき集)」というのがよく読まれています。それで、”はじめに” と ”あとがき” だけでは、やはり手落ちな感じで、なんとか国語文集をブログに紹介できないかと以前から考えていましたが、今日、意を決して、ともかくトライしようと決め、Self-Storageを訪れて、どこにあるのかわからなくなった倉庫の底から、苦労して、2時間近く格闘して、やっと大体、取り出すことができました。全部そろっていないみたいなので、まだ、これから探さねばなりませんが、まず、ブログに持ち込めるかどうか、第一回のテスト・ケースを試みました。

 方法は、文章ですがPDF Fileでは、このブログに持ち込むのがむつかしいので、Dr. Linus Paulingへ出した手紙の要領で、写真 の要領で、まずPhoto Scanに決め、Paper一枚ごとに向きをかえ、枠外でも入るようにセットして、Scanしました。すると、字の埋まった作文・ファイルは1枚で2MBほどになりましたが、ともかく、その写真を添付することで、このー「ある年の国語文集ーその1-1 1983年度」 ができあがりました。その1-1というのは、全部は無理と思って、2回に分けることにしたからです。ともかく、第一回目はVolumeは多くないので、2回で全部載せられそうです。

 本名は隠して、順番にABCD・・・とつけていきました。女子には子をつけ、男子には男をつけました。
私が国語のクラスで作り上げた文集とはいえ、かってに生徒の作品を公開するのはどうかとも思いますが、まあ、へんな内容ではなく、国語指導・作文指導のひとつのサンプルとして許されるかなと思っています。

 わたしの文章、”はじめに” とか ”あとがき” はすでに、「ある年の国語文集(はじめに・あとがき集)」に入れてあるので、省略して、表紙と目次から順番にScanしました。この学年に関してで、ほかの学年をブログに載せる場合には、全部Scanしたいと思います。

 最初のA子の文章の中に、「中学一年生の諸君へ」という私の文章に対する感想が書いてありますが、この私の文章は、すでにブログで公開してありますので、興味を持たれた方は、それをご覧ください。

 当然のことながら、私自身の添削・評注の技術が回を経るにつれて向上していっています。
ともかく、事実を変えるわけにゆかないので、すべて当時のままScanしました。

 今なら、表紙も目次もパソコンを使って、きれいに作成できるはずですが、私の下手な汚い字で書いたものをそのまま、Scanしました。これが事実なので、今更、何も言えません。

 これをご覧になる方が多ければ、そのあとも続けたいと思います。
なにしろ、このブログに持ち込むまでの準備作業が大変です。

 まあ、これが、うまくゆけば、もしかして、700件毎日公開または2月22日のブログ設定一周年まで毎日公開は、なんとかもちそうです。?

 どうすれば、わたしの宝物ともいえるこの国語文集を、少しは紹介できるかと以前から無い知恵を絞って苦心していましたが、今、こうして、私のブログで、Photo Scan の方法で、実現しそうで、これで、このクラスだけでなく、ほかの学年、ほかのクラスの国語文集も展開できれば、私にとってこんなにうれしいことはありません。Pasadena校だけでなく、Santa Monica校でも、素晴らしい文集が生まれました。どれも、私にとっては大事な、すばらしい思い出作品です。

まるで子供の書いた字で、お恥ずかし次第です。

村田茂太郎 2013年1月29日、30日




















1/29/2013

「心霊現象の科学」をめぐって-その62 S. Ralph Harlow 「A Life after Death」1961年 を読む-その7 Arthur Ford Mediumアーサー・フォード


「心霊現象の科学」をめぐって-その62 S. Ralph Harlow 「A Life after Death1961 を読む-その7 Arthur Ford Mediumアーサー・フォード

Mediumというのは、ともかく、科学者たちからは信用されないようだ。そして、疑ってかかる人がSitterをしめていると、当然、Negativeなエネルギーが作用して、まともなサイキックらしい能力もだせなくなる。有名になればなるほど、否定的に見ようとする科学者も増えるわけで、困難さも増加するわけだ。

Arthur Fordもその点に関して例外ではない。アメリカを代表するMediumといわれていたが、一方ではインチキだといっているひとも多かったようである。その点、科学的探究心も多く、みずから積極的に自分のMediumを解明したいと願い、科学者に協力をしたEileen Garrettのほうが、全く、問題は残さなかったといえる。

私は、Arthur Fordの自伝 Nothing so strange を読み、そのほか、Arthur Ford関係の本を4冊ほど持っている。彼が特にほかのMediumとくらべてどうだと思うようなものではなく、どれも本物のMediumであれば、向こう側とコンタクトできるということにかわりはない。Arthur Fordがとくに有名になったのは、Magicianで有名であった HoudiniCodeを解いたからといわれている。ほかに、1960年代にBishop PikeケースでもTVなどで有名になった。Bishop PikeケースはFordにかぎらず、Ena Twiggとか、ほかにもたくさんのMediumがコンタクトしているようで、結局、ひとりのMediumとしてはホンモノであったということで、ベストとかいう言い方は意味がない。その彼も、晩年、サイキック・パワーがおとろえたのか、問題があったというようなことが、Wikipediaに書いてあった。どうであったのか。われわれは、ともかく、自分で調べるわけにゆかないので、信用するほかないので、もし本当であればという条件をいつもつけないと、なにも言えないことになる。Margery Crandonもそういう意味では、インチキ騒ぎで、本当にインチキをしたこともあるようだが、ホンモノであったこともあり、不確定性原理のこともあるから、初めから疑ってかかる自称科学者を相手にしないということが大切な基本原則だと思う。当時は、そういうことは、量子力学の世界でしられていただけで、だれも、サイキック現象の世界、特に、Medium の世界では大事だなどと知らなかったので、 結果的にはみんなが苦労して、得るものは少なかったということである。

Dr. Ralph Harlowは直接、Arthur FordSéance に参加する機会があった。第一回目に良い印象を受けたHarlowは5年後に、親しい友人を連れて、もう一度、FordSéanceに参加した。そのとき、たまたま、友人の女性が訪問してきたので、彼女もつれて4人でSeanceに出かけることになった。Fordは、この最後の女性4人目が来ることは知らなかった。こういうPrivateSéanceはもっとも、うまくゆくようである。Arthur FordTrance状態に入った時、あらわれるSpirit GuideFletcherというコントロールで、有名であった。FletcherFordが子供の時の友達であったとか。9歳ころに分かれて、第一次大戦で亡くなったとか。1924年からFordのコントロールとして活躍することになった。それは、Margery Crandonのときのコントロールが彼女の死んだ兄であったのと、似たようなものである。

99分にわたるSéanceTypescriptしたNotesからDr. Harlowは、Verbatim Record生きた会話のレコードを引用している;

Fletcher: Hello, I have met you before. [He was speaking to me.]

フレッチャー:ハロー、以前あったことがあるね。(彼は私“Dr. Harlow”に話しかけている)。

Harlow: Hello, Fletcher. This is Mr. and Mrs. Kaplan and Mrs. Shapiro.

Dr. Harlow: ハロー、フレッチャー、こちらはカプランご夫妻、それからミセス・シャピロ。

Fletcher: I am glad to meet you all. Over here we make a distinction between religion and spirituality. Many people who are formally religious and not spiritual, and many who do not seem connected with formal religion are deeply spiritual. Race is not geographical and religion is universal. [This comment greatly interested me because here was Fletcher, a former Roman Catholic, speaking to three Jews. Then suddenly, as if he had finished a required, formal introduction, he changed subject.]

フレッチャー:皆さんにあえてうれしい。こちら側では、宗教というものと霊性Spiritualityというものについて、明確に区別している。形式的に宗教的であった多くの人が霊的Spiritualでなかったり、逆に、形式的な宗教にとらわれないひとが深く霊的Spiritualであったりする。人種は地理的ではないし、宗教は普遍的である。{ここでフレッチャーがコメントしていることは非常に興味深い、フレッチャーはローマン・カトリックだったのであり、そして彼が話しかけているうちの3人はユダヤ系なのだから。そして、突然、最初の紹介の段階は終わったと判断したのか、フレッチャーは話題を変えた。}

Fletcher: There are several people who want to speak with you. A man tells me his name is Herman and that he is well and happy over here.

フレッチャー:何人かがあなた方に話しかけたいようだ。一人の男性が自分の名前はHermanだといい、彼はここで、うまくいっていて、ハッピーだ。

Emily Kaplan: I had a brother Herman. He died several years ago. [At this point Fletcher gave Emily several intimates and personal messages that I do not wish to reveal. These gave evidence that the message was indeed from her brother, and Emily was deeply moved.]

エミリー・カプラン:私の兄弟にHermanがいる。彼は何年か前に亡くなった。{この時点で、フレッチャーはいくつかのエミリーに関する個人的な極秘のメッセージを伝えたが、ここでは明かさない。これらのことが、メッセージは本当にBrotherからだと納得して、エミリーは深く感動したようだった。}

Fletcher: Kivie’s mother is here. You look like your mother, Kivie. She wishes me to say that in her last years on earth you did all you could for her and she is most grateful. She has no conscious memory of when or how she passed away. She says that had she lived longer in your world she would have been an increasing burden, so she is glad she escaped from it for her sake and for yours.

フレッチャー:Kivieのお母さんがここにいる。Kivie、あなたはお母さんにそっくりだ。彼女は私にこう伝えてほしいといっている、地上での最後の日々、あなたはできるだけのことをしてくれた、心から感謝している、と。彼女はいつ、どのようにして死んだのか記憶に残っていない。彼女は言う、もし、もっと長く生き続けていたら、自分の存在はただ重荷を増加させただけであったろう、だから、そういう世界から抜け出せて、自分のためにもあなたたちのためにも良かったと思っている、と。

[Both Marion and I had known Kivie’s mother well, and the messages, many of which I do not include because they are personal and intimate, gave evidence of coming from the same sort of person we had known. Kivie’s devotion to his mother had been most admirable. Every morning on his way to his office he would drop in to see her. She had become very helpless, both physically and mentally, toward the close of her life, and Kivie gave unselfishly to her needs. Both Marion and I were witness to his wonderful care for her. As Fletcher relayed Mrs. Kaplan’s message, Kivie grew excited with delight. It was his first experience with psychic messages, and the remarks he was receiving were both humorous and very much the type his mother was wont to make.]

{マリオン(Dr. Harlowの妻)と私はKivieのお母さんをよく知っていた。ここで触れないが、多くのメッセージがお母さんから届いたが、それは私たちがよく知っている同じ人物からのものと確信させた。Kivieはお母さんに献身的であって、毎朝、オフイスへの出勤前に、最後のころは、肉体的にも精神的にも救いのない状態であった母(つまり、認知症Alzheimerでもあったということか?)に、彼女のために損得を離れてヘルプした。マリオンと私はそのことをよく知っていた。フレッチャーがミセス・カプランのメッセージを伝えると、Kivie Kaplanは喜びで興奮につつまれた。これは彼にとってははじめてのサイキックな体験であった。彼が受け取ったメッセージはいかにも母親らしいもので、ユーモアがあり、母親らしいと納得させるものであった。}


Fletcher: There is a young woman here who says she wants to talk with mother. Her name is Mary and she has been over here several years. [Mrs. Shapiro had had a daughter who passed over many years ago. Neither the Kaplans nor I knew about this.] Mary says, “I came over here when I was very young but I have grown up and am very happy in my work here, Mother, I love you dearly and am so happy to have this first chance to tell you so and give you a short message. Also tell my father that I am proud of his work as a doctor and that he is doing much good.”

フレッチャー:ここに若い女性がいる。彼女はお母さんと話したいといっている。彼女の名前はMaryで、もう何年かここにいるという。{ミセス・シャピロは娘をもっていて、だいぶ以前に亡くなっていた。カプランも私もこのことについては全然知らなかった。} Maryが言っている、「私はまだずいぶん若い時にこちらがわにやってきた、私は成長し、ここの仕事で大変ハッピーだ、お母さん、私はあなたを心から愛しています、そして、こうして、はじめて、この機会に、あなたに短いメッセージを伝えることができてとても満足しています。お父さんに伝えてください、ドクターとしてがんばっていることをとても誇り高くおもっています、とてもよくやっていますね、と。」

Fletcher: There is an ancestor here named Macoski.

フレッチャー:ここに先祖でMacoskiという人がいる。

Mrs. Shapiro: I had ancestors with that name.

ミセス・フレッチャー:私はその名前の先祖をもっていました。

Fletcher: Mrs. Kaplan says, “I want very much to build up knowledge of how to communicate with you now that we have begun this contact. Give my love to Marion.”

フレッチャー:ミセス・カプランが言っています、「こうして、私たちははじめてコンタクトすることになったのだから、今後、どうすればCommunicationが可能なのかの知識をたくわえたい、マリオンにもわたしからよろしくね。」

Kivie: Is my father there?

Kivie: わたしの父もいますか?

Fletcher: Yes, your father is here. There is a man here who has the same name as you. [This delighted Kivie, for he had been named after his grandfather, a famous European rabbi.]

フレッチャー:イエス、あなたのお父さんもここに居ます。それから、あなたと同じ名前のひとがここに居ます。{これを聞いて、Kivieは喜んだ、というのは、彼はおじいさんの名前をもらったのであって、そのひとはヨーロッパでは有名なRabbiであったのだ。}

Kivie: But my father knew no English, so how can he communicate with us?

Kivie: しかし、父は英語をしゃべらない、どうして私たちと会話ができるの?

Harlow: Do you use languages over there?

Dr. Harlow: そちらの世界では言葉を使いますか?

Fletcher: No. We use thought transference, but it is too difficult to explain to you in the earth plane. When we communicate with you we have to use the language we know, Rabbi Kaplan transmit his thoughts and I pass them on to you in English.

フレッチャー:いいえ、我々はThought Transference思考伝達 という方法を使います。しかし、それについて地上の感覚で説明するのは非常にむつかしい。我々があなた方に話しかけるとき、我々はわれわれが知っている言葉を使う、Rabbi Kaplanは彼の考えていることThoughtsを伝えてくれる、私はそれを英語であなたがたに伝えるわけだ。

The remainder of that sitting was concerned with intimate messages that would serve no purpose to be reported here.

残りのSittingは個人的な情報の交換であったので、ここでは省略する。

As remarkable as that sitting was to the Kaplans and to the unannounced Mrs. Shapiro, my first meeting with Ford five years earlier was even stranger, because I came in on him as a complete stranger only five minutes after telephoning him for an appointment, and Fletcher brought me myriad messages from persons who were complete unknowns to Ford.

このKaplan夫妻やMrs. ShapiroとのSittingはなかなか際立ったものであったが、私の5年前の、最初のFordとのMeetingはもっと不思議なものであった。なぜなら、私は5分前に彼に電話で予約して、全くの見知らぬ人として彼の前にあらわれたわけであったが、彼はFord自身にとっても完全に未知な人々からのたくさんのメッセージを伝えてくれたのだから。

The most convincing message came from Mary Hussey, a member of the department of religion at Mount Holyoke College whom we had known slightly and who had died suddenly the previous summer. She said, “I want you to tell Paul something for me. Tell him that I regretted leaving so suddenly with my work unfinished. It was in the classics. Tell him I am proud of him and his work and will try to help him find someone to finish my work.’

その中でも、とくに納得のいくメッセージはMary Husseyからのものであった。彼女はMount Holyoke大学の宗教学科に属していて、私自身はほんの少し彼女を知っている程度であったが、彼女は突然、その前の年の夏に亡くなったのだった。彼女は「私はあなたに頼みがある、私からとPaulに伝えてもらいたい、こういう内容です、私の仕事が終わらないうちに、突然死んでしまったことを悔いています。それは、古典の領域に関するものでした。彼に伝えてください、私は彼と彼の仕事を誇りに思っている、彼が、だれか、私の仕事を完成させてくれる人を見つけるようにヘルプしようと思っている、と

It was perfectly clear to me who Paul was. He was Paul Williams, a very close friend of mine who was chairman of Mount Holyoke’s department of religion. When we returned to Northampton I went over to see Paul and asked him what Mary Hussey had been doing at the time of her death. He said, “She was translating some cuneiform tablets and had not finished her work. We are trying to get someone to complete it, as the publishers want it as soon as possible.”

私にとっては、Paulがだれを指すかは、きわめて明白であった。彼はPaul Williams、私の特に親しい友人の一人で、Mount Holyoke大学の宗教学科のChairmanを務めていた。私たちがNorthamptonに戻ってから、Paulに会に行き、Mary Husseyが死んだときに何をやっていたのかと訊ねた。彼は言った、「彼女はあるクネイフォルムのタブレットを翻訳していたのだよ、しかし、完成しなかったが。我々は誰かそれを完成してくれる人を探そうとしているのだ、出版社ができるだけ早くおわらせてくれと言っているからね。」

I suppose it is possible that some of Arthur Ford’s, or Fletcher’s, messages could be explained on the basis of telepathy, but if so the telepathic ability involved seems as remarkable as Fletcher himself. But even granting telepathy we must exclude the Mary Hussey message; Arthur Ford did not know Paul Williams or Mary Hussey; and none of us in that room knew of her work in the classics.

私は、Arthur Fordの、或いはFletcherのメッセージの幾分かはテレパシーで説明できると思う。しかし、そうだとしても、そのテレパシーの能力はFletcher自身と同じほど、際立ったものだといえる。しかし、テレパシーがかなり説明可能としても、このMary Husseyに関するメッセージはそうはいかないと思う、Arthur FordPaul WilliamsMary Husseyを知らないわけだし、あの部屋にいた我々の誰も古典に関する彼女の仕事については知らなかったのだから。

――― ――― ―――

Dr. Harlowもただ単純になんでも信じる人ではない。彼なりにいろいろな可能性を検討し、やはり、ホンモノのサイキックは居て、向こうの世界とコンタクトできるという確信をつかんだから、この本の題名が示すように“A Life After Death”を信じることができたわけである。

やはり、この領域は科学的証明などということはあまりあてにならないものとして、無視して、自分が納得できるかどうかにかかっていると私は思う。私も、30年以上前から、いろいろな本を読んで勉強して、あの当時も、30年前の昔、やはり、ホンモノのMediumに会って、自分で確かめてみるほかはないというのが当時の結論であり、最近、その一部、つまり、電話でMediumと話すということが実現して、私はなるほどと思った段階である。もう少し、自分で探求しなければならないが、なんとなく、臨死体験はほんもので、脳内体験ではないという結論、つまりLife After Deathは事実だという確信に向かいそうである。そして、私が死んで、だれかに、やっぱり、意識はSurviveするぞと伝えても、科学者たちは Super-ESPで説明して終わるのは明らかだから、After Lifeがあっても、よほどのことがない限り、地上の人にコンタクトする気にはならないであろう。

村田茂太郎2013年1月25日、29日

1/28/2013

「心霊現象の科学」をめぐって-その61 S. Ralph Harlow - 「A Life after Death」1961年 を読む-その6 On Apport etc…テレポーテーション 


「心霊現象の科学」をめぐって-その61 S. Ralph Harlow - 「A Life after Death1961年 を読む-その6 On Apport etc…テレポーテーション 

 Apport MaterializationTeleportation)の話については、私はすでにMaurice BarbanellMediumship 紹介の中でとりあげてきた。また、このHarlowの本の中でも、いくつか紹介してきた。Dr. Harlowの亡くなった妹Annaが死んでから二週間ほどして、両親の部屋のベッド・サイド・テーブルにメモの紙を残したというのもApportであった。

 ここでは、Fresh”新鮮な花などを持ち込むMediumが紹介されている。このMaterializationはインチキも多いのであるが、それは科学者を相手にすると、エネルギーが協調的に働かないため、演出がむつかしくなるということで、別に科学者を相手にしていない時は、彼らはごく自然に不思議を演出することが可能であったようだ。(もちろん、はじめからインチキな場合は別だが、ホンモノでもまわりのエネルギーが協力的でないと、うまくゆかない場合が多いということである。)特に、このMaterializationには和気あいあいとしたムードが大事なことは、Barbanellの中で、Party Moodを盛り上げる話がMediumSpiritガイドから提案されていたことからもわかる。

 Dr. HarlowQuakerである40年来の友人Ned WoodからLeonard Stottレナード・ストット というサイキックを紹介された。そこで、彼はGilbert E. Wrightギルバート・ライト というGeneral ElectricResearch Chemistと一緒に、StottSéance に参加した。StottSpirit GuideThunder CloudというAmerican Indianで何年か前に亡くなった人らしい。Thunder Cloudが最初出てきたが、しばらくして、いなくなって、今度は、Barbara Hutchinsonという女性がでてきた。Ned Woodは、彼女はIndianと同じほど、しょっちゅう出てくるとささやいた。

It was not the conversation or the messages that were important that evening; it was the apport that Barbara performed. As calmly as if such an extraordinary event were commonplace, and indeed it seemed to be at the Stott’s house, Barbara said, “I will bring you a fresh rose from a distant garden.” Within a few minutes we heard something drop lightly on the table in front of us, and when we turned on the light there lay a beautiful, freshly cut red rose, its petals still damp with dew.

その晩、大事なのは会話やメッセージの伝達なのではなかった。バーバラが実演したテレポーテーションであった。それがまるで特別なことでないかのように穏やかに、そして実際、ストットの家ではそのように思えたのであるが、バーバラは言った、「私は遠くの庭から、新鮮なバラをもってきましょう。」そして、2,3分もたたないうちに、私たちは前にあるテーブルの上に軽く何かが落ちる音を聞いた。そして電気をつけてみると、新しく切ったばかりのきれいなバラの花が、まだ花弁が露に濡れたままの状態で横たわっていた。

I visited Leonard Stott three times, and each time some object was apported, brought into the closed room, supposedly by spirits using paranormal techniques. Of course I had experienced apports previously, and had studied them ever since my mother had showed me the underlined forty-nine-word message apported by my sister Anna two weeks after her death. And therefore I was not too surprised by these almost routine demonstrations by the spirits who came to us through L.S.

私はレナード・ストットを三度訪問した。いつも、何らかの物体が運び込まれた、閉じられた部屋に、Spiritたちが超自然のテクニックをつかって。もちろん、私は以前にApportテレポーテーションを経験していた。そして、母が、私の妹がなくなって二週間後に、妹が書いたと思われる、下線を引いた49語のメッセージを私に示したときから、研究していた。それゆえ、LS (Leonard Stott) 経由でやってくるSpiritsたちがまるで日常的にこのテレポーテーションを実演するのにたいして、別に驚きはしなかった。

But one apport, experienced there by Gilbert Wright, was indeed remarkable. It was brought by Thunder Cloud, and in the words of Gilbert Wright, who corresponded extensively with me about the experience, it was “placed in my hands without feeling or fumbling as though donor could see in the dark.” It appeared to be “a clod of hard earth, half clay and half sand, with a sprig of wild asparagus growing out of one corner and a sprig of clover out of the other. Both were fresh!”

しかし、ギルバート・ライトが経験したあるApportテレポーテーションは、実際、驚くべきものであった。それは、Thumder Cloudが行った。私と頻繁にこの種の経験について交信していたギルバート・ライトの話では、「それは、ドナー(私にくれる人)が暗闇で見えるかのように、やりそこなったりする感じではなく、自然と私の手の中に置かれた。」、「それは、硬い土の塊のようで、半分粘土、半分砂でできていて、野生のアスパラガスの小枝が一方のコーナーから、クローバーの小枝がもう一方のほうから生え出ていた。両方ともFreshであった。」

“The clod weighed slightly more than four pounds, and when Wright returned to his home after the sitting he examined it more closely. The soil (four ounce of it, according to Wright’s meticulous records) was so thick that Wright did not suspect that it might be concealing other objects. Carefully he began to pare the soil away from the lump and found 1) a large stone ax weighing two pounds, 2) a stone maul weighing fourteen ounces, 3) a large arrowhead, and 4) a small arrowhead.

塊は4ポンド以上の重みがあった。ライトがSittingから家に帰って、もっと綿密に調べてみた。土は(ライトが緻密に調べた結果では、4オンス)分厚かったので、何かほかの物体が隠れていると疑わないわけではなかった。注意深く塊から土を取り去り、わかったのは、1)大きな石の斧で2ポンドもあった 2)石のおおづちで14オンスの重さ 3)大きな矢じり と 4)小さな矢じり が見つかったということであった。

“I spent half an hour,” he wrote me, “scraping off the dirt which adhered very tightly. I had literally to dig the dirt from the grooves in the stone implements before they became visible.” He carefully preserved the soil for later analysis and submitted the stone artifacts to an Indian expert for identification. The expert said: “The stone implements are of argillite, a mineral resembling basalt. They were used by the coastal Algonkins about 1000A.D. The maul is  a particularly good specimen. Few museums could boast a better…. The soil came from Camden, N.J., or somewhere in the vicinity of Philadelphia. It is called a micaceous stealite. A bed of it stretches up the Susquechanna Valley to Lancaster, PA.”

私は半時間使って、かたくひっついていたほこりをかきとった。(以下、面倒なので簡単に要約すると)、土は分析用に取り除いて、ほかのものをIndian文化の専門家に見てもらったら、東海岸アルゴンキン族が紀元1000年ごろに使っていたものだとわかった。品質のいいもので博物館でもなかなか見当たらないほどのものであった。土はNJからPAまでの地域にぞくするものであったとか。

Later an amateur anthropologist and collector offered to buy the ax and maul for fifty dollars. Arguing with himself, Wright wrote me, “Now assuming these implements to have been fraudulently introduced into the séance room, where did the Stott get them? Had they been stolen from a museum, they would have been clean. They could not have been purchased from a pawn shop for the same reason. The only relevant theory that is left, if we take the oblique view, is that the Stott have found a deposit somewhere, probably in their own back yard. But how did they recognize the find in the first place? In the condition in which they were received [by Wright] they were not recognizably artifacts. I couldn’t have recognized them and I am scientifically trained, and, I believe, more observant than the Stotts.

あとで、アマチュアのコレクターが斧と小槌を50ドルで買いたいといってきた。そこで、ライトはいろいろ考えた。「これらの物件がインチキな手法でSéanceの部屋に持ち込まれたのなら、このMediumストットはどこから手に入れたのか?Museumから盗まれたのか、それだったら、Cleanであったはずだ。同じ理由でPawn Shop質屋から手に入れたとも思えない。考えられる唯一のアイデアは、これも曖昧なものだが、Stottがどこかにあったのを見つけたということだ。多分、自分の敷地のどこかで。しかし、どうして、それを見つけられたのか。ライトが受け取ったような状態では、Artifact技芸品とは見分けられなかったわけだし、私自身も見分けがつかなかっただろう、そして、私は科学的に訓練された人間であり、まちがいなく、Stottよりも識別力があることは確かなのだ。

“Besides, I cannot see how they could have been brought secretly into the séance room. There was nothing of that sort in the room when we entered. The sprig of asparagus might have been pinned up behind the curtain and likewise the clump of clover, but the floor was of linoleum and there was no sand on it. If fraudulently introduced, they must have been concealed in a bag and that would have been too bulky a parcel to conceal about one’s person. Lastly they are worth about fifty dollars for they are all excellent specimens. So, on the oblique theory, the Stott accept a dollar fee [for the séance] and hand out goods to the value of fifty dollars. That doesn’t make sense!”

おまけに、このSéanceの部屋にひそかに持ち込まれたというのがわからない。われわれがこの部屋へ入ったときには、その種のものはどこにも見当たらなかった。アスパラガスの小枝はカーテンの後ろにピンでとめてあったかもしれない、クローバーのかたまりも同じようにして。しかし、床はリノリウムで砂一つ落ちていなかった。もし、インチキで持ち込まれたのなら、バッグかなにかに隠していなければならなかったはずで、一人の人間が隠し持つにはあの物件は大きすぎたはずだ。最後に、それら、矢じりや斧は博物館的に見てもすばらしい標本なので、50ドルの価値はあったという。StottはこのSéanceをもつのに、我々から1ドル受け取っただけである。1ドル受け取って、50ドルの価値のあるものを客に渡すなど考えられない。 (ムラタ 注:ここでSéance費用が1ドルと書いてある。今、電話でMediumにコンタクトするだけで、100ドルとか200ドル300ドルとかが必要である。今、Séanceをもってもらえば、200ドル以上はかかるだろう。仮に200ドルとして50倍すると1万ドルの価値ということになる。つまり、このMedium Stottがインチキをしたりしたものではないということ。4ポンド以上の重たい物体が、どこかから、まさに掘り起こされて、まわりにFreshな草が付着した状態でテレポートされたという、驚くべきApportであったといえる。)

And later Wright wrote me about other apports he had received. “Under strict test conditions I have received an ancient coin, an issue of India and approximately two thousand years old. I have received two absolutely fresh poppies when none were available at that time of year in that particular zone. … and I have had the phenomenon of apportion take place in my own apartment in broad daylight, a package of cigarette vanishing from a closed desk and dropping in the middle of the floor in front of us, a small bell being torn from a curtain where it was sewn and placed on the middle of a studio couch, and many other phenomena.”

そして、そのあと、ライトは、彼自身が受け取った数々のApport物件をDr. Harlowに紹介した。2000年前のインドのコインとかFreshなポピーの花、その辺ではどこにも咲いていないものであったが・・・そして、真昼間に、自分は私のアパートの部屋の閉じた机からCigaretteのパッケージが消えてなくなり、われわれのいるフロアーの中央に落ちてくるのを目撃したし、カーテンから小さなベルがちぎりとられて、スタジオのソファーの真ん中に置かれるのも見た、その他いろいろ。

A friend recently remarked to me that this would indeed be a fascinating and inexpensive way of collecting a small, private museum. And this would be true if the method of acquisition was obviously not more important than the acquisition itself. For we cannot explain the apport, although we know it exists. Some apports, of course, are the result of shameless and deliberate trickery and these we can dismiss. But what of those that so far defy explanation? Can we believe that they are what they purport to be? Are they really the use of physical principles that even our best scientists have not yet discovered? And more important, are they actually performed by spirits or “angels” or personalities who have survived the experience of death? For if they are, then we do have proof of immortality.

ひとりの友人は、これは実際、小さな個人のMuseumを金もかけずに集める魅力的な方法だねと言った。もし、その“方法”があきらかに獲得されたモノより重要でなければ、そう言える。しかし、われわれは、このApportテレポーテーションが、実際に起きることだが、説明できない。ある場合に起きるApportsはトリックで恥知らずに行うインチキの結果である。これは無視してよい。しかし、実際に起きる説明を拒否するApportに対してはどう説明すればよいのか。われわれは、それらは、その通りのものだと信じることができるだろうか。彼らは本当にわれわれの最高の科学者がまだ発見していない物理原則を使ってやってみせたことであろうか。もっと大事なことは、それらが、本当にSpiritsAngelsまたは死をのりこえてSurvive生きたものが、実際にやったことなのだろうか。もしそうなら、われわれはImmortality不滅の証拠をもったことになる。つまり、テレポーテーションもひとつのLife after Deathの証明になる。

It was an apport that was clinching bit of evidence for my good friend Dr. Sherwood Eddy. Despite years of research and experience, including experience with apports for other persons, he waited several years for his own apport before writing his excellent and convincing book, You Will Survive After Death.

このApportが、私(Dr. Harlow)の友人Dr. Sherwood Eddyが証拠としてひっかかっていたものである。彼はYou Will Survive After Death という素晴らしい、納得のできる本を書き上げるつもりでいたが、最後の画竜点睛として、最終的に納得のいくものにするために、Apportを自分の目で確かめたいと何年も前から思っていた。

 Sherwood Eddy と私(Dr. Harlow)は、もう50年来の友人で、海外へのあちこちの旅行も一緒にし、自分たちの考えや悩みについても相談しあった仲である。私は彼がDr. E.A. Macbeth New York Medium とFather TobeDr. MacbethSpirit Controlを紹介してくれたことを非常に感謝している。

 Dr. Macbethは医者であったが、のちほど、ビジネスにむかったひとである。彼はめずらしいサイキック・ギフトをもっていた。彼の能力のひとつは Independent Writing (人間の手が鉛筆や紙にタッチしないで筆記する)、Direct VoiceSpiritsが自分の声でしゃべり、Mediumの声や唇に依存しない)などで、もう40年以上、そのSpirit ControlであるFather Tobeとつきあっていた。Father Tobeはわかっている情報では、Roman CatholicPriestで、アイルランドンで生まれ、牧師としてアメリカにやってきて、1852年4月2日ケンタッキー州のElizabethtownで亡くなった。

 私(Dr. Harlow)はDr. MacbethNew York CityのアパートメントでのSittingSherwood Eddyと何度か訪れた。Tobeは非常に興味深い、知的な個性を持っていた。彼は暖かく、友達づきあいもよく、ユーモアがあり、理解力もすぐれていた。私たちのFather Tobeとの雑談は、Dr. Macbethが静かに肘掛椅子にすわって、私たちの会話を聞くかたちですすんだが、時には神学について、時にはすでに亡くなった人を紹介するという形ですすみ、それ自体非常に報われることであったが、自分にとってのもっとも興味深い体験はFather TobeIndependent Writing独立筆記 を見せてくれたことであった。

 部屋は全部明かりがともされ、すべてをわたしは観察することができた。私たちの前にあるテーブルの上にNote Padがおかれ、しばらく私たちは全員(4人)、その上に手をおいた。そして、われわれのそれぞれがPadに何も書いてないのを確かめた。それからPadはテーブルの中央におかれ、小さな鉛筆がその横におかれた。そして、その上に緑色の布をかぶせた。この布をほかの3人と一緒にPadのうえでもち、布の端がテーブルに垂れた感じで、すべての参加者の手は誰にでも見える状態であった。

Soon I heard distinct taps on the pad, and Father Tobe’s rich deep voice announced that he would then write on the pad. I distinctly felt vibrations under the cloth and could hear the pencil scratching on the pad. The writing continued for several minutes, and when it stopped Father Tobe gave three distinct taps with the pencil on the pad.

まもなく、私はPadTapするあきらかな音をきいた。そして、Father TobeDeep VoicePadに書き始めるよと告げるのを聞いた。私は布の下で振動を感じ、鉛筆がPadをひっかいている音が聞こえた。数分間、筆記は続き、それが止んだ時、Father Tobeは鉛筆でPadを三度はっきりとたたいた。

When we lifted the cloth and took up the pad we found several pages covered with fine writing in pencil. Father Tobe’s message was concerned with the troubled conditions in the world, and he urged us all to devote our lives to working for peace. He also gave some personal and intimate messages to Sherwood Eddy and his wife from their daughter in the other world.

われわれが布をあげてPadをとると、それには数ページにわたって鉛筆できれいに書かれていた。Father Tobeのメッセージは世界の混乱状態を心配したメッセージで、われわれに平和に向けて努力するように働きかけていた。彼はまた、ある個人的で極秘なメッセージをSherwood Eddyとその妻に、別の世界に居る娘からということで、伝えた。

It was some time after this that Sherwood told me of the personal apport that Father Tobe had performed for him. Sherwood had witnessed several of Father Tobe’s apports over the years and had been impressed by and intrigued with them. In one case Tobe had transported, in a matter of seconds, a tiny porcelain figurine across Manhattan, and later he had brought a heavy wrought-iron ash tray from Chicago to New York City while the Macbeth group was singing the first stanza of “Nearer My God to Thee.”

しばらくして、Sherwoodは私にFather Tobeが実行してくれたPersonal Apportについて語ってくれた。SherwoodFather TobeApportを数年間にわたって自分で観察してきた、それで、感心し、また戸惑わされもした。あるときは、マンハッタンをこえて小さな陶器の人形を、瞬く間に運び込んだ。またあとでは、シカゴからニューヨーク市へ、重い錬鉄でできたアイロンを運び込んだりした。その間、MediumであるDr. MacbethSittingグループは歌を歌っていたのであったが。

But Sherwood felt he must have a personal experience, involving some of his personal property, before he had enough convincing evidence to write the book he had planned and he had talked over with Father Tobe.

しかし、Sherwoodは、彼はまさに自分の個人的な体験をしなければならないと感じていた、何か自分の持っている物件を使って、そうしなければ、人を納得させる形で今書いている本をまとめあげられないと感じていたので、彼はそのことをFather Tobeに話した。

And one night when the Eddys were at Dr. Macbeth’s home in Rhinebeck-on-Hudson, a hundred miles from the Eddy’s Jackson Heights, Long Island, apartment, Father Tobe agreed. He described the Eddy apartment in minute detail, even including some photographs on the mantel. Then he asked Sherwood if he had a pair of enameled ash trays in the apartment. When Sherwood admitted that he had, Father Tobe said that he would bring one to the Macbeth house.

そして、ある晩、Sherwood EddyDr. Macbethのハドソン川に面した家にいて、自分のLong IslandJackson Heightsにあるアパートからは100マイル近く離れていたが、Father Tobeは了解した。TobeEddyのアパートの詳細を告げたが、マントルの上にある写真についてまで言及した。それから、TobeSherwoodに、アパートに一対のエナメルの灰皿があるようだがと訊ね、そうだという返事をもらってから、それではその一方をMacbethの家に持ってこようとFather Tobeは言った。

After approximately fifteen minutes, one of the trays dropped out of air and struck Sherwood’s hand. He told me that he then marked it with a cross, for identification, and that night when he returned to his apartment he found one ash tray missing, although its mate was in the usual place. The ash tray he had received from Father Tobe was the one missing from his apartment.

約15分ほどたって、ひとつの灰皿が空中からSherwoodの手の中に落ちてきた。彼は私に、IDのために、それに十字のマークをつけてアパートに帰ったと言った。アパートに入って、彼は灰皿の一つがなくなっているのに気が付いた。その一方はいつもの場所にあったが。彼がFather Tobeから受け取った灰皿が、まさに彼のアパートでなくなったもう一つの灰皿であった。

In the mass of psychic phenomena, apports are comparatively rare, and the few authentic cases that exist have yet to yield information of a higher meaning. Perhaps, there is some merit to the viewpoint of Gilbert Wright when he writes me:

サイキック現象は膨大な数に上るが、Apports現象、物体がどこかからあらわれるということは、比較的まれである。したがって、インチキも多い中で、Authentic間違いなく起きた といわれるケースが起きるわけで、その説明はより高度な意味を持つものであるのか、まだ今のところ何もなされていない。 そこで、ギルバート・ライトが私に書いてよこした彼の意見・考察は紹介する価値があると私(Dr. Harlow)は考える。

 “I am coming to the conclusion that the task of psychic research is futile. The higher can never be expressed in terms of the lower. We cannot understand clairvoyance until we become clairvoyant ourselves; then no explanation is necessary. Science, reasoning, intelligence are but tools that we use to compensate for our lack of `sight` or `insight`. Science has to arrive at her conclusions the hard way. In the words of Claude Bragdon: “The consummation devoutly to be desired is not the pushing to the limits of the possible in the physical world, but the expansion of consciousness itself.”

 私は、サイキック・リサーチという仕事には、意味がないという結論に達した。 Higherより高次な次元 はLower低次元のモノからは説明されえない。われわれはClairvoyantに自分がなってみないと、Clairvoyanceを理解することはできない。そして、そうなれば、もう説明の必要はないわけだ。科学とか理由づけ、知性とかは、我々に欠けている視力や眼識を補うために必要な道具である。科学は苦労して、そういう結論に到達することになる。Claude Bragdonの言葉を借りると、こういうことだ。「敬虔にだれもが望む到達点とは、物理的な世界で可能性を極限まで推し進めることではなく、意識そのものを広めることである。」
ーーー --- ---
 ここでは、Apportsを中心に、Independent WritingIndependent voiceなども含めて、サイキック現象とそれをめぐる体験者の考察などをDr. Ralph Harlowが紹介しているところをたくさん引用して、ここに紹介した。

 このDr. MacbethFather Tobeというコントロールはすごいと思う。つぎに紹介するArthur Fordなどのほうが、世間的には有名になり、スキャンダルもうまれたが、こちらのほうがより内容豊かで、真実さに富んでいるように思える。Arthur Fordの場合は、Independent Voiceでなくて、いつもFlectcherというコントロールが、Spiritsがこう言っているというかたちで、伝えるわけで、それはテレパシーでつかんだ情報だともいえないわけではないが、このDr. Macbethのコントロールのように、Spirit本人の声を伝えることができれば、まさにNandor Fodorがお父さんの声を聞いて、別な次元の存在を確信したというのもわかるような気がする。

 Arthur Fordも、このDr. Harlowが接した限りでは、すばらしいサイキックぶりを発揮するわけだが。次回につづく。

村田茂太郎 2013年1月25日、28日