ある年の国語文集―1989年度 サンタモニカ校 中学2年1組 その3-2
第3号の残りの部分です。あさひ学園のクラスメートがアメリカン・スクールでのクラスメートであるのか、いくつかの文章のなかにクラスの生徒の名前がでてきます。別にそのままでもいいと思いますが、一応、念のため、〇や△、☐などにしました。
あさひ学園の生徒がアメリカン・スクールでもがんばっているのを知ることができたのもしく思いました。
マジック・マウンティンという名前が出てきますから、この子供たちと、ある日曜日、Magic Mountainsで一日を過ごしたのだとわかりました。この時は、目玉にあたるジェットコースターが修理中かで動いていなくて、私自身少しがっかりしたのを思い出します。
まだ、あさひ学園がVirgil校一校であったときにも、小学6年生であった子供たちとアナハイムのDisneyland に合流したときがありました。そのとき、子供たちはスピードの出る乗り物が大好きだとわかりました。おかげで、その種の乗り物すべてに乗ったように思います。
別の学年の子供たちも立派に成長して、あるひとはアメリカで弁護士になったり、工学博士 Ph.D.になったりしているようですから、みながんばっています。
国語文集はただの作文集でなく、その人の個性や生活を表す大切な資料と言えます。ある親が子供に、この文集を大切にしなさいと言っていたというのをきいたことがあります。わたしも、今こうして、昔の文集に接して、まさにプルーストの「失われた時を求めて」のように、過去が蘇ってくるのを確かなものと感じます。
村田茂太郎 2013年3月9日
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