「心霊現象の科学」をめぐってーその65「On the Fringe of the Para-normal」 Bonnie Golightly を読んで
これは奇妙な本である。著者の名前がすでにおかしい。どこかで聞いたことがあるLast Nameだと思っていたら、その通りで、Truman Capoteの“Breakfast at Tiffany”の主人公の名前であった。
オードリー・ヘップバーンのおかげで、有名になりすぎた映画ができ、Tiffanyの名前も素人にまで知れ渡った。ただし、レストランではなくて宝石商として有名だとは私は知らなかった。Breakfastというから有名なRestaurantだと思ってしまっていた。
どちらが先かということで、Internetでサーチすると、このBonnie GolightlyがCapoteと映画会社を訴訟して、敗訴になったことがわかった。つまり、自分が小説のモデルだとかという争議であり、これからすると、本名がGolightlyであったらしい。1919年生まれだから、小説発表の1950年代後半よりは、はるかまえに生まれた人である。
名前はともかく、自分がモデルだというのもおかしな話で、このCapoteのなかのヘップバーン Hollyは、きれいで、Tiffanyという名前に合う感じの女性になっているが、Capote自身は、Prostitute娼婦ではなくて、American Geisha芸者のようなものだと説明したらしい。実際的には, 永井荷風のいわゆる私娼(墨東奇譚)的な感じで、金持ちの男をさがしているような感じであり、小説ではDrugのとりつぎでもやっている感じがし、いわゆるまともな女性ではないといえる。Office GirlとかBusiness Womanなどでなく、1950年代に出てきた新しいタイプの女性であったのかもしれない。もっとも、オードリー・ヘップバーンの演じるほかの映画、たとえばケーリー・グラントと出演した Charadeシャレードなどでは、殺された夫について、職業についても何についても“I don‘t know”ばかり返事するという、わけのわからない妻を演じて、そういう役割が似合うような女性を演じるのが得意であったといえそうである。
この本(サイキック回想録“On the Fringe of the Para-normal超常現象の縁で”)を書いた女性Bonnie Golightlyは作家であったらしく、いわゆるアメリカ文学史に残る女流文学者のレベルではなかったが、三文小説 Pulp Fictionをたくさん出版したらしい。Internetで調べると手に入れることは可能なようであるが、数が少ないため、今では内容はともかく、稀覯本みたいに高いものとなっている。Pulp Fictionも馬鹿にはできないということは、日本の作家・村上春樹が1920年1930年代のホラー・SFジャンルで活躍したという作家デレク・ハートフィールドの作品を愛好し、村上春樹の小説志向の原型を形作ったということからもわかる。
このPara-normalはある種の自伝であって、興味深い話が書かれている。彼女自身はそれほどサイキックではなかったようだが、ある種のサイキックはもっていて、娘がちゃんとGhostsを見分けることができたという。彼女自身はそこまではいかなかったようだ。が、そのうちに、あるGhostが見えるようになったともいう。
特に興味深かったのは、大学の心理学教授(行動主義心理学者)であったという父親が一度だけ出遭ったGhostの話である。特にサイキックではなかったという父親の唯一のサイキックな経験だとか。大学生の時に見た夢として語られている。
マントルの上の時計が急に止まったので、目覚めた(夢の中で)。
Though still sleeping
in actuality, he thought he looked up to see a short, stout gentleman with
sandy hair and sandy beard staring down at him. Then he noticed that his dream
visitor was holding the pendulum still by the crook of and oiled cane which he
carried. “Who are you? What do you want?” my father asked. “Why have you
stopped the clock?”
実際はまだ眠っているのだが、彼は見上げて、背の低い、がっしりした、砂のような毛色をし、砂のようなひげを生やした男が彼を見下ろしているのを見たように思った。そして、彼は夢の訪問者が時計の振子を油ぽい杖で抑えているのに気が付いた。お前は誰だ、何の用だ、なぜ時計を止めたのだと私の父はたずねた。
“I have stopped time to give you a message for your roommate, my son,
Harry.”
わたしが時間を止めたのは、お前のルーム・メート、つまり私の息子にメッセージを伝えたいからだ。
My father waited, then
the old man went on. “Tell him that I can’t find my spectacles, that I want my
spectacles.”
私の父は待っていた、そうすると年老いた男はつづけた、わたしのメガネが見当たらないと伝えてくれ、と。
As the guest seemed on
the verge of releasing the pendulum, my father asked, “Is that all? Do you have
any message for me?”
この見知らぬ訪問客が振子を放そうとしたので、私の父はたずねた、それだけか?私へのメッセージはあるのかい、と。
The visitor seemed to
consider, “Yes, I do have a message for you. Beware of Stone’s River!” Then he
was gone, the clock began to tick again, and my father woke up.
訪問客は考える様子であった。そうだ、わたしはあんたにもメッセージがある、Stone Riverに注意しなさい。そして彼は去った。時計は時刻を刻み始め、父は目が覚めた。
As he used to tell it,
Harry went white when my father gave him the message upon his return. It was
correct in every detail. Harry’s father had been a short, stout sandy-haired
man with sandy beard; he’d been fond of clocks and he had habitually walked
around with an oiled cane. He had died some years before and had been buried
without the spectacles which he always wore.
父はメッセージを告げることに慣れていたので、そのメッセージを帰ってきたRoom Mate の Harryに告げたところ、Harryは顔面蒼白になった。Harryの父親は背が低く、がっしりしていて、砂のような色をした髪の毛と口ひげをはやしていた、そして時計が好きで、習慣的に油っぽい杖をもって歩くのが常であった。彼は何年か前に亡くなり、彼がいつも身に着けていたメガネをつけないで、葬られたのであった。
But what of the message
the old man had given my father for himself? He could not make it out. The
college where this had taken place was in Connecticut; no Stone’s River there,
nor back home in Illinois.
しかし、この老人が私の父に残したメッセージはいったいなんであったのか。父には何のことかさっぱりわからなかった。このことがあった大学はコネチカットにあったし、そこにも、そして出身地のイリノイ州にもStone Riverなどなかったのである。
He did not make the
connection until years later-not until he moved to the very town in Tennessee
where two of the bloodiest battles of the Civil War had been fought, the Battle
of Stone’s River.
彼は何年もたつまで、このことに関係づけることができなかった。テネシー州のまさにその名前の町に住みうつるまで。そこは南北戦争のなかでも二つの最も凄惨な戦いが行われたところ、Battle of Stone‘s Riverが闘われたところであった。
And that is where I grew up and where
he grew old.
そして、そこで私は成長し、父も年老いていったのだった。
Bonnie GolightlyはOuija Board(ウイジャー・ボード)をいじるのが好きで、100年ほどの古さの建物を借りてひとりで移り住んだ時、いろいろな怪事件が発生した。そこで、噂のとおり、Haunted House幽霊屋敷だとわかったわけで、ここはFictionでなく、彼女のなまの回想なのでとても面白い。
特に、セミ・プロのMediumといえる男性と知り合って、(なぜセミ・プロなのかという説明はあとでわかる。)その男から、彼が感じ取ったという、その家の中のGhostsとその反応が面白い。このMediumは家に入るなり、いっぱいGhostsが一緒にいるのを感じ取ったようである。
“Tell me,” I asked. “Do
you see anybody in this house?”
私はたずねた、この家に誰かいるか教えてくれる?
“Oh, yes,” he said at
once, “I saw somebody the minute I walked in the door.”
やあ、もちろん、私はドアーを入るなり、だれかを見た、と彼はすぐに言った。
“Who?” I asked, and we all waited breathlessly.
誰を? 私はたずね、みんな息をするのも忘れて待っていた。
Wesley gave me an
uneasy look. “Really want to know?”
サイキック、ウエスリーはどうこたえていいかわからないような様子をし、本当に知りたいの?ときいた。
“Certainly, I do,” I
said seriously, for certainly I did.
もちろんよ、と私はまじめに応えた、実際、そうだったから。
“It’s a woman. She’s
hanging at the top of the stairs in the hall on the second floor. She’s dressed
in a late nineteenth century costume-rather gaudy, with a floral print.”
女だ、二階のホールの階段の上で首をつっている、彼女は、19世紀後半のむしろ派手な、花模様のついた衣装を身に着けている。
We all gasped. “Good
God,” I said faintly, feeling shaken and sick.
私たちはみな息をのんだ、まるで、震えと病とでかすれたような気分で、“おお、神様!”と叫んだ。
“There’re others too,” he went on. “Over there in the corner there’s a
man-in his sixties, I’d say-a big, hearty man, with a very red face. He’s
grinning at us most of the time tonight. Not a pleasant grin either, but not
vicious-he was probably practical joker.”
ほかにも居るよ、そこのコーナーには60代の男がいる、どちらかというと大きな、力強そうな、大変赤ら顔の男だ、今晩は、ほとんど、彼は我々を見てにやりとしている、楽しげな表情ではないが、べつにアクドイというわけではない、どちらかというと実際的なJokerおどけ者といったところだ。
As for spooks, he listened very soberly to what I told him with the Ouija
board, and about my blood-chilling first night in the house.
幽霊のことに関しては、彼は私の話をたいへんまじめに聞いていた、わたしはウイジャー・ボードでの体験を話し、この家での最初の夜の、血も凍るような体験を語ったのであった。
“They were just testing you,” he said. “They won’t bother you. They like
you very much and they’re glad that you’re occupying the house. And they’re
delighted with your friends and the people you have around all the time.”
彼らはただ、あなたをテストしているだけだ、あなたを困らせるようなことはないだろう、彼らはあなたを好んでいるようだ、あなたがこの家の住人になったことを喜んでいる、そしてまた、あなたの友人たちも、そしていつもあなたのまわりに居る人たちをも喜んでいる。
I felt positively flattered; imagine, little me, the darling of the
spirit world!
私はまじめに喜ばしく思った、想像してご覧、ちっぽけな私が、このスピリットの世界でかわいがってもらっているわけだから。
“But don’t make fun of them, though,” he warned. “They are very
sensitive.”
しかし、決して彼らをからかわないように、彼らは非常に繊細な感受性を持っているから、と彼は私に忠告をくれた。
Soon after the sudden death of a close friend whom the Warlock hadn’t
known, I was to discover just how sensitive indeed they were.
このサイキックな男が知らない、私の近しい友人が突然亡くなったすぐあと、実際かれらがどれほど神経がこまやかなのかを発見することになった。
彼女(Bonnie Golightly)は親しかった友人が急に亡くなり、その兄弟からPaintings, Etching, Lithographsなど、その友人の蒐集したものを貰い受けた。そのなかに“Children’s Revolt”(子供たちの反乱)という有名な物語の、あるシーンをイラストしたのにつかわれたLitho があり、内容はGruesome恐ろしげなもの であったが、Technically Superb技術的にはすばらしく、友人のものであったということで、Dining roomに降りる階段の上に、ほかの作品と一緒に飾った。絵は、女が扉のところで首をつっていて、二人の子供がその辺で遊んでいて、女のほうをみてにやりとしているというものであった。それを見たサイキックは、絵を飾ったその日に”すぐに取り去りなさい“と忠告した。
“Why?” I asked, quite puzzled.
どして? と、まったく訳が分からなくてたずねた。
“The hanging woman doesn’t like it.”
首をつっている女が好まないからだ。
“But I do,” I said.
でも、私は好きよ。
The next morning just before dawn I was awakened by an awful crash and
sped downstairs to find that the picture in question not only had fallen off
the wall, crashing its glass to bits as it fell down the stairs, but had taken
along some others in its path-for good measure. I was furious. All the fallen pictures had badly
damaged frames. Defiantly, I hung the whole lot up again, after doing what I
could by way of unprofessional repair, and made sure they were really solidly
installed this time.
翌朝、丁度、夜明け前、私はものすごい壊れるような音がして目を覚ました、そして階下へと突進した、問題の絵が壁から落ちて、階段から落ちる途中ガラスが粉々にくだけただけでなく、その落ちる道連れとしてほかのいくつかも巻き添えにしてしまったていた。わたしはかんかんに怒った。すべての落ちた絵はフレームがひどく壊れてしまっていた。わたしは、挑むような気持で、私にできる素人のやり方で修理をして、今度は本当にしっかりととめた。
The next night, of course, the same thing happened, but this time,
mysteriously, the hanging-woman picture went all by itself. The violence of
hurtling was unmistakable, both from the sound of it and the damages. And yes,
I was beginning to have second thoughts about my defiance. Wesley came by and I
told him what had happened, and produced the evidence. “Better rid of it
immediately, “ he advised.
次の夜、もちろん、同じことが起きた、しかし今度は、不思議にも首つり女の絵だけに変化があった。その音と破壊の様から判断して、びゅっと飛ばしたその荒々しさはあきらかであった。わたしはどう扱おうかと考え始めていた。そうするとウエスリーがやってきた。私は何が起きたかを説明し、その証拠を見せた。すぐに取り除きなさいと彼は忠告した。
“What can she do to me?” She’s doing the harm to herself,” I said,
exhibiting my last shred of stubbornness. “After all, this is my house. She’s
my guest, so to speak.”
彼女にいったい何ができるの、彼女は自分を傷つけているだけじゃないの、と私は自分の頑固さの片りんを示しながら言った。結局、ここは私の家で、彼女は私に言わせればただのゲストじゃないの。
“It’s not her picture,” he reminded me. “It would be better for you if it
were. She thinks you’re making a joke of her. And as for being your guest, well,
your guest can set your house on fire. And probably will.”
彼女の絵でないからというのではない、もしそうだったら、あなたにはそのほうがよかっただろう、彼女はあなたが彼女をからかっているのだと思っているのだ。それから、あなたの家のゲストだということについては、あなたのゲストは家に火をつけることもできるのだ、そして多分、そうするだろう。
That did it. I had no intention of having my nearly completed house set
on fire by poltergeist, accident, or coincidence. Besides, the picture was not
pleasant and I could well live without it. I arranged for it to go on “permanent
loan” to a friend who rather liked it. The Warlock one day announced that the
hanging woman on the stairway had gone, “Where to?” I asked. “Don’t know,” he
said with a shrug, “But I believe they’re all going to leave.”
それを聞いて、きまった。私はほとんど完成しそうになっている家をポルターガイストや事故、あるいは偶然ということで火事でなくすつもりはない、おまけに絵は楽しいものではなかった、それなしでも充分やっていけた。私はその絵をその絵を好きだという友人の一人に永久貸与という手配をした。サイキックはある日、階段の首つり女はいなくなったと告げた。どこへ?知らないよ、彼は肩をすくめた、しかし、どうやら、彼らは全員、去る様子だ。
“Why?” I wanted to know.
どうして? 私は知りたかった。
Once more he shrugged, “Something about the house,”
もう一度、彼は肩を竦め、多分、何か家のことで、と言った。
“Don’t they like it here any more?”
彼らは、もうこの家を好まないのかしら?
“Sure, they do. At least I think so. But I have a feeling they’re going.”
たしかに、彼らは好いていたよ、少なくとも、私はそう思う、しかし、彼らは去っていくという感じがする。
Over the course of the next few months, he reported another departure,
and another. Then the thing that I, and the occupants of the tenement house in
front had feared would happen, did happen – the Housing Authority notified us
that the landlord wanted to put us out and close the buildings. …
それからの二-三か月の間に、彼は別のが去って行った、また別のが去って行ったと私に報告した。そして、私と家の前のほかの住人が心配していたことが起きた、家主が私たちを追い出し、ビルを閉鎖したがっていると政府の居住問題関係者から通知があった。
A few weeks before I moved, the Warlock announced one day that except for
living occupants, the house was now completely deserted.
私が移動する何週間か前に、サイキックはある日、生きている住民以外、この家には何もいなくなったと告げた。
“Spook-free at last,” I said rather sadly. “It won’t be the same.”
幽霊はなにもいなくなったわけね。そうなると、同じじゃないね、とわたしはむしろ悲しそうにこたえた。
“Oh, you may hear from them again,” he said, “Somewhere, sometime.”
やあ、また彼らからコンタクトしてくるかもしれないよ、いつか、どこかで、と彼は言った。
家を出るにあたって、借りるつもりでいたアパートをやめて田舎のほうに家を借りることに決め、必要でないものは倉庫を借りて入れることにした、その家を出る二日前に、友人が例の”絵“を返してくれたので、ほかの絵と一緒にバレルに入れて、倉庫にしまって、もうそのことは忘れていた。それは夏のことであったが、秋にニューヨークにもどると、私の倉庫で火事があったとわかった。わたしの所有物は水でかなりダメになった。このときは彼女はその関連に気が付かなかったが、あるとき聴衆に自分がすんでいた家にいたSpirits ゲストについて話していた時、その関連に気が付き、あとでサイキックにそのことをたずねたが、例のごとく”Who knows?“どうだかね、という返事であった。
― - - - -
ここに語られたGhostsの話は重要である。
父親の唯一の体験というまさにサイキックな夢、そして予告。ここで、わたしが不思議に思うのは、その幽霊としてあらわれた男が、めがねが無いというメッセージを伝えるためにあらわれたということで、これは、エジプトや日本そのほか各地で死者を埋葬するのに所有物を一緒にいれて埋葬した、そして日本では埴輪がつかわれたということなどと関係があるように思われる。また一方、このブログの心霊現象の科学の最初のほうで紹介したJess Stearn のサイキック(Maria Moreno "A matter of immortality")が語った、“お墓には何もない”という話と関連させると、どうなっているのかと思う。自分が必ず身に着けていたメガネを身に着けないで葬られて、Spiritが注文を付けにくるということは、どういうことなのか。メガネなど必要でないSpiritになっているのではなかったのか。そして、今更、メガネといわれても、どうしろというのだろう。お墓に葬った場合は掘り起こして、入れなおすということは可能だが、火葬の場合はどうなのか。わけのわからない話である。
Stone River の話は、まさに予知といえる。それも、かなり先の未来が、どうしたことか、Spiritにはわかったということは、予知の意味について考えるとき、大事な例証の一つといえるかもしれない。
彼女のふるい家にすみついていたSpirits達は重要な事実を伝えている。まさに、Earth Boundこの地上世界に密着したSpiritsがいるということ、まるで天井にはりつく蜘蛛の巣のように、旧い家に密着して存在し、まるで生きているかのように、反応し、感情をもち、しかもPoltergeistとしてある種のエネルギーで額に入った絵を物理的に投げ壊す能力・エネルギーを保持していること、場合によっては火事までおこさせるちからをもっているということ、などがここに語られていた。そして、その家が近いうちに取り壊しになるということを事前にキャッチして、家に住み着いたGhostsが先につぎつぎに家を出て行ったという話。(サイキックが最初にこの家に入ったときの印象では、この家には20を超えるSpiritsが一緒に住んでいるとのことであった。)そして、ホンモノのサイキックにはそうしたSpiritsの存在をキャッチできるということ。
Life after Death があり、肉体を離れたSpiritsが、別の世界、別の次元に移行しないで、自分が死んだことも知らないで、自分がかって住んでいた家にへばりついているというのは、まさに地上に密着したあわれなあり方で、こういうことにならないように、我々は“チベットの死者の書”のような、次の次元を調査した研究書をよく勉強しておく必要があるように思われる。これらEarth Boundのスピリットがあるということは、まさに人間は死んだ後も意識と感情をもった個性ある存在でありつづけ、別の発展を期待されているといえる。
D. Scott Rogoの研究(「Man Does Survive Death」 その他)によると、ホンモノのGhost Houseといえるものにはなかなかぶつからないそうである。なんらかの原因で音を立てているケースがほとんどだとか。しかし、彼はみな嘘だといっているわけではない。本物のGhost Houseというのは存在するのである。この著者が住み込んだ100年の歴史をもった家もそうした本物のGhost Houseであったと思う。そうして、このGhostの研究はやはり人間の死後の世界の在り方の研究につながるものであると思う。
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この本は、個人のなんとなくサイキックな人生をふりかえった、それなりに面白い、大事な本である。おおげさに扱わないで、しかも、本当にGhostHouseが存在し、それがどのようになっているか、Life after Death を正面からでなく、付属品から証明しているような感じがする。そういう意味でも、小品ながら、重要な本である。
さらに、ここにあらわれたサイキックの語る話、次に述べる体験談がとても重要である。それは、彼がなぜホンモノのサイキックでありながら、Semi-proというStatus、つまり、この本の著者をサイキックとして助けたりしながら、ほかの職業で生活しているありかたを続けているかという話である。
いつものことながら、無断で引用・紹介という展開をした。悪用しているわけではないということで、著者または版権所有者のご容赦を乞う。
つづく。
村田茂太郎 2013年3月1日
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