ある年の国語文集―1988年度 パサデナ校 中学1年1組 その5-2
第5号のつづきです。
夏休みのあとの作文なので、どこかへ旅行した紀行文・感想文がほとんどです。
日本を訪問した生徒もいます。
1988年頃といえば、まだバブルが崩壊する前で、日本は表面上、繁栄していて、ロサンジェルスにはたくさんの日系企業(銀行・商社その他 等)が存在し、補習校の生徒の数も2千人以上いたはずで、学校もいくつかにわかれていました。
あれからバブルがはじけて、この子供たちはどうなったのかと思います。企業に大変化があったのはたしかですから。
わたしが働いていた日系商社も、わたしがいた間はそんなに大きな変動はなかったのに、エルパソで働いていた間に、サイズが五分の一ほどに縮小したと知人が教えてくれました。
企業が厳しい状況におちいると、皺寄せは子供たちにまで影響しますから、大変です。
ともかく、このころは、恵まれていて、一時帰国もアメリカ旅行も、なんでもできたよい時期であったということを今、思います。
村田茂太郎 2013年3月13日
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