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8/26/2012

ブログ表紙写真 27回目 Niagara FallsーUSA, Canada

ブログ表紙写真 (27) Niagara Falls -USA, Canada

写真はCanada SideのTowerの上からみたもの。

 有名なナイアガラの滝はカナダとアメリカの国境にあります。
アメリカはNew York州のBuffaloという街から近いので、ふつうBuffalo空港におりたちます。

 Buffaloは大雪の降る寒いところですが、Lakeと滝と川があり、自然が美しいところです。

 ロサンジェルスからは、まずシカゴに飛び、それから別のFlightでBuffaloに飛びます。
Buffaloにつけば、まずレンタカーをしてカナダ側にわたります。もちろん、移民局に申請が必要です。しかし、アメリカからの観光客はカナダ政府の大事な財源なので、簡単にはいれます。

 ともかく遠いので、名前は有名でもなかなかナイアガラ瀑布をみる機会はありません。

 わたしはエルパソ時代の社長が日本に帰られてから、ご夫妻でナイアガラ、バンフーカナディアン・ロッキーの旅を実行されるということで、ナイアガラ瀑布見学でのChauffeur運転手を頼まれ、ナイアガラまでの飛行機代と一泊代は支払ってくださるということで、Buffaloまで飛びました。空港でお会いしてレンタカーをし、カナダへわたってチェックイン。そして、観光というかたちをとりました。

 次の日、ある程度ナイアガラ瀑布観光を納得されてから、おふたりと別れ、わたしはもう一度カナダにわたって、まだ見切れていないものを見るのに一日つかいました。カナダで二泊して、わたしも納得してBuffaloをあとにしました。

 ナイアガラといえば、わたしには中学二年生のころから、名前だけは親しんだものでした。Puppy loveで大好きであった女の英語の先生が、途中でご結婚ということで、退職され、そのあと、ナイアガラ瀑布を背景にした写真が一枚中学校の学校新聞に載りました。

 今から考えると、1956年ごろにアメリカにわたる職業というのは、外交官・銀行・大商社その他の限られた職種であったはずで、わたしが1972年アメリカで働き始めたころとは、大分様子が違ったと思われました。1972年ごろはすでに日本の大商社・銀行などは沢山アメリカに進出していて、日本語補習校なども出来始めていたほどです。

 1950年代とは、アメリカではアイゼンハワー大統領の時代で、すぐそのあと1957年、ソ連が人工衛星をうちあげ、宇宙競争の時代へと突入していったのでした。

 ナイアガラ瀑布の管理に関してはFrederick Law Olmsetdというひとがアメリカでは大事な指導・管理をおこない、おかげで、アメリカ・サイドはあまり観光業者に荒らされない、みごとな自然管理を示して、カナダ側とは対照的です。

 カナダ側のほうが滝のViewは雄大ですばらしいのですが、観光客を目当てにした娯楽企業が幅を利かしていて、まあ、今となっては仕方がないとはいえ、Visionのあるマネジメントの大事さを感じます。

 写真は表紙写真のほかに、アメリカ・サイドの滝と両方の滝が見える写真も添付しておきます。
カナダ側に高い塔が立っていて、わたしは上にあがりました。上から見るとLakeから流れてくる全貌がよくわかり、これは見る価値がありました。

村田茂太郎 2012年8月26日



Niagara Falls, View from Canadian side Tower


Niagara Falls, American side
 
Niagara Falls、Right Canadian, Left American side






 

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