京都の二条城はもともと私は好きでした。広大な空間と見事な庭園、そして狩野派の障壁画など、どれも見ごたえがありました。
保津川くだりを計画してもらったときも、前日、京都で一泊して、わたしがひとりで東山を歩き回り、午後、南座前で待ち合わせて、その後の行動を共にしました。二条城と北野天満宮訪問です。
二条城は何度か訪問したことがありましたが、北野天満宮の方は菅原道真ゆかりということで、名前だけは有名で、一度も訪問したことはありませんでした。
実は北野の紅梅庵とかという京料亭で夕食をご馳走になる事にきまっていたので、楽しみにしていました。わたしは量は少なくても品数の豊富な食事が大好きで、お弁当なら幕の内、お金の余裕があるときは懐石料理と食べる物はぜいたくでした。ないときはインスタント・ラーメンだけとか。あるいは、食べないで済ませるとか。
二条城の大広間で徳川慶喜は大政奉還を発表したそうです。徳川家康は、京都御所の守護と上洛の際の宿泊所として1603年に建てたとか。桃山文化を代表する建築物のひとつです。
北野天満宮は大宰府に左遷した菅原道真の怨霊が京都に自然災害をもたらしているといううわさを恐れた藤原氏が道真をまつったといわれています。大体、人間で祭られている場合はたいてい非業な死に方をしたひとで、権力者がたたりをおそれて祭り上げたとのことです。
道真は有能な学者であったため、受験勉強に悩む学生が入学試験合格の願をかけにくることでも有名です。また、梅が2000本植わっているとのことで、2月ごろは梅の花見でにぎわうようです。
近くには上七軒という京都最古の花街があったとか。
ともかく、京都は歴史が旧く、どこを向いても史跡、旧蹟に富んでいます。
ホテルからの京都の町のViewはビルばかりが目だって、アメリカのNational Parkのように管理された建築がなされなかったのが残念に思われる光景でした。アメリカの場合はNew Mexicoの場合などは、モーテルでさえAdobe風にとか、ともかく、周りの自然に対して異質な感じを与えない建て方が要請されるのに対し、日本では許可も必要ないのか、勝手に建てたと思われる街並みになったのは残念です。
村田茂太郎 2012年9月1日
二条城バス停 |
北野天満宮前 |
ホテルからの朝のView |
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