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11/09/2014

ブログ表紙写真 その142回目 無隣庵 東山 京都 Japan

ブログ表紙写真 その142回目 無隣庵 東山 京都 Japan

 むりんあん は明治の元勲 山県有朋 やまがた ありとも (1838-1922)の別邸であったという。長州の奇兵隊あがりという低い身分から陸軍大将、元帥、内閣総理大臣と歴任し、保守政治家として位人身をきわめたといえる人物で、合法的に立身出世したとはいえ、明治版太閤秀吉のような存在であったといえる。

 この むりんあん 庭園は広大な敷地にみごとな様式の庭園を設定したもので、山県有朋みずからの設計だとかという。まあ、立派なものである。京都にこういうものがあるということを2005年まで私は知らなかった。銀閣寺から徒歩で哲学の道に沿いながら東山のあちこちの寺社を訪問し、あるきまわっていて、この無隣庵を見つけたのであった。まあ、今はこうして、私邸であったものが、一般公開されているということは、いいことであると思う。彼がダイヤモンドや金塊の収集にその富をつかっていたら、我々はこういうすばらしいものに接することもなかったということになる。

 日露戦争前夜、戦争決定をめぐる重要な秘密会議がこの「むりんあん」のなかの建物でおこなわれたと表示されていた。開戦を決定したとのこと。長州孤立の危機の中で奇兵隊員のひとりとして戦っていた男にとって、大国ロシアと戦争を挑むまでに成長した日本をふりかえって、感慨深かったにちがいない。

 樹木が多く、水、流れ、滝があり、岩や飛び石もあり、すばらしいものである。奇兵隊の山県有朋のどこにこういうものを作るセンスがあったのかと不思議に思うが、彼は明治の初期にヨーロッパを訪問しているくらいだから、丁度、外国を見知って自国がよくわかるように、彼も日本庭園のよさを改めて認識し、自分の庭を造りたいと思ったのかもしれない。彼の自己発見につながったヨーロッパ訪問であれば、それなりに意味があったわけだ。

 参観者は多くはなかったが、外人も訪問して、ゆっくり、ていねいに見ていた。気に入る外人は多いと思う。ともかく、すばらしい。

 むりんあん と称するからには、当初は、まわりには何もなかったに違いない。今はどうか。むりんあん としてKeepするためには、むりんあん の土地だけでなく、周りの膨大な土地も購入して何も建てさせないようにしなければ、名前負けするに違いない。どうであったか?

 永観堂をみて、琵琶湖疏水の近くに、たまたま むりんあん を見つけたので、住所を調べると 京都市左京区南禅寺草川町31となっていた。

村田茂太郎 3014年11月9日

むりんあん 正門











やはり日本人らしく、滝がセットされていた。この滝は有名らしい。


これが日露戦争前夜の秘密会議があったというビル

ここで日露戦争に関する密談がもたれた。

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