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11/23/2014

ブログ表紙写真 その144回目 大阪市立天王寺公園、大阪Osaka Japan

ブログ表紙写真 その144回目 大阪市立天王寺公園、大阪Osaka Japan

 大阪市天王寺区に位置する天王寺公園は市立美術館、植物園、動物園、水の広場、小河の小路、バラのアーケード などを擁する282Ha(ヘクタール)の大きさの立派な公園です。

 昔は入園料は要らなかったはずですが、2005年に31年ぶりに訪れたときは入園料が必要、つまりゲートつきの公園になっていました。

 ある意味では、入園料を取ることで、管理費をある程度まかなえるかもしれないし、浮浪者が簡単に入って、いたずらをするようなことを防げるつもりかもしれません。

 昔と比べて、水の広場ができたせいも合って、だいぶ変わっていました。植物の手入れもゆきとどいていて、Begoniaが木のように成長しているのを見ておどろきました。そういえば、条件次第では、ひまわりのような草もPointsettiaのようなものも、りっぱな樹木に成長するのをCaliforniaの Channel Islands National ParkやSanta Barbara, Montecitoで見ました。ベゴニアが木のようになっても不思議ではないかもしれません。

 わたしはこの天王寺公園には子供のころから何度も訪問し、家族や友人と歩きました。動物園も美術館もおとずれ、植物園の温室は私の大好きな場所で、1974年京都大学時代のクラスメートが岡山から会いに来てくれるというので、待合場所を植物園の温室に決めたほどでした。この話は私の本のなかの「心霊現象の科学への私の歩み」というエッセイに書き、先日、このブログで公開しました。

 茶臼山(ちゃうすやま)という小高いところがあり、黄緑色の池があって、昔から亀を沢山見かけました。ここで、父から豊臣家滅亡となった1614年大阪冬の陣、1615年大阪夏の陣の攻防が激しく戦われたという話を聞きました。激しかったはずで、冬は家康の本陣が、夏は真田幸村の本陣があったところなのです。父から聞いた話では、もうちょっとで幸村が家康を討ち取るところであったとか。ともかく、日本はどこも史跡に富んでいますが、この大阪城攻防の話だけでなく、この茶臼山の形自体が前方後円墳らしいといえましたが、事実5世紀のころのこの地方の豪族の古墳であったとか。前方後円墳は大阪府堺市の仁徳天皇陵が最大で、もっとも有名ですが、大阪市の中にも古墳があったということでした。

 天王寺公園に水の広場、つまり特別な噴水装置をつけ、ブロックを組み合わせたような特別なセットができたのは、天王寺博覧会が1987年に開かれたときだそうです。この水の広場はハトも喜んでいるようで、わたしも気に入りました。沢山、その写真をここに載せました。本体の天王寺公園は1909年明治42年に開設したそうです。緑が少なくなっている大都会で、この公園と長居公園、大阪城公園などは貴重な都会のオアシスだと思います。

 この公園は昔から洋式のModernな公園であったようです。

村田茂太郎 2014年11月23日






天王寺公園、入り口から入ってすぐ。これはナントBegoniaでできた塔



こういうかたちの噴水は昔からあったことを覚えています。
もちろん、よりきれいに整備され新しくなっていますが。


これが水の広場というもの。Backは確かあたらしくできた(昔に比べて)温室


石組を利用した芸術的な泉水


水の広場 Backに立ち並ぶ泉水と温室




ベゴニア


ベゴニアが潅木のように成長

みずのひろばの噴泉。なんとなく幻想的ですばらしい。刻々と噴霧、水流が移り変わる。






これは槿・ハイビスカス科

天王寺・阿部野橋方面のView



大阪市立美術館 父母からミラノ展があると知らされ、訪れました。


有名であった通天閣がみえています。

茶臼山と池


茶臼山へ
亀は長生きするとか。
もしかして、私が60年以上前に見た亀もまだ生きているかもしれません。
保護された環境で、まあ、悪くはない生活環境です。




通天閣と茶臼山の位置がわかります。



入園料を払わねばならないせいか、人ごみは少なく、
私は気に入りました。阿部野橋や天王寺駅のビルがすぐ近くに見えています。
もうちょっと待って、この噴泉も見るべきでした。


これは日本式庭園というよりも様式ガーデンだと思います。

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