「心霊現象の科学」をめぐって ー 雑談 人生の意味は・目的は何か、Parapsychologyの現段階?
フランスの戦後作家で、サルトルよりも先にノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュの哲学的エッセイに「シジフォスの神話」という作品がある。不条理を出発点と考えたカミュが、この本の冒頭で述べた言葉―“本当に重大な哲学の問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること。これこそ哲学の根本問題に答えることである。・・・ 自殺することは、ただ、人生が「生きるに値しない」ことを告白することである。・・・”(“不条理と自殺”)。
私のクラスメートが自殺した後、わたしはこのカミュの本を読んで考えた。本当にそうなのだろうか。自殺が哲学の根本問題であろうか?自殺者は、人生が生きるに値しないと判断したのであろうか?
80歳・90歳まで生ききったひとが、自分の人生を振り返って、「私の人生は生きるに値しなかった」とつぶやくのなら、まだ理解できる。だが、20歳にならない人生で、人生は生きるに値しないなどといえるのであろうか。最近では小学生・中学生の自殺が頻繁に起きている。彼らは、人生は生きるに値しないと判断して自殺したのであろうか。
クラスメートの自殺は、私に深刻な問題をつきつけた。それまで外在的な事件であった自殺が、自分の存在を揺るがすような大事件となって迫ってきた。
事故死、病死、老衰死、殺人、処刑、戦死・・・人が死ぬ死に方にはさまざまな形があるが、自殺だけはわたしにとっては、ほかの死に方と違って、納得の出来ない、謎をつきつけられたような、不可解な、意味不明なものであった。誰も、特に身近な人の死は悲しいし、苦しい。Grief悼み・かなしみ ということは誰も経験するものである。しかし、自殺だけは、悲しみだけでなく、“なぜ?”という疑問と、自分に何かできなかったのかという思いがいつまでも残る。
人は誰も死ぬものであり、それに限っては平等だといえる。人類始まって以来、生きながらえた人は居ないのである。そして、自殺以外の死に方は、なんとなく納得はゆくのであるが、自殺だけは“なぜ”という疑問が重くいつまでも圧し掛かってくることをどうすることもできない。
だがもちろん、理由の判明する自殺も多い。苦悩からの逃避とか問題に押しつぶされて逃げ場がなくなったとか、肉体的苦痛から開放されるためにとか、ある種の恐怖から逃れるためにとか。
私自身はクラスメートの、私にとって、わけのわからない自殺が本当に不思議で、それをめぐって私自身を苦悩のどん底にまで追い込んだといえるものであった。
そして、カミュの言う「人生が生きるに値するかどうか」という問題で、答えを自殺で示したのなら、それは間違っていると私ははっきり確信を持って返答できるという結論に達した。ただ、自殺は論理ではなく、衝動なので、論理的に否定できても、自殺を止めることは不可能だという結論にも達した。10年、20年しか生きていない人間が、人生は生きるに値しないなどという権利は無いというのが、まず、わたしの返答であり、若い人が、そういう考えで自殺を実行しようとするのなら、論理的に間違っていると主張することは可能なのだ。だが、自殺を決意した人間には、すべてが空しく映るから、論理的に説得可能とは思えない。
よくある、若い人の自殺は、やはり、ある種の苦痛、苦悩からの逃避であったに違いない。そしてそれは当然避けることも可能であったわけで、やはり、早まったということになるだろう。まわりの環境が問題であったといえるであろう。
さて、哲学の根本問題だかどうだかわからないが、人生が生きるに値するか、なぜ生きているのか、生きている目的は何なのか、生み出されたから生きているだけなのかと言った問題は重要である。
そこで、最近の心霊学的理解を元に、この地球に生きる生物の最高の形態としての人間にとって最大の問題―人生の目的・意味について考えてみなければならない。
これまで、私はこのブログで様々な問題を考えてきた。そして、いろいろな本を読んで、考えを深めた結果、最近、余談 のひとつとして、私が理解した“結論”らしきものを提示した。(「心霊現象の科学」-余談 “結論” 2015年10月3日、4日。)
最近書かれた様々な本によると、人間が生まれてくるのは偶然ではないらしい。昔なら、生まれた子供は成長して、自分が希望して生まれてきたわけではない、親の性行為の結果、生まれてきたわけで、自分が択んだ人生でないものに対して責任はもてない、と言いかえすようなこともありえたようである。しかし、今は違う。そういう責任逃れはゆるされない。子供は生まれるときに、母胎に魂が入る前に、自分でどういう人生を導くかを択び、それに合った親を択んで生まれてきたという。従って、生後どのような人生になろうと、すべて自分がわかって択んだものであるということになるらしい。すべて自分の責任である。
従って、生まれようと決意した時点で、一応、次の人生の目的は決まっていたわけである。では、なぜ人間は生まれてくるのか?それは“学ぶため”ということになるようだ。人生の目的とは学ぶことにある。では何を学ぶのか?いろいろなことを経験し、それによって学んでいくということで、苦しい人生であればあるほど、沢山のことが学べることになる。そして、最終は?無条件の愛、寛容、慈悲、赦し、などを学び、実行することにある。
仏陀が人間世界を眺めたとき、世の中は苦悩に満ちているとわかり、その原因は様々な欲望のせいだということで、それらを克服しないと、いつまでも生まれ変わって、この世の苦労を体験することになる。輪廻転生から脱却するためには、つまり、二度と生まれ代わる必要が無いようにするためには、悟りの境地に立つことが必要だと考えた。つまり、悪循環のカルマを抜け出すには、解脱が必要ということである。悟りの境地とは、無条件の愛、寛容、慈悲、赦しの世界である。
Reincarnationに関する研究も、どうやら、人間は無条件の愛・慈悲・赦し・寛容などを最終的に身につけるまで、なんども生まれかわるということを示しているといえる。逆に、仏陀やイエスやソクラテスやほかの偉い聖人たちは、その状態に達して死んでいるから、もう生まれ変わる必要は無く、いわば別の次元でMasterとして、Soulの育成にたずさわっているといえそうである。
We are
here to learn about love, compassion, kindness and non-violence. Success should
be measured by these qualities. (Brian Weiss, MD “Miracles Happen”.) 我々は、愛や同情心、親切、非暴力などを学ぶためにここにいる。
Meaning
or Purpose of Life is to have experiences. Life is about having experiences
that our souls are unable to have in the spiritual realm. (Bob Olson “Answers
about the Afterlife”.) 人生の目的または意味は何か?それはSoul魂がスピリチュアルな領域(あの世)では体験できないことを体験することにある。(エネルギー状態なので、苦痛も死の恐怖も感じない-ムラタ注)。
We are
all here to learn lessons. Once those lessons are learned and our purpose for
being here is met, we go home. (Josie Varga “divine visits”.) 私たちはすべて、ここにいるのはレッスンを学ぶためである。そして、いったん、学んでしまえば、ここに居る目的が達成されたわけで、私たちは家に帰ることになる。
肉体が滅んで魂が次の次元に移行すると、エネルギー状態になり、肉体がないため、苦痛も恐れも、快感も体験できなくなる。肉体があるため、人間は苦悩し、歓喜も悲哀も体験する。肉体を持つ人間に与えられた特権であるといえる。従って、さまざまな苦労も喜びも悲しみも体験することが、Soul魂 の成長にとって重要な課題である。苦労や喜び悲しみを体験した人でないと。ほかの人間に対して、同情も恐怖も悲哀も共感できない。魂の成長のためには肉体を供えた人間として、この世に生きることが非常に重大なわけである。これは次の次元(エネルギー的存在)では実現不可能な体験である。
すでに「心霊現象の科学」-その74 で紹介したRobert Schwartzの“Your Soul’s Plan”の冒頭に例示されたある女性のケース - UCLAで事務をしていた若い女性がメールをPick upしたら爆弾が破裂して、死ななかったけど大変な重症を負った。この女性は、のちにHandicapを背負いながらPh.D. 博士号を取得し、自分の不幸な体験を教訓として踏まえて、立派に生き延びたという話で、もっとも感動的な点は、この女性がメール爆弾を送った犯人を恨んでいない、犯人の心の平安を望んでいる、自分は犯人を赦しているということであった。そして、Robert
SchwartzがMediumをとおして、知ったことは、この女性が生まれる前の人生と親の選択において、彼女のSoulには、こんな人生が待っているということがわかっていて、それを択んだ、それが自分の魂の成長に必要だと判断して、生まれてきたということであった。もちろん、彼女自身は生まれながらの聖人ではない。Elizabeth
Kubra-RossがDeathへの心理的5段階を示したように、最初は彼女もAnger怒ったが、最終的には、この不幸な事件を、自分が成長するためのGift贈り物として受け取れるようになった。彼女はHealerとして人を助けたいと思っていたが、この事件にあったため、大学でSpeech
Language Pathologyという領域でPh.D.をとるに至り、沢山の患者を助けることができるようになった。この事件が起きなければ、ただの大学事務員で終わったかもしれない彼女の人生が、まったく新しい人生を歩むことになった。そして、それこそ、生まれる前から彼女の魂が望んでいたことであったのであり、この種の事件に巻き込まれたのも、はじめから予定されていたといえるものであった。
人はなぜ生まれてくるのか、人生の目的は何か、人生の意味とは何か?答えは、人は自分で目的を持って、自分の意思で人生を択んで生まれてくる。親も択んでうまれてくる。そして、さまざまな体験をしながら、大切な無条件の愛、寛容、赦し、慈悲などを学び、実行する、これが人生を苦労しながら生きる理由である。自殺は、したがって、途中ですべてを放棄したことになる。ということは、また生まれ変わって同じような体験をしなければならないということか。
ともかく、心霊現象の研究が示しているところは、人にはSoulがあり、死は肉体が無くなるだけで、魂は健在であり、生きていたときの記憶、意識、個性、感情その他すべてを保持する。そしてどうやら、何度か生まれ変わるようである。なぜ生まれ変わるのか、それは人間が完成するように、つまり無条件の愛情などを身につけた魂となって自然の仲間と共棲できるようにということで、それが完成すると、エネルギーに包まれた愛となってほかの魂と安定した状態に入る、とか。自然のエネルギーと一体となって調和した状態になるとか。
それぞれの偉大な宗教が目指しているところも、この“無条件の愛”が普遍的に広がることであるようだ。宗教戦争がこの地上をなんども吹き荒れたが、本当に神の愛を慕うものには考えられない自己矛盾といえる。全一者とは愛であり、それが宇宙を統御しているということであろうか。
村田茂太郎 2015年10月29日
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