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3/28/2014

「心霊現象の科学」をめぐってーその82 Suzane Northrop“The Séance”(1994)を読む



「心霊現象の科学」をめぐってーその82 Suzane NorthropThe Séance”(1994)を読む

 副題“Healing Messages From Beyond”となっている。Written with Kate McLoughlin.

 人はどのような理由で死別することになるかわからない。事故、病死、自殺、戦争、寿命・・・しかし、誰もいずれは死ぬことは確かである。そのとき、死者と生者とのあいだに軋轢がなければ、Transition(死後の世界への移行)も容易であろう。突然に訪れた死は、もし準備や予想がなければ、あとに残されたものにとって耐え難い苦悩を生む。これは確かである。

 この本のなかに18歳で自殺した女性がSéanceにあらわれて、Medium経由母親に状況を報告する話が載っている。

 私にとって自殺は他人事ではなかった。自分が試みたわけではないが、クラスメートが簡単に実行し、私は一挙に虚無の深遠に投げ込まれた。その苦悩から立ち上がるまでには半年以上の時間がかかり、いまだに克服できていない。したがって、サイキック・サイエンスの領域で、死後の世界、あの世のありかたに私が関心を持つ最大の理由のひとつは、自殺者はどうなるのかという疑問である。

 先日、わたしはValleyにあるPsychicStoreMediumというひとと会う機会があった。昔々、自殺した人が居るのだが、今どうなっているのだろうかと訊いたら、本当だかどうかわからないが、Mediumはそのひとは別に困っていない、うまくいっているとかという話で、すべてがどうでもいいような、頼りない反応であったので、わたしは何も信じていないのだが、もしかして、あれから母親も亡くなり、今は、二人は合流して本当にうまくいっているのかもしれないとも思う。わたしは、そのクラスメートの自殺の話を私の本の中で「自殺論―残されたものの痛み」という形で表現した。今、この18歳の自殺者が、自殺によって自分を罰し、さらに家族や友人を苦悩に巻き込んでしまったことを嘆いているのを知って、まさに、そのとおりと思う。

 ダンテは有名な“神曲”で自殺者を地獄にいれて苦しめたが、これはトマス・アクィナスの神学の影響でそうしたのであろう。今も教会は自殺者を歓迎しないようである。

 この本に書かれた18歳の自殺者が、Séanceで母親とどう会話をしたか、意訳しながら、内容を紹介したい。(P.92-98.

 この女性は活発な外向派で、人生と生活をエンジョイして、エネルギーで満ち溢れているような生き方をしていた。そこへ男性があらわれ、彼女はそれにとらわれてしまった。自分を失い、今までの自信に満ちた生活ぶりを喪失してしまった。この男はDrugをやり、彼女を破壊していくようであった。家族は反対であったが、彼女は彼と一緒になり、ますます転落していった。家族は助けようとしたが、彼女は男を弁護して、援助を受け付けなかった。そして、ある日、ガレージで、クルマの排気ガスで自殺した。

 両親はカトリックであったので、自殺は厳禁、自殺者は地獄で罰せられるということを信じていた。したがって、娘が死んで地獄にいったのか天国にいったのか、どうなったのか気になるところであった。

 Séanceで、昔の活発であったころの娘があらわれて話し出した。“火も硫黄もなにもない、Godはわたしを罰しなかった、わたしは自分を罰し、もっと悪いことに、自分の愛する家族を罰してしまった。”

 彼女は自分が苦痛と恥辱にたえることができなかったために、家族にとんでもない苦痛を背負わせることになったことを最大に苦しんでいた。彼女は死んですべてが楽になると思っていたが、記憶も意識も存在し、家族に苦悩を与えたことを知っても、今では何もできないという、生きていたとき以上の苦悩の中に居る自分を見出したわけであった。

 母親は、これがあなたの運命だったのか、自分で命をまだ若い時点で断ち切るということが、と訊ねた。

 NO, わたし達は自分の命を断つ権利も人の命を断つ権利ももたない。わたしは自分の寿命が来るまえに死んでしまった。だから、今、学んでいるところで、それはこのSpiritualSchoolで学び、また別の人生(Reincarnation)でも学ぶことになる。お母さんが転生を信じなくてもOKよ。

 生前、彼女はとても強い性格の女性であった。ところが、彼女には弱点があった・・・他人が彼女のことをどう思うかということが気になる女性であった。それが彼女を死に追い込んだ。

 Richard Feynman, Ph.D.の最初の妻であった女性Arlene(病死)は“What do you care what other people think?”とFeynmanに口癖のように言っていた。人のことなど気にするな、とは非常に重要な忠告である。

 わたしは、一度“いじめと自殺”という文章を書いて、生徒たちに配ったことがある。このブログにも収録した。“あさひ学園”の生徒は週一回で、特にいじめにあう心配もなかったが、帰国子女で、ほとんどは日本に帰ることがわかっていて、日本の子供の陰湿ないやがらせ、いじめにあう可能性もあったわけで、わたしなりに考えてみたわけであった。そして、家庭の愛情の重要性を説くとともに、自殺は論理的に否定してもはじまらないので、自殺否定の論理として、わたしは心霊学的自殺拒否の理論ということを提唱した。今、あのころよりも、さらに私の、Afterlifeへの理解が深まり、あの心霊学的自殺拒否の理論は正しかったのかもしれないと思っている次第である。

 つまり、自殺は現状の苦難にたえきれずに実行するわけであるが、自殺者は死んでも、同じ苦悩をもった意識として存在するだけでなく、肉体を喪失してしまったため、何もすることができず、あるときは自分が死んでいることにも気がつかず、親・家族の注意を喚起することもできない、むなしい状況に居る自分をみつけるだけなのである。苦悩は現世で解決しなければならず、苦悩を逃れるための道などどこにもないわけである。

 この娘が自殺したとき、母親が9歳のときになくなった自分の母、娘にとってはGrandmotherおばあさん にあたるひとがお迎えとしてやってきて、自殺した娘を引き受けたので、Transition-生者から死者への移行は、わりと簡単に、苦労なくはたされたようであった。この移行が場合によっては、何時間も、何日も、何ヶ月も、何年もかかることがあり、人によってさまざまであるようだが、これは信仰次第で、God, Buddhaなどへの信仰の強い人は比較的たやすくなされるようだ。

 彼女の家族は、彼女が地獄で罰せられているわけではないと知って安堵したが、自殺者は自分を罰しているわけで、自分が自殺したために家族が、友人が、苦しむのをただ無力に眺めるだけという苦痛を味わい続けるのである。

 Soul魂の目的は絶えず学び続けることであった。この地上の肉体を持った状態でなければ学べないことがいっぱいある。Spiritの状態になれば肉体的苦痛も快楽もなにもないわけで、精神的なものを学ぶだけになる。この地上に生きている間に、苦労してあらゆることを学ぶということがこの現実を生きるということである。苦悩にたえきれず、寿命の死を待たないで自殺すると、また別の人生で同じような苦悩を体験することになり、それが克服されるまで繰り返される。

 しかし、もし、Soulがこの地上で体験しなければならないすべてを体験し、肉体はただ延命策によって魂を地上に引きずっているだけだとしたらどうなるのか。ここにEuthanasia安楽死の問題があらわれる。場合によっては、安楽死は自殺でもなければ殺人でもないというのが、DPの意見だそうである。Soulがこの地上で体験すべきことすべてをやりおわって、ただ肉体的に生きながらえていれば、それは肉体がもう学ぶことができない状態にあるというわけで、Soulの地上での仕事はおわっているのである。しかし、Soulだけが自分の肉体の死を決定できるのであるともいう。

 ともかく、この本もまじめな、いい本である。普通、Séanceに参加する人というのは、親しい人がなくなってGriefの状態に居る場合が多く、その人が参加すると、その近親者の霊がMedium経由交信することによって、霊界の存在とその魂Spiritの健在を確認でき、無になって消え去ったわけではなく、違うエネルギー次元に移っただけだとわかって、安心できることになる。

 この自殺者との交信は、この本にあげられた話のひとつで、あとOuija Boardで遊んだために、Earthboundの霊に取り付かれて苦労している人の話など、いろいろな話が例示されていて、なかなか面白く、参考になる。夢で霊界と接することが可能だということも示されている。

 この本の内容紹介というよりも、そのなかの自殺者の話を中心に展開してしまった。

 今では、わたしはこのMedium関係の本をたくさん読んできたので、どれも似たようなことが書かれていて、真新しくもないが、この本はまじめにMediumがどのように機能しているか、Séanceに参加する人はどういう心構えが望ましいかなどが記されていて、ともかく参考になる。

 もっと、ほかの話も紹介できればよいのだが、著者の許可を得たわけではないので、これで終わることにする。

 

村田茂太郎 2014年3月28日

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