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3/01/2014

Nicholas Sparks「A Walk to Remember」(心に残る歩み)を再読して


Nicholas SparksA Walk to Remember」(心に残る歩み)を再読して

 この本は1999年に出版され、私が手にいれたPaperbackは2000年9月に出版されたものであった。240ページの読みやすい本で、2000年11月に一日で読了した。私の読後のメモには、Simple, Emotional, but Very Good。と記してある。

 そのあと、これが映画化され(2002年)、DVDで手に入るようになり、わたしはDVDを購入して2度見た。そのときは読んだ本の内容も、印象的な場面以外は忘れてしまっていたのか、導入部分がちがうなと、思ったことを覚えている。ほかにも、もちろん違った部分があって、まあ、100分ほどでまとめようと思ったら、仕方がないだろうなあと思ったものであった。

 最近、映画を見直した。そして、原作をもう一度読んでみたくなった。

 昨日、やっと、Nicholas Sparksの本数冊を探し出して、「A Walk to Remember」を読みはじめ、One sittingで、その日のうちに読了した。

 映画と本との違いは導入部どころではない。基本のテーマは同じだが、それ以外はぜんぜん違っていたが、中心になる部分は確実につかんでいて、したがって、映画も小説も見事に出来上がっていた。小説のままでは確かに映画化しても、ちょっとまとめるのがむつかしいかもしれないと感じた。その点、映画のほうは原作どおりではないが、見て納得できるものとなっている。映画の一般評価も7.4とかで、かなりいいほうである。(
ちなみに、Notebookは8.0。)

 物語は57歳の男が40年前の青春の体験を思い出すというかたちで始まっている。これは同じ著者の最初の傑作「Notebook」が、やはり40年前、50年前を思い出す形で展開しているのとよく似ている。Notebookの映画のほうは、したがって、現在の老人のありさまから始まっているが、A Walk to Rememberの映画のほうは、40年前の話としてではなく、現在の数年間の出来事としてつくられている。それで、悪くは無い。エッセンスは同じで、独立した話として味わえるほどである。

 17歳、High School3年生の男女がドラマ・クラブで協力し合うようになって、男のほうが、年中かわり映えの無い衣装をきた牧師の娘をよりよく知るようになり、彼女の魂の美しさにひかれていく。そして、いつしか若者は彼女を愛しているのに気がつく。

 ふたりがドラマの役割の勉強でいっしょに付き合うことが多くなったとき、彼女はひとつ条件といって、You won't fall in love with me. 私を愛するようになってはだめよ、と言ったのに対して、最初は義理でつきあっていたような感じなので、若者はそんなことは起こりえないと簡単にOKしてしまう。

 なぜ、自分を愛しては駄目よと彼女はいわなければならなかったのか。これがこのストーリの主題である。Spoilerになるが、これはミステリーではないので、話の展開に必要なので、先に言ってしまうと、若者は自分の欲望をあらわさずに、神と孤児のために献身的につとめている娘に崇高なものを感じ、自分がうまれかわっていくのを感じるわけだが、娘は彼が将来の希望のNo.1はとたずねたときに、自分は、父が母と結婚した教会で、父親の手で、たくさんの人に見守られながら結婚式を挙げることといったので、不思議な気持ちになる。結婚など好きな人に出会えればいつでも可能ではないのと思うわけだから。

 ドラマで彼女はAngelの役をし、この年のドラマが最高のものでなければならないと言い、孤児院へのクリスマス・プレゼントも最高のものにしたいといっていた彼女であったが、なぜそうなのか。

 それがわかるのは、彼女が成績優秀なのにもかかわらず大学にゆかないと言って、自分はSickなのだといったので、今気分が悪いのだと思った彼に対して、自分はLeukemiaDyingもう助からないのだと告白する。驚いた彼は、なぜ今になってと訊くが、彼女は医者から普通に振舞うのが彼女自身のためにもよいといわれたからと応える。

 そして、そのあと、彼女の身体は急速に悪化してゆく。Leukemia血液の癌!この若者の父親は居るのだが、映画では離婚しており、彼は恨みに思っている、小説のほうでは父親は地方の大物政治家Congressmanで一年のほとんどをワシントンD.C.にいるから、疎遠で親しくはない。地方の貧しい牧師では娘の病気の面倒もみきれない。若者は、お金持ちの父が息子のために、牧師の家庭での彼女の看護に必要な経費を全部みてやるという手配をしてくれたということで、父親をみなおし、それぞれ二人の関係もよくなる。娘は病院から出て、自分の家でやすむようになる。

 若者は日に日に娘の体力が衰えていくのをみていて、自分に何かできることはないかと検討し、そうだ、彼女の夢は父親の教会で結婚式を挙げることだと気がつく。体力の衰えた彼女に、彼は自分の願いをかなえてくれるか、もし可能ならときき、OKという承諾をもらう。それで、若者は、両親を説得して、そして牧師の父親も説得して、結婚式を挙げることになる。教会の入り口からあらわれて祭壇の前まで、小説では車椅子から立ち上がって、苦労して、時間をかけてやっとたどりつく、映画では車椅子の状態ではないが、父親に支えられながらたどりつくーこれが“A Walk to Remember”なのである。

 二人は結婚し、短いひと夏を二人はHappyにすごし、彼女は亡くなる。彼は大学に入り、映画では医者である父親と同じ医学部に進学することになる。4年後、故郷に帰った彼は亡くなった妻Jamieの父親Father-in-Lawに挨拶にゆき、Miracleは起きなかった、(彼女は死んでしまったということ)というと、牧師は、いやMiracleが起きた、それは娘があなたと出会えたということで、最高のよろこびを娘は味わえたのだという。そういえば、彼自身も世の中の見方もかわり、人間がかわり、彼女の魂を身近に感じながらたくましく生きていけるようになったと感じる。Miracleは起きたのだ。

 ほかの映画、小説と違って、この本も映画も、読むたび、見るたびに私はなんどか涙が出てきてTissue Paperがたくさん必要になる。今もこれを書いていて、Miracleがおきたと書いたところで、EyesWetになってくるのをどうすることもできない。「Notebook」のほうがSparksの作品としては最高傑作だと思うが、この「A Walk to Remember」の小説も映画も涙ナシにはおわらない出来栄えであった。

 アクションもので涙を流すことはないが、単純なLove Story、特にModestHumbleな人間を主人公とした作品で最後がつつましく終わっていると、すぐに泣いてしまう。

 映画では歌手のMandy Mooreが、控えめな主人公Jamie Sullivanの役柄をうまくこなし、涙ナシには見られない映画となっていた。

 小説のほうはNorth Carolina(著者の作品のほとんどの舞台だと思う)のBeaufort High1958年が舞台であるが、映画のほうはどこだか。「Notebook」の場合は、映画はSouth Carolinaにかえてあった。

 小説では、彼女が彼に手伝ってくれるとうれしいといって頼んだ作業が、DonationをいれるBottleをあちこちの店のカウンターにおいてあるが、もう1年経つから回収してきてくれということで、60箇所ほど、車で一日でと思ったが、結局3日ほどかけて、回収することになる。自分の家の部屋で数えてみると、それぞれ20ドル前後(1958年の話だが、わずかはわずか)、みんなで60ドルほどである。そこで彼は、彼女と一緒に数えようと提案し、ふたりで彼女の部屋で数えると240ドルほどになった。彼女は去年もおとどしも70ドルほどだったので、これはすばらしい、孤児院のこどもたちにすばらしいプレゼントができると喜ぶ。その彼女の姿を見て、彼は単純にHappyになる。あとで、彼は自分が貯めた金をつかったのだとわかる。このDonation Bottle回収の話は映画でははずされていた。私はこの場面を読んだとき、そういえば、たしかにどこの店のカウンターにも、コインをいれるDonation Bottleがおかれていて、私はコインを入れたことが無かったが、こういうこともあるのだと見直して、ある時期、おつりを入れたことがある。

 逆に映画では彼女のほうが、天体観測が好きで、自分で望遠鏡を作り夜空をながめるというシーンがいくつかでてくる。若者も天体観測に詳しく、そのうちに、あたらしい流星に彼女の名前を正式に天文学会に申請して認められたと証書を彼がプレゼントするという場面がある。最後のほうでは彼が彼女のためにこしらえた天体望遠鏡で(Dobsonian?Hyakutake流星を見るというシーンもある。Sparksの提案かシナリオ・ライターの創案か、なかなかうまいと思った。このヒャクタケの発音がややこしかったのが印象的であった。カメラのNikonニコンがナイコンと発音されるのだから、推して知るべきである。

ともかく、小説も映画も、心が洗われるような気持ちのよい作品であった。

 私がこの作品に感動するのは個人的理由があるからかもしれない。1975年、クラスメートが亡くなったのもこのLeukemiaのせいであったように思う。また、1990年、UCLAPh.D.を取得した友人が亡くなったのも、結局、このLeukemiaのせいであったように思う。この主人公が恋人Jamieからいわれるまで気がつかなかったように、わたしも亡くなる4-5ヶ月前に会っていて何も気がつかなかった。うかつな話で、私が心霊現象の科学への関心をたかめるひとつの大きな動機となった。この“A Walk to Remember”から判断すると、急速に悪化するまでは、外から見ても気がつかないのかもしれない。

 拙著「寺子屋的教育志向の中から」のなかの“癌と人生”というエッセイで、癌に関するDr. Lawrence Le Shanの考えを紹介した。今では癌はそれほどおそろしくは感じられないが、血液の癌Leukemiaには、おそろしいとう印象がいつまでもつきまとう。はやくよい治療法を発明・発見してほしいと思う。

 私自身は盲腸炎(虫垂炎)の手術、慢性中耳炎の手術など何度も外科的な手術・入院を体験してきたが、血液のなかから駄目になっていくという恐ろしい病気からはまぬがれてきた。今、Life-after-deathや臨死体験などの関係書物をたくさん読んでいると、たくさんの子供たちが恐ろしい病気で、まだ幼い時点で死んでいくのには驚くばかりであり、もっと医学が進歩して、みんな健康で長生きできる社会になってほしいと心から願う。

 若者Landon Carterは自分の愛に徹して、死に行く彼女Jamieと結婚した。みんなが満足し、悲劇ではあるが、それなりにHappy Endingであったといえる。これはFictionだが、同じようなことを実行したのがノーベル賞物理学者Richard Feynmanであった。彼はNew Mexicoロス・アラモスでOppenheimerらと原子爆弾の研究をしながら、死病を抱えたArleneという恋人と結婚した。彼女は独創的で大胆な発想にとんだ魅力的な美しい女性であったようだ。ベスト・セラー「You are joking, Mr. Feynman」に続いて出版された「What do you care what other people think?」という本の題名は同じ名前のエッセイからとられ、それは彼女Arleneが彼になんども説いた言葉であった。“他人のことは気にするな、汝の道を進め”、独創的な探求者には必須の名言である。もちろん彼女に限らず、エライ人は昔からその精神で活躍してきたはずである。

 映画と小説の両方を紹介しかけたため、散漫な紹介ぶりになってしまった。この「A Walk to Remember」の魅力の一部でも伝えられれば満足である。

 3日前に映画DVDを見て、本を読みたくなり、昨日、本を探し出して、すぐに読了し、また映画を見たくなって、もう一度DVDを見た。Notebookのほうは残念ながらDVDをもっていないので、もう一度本を読んだら、DVDを買いに行かねばならないと思う。いいものは身近において、何度も見たい。

村田茂太郎 2014年2月28日

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