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10/30/2015

「心霊現象の科学」をめぐってーその105 「My Son and Afterlife」Elisa Medhus, MDを読む


「心霊現象の科学」をめぐってーその105 「My Son and the AfterlifeElisa Medhus, MDを読む

 Sub title: Conversations from the other side

 著者は女性の医者MDである。専門はInternal Medicine内科だが、Parentingなどの領域で本も出し、学校で講演をしたりしている人。自分の子供が5人。その一人である息子が20歳で自殺をした。この本は、その悲しみGriefをいやすために、自分のブログをもうけてPublicと交信すると同時に、ふたりのMediumのヘルプを得て、息子のSpiritと交信した、その記録をまとめたものである。

 著者は、一応、医者として、科学的な環境に育ってきたので、自分でも科学的であると信じ、いわゆるSpiritualとかサイキック現象とかには縁が無いと思っていたひとである。

 その彼女が、息子の自殺を体験して、はじめてSpiritualな領域に目覚めたというか、Afterlifeがあるということをまざまざと実感した記録が本書である。

 なかなか、面白く、内容豊かで、立派な本であり、Very goodまたはGreat!というのが、私の読後の印象であった。それで、Kristin Hannahのサイン入りの本“Nightingale” をアメリカ人の友達に寄贈するときに、この本とAgnes Thomas Ph.D. の“Pets tell the Truth”なども一緒に送ったほどであった。

 私は、ともかく、大学時代の級友の自殺以来、“自殺”ときくと、すぐに反応するので、この本の自殺者がどうAfterlifeで存在しているのか興味があって読み出したのだが、この本を読んで、自殺者に関して、ちょっと安心したというところである。つまり、以前よく言われたように、自殺者は灰色の世界をうろついているだけという状態、これこそ私には地獄と思える状態だが、そうではなくて、ちゃんと回復してCommunicationもできる状態にいるだけでなく、生前彼がよくやったPrank悪ふざけ・いたずら を死後もやってみせる、つまり、意識・記憶・個性・感情その他すべて本人そのまま持続していることを示す、まさに自殺したはずの息子のSpiritと交信しているのを納得できるという、そういう話が展開されている。

 そして、二人、息子の霊と母親の、Medium経由の会話の領域は広範囲にわたっており、感心するほどであった。

 息子は自殺したとはいえ、元来、Bipolar Disorderという症状で病的であり、まともな生活ができないと感じていたらしい息子が、家族に迷惑がかかると思いながら自殺を択んだのは、彼にとっては生きている限界まで来ていたということで、そういう状況における自殺は、いわばこの世での勤めは果たして、次の次元に移行したとみなされるのか、Afterlifeでのプロセスが、すべてが順調にすすんだようである。おかげで母親は、息子がAfterlifeで生前と同じCharacteristic個性らしきもの を保持しながら、新しい環境での、さまざまな現象を楽しんでいるのがわかり、心から安心できたのであった。

 ここにあらわれる息子EricSpiritは、まるでOld wise men 老賢者の風貌を帯びている。Bipolar Disorder抑鬱症? で自殺した若者のSpiritとは思えないほどである。子供らしいPrankを楽しんだ息子の個性は保持しながら、彼の魂は何でも知っている老賢者の風貌を示す。まったく、感心するばかりである。

 息子Ericはいたずらが好きな子供であった。死んでからも、その個性はかわらず、いろいろなPrankをして、まさにホンモノの息子EricSpiritが母親の周りにいるのだということを見せ付けるのであった。

 この本の目次を見ると、この息子EricSpiritが生前の、いたずら好きであった性格をそのまま保持していることがわかると同時に、老齢な賢者のような中身を持っていることが母親との交信の内容からわかる。

Part1ではEricSpirit世界からの訪問を示す内容が展開されている。

Physical VisitsTouching & Tickling、 Nasty Smells, Moving Objects, Hiding Objects,

Playing with Electricity, Telephone Calls, Manifesting Objects from Thin Air

 すでに、私がこのブログで紹介してきたMaurice Barbanell や Ralph Harlowの話を読まれた方には、上記現象はすでに馴染み深いものであると思われる。

 ここでは、特にサイキックでもなんでもなかったはずの、いわば精神・神経疾患で自殺した若者が、同じような芸当をやってみせることができたというところが面白い。まさに霊的世界、エネルギー状態のAfterlifeでは、こつ・やり方さえわかればなんでも可能なようである。

 ここでは、どうして物体を動かすことができるのかの説明までなされていて、なるほどと納得することになる。物体のある前または後ろのEnergy Fieldを変えることによって物体が動くことになるということらしい。単純に押すのではなく、物体のある空間のエネルギー状況を変化させることで、動いたことになる!SpiritはエネルギーFieldを変える能力は保持しているようだ。

 SpiritEnergyだから電気系統を操作するのはもっとも簡単な作業らしい。電灯を点滅させたり、Appliancesを稼動させたり、停止させたりということは、よくSpiritが見せる現象である。

 Manifesting objects from thin air というのは、Materialization とか Teleportation とかにあたり、BarbanellHarlowも報告していたが、このEricも母親に見せていたようである。

 ともかく、これはSpiritが物理的に何かできる能力を保持していることを示したものだが、Ericは、もうすこしまじめな Nature of Consciousness や Soul, Nature of Afterlife, Time & Space, Matter & RealityWho we are、 Why are we here? などについても、まじめな議論を展開できるのである。

 Part2 ではUntethered Soul自由になった魂 ということで、Ericが自分のDeathについて述べ、Afterlifeでの日々や階層、言語、進化そしてReincarnationNear Death Experience などについて展開。

 Part3 では、Bigger Picture ということで、意識、時間と空間、Matter Reality, LoveFear などが語られている。動物や植物、鉱物についても触れられている。

 基本的に、母親である著者が息子EricSpiritMedium経由で訊ねるという形なので、テーマは著者の関心の領域を示している。

 ここでも、最後にはLoveが説かれている。Eric: We seek to become love-unconditional love-as individuals and for the universe as a whole, for each soul to embrace. That’s the lowest entropy. That’s the endpoint. 無条件の愛 - 愛の無償性とかといわれるが、何も求めない愛が究極の目標なのかもしれない。

 ともかく、ユーモアのまじった会話が二人の間でもたれ、様々なテーマで話し合われ、ときどき年降りた賢者の知恵の片鱗をうかがわせるような展開をするようすは、地上に来ている人間と亡くなったSpiritとの会話とは思えないほどリアルである。

 自殺したばかりの若者の魂が、これほどの充実した会話をもてるとは驚きである。

これを読むと、愛する人を亡くして悲しんでいる人々も、実は、Spiritが身近で、まさにGuardian Angelのように見守ってくれているのだとわかって、心が和むことであろう。

まさに、Great Book である。

 

“My Son and the Afterlife”          by Elisa Medhus MD

ISBN: 978-1-58270-461-6 Simon & Shuster 2013

 

村田茂太郎 2015年10月30日

10/29/2015

「心霊現象の科学」をめぐってー雑談 人生の意味は・目的は何か、Parapsychologyの現段階?


「心霊現象の科学」をめぐって ー 雑談 人生の意味は・目的は何か、Parapsychologyの現段階?

 フランスの戦後作家で、サルトルよりも先にノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュの哲学的エッセイに「シジフォスの神話」という作品がある。不条理を出発点と考えたカミュが、この本の冒頭で述べた言葉―“本当に重大な哲学の問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること。これこそ哲学の根本問題に答えることである。・・・ 自殺することは、ただ、人生が「生きるに値しない」ことを告白することである。・・・”(“不条理と自殺”)。

 私のクラスメートが自殺した後、わたしはこのカミュの本を読んで考えた。本当にそうなのだろうか。自殺が哲学の根本問題であろうか?自殺者は、人生が生きるに値しないと判断したのであろうか?

 80歳・90歳まで生ききったひとが、自分の人生を振り返って、「私の人生は生きるに値しなかった」とつぶやくのなら、まだ理解できる。だが、20歳にならない人生で、人生は生きるに値しないなどといえるのであろうか。最近では小学生・中学生の自殺が頻繁に起きている。彼らは、人生は生きるに値しないと判断して自殺したのであろうか。

 クラスメートの自殺は、私に深刻な問題をつきつけた。それまで外在的な事件であった自殺が、自分の存在を揺るがすような大事件となって迫ってきた。

 事故死、病死、老衰死、殺人、処刑、戦死・・・人が死ぬ死に方にはさまざまな形があるが、自殺だけはわたしにとっては、ほかの死に方と違って、納得の出来ない、謎をつきつけられたような、不可解な、意味不明なものであった。誰も、特に身近な人の死は悲しいし、苦しい。Grief悼み・かなしみ ということは誰も経験するものである。しかし、自殺だけは、悲しみだけでなく、“なぜ?”という疑問と、自分に何かできなかったのかという思いがいつまでも残る。

 人は誰も死ぬものであり、それに限っては平等だといえる。人類始まって以来、生きながらえた人は居ないのである。そして、自殺以外の死に方は、なんとなく納得はゆくのであるが、自殺だけは“なぜ”という疑問が重くいつまでも圧し掛かってくることをどうすることもできない。

 だがもちろん、理由の判明する自殺も多い。苦悩からの逃避とか問題に押しつぶされて逃げ場がなくなったとか、肉体的苦痛から開放されるためにとか、ある種の恐怖から逃れるためにとか。

 私自身はクラスメートの、私にとって、わけのわからない自殺が本当に不思議で、それをめぐって私自身を苦悩のどん底にまで追い込んだといえるものであった。

 そして、カミュの言う「人生が生きるに値するかどうか」という問題で、答えを自殺で示したのなら、それは間違っていると私ははっきり確信を持って返答できるという結論に達した。ただ、自殺は論理ではなく、衝動なので、論理的に否定できても、自殺を止めることは不可能だという結論にも達した。10年、20年しか生きていない人間が、人生は生きるに値しないなどという権利は無いというのが、まず、わたしの返答であり、若い人が、そういう考えで自殺を実行しようとするのなら、論理的に間違っていると主張することは可能なのだ。だが、自殺を決意した人間には、すべてが空しく映るから、論理的に説得可能とは思えない。

 よくある、若い人の自殺は、やはり、ある種の苦痛、苦悩からの逃避であったに違いない。そしてそれは当然避けることも可能であったわけで、やはり、早まったということになるだろう。まわりの環境が問題であったといえるであろう。

 さて、哲学の根本問題だかどうだかわからないが、人生が生きるに値するか、なぜ生きているのか、生きている目的は何なのか、生み出されたから生きているだけなのかと言った問題は重要である。

 そこで、最近の心霊学的理解を元に、この地球に生きる生物の最高の形態としての人間にとって最大の問題―人生の目的・意味について考えてみなければならない。

 これまで、私はこのブログで様々な問題を考えてきた。そして、いろいろな本を読んで、考えを深めた結果、最近、余談 のひとつとして、私が理解した“結論”らしきものを提示した。(「心霊現象の科学」-余談 “結論” 2015年10月3日、4日。)

 最近書かれた様々な本によると、人間が生まれてくるのは偶然ではないらしい。昔なら、生まれた子供は成長して、自分が希望して生まれてきたわけではない、親の性行為の結果、生まれてきたわけで、自分が択んだ人生でないものに対して責任はもてない、と言いかえすようなこともありえたようである。しかし、今は違う。そういう責任逃れはゆるされない。子供は生まれるときに、母胎に魂が入る前に、自分でどういう人生を導くかを択び、それに合った親を択んで生まれてきたという。従って、生後どのような人生になろうと、すべて自分がわかって択んだものであるということになるらしい。すべて自分の責任である。

 従って、生まれようと決意した時点で、一応、次の人生の目的は決まっていたわけである。では、なぜ人間は生まれてくるのか?それは“学ぶため”ということになるようだ。人生の目的とは学ぶことにある。では何を学ぶのか?いろいろなことを経験し、それによって学んでいくということで、苦しい人生であればあるほど、沢山のことが学べることになる。そして、最終は?無条件の愛、寛容、慈悲、赦し、などを学び、実行することにある。

 仏陀が人間世界を眺めたとき、世の中は苦悩に満ちているとわかり、その原因は様々な欲望のせいだということで、それらを克服しないと、いつまでも生まれ変わって、この世の苦労を体験することになる。輪廻転生から脱却するためには、つまり、二度と生まれ代わる必要が無いようにするためには、悟りの境地に立つことが必要だと考えた。つまり、悪循環のカルマを抜け出すには、解脱が必要ということである。悟りの境地とは、無条件の愛、寛容、慈悲、赦しの世界である。

 Reincarnationに関する研究も、どうやら、人間は無条件の愛・慈悲・赦し・寛容などを最終的に身につけるまで、なんども生まれかわるということを示しているといえる。逆に、仏陀やイエスやソクラテスやほかの偉い聖人たちは、その状態に達して死んでいるから、もう生まれ変わる必要は無く、いわば別の次元でMasterとして、Soulの育成にたずさわっているといえそうである。

 We are here to learn about love, compassion, kindness and non-violence. Success should be measured by these qualities. (Brian Weiss, MD “Miracles Happen”.) 我々は、愛や同情心、親切、非暴力などを学ぶためにここにいる。

 Meaning or Purpose of Life is to have experiences. Life is about having experiences that our souls are unable to have in the spiritual realm. (Bob Olson “Answers about the Afterlife”.) 人生の目的または意味は何か?それはSoul魂がスピリチュアルな領域(あの世)では体験できないことを体験することにある。(エネルギー状態なので、苦痛も死の恐怖も感じない-ムラタ注)。

 We are all here to learn lessons. Once those lessons are learned and our purpose for being here is met, we go home. (Josie Varga “divine visits”.) 私たちはすべて、ここにいるのはレッスンを学ぶためである。そして、いったん、学んでしまえば、ここに居る目的が達成されたわけで、私たちは家に帰ることになる。

 

 肉体が滅んで魂が次の次元に移行すると、エネルギー状態になり、肉体がないため、苦痛も恐れも、快感も体験できなくなる。肉体があるため、人間は苦悩し、歓喜も悲哀も体験する。肉体を持つ人間に与えられた特権であるといえる。従って、さまざまな苦労も喜びも悲しみも体験することが、Soul魂 の成長にとって重要な課題である。苦労や喜び悲しみを体験した人でないと。ほかの人間に対して、同情も恐怖も悲哀も共感できない。魂の成長のためには肉体を供えた人間として、この世に生きることが非常に重大なわけである。これは次の次元(エネルギー的存在)では実現不可能な体験である。

 すでに「心霊現象の科学」-その74 で紹介したRobert Schwartzの“Your Soul’s Plan”の冒頭に例示されたある女性のケース - UCLAで事務をしていた若い女性がメールをPick upしたら爆弾が破裂して、死ななかったけど大変な重症を負った。この女性は、のちにHandicapを背負いながらPh.D. 博士号を取得し、自分の不幸な体験を教訓として踏まえて、立派に生き延びたという話で、もっとも感動的な点は、この女性がメール爆弾を送った犯人を恨んでいない、犯人の心の平安を望んでいる、自分は犯人を赦しているということであった。そして、Robert SchwartzMediumをとおして、知ったことは、この女性が生まれる前の人生と親の選択において、彼女のSoulには、こんな人生が待っているということがわかっていて、それを択んだ、それが自分の魂の成長に必要だと判断して、生まれてきたということであった。もちろん、彼女自身は生まれながらの聖人ではない。Elizabeth Kubra-RossDeathへの心理的5段階を示したように、最初は彼女もAnger怒ったが、最終的には、この不幸な事件を、自分が成長するためのGift贈り物として受け取れるようになった。彼女はHealerとして人を助けたいと思っていたが、この事件にあったため、大学でSpeech Language Pathologyという領域でPh.D.をとるに至り、沢山の患者を助けることができるようになった。この事件が起きなければ、ただの大学事務員で終わったかもしれない彼女の人生が、まったく新しい人生を歩むことになった。そして、それこそ、生まれる前から彼女の魂が望んでいたことであったのであり、この種の事件に巻き込まれたのも、はじめから予定されていたといえるものであった。

 人はなぜ生まれてくるのか、人生の目的は何か、人生の意味とは何か?答えは、人は自分で目的を持って、自分の意思で人生を択んで生まれてくる。親も択んでうまれてくる。そして、さまざまな体験をしながら、大切な無条件の愛、寛容、赦し、慈悲などを学び、実行する、これが人生を苦労しながら生きる理由である。自殺は、したがって、途中ですべてを放棄したことになる。ということは、また生まれ変わって同じような体験をしなければならないということか。

 ともかく、心霊現象の研究が示しているところは、人にはSoulがあり、死は肉体が無くなるだけで、魂は健在であり、生きていたときの記憶、意識、個性、感情その他すべてを保持する。そしてどうやら、何度か生まれ変わるようである。なぜ生まれ変わるのか、それは人間が完成するように、つまり無条件の愛情などを身につけた魂となって自然の仲間と共棲できるようにということで、それが完成すると、エネルギーに包まれた愛となってほかの魂と安定した状態に入る、とか。自然のエネルギーと一体となって調和した状態になるとか。

 それぞれの偉大な宗教が目指しているところも、この“無条件の愛”が普遍的に広がることであるようだ。宗教戦争がこの地上をなんども吹き荒れたが、本当に神の愛を慕うものには考えられない自己矛盾といえる。全一者とは愛であり、それが宇宙を統御しているということであろうか。

 

村田茂太郎 2015年10月29日

 

 

 

10/27/2015

「心霊現象の科学」をめぐってーその104 「Glimpses of Heaven」&“More” を読む


「心霊現象の科学」をめぐってーその104 「Glimpses of Heaven」&“More” を読む

 Trudy Harris, Registered Nurse & Former President of Hospice Foundation for Caringの編著によるHospice体験談2冊は、死を迎えた人間を世話する人たちHospiceが、どのような体験をするか、どのよう現象が現れるかを報告したもので、最初の本は、まさにTrudy Harris自身がHospiceとして体験した話をまとめたもの。二冊目の“More Glimpses of Heaven”は最初の本が世に現れてから、同じような体験をしているほかのHospiceたちから報告を受け、それをまとめたもので、この2冊で、Hospice体験が普遍的なものであることが示されている。

 私は、この本に関しても、AmazonBook Reviewで、私の短い感想を英文で公表した。

下記に転載する。

Review Title: Sacred works of Hospice Experiences told with heart-warming manner, Great!

Great book in which she showed how Hospice work is important and fruitful for helping people to die peacefully and altogether experiencing the heavenly world. This book is her collections of experiences. Next her book “More” was not only her experiences but also including other hospice workers’ experiences. Both are good.

Usually I thought of being teacher or scholar as profession was good since we could contact young spirit always. But after reading this book, and studying on Afterlife, I came to view of caring dying people might be most important calling. And since I became so familiar with dying and afterlife study, I might volunteer as hospice if possible. Of course, it is fairy tale since I am now old person ready to die any time. But this book changed my view on Hospice work and how it is important to the aging world and dying patients.

Easy to read – in one sitting. Comforting book of showing existence of other heavenly world. (June 4, 2015).

 この本を読むと、まず、みな若いのに、主に癌でなくなっているのに驚かされる。しかも、30代、40代で、癌で亡くなるとは本当にかわいそう、というか気の毒に思う。本人よりも、あとに残された人のことで、本人は一応、若くても自分の任務は終えて次の次元に移行しているはずで、癌の苦しみから解放されて、それなりによかったということかもしれない。ただ、若いと、あとに残された人間の悲しみGriefは大変で、逆にそのため、あの世に移行しても、地上の執着に引っ張られて次の次元にうまく移れないということも起こるようである。

Hospice Workをしていると、死に行く人に対してお迎えが来るのがよくわかるようである。

―――

 68歳で、肺癌で亡くなったFrankには息子がお迎えに来た。一人息子はベトナム戦争でずいぶん前に亡くなっていたのだ。息子がやってきて、次に移るときがきたと父親に告げたようで、Frankは、息子がそこの椅子に座って、一緒に行こうと誘っているという。 Frankは息子が迎えに来てくれたことを喜んでいる様子であった。Frankが、息子がみえるかとHospiceの私に尋ねたので、自分には見えない、どんな様子なのかとたずねると、息子のJohnは若く、ユニフォームを着てハンサムであるという。Frankは息子と良好な関係を持っていたようで、あの世で息子が待っていてくれることを知って喜んだ。あの世が本当にアリ、息子とまた会えるということを知った夫婦は、残りの日々を満足してすごすことができた。妻にとっても、それは喜ばしい話であった。

―――

 54歳のMeridethは子宮がんが広がって、もう死にそうであった。医者が、当然死ぬはずだと思っていても、彼女は頑張って生きていた。彼女の信頼していた医者は、彼女が、心平安に死んでくれるように願っていた。ところが、おかしなことに、いつまでも頑張って生き続けている。医者はHospiceであるTrudyに、なぜそうなのか、何か執着することがあるのか調べてくれと頼んだ。もう時間もなくなっているので、子供たちと話してみたところ、どうやら妻と子供を置いて去っていった夫を、彼女はとっくの昔に赦しているのだが、それを夫本人に向かって言ったことが無く、そのまま死ねば、夫も、子供たちも後味悪いまま縁が切れてしまうという思いが強く、死ぬ前に夫に会いたいという執念が、彼女をなかなか死なせない原因であったとわかった。彼女は本人に直接赦しの言葉を告げないと、夫は自分自身を赦せないであろう。そして、彼女が死んだあと、夫はいつまでも罪悪感におそわれ、心の平和を見出せないだろう。そうすると、子供が必要としている父親の役目も果たせないだろう。それが彼女を安心して死なせない原因であった。

 もう時間も限られているので、急いであちこちに電話して、夕方5時ごろ、やっと本人Walterと話すことができた。状況を話すと彼もわかってくれて、飛行機を手配し、その日のうちに夫Walterは妻のベッド脇に立つことができた。二人だけで何時間も話し合ったようである。そのあと、Walterが報告をしてくれた。彼女はずっと前に夫Walterを赦していたが、自分の口から直接伝えないと、夫はいつまでも自分自身を責め続け、非難し続けるだろう。それは二人の間の子供たちをも不幸にしてしまう。彼女は夫と子供たちもよい関係を持てるように願っていた。それは自分から直接赦しの言葉を夫本人に告げるしかないということで、いつまでも死ねずにこの世に執着していたのであった。

 夫と出会い、念願のゆるしを夫に伝え、夫と子供たちが赦しあえることがわかって、はじめて彼女の心に平安が戻った。夫と会えたその夜、彼女は安らかに死ねたのであった。

―――

 54歳のLenoraは脳腫瘍で死に瀕していた。彼女は大きな家族の中心人物であった。家族も友人も彼女を大事にしていて、別に不満があるわけではなかった。いつも家族のメンバーか友人が枕元についていた。あるとき、Trudyがゆくと、LenoraTrudyだけと話したいからといって、みんなを部屋から出て行かせた。「大きなAngelが私のベッドわきにやってきては去るのだが、いつも微笑んでいる。」「看護婦さん、私がAngelを見かけるとき、本当に私がAngelを見ていると思いますか?」「ハイ、そうですよ。あなたがAngel を見たのなら、本当にあなたと一緒にこの部屋に居たのです。」そして彼女Trudyは説明を加えた。「これはよくあることで、もう天国にいつでも移れるという人に起きることです。それは神様が、実際に本人が移る前に、天国の片鱗を垣間見させてくれるわけです。」Lenoraは安心してうなずいた。

Angelsの姿, 先に亡くなった愛する人たち、遠くに居る生きている家族のメンバー、心地よい臭い、美しい花、天上的な美しい音楽、こうしたものは、死に行く人が体験するものである。これを科学的に説明しようとしても、死に逝く人には意味が無い。信仰を持って生きてきた人には、こういった予兆は心地よい気分を生み出す。

Lenoraは彼女の友達や家族を部屋に呼びいれ、Angelの話をした。そして、誰もが安心できるように彼女は手配したのであった。それは心地よい思い出となるであろうと願って。

1-2週間後、Lenoraは家族に取り巻かれて、安心して死んでゆけたのであった。

―――

 Lorrainローレンは生まれて6週間ほどで、心臓欠陥で亡くなった。若い夫婦は看護婦に子供と一緒に寝てよいかとたずね、もちろん大丈夫、わたしは翌朝きますからと看護婦は応えた。そして、何を思ったか、翌朝、若い看護婦は夫婦を訪問する前に花屋に立ち寄って、Yellow RosePick upした。看護婦はなぜ自分が花屋に立ち寄り、Yellow Roseを買うつもりになったのか、よくわからなかった。なにかに指示されたようであった。若い夫婦はYellow Roseを見て、心がやすらいだ。どうして、この若い看護婦は、Yellow Roseのことを知っていたのだろう。それはまさに若い夫婦にとってGodのサインといえるもので、これなら幼い娘も安心して天国で神様に見守られているだろうと感じたのであった。

 私、Trudyが数年後、沢山の人の前で、この話しをしていると、若い女性がステージにあがってきて、自分がLorrainの母であるといい、この話にはさらに事後談があると話しだした。Lorrainが天国に行った日に、友人がRose Bushを庭に植えてくれた。そして、娘が亡くなった二月のAnniversaryに、毎年、そのRoseがかわいい花を咲かせるのだ、と。それを聞いて、その場の聴衆はみな、心が安らぐのを覚えたのであった。

―――

 ここ、南カリフォルニアではRoseは年中咲いているようなものなので、(そして事実、私の家の庭でも年中バラの花が咲いている)2月にバラが咲いたといっても、ピンとこないが、アメリカは、ほとんどは寒いところなので、2月に花が咲くなどということは一般に考えられない。そこで、子供の2月の命日に、バラの花が咲くということが、Miracleともいえる意味を持つ。まさに奇跡が起きているのだ。

 以上、この本の中から4件紹介した。Hospiceは神聖な天職であると思う。死に行く人に慰めを与え、家族にも安らぎを、そして自分もAfterlifeの片鱗を垣間見るチャンスをえるわけである。時には臨死者の体験をShareすることになり、光が部屋に満ちたりするのを体験することもあるようで、そういう体験をすると、あきらかにAfterlifeがあると自分で確認できることになる。死が恐怖の対象でなくなり、その後の人生を積極的に生きる勇気がわくことになる。Hospiceの仕事は大切な、意義深い天職であると思う。

 

村田茂太郎 2015年10月27日