11月の終わりごろとはいえ、さすが本州最南端の南紀州、海の色はあかるい青色をしており、海には熱帯魚が泳いでいました。
大島は昔から船で通うので有名で、歌にも「ここは串本、向かいは大島、仲を取り持つ遊覧船」と歌われていました。
今は立派な橋ができ、らくにこの島を訪問できるようになっています。
樫野崎燈台(かしのさき とうだい)は日本最初の、イギリス人設計の燈台とのことです。
この燈台に行く手前に立派な墓碑がたてられていて、それは当時、トルコ帝国の海軍がこの沖で台風のために沈没して500人を超える死者を出し、また助かった人も何十人かいて、地元の人々が助けたもようで、明治天皇も特別に気を使われたとか。それに報いるというか、1970年代のイラン危機の事態で、日本人を脱出させるのに、トルコ政府が援助したとかという話があるほどです。日本政府は台風警報を発し、トルコ軍艦にも台風を避けるように、出航をやめるように呼びかけたそうですが、オスマン帝国への責任からか、艦長は無理を強いて出航して、結局、大惨事を招いていしまったようです。
このお墓守りというかトルコ人がトルコ絨毯の店を出していて、同時に多分、この墓所を管理しているようでした。まあ、気候の素晴らしいところで、きれいな自然環境であり、めぐまれた場所での墓守といえます。トルコ政府から資金援助がでていないと、絨毯をうるだけでは資金繰りも大変でしょう。
心広く、寛大に対処していれば、いつどこで幸いに出会うかわかりません。Unlimited Loveとか寛容、救済の精神はいつどこででも展開されねばならないようです。
村田茂太郎 2014年12月21日
トルコ海軍遭難者の碑 |
トルコ絨毯の販売展示 |
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