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2/24/2014

我が家の犬猫 -Hana 8周年記念日2月24日 from Bakersfield Animal Shelter

我が家の犬猫 -Hana 8周年記念日2月24日 from Bakersfield Animal Shelter

 8年経ちました。
Bakersfield まで往復2回のドライブで手に入れた犬。Hana.
それだけ苦労した価値はありました。
どれほど喜びを与えてくれたことか。
また、どれほど心配したことか。
でも、今、約10歳、無事、元気に明るく生き延びて、毎日を幸せで満たしてくれます。

 Hanaにはお腹に、多分Shelterで野良犬をPick upしたしるしに、囚人番号みたいに管理用に刺青でナンバーがいれてありました。それで、Hanaちゃんは”刺青の女”やなあ と、昔、ワシントン州のOlympic National Parkでであったカナダ人の腕にナチスが施したと思われる囚人ナンバーを見たことを思い出していました。刺青の男 といえば、Ray Bradburyの”Illustrated Man"の日本語訳の本の題名でした。BakersfieldのShelterは悪くなかったし、ワーカーもLos Angelesから2時間のドライブで2回もやってきた私たちがHanaをPick upしたことを喜んでくれましたが、刺青に関しては、私はけしからんと思いました。

 最近、わたしはHanaにPrincess Hanaから Queen Hanaに名前をUp gradeしました。今は身体もしっかりして、毛深く、安定感と重量感があり、どっしりして、ゆうゆうとマイペースで行動するので、もうPrincessは卒業したと判断しました。

 もっとも、Shelterでは13ポンドでやせ細っていたのに、子供を出産したあとが歴然としていたので、本当のPricessではなかったのですが。

 どうしても体重が増えがちなので、Dietは大切です。(今日、Hanaを洗うまえに体重を量ったら、なんと28ポンドを越えていました。これははじめて。要注意!おいしいものを食べさせすぎました。)

 ホメーロスHomerのOdysseiaでは犬のアルゴスが20歳までは生きて、まず隠れて戻ってきたOdysseusを認めるわけで、今から3千年昔でも、犬は20歳まで生きたことはわかっており、Hanaにもあと10年は頑張ってもらわないといけないので、健康管理には特に気をつけねばなりません。それには、毎朝の散歩が特に大事で、わたしは自分の健康管理のためにも、そして近所の各種の花々の美しさを心から楽しく味わいながら、散歩できることを心から感謝して一緒に歩いています。

 すでに6回に分けて、主にHanaの成長のあとを示す写真を紹介してきました。

 このブログをOpenしてからは、そのつど、Hanaたちの写真を紹介していますが、特にAdoption8年目(10歳)にあたる最近のHanaと家族(Eureka, Thumper)の写真をご覧いただきます。

村田茂太郎 2014年2月24日

2014年2月24日 8周年 洗う前

2月24日Hana Adoption8周年記念日 洗う前

Hana洗ったばかり 2014年2月24日

Hana、なんとWeight28ポンド、はじめて。Dietが必要!


HanaとThumper

Eureka, Thumper, Hana ーEmperor Eureka, Queen Hana, Thumper the Knight









いつも最初に入るのは親分Eureka

TabebuiaとHana

EurekaとHana

HanaとThumper Living Roomで

Trumpet Tree Tabebuia





Hana、Eurekaと顔を突き合わせて挨拶
 
8年前 2006年2月24日 13ポンド

2014年1月31日 27ポンド

 

2/23/2014

「心霊現象の科学」をめぐって - 不思議な出来事 2014年2月22日

「心霊現象の科学」をめぐって - 不思議な出来事 2014年2月22日

 昨日、2月22日、私はブログ開設2周年記念日ということで、私のブログに関する感想を述べ、最後に P.S.として、私の著した本の宣伝がYomiuri-Onlineの発言小町をクリックしたときに右側に現れる広告のなかの”楽天コーナー”の”オススメアイテム”というところに現れてくることを述べました。教育的な本が順繰りに紹介されている、その中に、私の本がここ数ヶ月、そのリストから消えることなく現れてくることを記しました。私が宣伝費を払ったわけでもなく、頼んだわけでもなく、自発的に”楽天”が宣伝してくれているようでした。

 昨日の夜、Yomiuriに入り、発言小町に入り、右側の広告コーナーをみたところ、最初は何もでていなくて、本の表紙も何もなしに順繰りに動いていましたが、突然、そこに私の本が全面、つまり広告の部分4冊分を占める形であらわれて、つぎつぎに移動していくにもかかわらず、私の本ばかりあらわれていました。

 これはおかしいと感じて、すぐに、その場面を写真に撮り、いったん、Yomiuriをでて、ComputerもRestartしました。そして、再起動でYomiuriに入り、発言小町に入って、右側を見ると、いつもと同じように教育的な本がつぎつぎにあらわれ、私の本もそのなかの一冊として広告部分の四分の一をしめるかたちであらわれ、次に動いてゆきました。それで、ふつうなので、普通に戻ったわけでした。それでは、私の本が広告部分全面を占めてつぎつぎと現れてきたのはどういうことであったのか。

 2月21日に女房のいとこから、私たちが親しんだ従兄弟がなくなったという知らせが届きました。わたしはこのニュースを知らせてくれた弟のほうと親しくなる前は、この亡くなった従兄弟のほうとより親しくつきあっていました。立派な日本人の典型のように思っていました。エコノミック・アニマルとかセックス・アニマルとかというふうに日本人を非難する風潮が現れてくるなかで、彼のようないい意味での典型的な日本のビジネスマンもいるのだと誇りに思っていました。そして、私のコンピューターの Screen Saver Slide mode で、彼と一緒にSan Diego方面に旅行したときの彼の写真が毎回でてきていました。毎日、挨拶をしているようなものでした。その彼がストロークでComa状態になって、身動きもできないということで、Psychic Healingでなんとかならないものかといろいろ勉強もすすめていました。

 結局、まにあわず、亡くなったということでした。私はすでにPsychic Scienceの勉強で、Afterlife霊魂不滅を信じるようになっていたので、死もそれほど恐れるものではなく、かえって身動きのできない肉体からの解放ととりました。

 それで、Josie Varga”Visits from Heaven"その他の本を読むと、死はTransitionエネルギーレベルの移行で、Low からHighに移ったということで、Heavenから故人がいろいろなメッセージを送ってくる、それはまさにあの世で生きている存在証明であり、Attentionでもあり、また身の回りにいることの自己主張でもあるわけで、いろいろな不思議な現象があらわれるということが記されています。この本の中にもいろいろな不思議な現象があらわれ、なくなった人の家族は故人を身近に感じ、なぐさめられたと記されています。(この本の紹介は、またのちほど。)

 そこで、私はこの楽天コーナーの本の宣伝のところで、一時的とはいえ、すべてが私の本で埋まったというのは本来ならありえない話で、これはまさにParanormal現象、故人が意図的に起こしたのではないかと感じられます。

 私自身はあまりサイキックではない(サイキックだとMediumは言いますが)はずなので、ただ、不思議な現象が起こるということで、まさに故人が起こしていると考えるわけです。はっきりいえることは、私はこうして心霊現象の発現に興味を持ち、非常に柔軟な姿勢でいるので、霊界・天国からはわたしにアクセスしやすいということが言えるかもしれません。Openな態度というものは、Receptive 受け入れやすい状態ということだと思います。

 最近、これに限らず、”腕時計”に関しても奇妙なことが起こり、もうこの腕時計はつかえないのかと思ったほどでした。これは、わたしが一緒に何度もアメリカと日本を旅した友人がGiftとしてくれたものなので、これがおかしくなるということは、この友人に何かあったのではないかと思うわけです。今までは、わたしには三人、気になる状態の人がいたので、その誰なのかはっきり今のところわかりませんが、訃報が届いたということで、まずこの女房の従兄弟がこういうことをできるほど別世界で元気にやっているという通知なのかなと思う次第です。

 そこで、その昨日撮った写真何枚か全部を添付します。これに関しては”楽天”にたずねてみることも可能ですが、わたしはその必要を認めず、自分でParanormal現象がおきたということで、納得状態にいます。

 写真は5枚撮ったようで、最初の3枚が異常な、私の本「寺子屋的教育志向の中から」で埋められた広告部分、最後の2枚がそのあと、いったんShut downしてコンピューターを再起動して発言小町にはいったときの、いわばノーマルな現れ方。8時42分には異常で、8時46分には正常ということがわかる写真だと思います。

 不思議な現象が身近に現れた現場を写真に撮ったというお話でした。

村田茂太郎 2014年2月23日






SFV Bonsai Club 盆栽クラブ 2月例会報告

SFV Bonsai Club 盆栽クラブ 2月例会報


 今日、2月23日、第4日曜日、盆栽クラブの会合がマスター宅で開かれました。
元の予定では個人の盆栽を会長宅でやるはずでしたが、盆栽ショーでのセールス用のPlantの手入れをしないといけないということで、急遽、盆栽ショー・セールス用Plantのおいてあるマスター宅に集合し、みんなで、Trim等の作業を実施しました。数が多くて、時間がかかりましたが、今日はメンバー13名が集まったので、昼までには作業を終えることができました。

 そのあと、去年までは、自分個人の盆栽ではなくて、ショー用の盆栽を扱ったときには、労をねぎらう意味で軽いLuncheonをFast Foodで買ってきて、みなで食べながら話し合いましたが、財政的にそんな余裕が無いことがわかり、1月の会合で、そのことを確認したので、もうフリー・ランチャンは無しで、飲み物と何人かがDonateしたもの(ドーナツやおいもなど)をいただきながら大事な話をみんなで検討しました。

 ここで、もう一度確認したことは、盆栽クラブは”奉仕の精神”で成り立つものであり、Volunteer Spiritなしでは、成立しないということでした。まず、緊縮財政ということで、無駄な出費は省き、Special Laborが必要なときでも、それはVolunteerの奉仕の精神でするということで、まずこの1年どうなるか様子を見ることになりました。

 メンバーの中には、私同様、この盆栽クラブの会合に出て、たのしく語り合えるということを楽しみに出てこられる人もいるわけで、そういう長所を維持するためにも、必要でない経費は削り、必要なものは購入(飲み物やおつまみ、そして盆栽用Wireなど)できるように、この1年努力しようということになりました。

 私のこの何年かの経費の分析で明らかになったこと、あまりにも気前よく払いすぎた経費は全部カットすれば、なんとかやっていけるだろうということで、納得しました。まだまだ問題がありますが、ときどき、みんなで問題を出し合って、検討するようにしようということで散会になりました。

 今日は暖かく、さすが南カリフォルニアと、2月とは思えない気候をあじわいながら、作業を行うことができました。日本やアメリカ北部では雪と寒さで大変なのに、ここロサンジェルスのSan Fernando Valley は、本当に春というか初夏というか、まさに花が咲き乱れる季節でした。

 次回、3月23日は会長宅で自分の盆栽、4月27日はマスター宅でショー用盆栽の鉢上げということになっています。

村田茂太郎 2014年2月23日


















ブログ表紙写真 105回目 奥飛騨ロープウエイ 中部山岳国立公園 岐阜県、Japan

ブログ表紙写真 105回目 奥飛騨ロープウエイ 中部山岳国立公園 岐阜県、Japan

 2008年の2月に高山、白川郷、奥飛騨、下呂をたずねる旅行を日本の友人に企画してもらい、実行しました。

 私にとってははじめての景観でとても楽しめました。この雪深い奥飛騨にも中国人その他の観光客が沢山来ていて、観光立国日本がうまくいっているのを確認できました。しかし、政治情勢によって観光客の増減が起こるので、ビジネスを維持するのも大変だと思います。

 わたしたちのこの2月の旅行は、ことすぐあとの北海道旅行を含めて、すべて予定通りに運び、非常にラッキーでした。最近の日本の深い雪のなかで、飛行機や新幹線が欠航になっているのをみると、冬の旅行はかなり余裕を持ってやらねばならないと強く感じました。

 このあと、5月に軽井沢、上高地、乗鞍などの旅を実行し、日本はやはり非常に美しい自然に富んだ素晴らしい国であることを確認でき、うれしく思いました。


村田茂太郎 2014年2月23日

奥飛騨ロープウエイ頂上 展望台からの眺め、 中部山岳国立公園 Japan

展望台からの眺め