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4/26/2013

Emily Grayson 「The Gazebo」(1999) を読む


Emily Grayson 「The Gazebo」(1999) を読む
 

 私の朝の犬の散歩のコースで、ほとんど必ず、どこかの家で裏庭に小さな Gazeboのある家の前を通ることになる。Gazeboとは英語の辞書ではSummerhouseとか Roof Turret with a fine view とかと説明してある。これでは、よくわからない。普通は Octagonal八角形の屋根を持ったあらゆる方向にOpen Tea Houseのようなもので、イメージとしては映画 Sound of Music の最初のほうで、若い男女がSeventeenの歌を歌いながらおどる休憩所のようなものである。映画では広大な敷地を持つ金持ちの家の庭にあるので、立派なものであったが、普通の家にあれば、それは外でまわりの風景を見ながらスナックを味わう休憩場所といえるだろう。ともかく、目立つのは屋根のかたちと、壁のないOpenな小屋といった感じである。

 街の中にあればそれは、いくつかのベンチをもった休憩所の感じになる。公園の一つの焦点のようになるかもしれない。屋根は八角形とはかぎらないようだ。

 このEmily Grayson の「The Gazebo」は290ページの小編なので、すぐに読める本である。私は2001年に買って、その日に読み終わったと最後にメモがしてあり、Goodと書いている。どんな話であったのか忘れてしまい、今、各種のRomance, Love Storyを読んでいるので、もう一度読み直してみた。

 話はニューヨーク北部の町にある地方新聞社の編集長である女性をある老人が訪問して会いたいというところから始まる。編集室は時間制限があったりして、ゆっくり話している暇はないので、どういうことかあらすじだけ簡単に聞こうとする。男は鞄を持っていたが、それはあけないで、これはLove Storyであることをつげ、この話の男女は、街にあるGazeboで毎年会うという行為を50年続けてきたという。(ということは、ふたりは結婚していないということである。)その Love Storyは新聞のそういう記事のところにふさわしいだろうというのである。そして、明日がその Gazeboで会うことになっている日だといって男は立ち去る。

 なんとなく気になる話で、翌日、その夕方の時間帯に彼女は Gazeboに出かけてみた。いろいろな人がくるが、それらしい人は来ない。何かの理由で来れなかったのかと思い、Gazeboの中の様子をみると、ベンチの下に昨日見かけたカバンが置かれている。不審に思って、カバンをとりだしてみると、鍵はかかっていなくて、中のものがあらわれた。そのメモに編集長である彼女宛のメッセージがあるのに気が付き、まあ、だまってカバンを開けたのは間違いではなかったと悟る。

 そして、もう、この男は二度とここには来ないという確信を持ち、新聞社にもちかえって、中を調べてみる。テープや新聞記事や飛行機の切符のきれはし、いろいろな情報が詰まっている。そこで、ひとりで、時間をかけて、そのテープを聞き、同時に自分の身の上も考えてみる。あの男が、この Love Storyの当事者であったことは明らかだった。

 これは、Nicholas Sparksの“Best of me”と逆で、High Schoolの男子生徒 Martinのほうが金持ちの息子で、女生徒Clairのほうは同じ学校でも下町の娘である。貧乏ではないが、つつましい生活をしている親子である。住む地域が違い、金持ちの親のほうは帽子を作る会社の昔からの社長で、その地域のボス的存在であり、やりかたが悪どくて、だれからも嫌われ恐れられている。その妻は昼前からアルコールを飲み、外聞や見得ばかり気にしている女である。男のほうの家系は代々プリンスントン大学の出身で、息子もプリンストンでビジネスを専攻することになっていた。

 男は、父親のありかたが気に入らず、下町に出向くと、下町の連中にかこまれて、殴り合いになり、けがをする。助けに入ったのが同じ学校に通っている女性Clairで、彼女は気安く自分の家に誘って、彼の手当てをする。そのとき、顔の腫れを冷やすのに、Steakがよいという彼女の案で、たまたま冷蔵庫にあった一切れの肉で顔を冷やす。彼女の父親が仕事から疲れて返ってきて、今日は肉があるそうだなというのをきいて、これがそうだと気が付く。父親は娘に肉を料理するように言って部屋に入ってしまう。

 男のほうは、金持ちの料理人のいる家で、フランス人の若い女性クックが料理をするのを見るのが好きで、時に料理の用意の仕方をおそわったりしていたので、その父親が娘にたのんだ Steakの料理を自分にやらせてくれといい、女の子が驚く間に上手に本格的な肉料理をつくりあげる。彼女が父親に運んだとき、父親はこんないうまいステーキは初めてだという。彼は娘が作ったと思っていた。

 そうして、二人は仲好くなり、そのうわさは彼の父親にまで聞こえるようになった。親は最初は遊び程度だと思っていて、軽く見ていたが、本格的だと知って、仲を裂こうとする。Martinのほうはプリンストンに行くことになっていたので、それで終わるだろうと思っていたら、ふたりは彼がプリンストンに行っても、ことあるごとに帰郷して娘と会っている。そして、プリンストンの3年も無事終わり、最後の年の最終テストで彼はあっさり投げ出し、親には無断で、プリンストンを去る。Deanから父親に連絡があり、事実を知り、今すぐ帰って特別の試験を受ければすべては許可されると父親は説得しようとするが、親の道を歩む気がない息子Martinは無視する。

 彼は料理をするのが好きで、フランスやヨーロッパで本格的に料理を身に着け、立派なレストランを開きたいという夢を持っていた。一方、娘のほうは彫像が得意で、才能があり、Artの大学に行きたいとか、イタリアなどの本物の彫像を見たいと思っていた。それで、彼Martinは彼女Clairに、ふたりでヨーロッパにゆこうと誘う。金はおじいさんが、彼の誕生の際に彼のものとしてくれた秘蔵の物品があり、これを売って、しばらくは暮らそう、今、20歳で21歳になれば、おじいさんの遺産が手に入るから、それでヨーロッパでの滞在・勉強の費用はだせるだろうということであった。

 出国の手配で、彼女は Birth Certificateが見つからないから、国外旅行は無理だと気が付く。そのとき、二人の愛情の強さに感激したNotary Public公証人が、まだなり立てだけれど、リスクをおかして、証明書なしに必要な手続きをしてやり、彼らは無事ヨーロッパに発つ。

 フランス、イタリアなどで豪華なホテル生活をしながら、見聞を広め、もとの家のフランス人クックとも会う。彼女の紹介でアイルランドにわたり、料理のヘルプで見習いながら、就業を続けていた。そして、21歳になったときに、おじいさんからの遺産のはずの金を自分の口座に移そうとしたら、金はなくなっていた。つまり、父親が閉鎖したのであった。

 この父親というのが信じられないほど自分の信条だけで生きている男で、息子が自分の思う通りにプリンストン大学にいって、自分の Hat Businessのあと継ぎをする気がないと知ると、あらゆる手段を使って、その妨害をしようとする。息子の幸福を願う親ではなく、自分に反抗した息子は徹底的に敵なのである。金は一門も出さなくなっただけでなく、彼が故郷でともかく愛する女性とレストランで働いて料理の技術をいかそうとするのにたいして、町の権威である父親は、各レストランにあらかじめ通達をだしたのか、どのレストランも彼を雇おうとしない。最後に、Dinerだけは、父親の連絡も忘れたのか、即座に雇ってくれたが、彼が工夫をしておいしいものを作ろうとしても、認められない。結局、ヨーロッパに戻るしかない、ということで、愛する彼女のもとを離れて、ひとりイギリスにもどり、そして、レストラン経営で成功する。もともと、イギリスでふたりで結婚してという計画が実現する寸前まできていたのに、女の姉から電報で母親危篤と知らせが入り、彼女はかえることになったわけであった。

 そこで、二人は思い出の場所Gazeboで年1回、何があっても会おうという約束をし、彼は料理経営にイギリスで成功しながら、年1回、Gazeboを訪問していた。そのうちに、お互いに年1回の出会いだけという満たされない生活に不満を感じ始め、彼のほうには金持ちの未亡人が誘いをかけ、ことわるのに苦労するほどであった。そして、そのときのGazeboでの会話は、彼女のほうから、自分をさそってくれる優しい男がいる、お互い、今までのままでは不幸が続くだけだから、お互い違う相手と結婚してはどうかという提案を聞いて、彼はとまどう。しかし、二人の愛情はホンモノだから、年1回のGazeboでのOpenな会合だけはつづけようと話が決まり、そのとおりに、女も男もそれぞれ別の相手と結婚する。男はイギリスで子持ちの未亡人と結婚し、一応は生活的には満足できるようになる。女のほうも、彼との燃えるような愛情関係ではないが、立派な男性であり、子供そして孫ももつようになる。

 お互い、結婚相手に、この年1回Gazeboでの会合の話はしており、どちらの相手も、愛する相手が、それぞれ別の異性と年1回会うことを好ましく感じてはいないが、OKせざるをえない。

 そしてあるとき、Martinは夕暮れ、Gazeboに向かって歩いているとき、親が歩いてくるのに気が付く。避けるわけにゆかず、彼が母親に声をかける。母親も父親も年老いていたが、母親は息子に会ったことを喜ぶ。彼女はイギリスの知人から、彼がGazeboという名前の付いたレストランを成功させて、立派にやっていることは知っていた。父親とは冷たい挨拶だけで済ませ、形式的に機会があればイギリスのレストランを訪れてくれとだけいって別れる。まもなく、母親はなくなり、彼は教会の葬儀には隠れて出席した。父親が亡くなったときは、訪問も何もしなかった。彼らの遺産は息子ではなく、すべてプリンストン大学に寄贈された。

 そして、Gazeboで年1回の会合を続けている間に、二人はお互いに年をとり、女のほうはCancerになる。そして亡くなる。

 女編集長がGazeboをおとずれて、会えなかったのは、その前に女が亡くなっていたからであった。彼の残していったテープを聞き終わり、書類などみていると、記念的なものがしまわれていた。最後に、US Passport Application用紙がしまわれていて、Notary Publicのシールがしてあった。サインはニックネームでされていたので、気が付かなったが、よく調べてみると、それは彼女Abbyの父親の名前であった。つまり、二人にとって最大の事件ともいえるヨーロッパ旅行を可能にしたのが、Birth Certificateもなしに、書類にNotary Publicのサインをした父親であった。そして、一見、普通の親におもっていた両親が、このMartinClairの愛情関係に感激して、ライセンスを亡くするリスクを冒してまでサインをするほど、熱烈な恋愛を体験した両親であったと知る。そして、なぜ、この老人、Martinが編集長Abbyに、あなたしかいないと、50年にわたるGazeboでの会合の話をきかせたかったのかを理解する。

 最後に、Keyがでてきた。それは、Clairが父親の仕事を引きついで立派に成功させていたMaintenance Businessの倉庫のカギで、それをつかって倉庫を訪問した彼女は、その倉庫の中に、たくさんの彫像がしまわれているのを知った。それらは見事な出来栄えで、彼女がその制作をあきらめたわけではなかったのであった。彼は自分の望む料理のほうで成功をし、彼女はひそかに念願の彫像制作をつづけていたのであった。

 一度、Clairの娘が思春期で男との恋愛で悩んでいた時、彼女Clairは相談にのってやろうとした。そうすると、娘は母親の、自分の父親との熱烈とは言えない二人の在り方を見ているので、熱烈な恋愛をしていないものには自分の悩みなどわからないといい、母親から、お母さんは、あなたが聞けばひっくりかえるような、愛情と熱情に満ちたひそかな生活を続けてきたのだ、ときかされる。普通の母親に過ぎないと思っていたので、びっくりして、娘はすぐに恋人にうちあけたことであった。

 これは、不思議なLove Storyである。そして、不思議な親子のありかたの話である。Clairのほう親は、最初は身分違いを理由に消極的であったが、彼の財産状況を知り、ロンドンで料理の仕事を続ける必要を感じて、娘ともどもイギリスに帰れというが、なにぶんにも病気がちでほうっておかれず、結局、違う結婚をし、ただ、七夕の会合だけはつづけたのであった。この娘Clairの家庭はまともであった。男Martinのほうは、信じられないような話であるが、こういうケースもあるようだ。息子や娘の幸福というよりは、自分のメンツや考えが大事という親もいるわけである。この話では、それぞれ、無一文になりながら、苦労し、努力して、自分の才能を生かし、成功するという成功譚であった。愛情も放擲するのではなく、それなりに貫徹できたのであった。

 Kristin Hannahの「Home Again」という小説には、金持ちの父親が、娘を勘当してしまい、娘はひとりで17歳ほどで子供を産み、Single Motherの収容施設で苦労しながら、働き、勉強し、優秀な脳外科医となる話が書いてある。この場合、相手の男は事実をしらず、堕胎して、親とはうまくやっているだろうと思っていた。この Home Againも面白い話で、この父親は死ぬときには娘にすべてを遺して去った。

 アメリカでは思春期男女の家出が大変多い。今の状況を私は知らないが、あさひ学園教員時代に書いたいくつかの文章に、1年間の家出50万人とか、何年か後には100万人とかという数字であったことが書かれている。PBS教育TV Front Lineなどからの情報であった。このうち、90%は無事に家に帰るらしいが、あとはおぼろである。おそろしい犯罪に巻き込まれている可能性が無数にあるわけである。

 この Gazeboにある父親のような態度をとる親がいっぱい居れば、この小説は成功譚だが、ふつうはおかしくなるのが必然である。

私の母は、私に、立派になれとか、成功しろ、出世しろなどということは、一切いわなかった。あんたが自分で幸せに思える道をすすめばよいということであった。そのとおりに、私は父が希望した技術者のみちからそれて(まちがって入ったと気が付いた工学部を中途で退学し)、文学・哲学関係の方向に入って行った。

親は自分の意思を貫徹させるのではなく、子供の才能・性向、性格などをよく見抜いて、子供の天分を生かす方向に援助するべきであろう。不幸な子供たちがこの現在たくさんいることを思うと、家庭環境の重要さがますます切実に感じられる。

Kristin Hannahの小説やその他のLove Storyはそういった家庭環境の重要さを知らせてくれる面をもっている。

この 「The Gazebo」 は小編ながら、なかなか魅力的な一つの生き方を描いていて、後味は良いほうであった。


村田茂太郎 2013年4月26日

 

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