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9/24/2016

村田茂太郎 読書感想文集 その1

村田茂太郎 読書感想文集 その1

すでに「心霊現象の科学」関係のブログ・エッセイと小学6年生日本の歴史に関するエッセイは、このブログでばらばらに散らばっていたのでは読みにくいであろうと思って、いくつかに分けてまとめましたので、読者の方々には読みやすくなったにちがいないと思っています。

「心霊現象の科学」に関しては 1-7と補足の計8エッセイ集。「日本の歴史」関係は1つで全部。

同様に、私のいくつかの読書感想文(その主なものはロサンジェルス日本語補習校あさひ学園での生徒指導の際に、子供たちの興味をかきたてる目的で種々の内容で書き上げて紹介したもの)をこのブログで紹介してきましたが、これも散らばっていたのではと思って、3篇ほどにまとめることにしました。

あさひ学園時代のものだけでなく、この4-5年の間に読んだ本の感想などあるので、目次を付けて分載するつもりです。

出版用に編集・校正したものではなく、、書き流して生徒たちに提示したまま、あるいは一気に書き上げたままで、誤字脱字その他いろいろあると思います。ご容赦ください。

その1 は 目次から17 まで。

村田茂太郎 2016年9月24日

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村田茂太郎 感想文集 目次



1 “ロシアにおける広瀬武夫”島田謹二 を読む

2 「アメリカにおける秋山真之」島田謹二 を読む

3 James Patterson  “Sam’s Letters to Jennifer”(2004)を読む

4 James Patterson  “Suzanne’s Diary for Nicholas” (2001年) を読む

5 源氏物語 “花散里”をめぐって

6 「服装で楽しむ源氏物語」近藤富枝 を読む

7 小山勝清 「それからの武蔵」を読む

8 「An Invisible ThreadBy Laura Schroff & Alex Tresniowskyを読む

9 Nicholas Sparks The Notebook」を再読して

10 Nicholas SparksA Walk to Remember」を再読して

11 Nicholas Sparks 「At First Sight」を読む

12 Nicholas Sparks 「A Bend in the Road」を読む

13 Nicholas Sparks 「The Choice」を読む

14 Nicholas Sparks 「The Last Song」を読む

15 Nicholas Sparks 「Nights in Rodanthe」(「ロダンテでの夜々」?)を読む

16 Nicholas Sparks 「The Longest Ride」を読む

17 Nicholas Sparks “The Best of me”を読む
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18 Katia Mann カーチャ・マン 「Unwritten Memories」を読む

19 Nicholas Sparks 「The Rescue」(救助)(2000)を再読して

20 Philip Pullman “The Golden Compass – Trilogy” を読む

21 Kristin Hannah “Home Front”(2012)を読む

22 Kristin Hannah “Winter Garden” (2010) を読む

23 Kristin Hannah “Fly Away” を読む

24 Kristin Hannah “Comfort & Joy” (2005) を読んで

25 Kristin Hannah Once in Every Life」を読む

26 Kristin Hannah の本を読む

27 Tony Hillermanを読む

28 Emily Grayson 「The Gazebo」(1999) を読む

29 K.C. McKinnon 「Dancing at the Harvest Moon」を読む

30 J A JanceMysetryを読む 2014年10月11月

31 万葉集をめぐって(難訓の歌、なぜ?)藤村由加と李寧煕を読む

32 Zane Grey のWesternとアメリカ南西部の自然

33 有吉佐和子「日本の島々、昔と今」を読む

34 赤毛のアンAnne of Green Gables」をめぐって

35 Cynthia Koestlerの自殺をめぐって
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36 J.A. Jance Mysteryを読む

37 「ワーグナーとニーチェ」Dietrich Fischer Dieskau を読む

38 自殺論 その後

39 夏目漱石 「三四郎」などを読む

40 「風の歌を聴け」村上春樹 を読む

41 Jonathan Kellerman 「Victims」を読む

42 内村鑑三<余は如何にして基督信徒となりし乎>

43 “二重ラセン”をめぐって (ロザリンド・フランクリンとDNA

44 高群逸枝<火の国の女の日記>を読んで

45 “ヘルマン・ヘッセの童話”

46 “アナバシス”の魅力

47 “スコットとアムンゼン”   

48 “醒めた炎”(木戸孝允伝)村松剛 を読んで

49 “カロリーナ・マリア・デ・イエスの日記”

50 “北の国から”(倉本聰)との出会い

51 “ガラスのうさぎ”(高木敏子著)を読んで

52 “太陽の子”(灰谷健次郎)を読んで

53 “兎の眼”(灰谷健次郎)を読んで

54 “死者の書” (折口信夫)             

55 “瓶づめの小鬼”と私とスチーブンソン

56 “ビルマの竪琴”オリジナル映画=感想

57 “ハンレイへの思い”(政治と人生)

58 “中村真一郎 <頼山陽とその時代>を読んで”

59 “交友”(中国史の中の三つの交わり)

60  ユングの自伝        (Memories, Dreams, Reflections)






1 “ロシアにおける広瀬武夫”島田謹二 を読む

 伝記の名作は唯単に伝記人物を見事に再現するだけでなく、その人物が生きた時代・社会・人間関係・経済・地理・世相・歴史の動きなどを見事に描き出すことになるので、すぐれた伝記を読むものは一挙に様々なものを知り、確認し、感銘を受ける事になる。素晴らしい伝記を読んだあとには、いつも私は、その伝記人物だけでなく、その人物が生きた世界が広く深くわかったような気持ちになる。

 森鴎外の「渋江抽斎」を読んだときも、人物とその関係者への興味だけでなく、幕末動乱期の社会がひとりの儒者の生きた世界を描くなかから立ち現れてくるのを感じて、すごいと思ったものであった。

 今、この島田謹二の「ロシアにおける広瀬武夫」を読んでいて、わたしはまた、すばらしい体験をすることになった。ここで扱われているのは、ただ単に歴史上の人物“広瀬武夫”という日露戦争の英雄の姿だけでない。旅順港閉塞作戦の中、部下を救出しようとして落命した“広瀬武夫”の名前は、その後、悲劇の英雄として唱歌にまで歌われ、ことあるごとに軍隊の忠君愛国の宣伝に利用されてきた。

 その広瀬武夫がどのような人間であったのか、どのように生きたのかをロシア滞在の広瀬武夫に焦点を当てる中で、見事に、その当時の日本の社会・世相・歴史上の人物達の動きを描き出しただけでなく、世界の情勢そして人文科学的な広瀬武夫が旅をした土地の世相・風俗・慣習、地理などもあざやかに描き出すことになった。まさに、立派な広瀬武夫伝であると同時に、彼が生きた世界の情勢を活写した見事な伝記文学となった。

 著者島田謹二は東京大学の教授で比較文学の専攻である。比較文学者が軍人広瀬武夫の伝記をということで、少し奇異な感じがしたが、なるほどこれは立派な比較文学といえるほどの見事な伝記である。

 鴎外の“渋江抽斎”が成功したのは渋江抽斎という人物が鴎外の注目に値する偉大さを備えた人物であったからであるが、この広瀬武夫の場合も、この伝記をとおして浮かび現れる人物は、まさに日本が誇りうる、健全な人間像であり、立派な人物伝たりうる人物であった。また、その交友のまめやかさも、其の展開に大きなテーマのひとつとなることが示されていた

 わたしは日本の軍隊関係の情報には疎いが、この広瀬武夫伝や司馬遼太郎の“坂の上の雲”などを読むと、いい意味の軍人のイメージが浮かび出る。

“坂の上の雲” では私は日本で最初の騎兵隊をつくったといわれている秋山好古に魅力を感じたが、この本を読むとほかにも様々な興味ある人物が居たことがわかる。

 しかし、私達は広瀬武夫がなくなってからの歴史を知っている。この広瀬の交友の中にあらわれてくる目だった友人知人後輩として加藤寛治や田中義一などが登場するが、この日露戦争前夜のなかでの広瀬の彼らとの交友はうつくしい。しかし、彼らは第二次世界大戦に向かっていく中で、それぞれ日本史辞典に出てくるほどの大物のひとりとなり、日本を戦争に引きずり込んでいく張本人の一人となるのである。田中義一は首相として、張作霖爆殺事件が象徴するような大陸政策、国防充実、治安維持法改正、共産党弾圧その他、特別高等警察〔特高〕制度を全国的に実施、右翼的保守的軍事的な政治を主導。加藤寛治は連合艦隊司令長官を経て海軍軍令部長、ロンドン海軍軍縮会議に対して統帥権干犯を主張するという右翼的な行動がめだち、軍縮反対派の主要人物となった。

 もし、広瀬武夫が旅順港閉塞作戦のなかで死ななければどうなっていたか。広瀬武夫は加藤寛治や田中義一と仲は良かったが、やはり人物としては違っていたから、田中や加藤のような経歴には至らなかったであろう。彼自身は戦争の早期終結を願い、旅順港閉塞が無事終われば、単身、旅順に乗り込んでアレクセーエフ大将に会い、真心から利害得失を説いて、要塞を明け渡させ、無用の血流させないように説いてみるつもりであったとか。まさに直情径行の正直な人間が命をかけて国のために何かをしようとするというのが広瀬武夫の実際であった。

 ともかく、5年を越えるロシア滞在中にロシア語をマスターして、ロシア貴族達と対等に、親しく、愛情を持ってつきあい、二人の女性から愛され〔マリヤ・ぺテルセン、アリアズナ・コヴァレフスキーAriadna〕、ひとりとは戦争が終われば、ほとんど国際結婚になりそうな愛情豊かな関係がうまれていたようである。突然、帰国命令が出て、シベリア経由、危険な一人旅を無事実行し、貴重な報告資料を沢山提出した広瀬は最後のウラジオストックでも日本貿易事務官のミセス川上常盤からも、“武骨天使”とか“日本の騎士”と慕われ、真にすぐれた日本人のひとりであることを立証した。

 この本は広瀬武夫のまじめな働き振りを資料をつかって証明し、特にロシア海軍の実態を知るための旅行・見学・観察その他あらゆる行動を広瀬がまじめに、徹底的に実行し、みごとなレポートを作成していったことを実証している。まことに実務的にも有能な人物であったことがわかる。



この人物がロシア社交界で素晴らしい女性と知り合い、愛され、結婚までほのめかされるに至ったことは、彼の短い人生のひとつの頂点であり、よろこばしいことであった。これを通じてわかることは、ロシア貴族の中にはすぐれた人々も居たということで、大部分、すでに退廃的なったいた貴族社会の中でも、広瀬武夫の真実の姿を見抜ける人物達がいたということである。

最後の近くで(P404) 武夫の恋人のロシア女性アリアズナが、武夫がプーシキンの詩を漢詩に訳して紙に書き、同時に自分のつくった即興の詩を日本語で書いてみせたところ、彼女はこう言ったと書かれている。--「意味はわからないけれど、風情があるのね。ロシア人には、こんな美しい文字は書けません。ヤポーニャは小さくても、昔から立派な文化を持っているのですね。うれしいわ。いつだか極東へ行った兄の友達がかえってきて、ヤポーニャは極楽だって驚嘆していましたわ。ほんとうの極楽浄土があるとすれば、あの国ことだろう、と話していましたわ。わたしはヤポーニャがとても立派な国だということを疑ったことは一度だってありません。

アリアズナは広瀬武夫に接してからは、ロシアのどの貴族男性も武夫に比べて浅薄、軽薄に見え、ひとりで(!!!)武夫の下宿先まで出向いて語り合うのが楽しみとなった。武夫は明治時代の“武と儒”を身に付けた偉大な知識人たちと同様、その一人として、異国にあって、プーシキンの、自分が気にいった詩を暗唱して、ロシア語から漢詩に訳し、自分の感情を自作漢詩でうたいあげることができた。そしてトルストイの「戦争と平和」もロシア語で読み、ウラジオストックでは、英語で読んだという川島常盤と”戦争と平和”について親しく語り合うことが出来た。職業柄、武人とはいえ、文学的センスを充分に身に付け、それを交友のあいだで発揮しながら、あるがままの存在として、ロシアのどの男性ももたない人間的魅力を発揮し、ロシア貴族(子爵―海軍少将コヴァレフスキーの愛嬢)の真実の愛をかちえたのであった。広瀬武夫が日露戦争を生きながらえていたら、まちがいなく、ロシアへアリアズナを迎えに出かけたことであろうという印象がうまれてくるほど、この二人の愛情はこまやかで、真実なものであったようだ。

 1895年から1900年ごろというのは、帝政ロシアはすでに滅びようとしていた時期で、私達は1905年には血の日曜日事件がおき、1917年には文字通り、帝政ロシアは崩壊して、メンシェビキ・ボルシェビキの革命に至ったことを知っている。

 ここにあらわされたロシアはその最後の栄光に輝く帝政ロシアの実態であり、民衆や周りの世界の実態である。

 読み終わってみると、単に広瀬武夫個人の伝記としてだけでなく、広く帝政ロシアでの社会風俗やロシア周辺の地域の風俗・文化が描き出され、みごとな伝記文学となっている。広瀬の海軍関係のレポートの引用は漢字とカタカナ書きのために、読みにくいものであったが、彼の生の報告としてはもちろん必要不可欠で、彼の実務的な面を伝えているわけで、貴重な資料といえる。

「春二月二十四日、前節に書いた閉塞船“報国丸”を目指す港口に沈めて、広瀬は奇跡的に帰ってきた。しかし三月末の七日、第二次閉塞船の“福井丸”を指揮して、これまた目的をはたしたが、そのかえりみちに旅順港の波狂う港外で、広瀬は人も知る壮烈な最期を遂げた。愛する祖国を守るために大業をはたしただけでなく、愛する部下の死生をあんじて、ついにわが身までいけにえにした一大の勇士として、当時の日本人は、礼讃讃美の限りをつくした。」

「広瀬の英雄的行為に対する賛嘆の情は、西ヨーロッパ各国もわかちもった。中にもイギリスは、国民全体をあげて感嘆した。・・・」(P415)

 つぎに引用するのは江藤淳の山本権兵衛に関する伝記小説「海は蘇る」第二部の広瀬武夫の死をめぐる東郷連合艦隊司令長官からの公電について海軍大臣山本権兵衛が帝国議会で発表したという内容である。

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権兵衛は、虎の目で議場を見まわし、きわめて厳粛な面持ちで発言した。

「本大臣は、さきほど、東郷連合艦隊司令長官よりの公電に接しました。それによりますると、本三月二十七日午前二時を期して、旅順口第二回閉塞が決行されたのであります」

議場が一瞬どよめき、次の瞬間には水を打ったように静まりかえった。

「これより、東郷司令長官からの公電を読み上げます」

・・・・敵砲台からの砲火は、第一回閉塞のときにもまして激しく、海岸からの機砲と小銃による乱射もこれに加わったので、端舟に乗じて離脱しようとする閉塞隊員は非常な危険に曝され、ために犠牲者は前回よりも多きを数えた。・・・・

ここまで読み上げると、議場からため息がもれた。権兵衛は大海報十二号と記された東郷からの報告を読み続けた。

「・・・戦死者中、福井丸の広瀬武夫中佐及び杉野孫七兵曹長の最後は頗る壮烈にして、同船の投錨せんとするや杉野兵曹長は爆発薬に点火する為船倉に降りし時、敵の魚形水雷命中したるを以って遂に戦死せるものの如く、広瀬中佐は乗員を端舟に乗り移らしめ、杉野兵曹長の見当たらざるため自ら三たび船内を捜索したるも、船体漸次に沈没、海水上甲板に達せるを以って止むを得ず端舟に下り、本船を離れ、敵弾の下を退却せる際一巨弾中佐の頭部を撃ち、中佐の体は一片の肉塊を艇内に残して海中に墜落したるものなり。中佐は平時にても常に軍人の亀鑑たるのみならず、其の最後に於いても万世不滅の好鑑を残せるものと謂ふべし。・・・」

権兵衛の声は、深い感動のためにかすかに震えていた。虎の目が、涙をこらえてしばたたいた。

・・・・寂として静まりかえった衆議院の議場に、いつしかいくつかの嗚咽の声があがりはじめていた。

(江藤淳 「海は蘇る」第二部 p375-377からの引用。)

 命をかけた旅順口閉塞作戦であったが、実際的効果はあまりなかった。マカーロフ中将の旗艦ペテロパブロフスクの動きを執拗に愛用のツアイス双眼鏡で追跡していた東郷の目に、はじめてひとつのアイデアが浮かんだ。それは名将といわれたマカーロフ中将との知恵比べに東郷平八郎というほとんど無名の司令長官が勝ったということであった。そして、彼の指示で施設した水雷に触れて、旗艦ペテロパブロフスクは二分以内で沈んでしまい、東郷は轟沈(ごうちん)という言葉を使った。それはロシア艦隊全滅へのはじまりであった。

この辺の話は、司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」や今挙げた江藤淳の「海は蘇る」に、より詳しく述べられている。

「当の交戦相手の国であるが、ロシヤにも、ヒロセの壮烈な戦死状況は伝えられた。フォン・ぺテルセン家の一同が、この知らせを聞いたときの驚きと嘆きとは思いやられる。なかにもマリヤは胸つぶれて何日も泣いていた。あれほど立派な誠実な友はいなかったと思う。忘れようとしても忘れられない。ヒロセの追憶は雲のように湧きあがってくる。ヒロセの愛と真実とは、生ける日の如く今もなおそのままである。あんなに立派な高貴な人間は、ヨーロッパ人のうちにだって、そんなに多く発見できるものではない。父の博士は“ヒロセ君が!”といって声をうるませた。骨肉の兄のようにしたっていた弟のオスカルなどは、声をあげて慟哭した。マリヤ自身は一間にひきこもって泣いていた。ヒロセに対しては、あたたかい心からの友情を持っていたというだけでは、つくせなかった。あの人とあれほど親しい仲になれたということは、命のつづく限り胸おどる思い出なのだ。言えない。言えない。ほんとの気持ちはとてもいえない。・・・」(P415)

 

 ともかく、名前だけは英雄として有名であっても、実態は無知に等しかった広瀬武夫という人間の全貌が明らかにされたといってよい。もちろん、ロシア時代が中心であるため、子供の頃の話があるわけではないが、ロシア時代の広瀬武夫の言動をみるだけで、彼の全人間がわかるほどであり、広瀬武夫はまさに良い意味での日本男子、加納治五郎講道館三段の好青年であったことはたしかである。この本はその彼の人間的魅力を伝えて余りある

この本「ロシアにおける広瀬武夫」は比較文学者があらゆる資料を駆使して魅力ある人間像を再現させた傑作である。著者島田謹二は若い頃、詩人北原白秋を知った。この本は北原白秋の霊前に捧げられている。上田敏に対する共通の感情が著者と北原白秋の仲をとりもったらしい。1940年頃、まだ若い少壮の学者島田謹二に白秋は、「あなたは、まだこれという仕事がないねえ」と語りかけたらしい。それが刺激となってか、島田謹二はこの本「ロシアにおける広瀬武夫」を生み、「アメリカにおける秋山真之」を生んだ。比較文学者の学問的業績として、この二著は島田謹二の名前を不滅のものにしたのは間違いない。ほかの作品はともかく、島田の名前はこの二著と結びついて、ひろく後世に読み継がれてゆくであろう。

詩人北原白秋と親しんだというだけあって、島田謹二も詩的、文学的才能にめぐまれ、その片鱗がこの広瀬武夫伝の展開にゆたかさをもたらしている。

「広瀬という人は、ことがあれば手紙を書き、ことがなければ手紙を書く。三十六年何ヶ月の短生涯のうち書きしるした手紙の数は二千通に達すると思う。そのうち四百通近くが広瀬家に保存されているのである。恐らく明治の海将のうち、かれは八代六郎、秋山真之とならんで、屈指の書簡文家にかぞえられるだろう。八代ほどの純情切々、秋山ほどの深謀遠慮は、彼の手紙の中に求めがたいが、別にまた一種の妙味―流露する真情の文才があって、明治のナショナリズム文学の中で優に一家をなすに足るものがある。」(p8)。

 全く、素晴らしい本である。

村田茂太郎 2012年8月31日

(最後に、この本「ロシアにおける広瀬武夫」もわたしが知人のドイツ人未亡人から買い取った蔵書のなかから見つかった。同時に「アメリカにおける秋山真之」も見つかった。故人は同志社出身で、太平洋戦争が終わる寸前、海軍に所属していたとかで、戦争もの、海軍関係の本を沢山読んでいたようだ。村松剛の「醒めた炎」(木戸孝允伝)といい、これらの書物といい、彼は良い本を読んでいたようだ。)

朝日新聞社発行 「ロシヤにおける広瀬武夫」 1970年4月30日発行 著者島田謹二














2 「アメリカにおける秋山真之」島田謹二 を読む

 著者島田謹二は、この秋山真之(あきやま さねゆき)研究書のほうを先に手がけたらしい。秋山真之に対する島田謹二の思いいれは、この研究書が完成する30年ほど前から始まったという。

 有名な日露戦争での日本海海戦は第一報告電報“敵艦見ユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ直チニ出動コレヲ撃滅セントス本日天気晴朗ナレドモ波高シ”の文言で知られ、それは誰もが親炙するほど有名な表現となり、なかにはユリウス・カエサルの、これもまた有名な“来た見た勝った”に比較する人が居るほどであるが、この“本日天気晴朗ナレドモ波高シ”は秋山参謀自筆の伝言だと当時から知られていた。

 島田謹二はこの格調の高い第一報告の文言に魅せられ、秋山真之という人物に興味を抱いたようである。

 そうして、秋山真之が1897年夏〔29歳〕から1899年末までの2年半ほどのアメリカ滞在の期間において、どう反応していったかを追及し、6年ほどかけて2千枚の研究書を完成する事になった。その間、たまたま東京大学の図書館で手にした書物に“広瀬武夫”蔵書の印鑑が押されていたのに気がつき、蔵書の印鑑をこしらえて書物に押すほど軍人広瀬武夫が書物を集め、読んでいた事に感銘を受けたことがきっかけで、秋山研究は中休みのようにして、広瀬武夫を調査研究し、先に本として完成したということであったらしい。

 「ロシヤにおける広瀬武夫」伝はロシア滞在中の広瀬の行動が中心とはいえ、広瀬武夫の全実在が解明されたように感じるほど、見事な人物伝として完成し、それは同時にロシヤをめぐる当時の世界情勢、日本情勢の解明でもあった。そして同時に、日本男児としての面目を世界に示したともいえる、魅力的な人間像が描かれ、ロシヤの貴族の女性がその魅力にひかれたのもわかるような印象が生まれ、若くして亡くなったにもかかわらず、広瀬武夫は充実した人生を生きたと読者に感じさせる結果となった。

「アメリカにおける秋山真之」は人物が広瀬武夫と異なるせいもあって、全く内容も展開も異なる。2年半ほどのアメリカ滞在中に秋山真之が何を学び、どう自らの思想を鍛えていったか、当時のアメリカの状況はどうであったのか、アメリカの海軍や世界情勢はどうであったのか、特に秋山真之滞在中に起きたアメリカのキューバとフィリッピンをめぐる軍事的な介入とスペインに対するアメリカ側の圧倒的勝利は、秋山真之にとって、なまの海戦体験でもあり(観測武官として)、当時の世界情勢の中での貴重な見聞であった。そうした軍事的な資料をこまめに、全体にわたって渉猟し、まるで人物伝とか滞在記というようなものではなくて、この秋山真之のアメリカ対米記録が海軍史の研究書のような様相を呈するに至るのも、秋山という人物がしからしめたものであろう。

非常な秀才として選抜され、アメリカに派遣された秋山は、短い滞在の間に、あらゆる能力を発揮して、日露戦争の海軍参謀のNo.1に値するだけの実力を身に付けていくのを私達は知らされる。

 ものすごい頑張りようであり、明治の武人の本当のすごさを感じさせるものである。これは陸奥宗光の岡崎久彦による伝記を読んだときも感じたが、本当にまじめに、しっかりと勉強して、確実になにものかを身に付ける。いいかげんさなどどこにもない。いい意味の軍人の見事さを証明する研究書である。

 秋山真之は日露戦争の日本海海戦で参謀として大活躍をし、東郷平八郎連合艦隊司令長官のもとで、海軍を戦勝にみちびく主導的役割をはたし、のちに海軍中将にまで至るが、多分、日露戦争での過労がもとで、まだ若いうちに亡くなった。軍人は若い間は妻帯すべきではないという兄(秋山好古)の考えを引き継いで、晩年に結婚し、子供も生まれたようであり、夫人は1984年に85歳で亡くなったという。秋山真之自身は大正7年2月に逝去というから50歳前後で亡くなったようである。

 ともかく、この本は秋山がアメリカ滞在中に勉強した本のすべてを読み調べ、そして、アメリカ史において、モンロー宣言の時代から、帝国主義の国として、アメリカが世界的に飛躍してゆく時代に起きた主要な事件、キューバやフィリッピンをめぐる事件に関するあらゆる研究書に目を通して、当時を理解しながら、秋山の目にうつった情勢と彼の姿勢を解明し、秋山のその後の展開にどう影響していったかを描きつくした大変な労作である。

 明治の武人の魅力を伝える名著だと思う。秋山真之の分析力や明晰な判断力、そしてそれを文筆で見事に伝える文学的才能はすでに若くして顕著であり、例の有名な電報が生まれ、すべての軍人のスピリットを高揚させたのは、偶然ではないということがはっきりわかる。

 一軍人のある期間のある場所での研究書とはいえ、ここに明治時代の緊迫した世界情勢、日本情勢、海軍の日本国に対する強烈な信念などが同時に鮮やかに描き出され、良い意味でのNationalismの勃興を解明した良書のひとつともなっている。

 秋山の行動はマネジメントという視点から見たとき、統率者のもつべきあらゆる能力が彼自身の成長に応じて確保されていくのが手に取るようによくわかり、それが日本海海戦で文字通り生かされたのを私達は知る。

 これは広瀬武夫の魅力とは別なものである。広瀬武夫はいい意味での日本男子の魅力を世界に示し、まさにそのような献身的な人間として、彼の信じる国のために身をささげ、死んでいった。広瀬武夫が生き続けても、秋山真之のような実践的にマネジできる働きを示したとは思えない。いろいろなタイプの人間がいるわけで、同じく、すぐれた人間であり、すぐれた海軍の人間であったが、その働く方向は違っただろうという印象は残る。

島田謹二は、この海軍のふたりの人物を描きあげることによって、一般読者に不朽の名著を送ったという事になる。ともかく、このニ著は、読後、全然、違った印象を持つが、文学者が軍人に興味を持ち、その魅力を解明した書物という意味でも、それぞれ、すばらしい作品であった。

著者は序文にあたるところで、“この研究の志向について”という文章を展開し、「明治期日本人の一肖像」ということで、秋山をとりあげた理由などを述べている。やはり文学者が軍人を取り上げるということで、誤解されることをおそれたものであろう。出来上がった作品は本当に最高度にまじめで、充実した、誰が見ても本格的な研究書であり、人物伝である。

私が秋山真之という名前を知ったのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだからである。この本は日本で一番人気のある小説だという。明治という時代の魅力を秋山好古、真之兄弟を中心に描き出す事によって、明治という時代の持つ困難と活力を面白く、楽しく描き挙げた名作であると思う。わたしは三回ほどしか読んでいないが、また読み返したいと思う。特に秋山好古の活躍を描いた“黒溝台”の場面を。

 「ロシヤにおける広瀬武夫」 を読んで、ロシヤだけでなく、広瀬が訪れた国々や地方の地理・風俗・気候・文化状況がわたしにははじめてリアルに感じ取られたが、この 「アメリカにおける秋山真之」を読んで、秋山がアメリカの艦隊のなかの“ニューヨーク”に座乗の艦隊司令部付として実地見学を3ヶ月ばかり体験してくれたおかげで、メキシコ湾の諸国やカリブ海の風土がどのようであたのか、手に取るようにわかる。キューバをはじめ、カリブ諸国の地形・自然環境・民族その他、当時の生活の一部があきらかにされる。まさに情報に富んだ、内容豊かな、素晴らしい本である。

村田茂太郎 2012年9月8日、9月9日



「アメリカにおける秋山真之」著者 島田謹二 1975年12月発行

朝日新聞社 朝日選書52,53 上下二巻






3 James Patterson  “Sam’s Letters to Jennifer”(2004)を読む

 James Pattersonといえば、Dr. Alex Crossという心理学専攻のFBI捜査官、Police Detectiveを主人公とするMystery/Suspense Thrillerやサン・フランシスコの女性グループを主人公とした Murder Club Mystery、その他が有名で、今では、著作家として、ベストセラー世界 Number Oneということで、Guinness Recordの保持者となっているようだ。売れた本の数は何億というから、たいしたものである。いくつかは映画にもなり、最近は共著という形でいっぱい本を出している。

 彼の本は読みやすいので、Discountで手に入ると(Costco, Sam’s Clubなど)、わたしはすぐに1日で読んでしまう。Postcards Killersというのも、共著で、ベストセラーになったようだ。面白かったが、平気で人を殺せる人間をあつかった小説は読後もあまりすっきりしない。

 その点、どうしたことか、私には信じられないほどなのだが、彼は Love Storyをいくつか書いているのである。そして、そのどれもが、なんとなく心に残る、すばらしい小説なのである。これらも、やはりベストセラーになっている。

 わたしは過去に2冊読んでいた。「Suzanne’s Diary for Nicholas」と「Sam’s Letters to Jennifer」である。どちらも、私の読後のショート・メモとして、読み終わった日づけのほかに、Good とか Very Goodというメモが記してある。

 最近、私は図書館で彼の「Sundays at Tiffany」という本を見つけ、Mysteryのほうではなく、Love Storyであることを確認したうえで、借り出し、すぐに読了した。「Sundays at Tiffany」はもちろん、トルーマン・カポーテの「Breakfast at Tiffany」をもじったタイトルであるが、これは全2作より劣るとはいえ、まあ、わかる Fairytaleであった。

 子供が大人にはみえない友達と話している、これがテーマである。あわれな環境に居る子供に天使があらわれて、友達となり、8歳ぐらいで立ち去ってしまう。天使の言い分では、自分が消え去った後は、すっかり忘れ去るはずだということであった。この天使の職業はあわれな子供の慰め役ということであった。母親は金持ちで、ビジネス・ウーマンであり、何度も男をとりかえて、子供にはほとんどかまわない。そこで天使が登場していたわけである。母親はこどもを連れて日曜日にTiffanyへ行き(”Sundays at Tiffany”)、宝石を見たり買ったりするのが好きで、そのあと、ホテルのレストランで食事をする。子供には親には見えない天使の男が一緒にテーブルについていて、楽しんでいるという形で話は展開していく。そして、ある時期に男は消え去るわけである。

 ところが、この女の子は大人に成長していっても、この男友達のことが忘れられない。そして、あるとき、母親の真似をして、もう30歳になって、まだSingleなのだが、自分の子供のころの、親には見えない友達との関係を小説にする。それが、大当たりで、ドラマにもなり、映画にもなりそうだということである。ある日、彼女はこの昔の友達とそっくりの人間に出遭い、ホンモノだと気が付く。そして、最終的に、彼ら二人は結ばれるという Fairytaleである。

 この“Angel”をテーマにした愛の物語は、悲劇に終わるものとしては、Meg Ryan Nicholas Cageの“ City of Angels”がある、ある女を愛してしまった天使が、人間になるといわゆる不死ではなくなるという法則を知ったうえで、その女と暮らしたいと思って、天使でなくなったとたん、女は Lake Tahoeのドライブで自転車に乗って両手を放して、上を向いて走っていて、突然、横からあらわれたトラック18 Wheelerにぶつかって死ぬという話である。わたしは Lake Tahoe の Scenic Driveを何度かドライブしたが、まがりくねった道で、自転車とはいえ、両手を放して、上を向いて、目をつぶって走るなどというのは、ありえない話で、“リア王”や“乱”などと同様、悲劇に終わらせるためにわざと死なせるというトリックがみえみえで、あまり感心しないのだが、こういうストーリーが好きな人もいるようだ。

 あるいは、ほかに天使が主役のJohn Travolta主演の Michael, Michaelというのもある。ストーリーは忘れてしまったが、ともかく、Angelをテーマとした作品の一つである。

 ここで、サイキック・サイエンスを勉強した私は、ある種の子供は,本当に、Angelではなくて、おとなには見えない人間がみえるだけでなく、ちいさな子供たち(亡霊)と一緒に遊んだりするが、8歳くらいになると、別れていくという話を実話として、幾度も読んできた。有名なサイキック Eileen Garrettの場合に限らず、Edgar Cayceにしても、数多くのサイキックはふつうの人には見えない人間を見て、会話もかわせるわけである。つまり、この亡霊のような存在は実在していて、想像の産物ではないのである。

 つまり、この事実だけで、人間は死んだら無になるのではなく、何らかの意識や個性が残って、それをCatchできる人間がいるということがわかり、この地球上で今までに無数の Ghost Storiesその他の不思議な話が生まれ、後世に伝えられてきたのも理由があることであったということになる。

 また、すでにこの“心霊現象の科学”のなかのブログで書いてきたが、コナン・ドイルのように妖精Fairyを写真に撮った子供がいて、それを研究して本で発表する(“Coming of FairiesSir Arthur Conan Doyle)ということも起きた。写真はホンモノだが、ある種の人間には、頭で描くイメージをまるで本物のように自然の中に生み出す能力が備わっていることを知らなくて、それらの Fairiesは本当に、空想でなくて存在し、写真にもとれると信じたわけである。(?)

 私の今までのサイキック現象の勉強のなかで、わかったことは、ある種の特殊能力を持った人は自分の頭に描くイメージをほかの人にもわかる形で生み出せる能力を備えていること、自分のダブル、Astral Bodyを人に見える形で送り出す能力をそなえていること、つまり生き霊は事実可能であること、などであった。ドイルの見た Fairiesの写真も写真はホンモノだが、超能力を持った子供が自分のイメージを空間に描きだし、それを写真に撮ったということであった。しかし、どうであろう。本当に、この空想世界の産物と思われるものたちが、この世に存在して、われわれ、普通の人間にはわからないだけなのかもしれない。

 少し話が横道にそれてしまった。ということで、James Pattersonは、Love Story関係の小説もいくつか書き、ベストセラーにもなっているということで、先日、私の倉庫を訪れて、この中の1冊、Sam’s Letters to Jenniferを見つけて、Goodと書いてあるが、どんな内容であったのか忘れてしまっていたので、どうせ一日以内で読めるということで、再読することにした。Hard Coverの大きな字で、スペースもいっぱいで、280ページほどの本だが、すぐに読了できた。

 先日読んだ Kristin Hannahの「Comfort & Joy」も湖畔の家をめぐる話であったが、この Sam’sの本も Chicagoから北に上がったWisconsinにある Lake Geneva という湖畔の家をめぐるLove Storyであった。そして、これも、悲劇ではなく、Happy Endingであったので、私は安心して読むことができた。この現実の世の中は悲劇に満ちているので、せめて小説の世界くらいは、あかるく楽しく、こころがすがすがしくなる世界を描いてもらいたいと思うようになっているので、この本を再読してよかった。

 これは Second Chance 第二のチャンス の話である。夫と同時に胎児までなくしてしまった主人公の女性が、ただひとり信頼し、愛する Grandmother祖母が Coma意識不明 の状態になったという知らせを得て、祖母である Sam (Samantha) の湖畔の家にやってくる。そして、回復を祈りながら、ひとりで生活しているうちに、同じくひとりで帰省していた昔の男友達に出会う。彼女は、夫がハワイで水死事故にあったのは、自分が仕事で急に一緒にハワイにゆけなかったせいだという罪の意識になやまされて自立できない。

 そんなとき、祖母が家に置いていった手紙の束がたくさんあり、自分あてになっていて、順番までうってあるのを知って、時間をかけて読み始めることになる。そして、彼女は幸福な結婚をしていたはずの祖母が新婚の日から、まちがった夫を選んでしまったと気づき、しかも貞淑な妻として、二人の子供をそだてて、あきらめの日々を送っていたことを知って驚く。

 自分あての手紙のスタイルで、祖母が彼女の知らなかった人生をあらわにしているのを読むうちに、彼女 Jenniferは、祖母がそのうちに、第二の人生を選び始め、絶望の人生、結婚後の不幸な人生にはじめて生きがいを見つけだしたのを知る。祖母の良さを認め、それを一緒に生かそうとする、いわゆる Soulmate(魂で結ばれた相手)といえる男性を湖畔の家の近くの町に見つけたのであった。

 そして、楽しい相手とのこれからの人生にすべてをかけて、夫とのことはどうなってもよいと決心し、あたらしい関係に入っていく。そして、夫が突然、急病で亡くなり、もう、二人は公然と仲良く振舞い、Ringまで用意する。ところが、彼女にとっては祖母が再婚したという話は知らないから、どうなったのかと思う。

 そのうちに、祖母がComaの状態を脱して、意識を回復し、いったん家に戻ってくる。そして、その Soulmateが誰であったか、どうして再婚を公表しなかったのかなどがあきらかにされる。これが、Sam’s Lettersをめぐる内容であるが、Jenniferは、この手紙を読みながら、罪の意識から解放され、あたらしい男性と希望にみちた交際を始め、第二のチャンスがきたと、再婚をする決意までする。ところが、Jenniferは、実は男はドクターであるが、脳のCancerで、これはめずらしい種類で、手術は成功するチャンスが少ないし、うまくいっても後遺症が残るとかということで、この夏のわずかな日々だけ楽しく生きようと考えていたと知る。そして、ある日、男Brendonは突然、メモを残していなくなる。男は、愛する女と生きるために、失敗するかもしれない大脳手術を実行しようと決意し、ひそかに去って行ったのであった。Jenniferは必死に愛人のゆくへを探し、Mayo Clinicというその種の(癌の)最高権威の病院にたどりつく。そして、男と会い、男の親とも会い、男が命がけの手術をする決意をしたのは Jenniferを愛するからだときかされる。ながい手術を待ち、最後に医師から成功したとつげられる。何日かたって、湖畔の家に戻り、祖母は結局死んでしまうが、その家を孫の Jenniferに残し、若い(40歳前後)二人は結婚し、子供が生まれて Sam (Samantha)と名付け、Happy Endingとなる話である。

 結婚に失敗した祖母が第二のチャンスをつかまえて、しあわせになり、それから学んだ主人公 Jenniferも、第二のチャンスをつかまえて、より強く生きようとするというHappy Ending Fairytaleである。

 短い小説であるが、次はどうなるのかという小説的興味を持続させるように出来上がっていて、まあ、読んだ後も、悪い気はしない。湖畔の家という設定もなんとなく牧歌的で、この種の Love Storyには欠かせない要素となっている。若い(?)二人は誰もいない朝の湖に家から裸で飛び出して、全裸で飛び込んだりするのである。

 もっとも、サイキック現象をたくさん勉強した私には、祖母が亡くなっても、Jenniferにとっては、別にそんなに悲しいことではなかったろうと思われる。第二の人生を充実して生ききった人間の満足を感じられたに違いない。私自身にとっては、死後も魂が別の次元で存在し続けるのは、今では明らかなので、別に死をおそれるわけでもないし、逆に楽しみにしているほどであるが、それだから一層、今生きている人生を充分に、後悔のしないように生きたいと思う。

 Suzanne’s Diary for Nicholas のほうも、探して、もう一度読みなおしたいと思う。この方は、大体筋を覚えていて、最後はHappy Endingにならないで、母子が、ドライブ中に心臓まひになったため、クルマの事故で死んでしまうという話であったように思う。倉庫を苦労して探すよりも、図書館を利用するほうがらくかもしれない。ほかの本を探していた時に、Suzanneがあるのを認めたから。



村田茂太郎 2013年3月16日






4 James Patterson “Suzanne’s Diary for Nicholas” (2001年) を読む

 この本を私の倉庫から探し出すのはあきらめて、図書館を訪問した。この種の本は読みやすいので、すぐに読み終わった。

 確か、Suzanneとその幼い息子が、ドライブ中にHeart attack心臓発作が起きて、事故に遭い、死んでしまう悲劇だったなあと思い出していたが、それに間違いはなかった。

 ただ、題名はSuzanneで、内容も、ほとんどSuzanneがテーマであったが、もう一人、大事な主人公ともいえる人物がいて、それが最後にはHappy Endingに終わっていたのを忘れていた。

 この本を2001年に読みだしたとき、ひとつ気にいった譬えに出遭った。

 Five Balls Jugglingの話である。

 Suzanneはドクター医者で、まじめにドクター稼業をこなしていたので、ある日、まだ30代の若さでHeart attackに出遭った。そういえば、彼女の家系は心臓が弱いらしく、祖母からして、若くして亡くなっていたので、彼女も自分で要注意すべきであった。

 働きすぎたボストンでの病院勤めをやめて、有名なMartha’s Vineyard (Island)に移った。そこで、無理をしない程度の病院勤めをしながら、静養もしていて、SuzanneMattというおとこに出遭った。ここにMattが二人出てくる。

 話は、Katie Wilkinsonという女性がMattという愛する男性に突然理由もなく去られてひとりぼっちになり、Packageを受け取るというところから展開する。

 その小包にはMattの手書きの自分あて宛名が書かれていたが、中から出てきたのはSuzanneという女性のDiaryであった。

 そこから判明したのは、このMattが、NicholasDaddyであり、SuzanneHusbandであり、そして自分Katieの、見捨てられたように感じている今では Former Loverであったということであった。

 それでは、MattSuzanneという妻とNicholasという子供が居ながら、自分Katieと関係を持つようになったのか、過去を一度も知らせてくれなかった男の正体はなになのか。

 そして、ゆっくり、このSuzanne’s Diary を読み進むにつれ、状況が解明されていく。

 SuzanneNicholasがうまれて2週間目から、Diaryを、将来、息子が読めるように、息子宛に書くようになる。それは、息子の父親Mattとの出会いなども含めての記録で、息子が成長した時の大事な記録となるであろうということであった。

 BostonからMartha’s Islandに移って、すぐに知り合いになったのがMatt Wolfという高校のデート友達であった。20年前、まだ16歳のSuzanneがデートをしたのが18歳のMatt Wolfであった。Suzanneはドクターになり、Matt WolfLawyerになり、それぞれ別の人生を送っていき、Martha’s Islandで再会したわけであった。

 このMattNicholasの父親になるMattではなくて、二人は間もなく、別れていき、そのSuzanneの家の修理・ペイントにきていた男Matthew Harrisonという男が、実は詩人でもあり、有能な男であることがわかり、Suzanneの愛人そして夫となるMattであった。

 Suzanne’s Diaryのなかで徐々に彼女のその後の人生が展開されてゆく。

 自分が妊娠していることを発見したKatieが愛人のMattに告白しようとしていて、突然、Mattがいなくなり、SuzanneDiaryが送られてきたKatieは、SuzanneDiaryを読み進めるうちに、自分の愛人Mattは、Suzanneという女性を愛し、結婚し、子供まで生まれていたことを知る。

 それでは、その後、MattFamily Lifeはどうなったのか。読み進めていくうちに、彼女の人生がわかってくる。Suzanneはもう一度妊娠したが、心臓がわるいために、死にそうな状態に陥って、流産してしまう。その後も、慎重に暮らしていたが、ある日、記念写真を写真屋からPick upするつもりで、子供を連れてドライブしていて、心臓発作で事故を起こし、子供ともども死んでしまう。

 最後に、夫のメモが残されていた。つまり、Mattはそんなに愛し合った妻と子供を同時に失った暗い過去を持つ男性であるということを知ってもらったうえで、新しい出発をする決心をしたということであった。

 KatieMattを探しに出かけ、Mattの友人から、彼もKatieを本気で愛しているということを知るわけである。つまり、悲劇的な内容を持ったHappy EndingLove Story, Second Chanceの話であった。

 この中で、わたしに一番印象的であったのは、ボストンの病院で働いていたSuzanneが過労で、心臓発作で倒れたときに、介護のドクターの一人が話したという、5個のボールを空中に浮かべて遊んでいるJuggler道化師の話である。

 5個のボールは名前が、Work, Family, Health, Friends, Integrity という。この5個のボールを空中でお手玉しながら遊んでいるのが人生であるというわけである。

 この中で、ひとつ、Workだけは実はRubberゴムでできていて、落としても、壊れなくて、はねかえってくるが、ほかのボールはガラスでできていて、ひどく傷むか、ほとんど壊れてしまうというわけである。したがって、仕事以外のものは心して扱わなければ、二度と取り返しがつかないかもしれないということである。この5個のボールのバランスをうまくとりながら、調和のとれた人生を送ることが、この世を豊かに生きるということである。

 Workは大切だが、それがすべてではない、体を壊してまでやる意味はないということであった。SuzanneはボストンからMartha’s Islandにうつって、病院勤めとは言いながら、ボストンと違って、Relaxした状態で勤務し、活性化し、愛情豊かな人生を再出発していたわけであったが、ついに健康には勝てなかったわけであった。

 仕事(職)、家族、健康、友人、Integrity。この中で、Integrityが日本語に一言でうまく言い表せなくて、大江健三郎を英訳している友人のデボラー・ボエームさんにたずねてみた。彼女はいろいろ調べてくれたが、やはり、日本語でひとことで言い表すのはむつかしいようであった。Moralを含んだ信頼できる人間性という意味をもっていて、篤実とか、公明正大とか、ともかく、そのひとの信用度を示す意味のようであった。Man of Integrity といえば、英語圏では、立派な信頼できる有能な人間ということのようである。そういうものを含んだPositiveな意味での人間性といえるであろうか。道徳といってしまえば、何か物足りない気がする。

 ともかく、この5個のボールの逸話を生かしながら、Love Storyを展開してあるのであった。話は単純で、少しミステリー的内容をもたせ、Simpleで印象的な物語となっている。

 この、James Pattersonという怖い犯罪の物語ばかり書いている作家が、一方ではSimpleLove Storyを書いているというのは、興味のある現象である。

この物語もSecond Chanceを扱ったものであった。同じ著者のSam’s LettersSecond Chanceを扱っていた。私の好きな作家Kristin HannahSecond Chanceとか、Power of LoveとかForgiveness許し,Redemption償い といった内容を展開していて、とても心が温まる。

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Memo on Integrity:

非常に重要な言葉で、その複雑な内容を踏まえた意味はわかるのだが、5個のボールの“仕事”、“家族”、“健康”、“友人”というように日本語の単純な言葉におきかえようとすると、どれが適当なのか、よくわからない。わたしは篤実とかかなと思ったが、デボラーさんの意見では、違うようだ。

以下、参考までに、わたしのデボラーさんとのやりとりの、彼女の結論を引用させてもらう。日本語のほうは私の、意訳つき意見である。

First, about integrity: I never realized how difficult this word would be to translate, since I usually only do Wa-Ei translation. 大江健三郎を英語に翻訳(取り替え子 Changeling)できるほど日本語をよく理解しているデボラーさんだが、あらためて訊かれるとむつかしいとわかったという。



Truly, this is a subtle word. この言葉は実に意味深長な言葉である。



It isn't a synonym for morality or sincerity, but it usually involves morality and sincerity. 道徳だけでなく、誠実さももちろん含まれているようだ。



It's like a Medusa riddle! 



I found something online when I looked for some sample sentences with 篤実  just now. I don't know if it will be helpful.



(By the way, my J-E dictionaries define 篤実 as "sincerity or faithfulness," so that isn't quite right.) 篤実は適切ではないと思う。



誠実(せいじつ) 篤実(とくじつ) 真摯(しんし) 忠実(ちゅうじつ) 類語辞書で詳しい使い方を調べる



Honestly, I think the best approach is to use the English word, and explain the meaning in parentheses. You are welcome to use my explanations without credit, but they might be too informal. It would be better to use a dictionary definition. したがって、英語をそのまま使うのがベストだという意見である。デボラーさんのこの説明を使ってよいという許可をいただいたので、ここに引用している次第である。結局、英語の辞書の定義をそのまま使うのがよいだろうという。



I have my father's classic old Webster's Dictionary, and it defines "integrity" as: "Moral soundness; uprightness." EnglishのProfessorであったお父さんのWebsterの辞書には、Moral soundness, uprightnessと書かれているようだ。道徳的、正直さ。

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The modern edition of Merriam-Webster defines it as 



  1 : firm adherence to a code of especially moral or artistic values : incorruptibility Merriam-Websterでは道徳的のほかにArtisticValues美的なもの、Incorruptible つまり、腐敗しない、買収されない、清廉潔白なひとであること。どうやら、このIncorruptibleがIntegrityを英語で置き換えたときに最適な言葉ように私(ムラタ)には思える。

     2: an unimpaired condition : soundness 損なわれない、健全さ。



     3: the quality or state of being complete or undivided : completeness 分割されない、完全さ。



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The "five balls" theory is referring to definition #1, but it probably means both moral and artistic integrity (if someone is in the arts). デボラーさんは、この5個のボールでほのめかされているIntegrityの意味は、#1にあたるのではという。



I forgot that integrity can also refer to artistic values, because I usually think of it in relation to morality or ethics, and behavior.  美的なValueを含むということを忘れていた



I somehow feel there is an element of 正しさ。



Anyway, "incorruptible" is probably a good synonym. 結局、デボラーさんも、#1にあげられている、Integrityに匹敵する言葉として、“Incorruptible”だというご意見である。IntegrityからIncorruptibleにおきかえられると、これは比較的日本語にうつすのも簡単になるーつまり“清廉潔白”とかという意味がアメリカで日常的に使われる場合の意味といえる。家族も大事、健康第一、友人も大切、仕事も必要、そしてIntegrity人間としての威厳を失わないこと、この5個のボールをいつもバランスをとりながら生きていくのが大切であり、仕事以外はFragileなガラスでできているから、特に大切に扱わねばならないということ、それがSuzanneがHeart attackの苦悩から学んだことであった。



For example, if a police officer or a politician is crooked and/or is taking bribes, they are often described as corrupt or lacking integrity. 警官や政治家が腐敗しているときにIntegrityにかけると使われるようである。



ということで、Integrityを健康とか家族といった2字または4字の簡潔な日本語で示すことはむつかしいようである。清廉潔白もどうも道徳的すぎるようであるが、近似値としては、これかなというのが今の段階の私のチョイスである。あるいは人間性人間的という非常に抽象的で意味多様なことばも、あてはまるかもしれない。





村田茂太郎 2013年4月12日




5 源氏物語 “花散里”をめぐって

 光源氏の魅力にひかれて数多くの女性が源氏と愛人関係になったが、そのなかでも、私が最も魅力的に感じるのは 花散里 Hana Chiru Satoと呼ばれた女性である。

 紫式部は源氏物語に登場する女性達とその成長ぶりを見事に描きわけ、なかでも一番印象的な女性のひとりは“六条御息所(ろくじょう みやすどころ)”と呼ばれた女性であるが、物語の中でも特に光源氏が最も信頼し、いわば女性の持つ母性本能に男が甘えてしまうような、私のような、男としては、もっとも頼りになる女性、安心してふところに飛び込める女性として描かれているのが、登場数はすくないが、登場する場面はすべて印象的なこの“花散里”である。

 光源氏にふさわしい才色兼備の最高の女性として登場する事になる“紫の上”はまだ子供の頃から、源氏が養育者として育て、そしてある程度の成長を待って自分の愛人にしてしまうので、現代的な表現ではロリータ趣味というか、なんとなくいやらしさがつきまとうのだが、花散里に関しては、そういう嫌味が全くなく、読者も素直にその魅力を感じることが出来る。

 この“花散里”に魅力を感じたか、小説的興味を惹かれたかした人が居て、私は読む機会がないが、円地文子は小説 「花散里」 を書き、フランスの作家マルグリット・ユルスナルも“花散里”を主題にした短編を書いているらしい。ユルスナルは「ハドリアヌス帝の回想」という歴史小説で有名なフランスの作家であるが、瀬戸内寂聴女史の源氏物語に関する短編エッセイをあつめた文庫本の中で、そのユルスナルの“花散里”を主題にした小説が紹介されている。

 今、私の手元にその瀬戸内寂聴の本がなく、勝手に思い出しながら、こういう内容という紹介をするだけだが、いわば、「源氏物語」の光源氏が登場する場面が光源氏の最後を描かず、くもがくれ で終わっている、その 雲隠れ を作家の想像で描いたような作品で、50歳を超えて老衰した源氏を介抱するのが旅の途中で出遭った“花散里”で、彼女にはこれがあの“光源氏”だとスグに気がついたが、源氏の方ではもう相手の正体もわからず、死の床にあって、昔、親しんだ愛人の面影を追いかけている。紫の上、葵上、夕顔、六条御息所、朧月夜、明石の姫君、空蝉、末摘花、・・・つぎつぎと源氏が関係した女性の名前が出てくるが、どうしたことか自分の名前が出てこない。“もうひとり居たでしょう”、となんどもいうのだが、源氏の口からとうとう愛した “花散里” の名前が言い出されることなく、源氏は息絶えてしまうという話らしいが、いかにも 雲隠れに ふさわしい結末といえそうだ。老衰して過去も朧になった源氏の意識に愛人としての“花散里”が登場しなかったのは、多分、源氏にとって花散里“は愛人以上の、いわば母性に代わる存在になっていたからだと私は想像してしまう。

 源氏にとって 花散里 という女性はどのような人物であったのか。それは “花散里” と題する短い一章のなかでホンの少し、そして、“澪標”(みおつくし)、“玉蔓”(たまかずら)、“蛍”(ほたる)、”野分“(のわき)などで少しずつ描かれているが、どの場面でも、花散里の魅力が強く描かれている。

 結局、愛人にはできなかった“玉蔓(たまかずら)”という、夕顔と自分の友人との間にできた子供をひきとって、立派に育てるのはよいが、色気を出してしまう源氏のすがたなど、私には、いやらしく映るほどだが、“花散里”が出てくる場面はいずれも気持ちよく読めて、わたしはこういう女性を描けた紫式部をやはりエライ人だと思う。

 紫式部はいわば人間心理の百般に通じたおどろくべき人間学の達人で、すべてを見事に描き分けているのに感心してしまう。

 “紫の上”は光源氏にふさわしい才色兼備の美女で息子の“夕霧”でさえ、ふと垣間見て魅力を感じて自分でもぎょっとするほどなのだが、その“夕霧”の世話を子供の頃から頼まれた花散里(いわば育ての親)と比較して、夕霧自身、花散里は美人ではないが父源氏が魅力を見出した理由がわかるように思う。また、美人でもない“花散里”を“紫の上”とほとんど対等の地位においている父をエライとも思う。

 いわば、花散里の魅力とは、おっとりとした、おおらかな女性、素直で無欲で、やさしく、地味で、信頼の出来る、きだてのよい、心変わりのしない、誠実な、気取らない女性ということのようだ。従って、光源氏は花散里と一緒に居ると、暖かい母性に包まれたような、自分が素直になれる感じになる。源氏自身が気張らなく、何も気にせず、自由に振舞える相談役ということで、大事な息子の養育も託し、自分もまた彼女のもとでくつろぐのであった。

 “花散里”は光源氏の最愛の女性は“紫の上”であることをよく知っており、自分の分と場をよく知って、足るを知り、源氏を信頼しきっているので、いわば“かげろうの日記”の著者である女性が嫉妬心をむき出しにしたりしたようなことは出来ない女性であった。

 その点、対照的なのが六条御息所(ろくじょう みやすどころ)であって、物語の中では、源氏より年上で、最初は源氏の愛情を受け入れていたが、愛人の一人であるという立場にがまんできず、美貌と教養と身分とを身に付けた女性として、まさに“かげろう日記”の著者と同様の、嫉妬に満ちた反応をしてしまうため、源氏との関係もいつもぎくしゃくしてしまうわけである。そして、“夕顔”の場面では、自分でも知らないうちに“生霊”となって、夕顔にとりつき、いわば源氏のそのときの愛人をショック死させてしまう恐ろしい女という登場をしたりするのであるが、自分でその事に気がつきおそろしいことだと思ってしまうがどうすることもできない。本来は立派な女性がみせる女の執念のおそろしさをうまく描き出して紫式部の力量におどろき、感心する事になる。

伊東仁斎は“論語”を“最上至極宇宙第一書”と書いているそうであるが(小林秀雄“本居宣長”)、わたしは紫式部の“源氏物語”こそ人間の諸相を描いた“最上至極宇宙第一書”だと思う。世界文学にはすぐれた作品が多いが、これほど、時間の流れの中で、豊かに人間の諸相を描き出した作品はこの地球上に存在したことがないと思う。日本が生み出した、世界文芸史上最高の傑作である。

 光源氏の父君桐壺帝が愛した女性の一人、麗景殿の女御の妹に当たる“三の君”が“花散里”と呼ばれる女性で、源氏が過去に淡い関係を持っていたことが“花散里”の章のところであきらかにされ、そのあと、おりおり彼女は登場するが、話の展開ぶりからして、彼女は美人ではなく、才気煥発というのでもないが、男が甘えたくなるような、おっとりとした、おおらかな性格を持っていて、足るを知り、素直で無欲なので、源氏も安心して、何でも語り合えるわけで、自分の息子夕霧の育て親として養育を依頼するだけでなく、亡き夕顔の忘れ形見、玉蔓があらわれたとき、その後見人を花散里に依頼するほどで、如何に源氏が彼女を信頼し、尊敬していたかがわかるわけである。

 “蛍”の巻では“おほどかに聞え給ふ”とか“のどやかにおはする人ざま”と書き表され、“澪標(みおつくし)”では“のどやかにてものし給ふけはひ、いとめやすし。”とか、“いとなつかしう言ひ消ち給へる・・・おひらかにらうたげなり”という調子で、おおらかで、穏やかで愛らしい人格が表現されている。

橘(たちばな)の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ

 という光源氏の歌にあわせたのは女御のほうであったが、これ以降、妹の三の君のほうを“花散里”と呼ぶようになった。“ほととぎす” は源氏で “花散里” が三の君であると源氏はいうのである。

 ともかく、美人とは言えない地味な人だが、やさしく、おおらかで信頼できる女性というのは、当時も珍しかったのかもしれない。すべての事情に通じた紫式部のことである、才気煥発や美人の女性よりも、自分でもこのタイプの女性が気に入っていたのであろう。ともかく、花散里がでてくる文章表現で、批判的な言葉には出会わない。源氏だけでなく、紫式部も愛した女性といえそうだ。そうして、わたしも、源氏物語の中で一番好きな女性である。

紫式部の人格に関して、「紫式部日記」で同時代の評判の女性達 清少納言や和泉式部、赤染衛門などを手厳しく批判しているので、有名であり、また意地悪と見られたりしているが、はっきりいって、清少納言と紫式部ではレベルが違いすぎるわけで、これは天才にだけ許された放言といえるであろう。実際、紫式部の目には世の中も男女の中もすべてわかりきっていた様子で、なにごとも確かな筆さばきで描き分けていく様は天才のみがなしえたことであろう。

わたしは本当に、“源氏物語”がこの地球上に生まれた最高の小説だと思う。



村田茂太郎 2012919




6 「服装で楽しむ源氏物語」近藤富枝 を読む

 オリジナルは1982年に文化出版局から出版され、わたしの手元にあるのは、PHP文庫 2002年版である。ISBN:4-569-57735-0

 著者は、「世界で一番美しい衣装は十二単(女房装束)だと私は思っている。」と書いている。この文庫本に収められた一枚の口絵写真の、モデルが身に着けた衣装の見事な美しさを見ると、私も確かにそうだと思う。別に世界中の衣装を見たわけではないが、だれが見ても最高に美しいと思うに違いないと思う。

 平安時代の特にこの藤原道長隆盛のころは、政治的には汚いところもあったに違いないが、文化的そして上流貴族社会としては、世界でも最高に洗練された見事な文化を生み出したと思う。

 その確実な証拠が、私が世界最高の文芸作品と思う「源氏物語」である。

 この「服装で楽しむ源氏物語」を読むと、それまで、気にしないで読み飛ばしていた女房たちの衣装のそれぞれが、そしてもちろん男性貴族の衣装も、それぞれ重い意味を持ち、紫式部がすみずみまで気を配る形で物語の展開に生かしていたことがよくわかる。そして、それは光源氏や紫の上の最高に研ぎ澄まされた美的感覚をとおして語る紫式部の美的センスそのものなのであった。

 この本は平安朝の上流貴族の衣装を扱うことによって、ある種の謎解きまで行っているのはみごとである。

 夕顔の巻で、源氏が夕顔との関係をもつにいたる端緒は、夕顔に属する女童が、扇に歌を書いて差し出すことから始まる。この動作に関して、この本の著者によれば円地文子説と黒須重彦説とに分かれているそうである。円地説は夕顔の娼婦性(あたらしいパトロンをみつけようとした)、黒須説は夕顔が別れた恋人と勘違いしたためというものらしい。わたしは夕顔の性格からして、空蝉などとちがった娼婦性があったのは間違いないと思うが、この場面で、いきなり、自分がなにもわからない男を誘い込むようなポン引き的な行動は無理だと思う。そこで、この著者の説が納得のいくものとなる。暑い夏の日で、夕顔の宿を眺めようと車の外に首をだし、夕顔の侍女たちに、その姿をすき見され、その光の姿が夏の直衣姿であったため、二十歳前後で直衣を着る男性は、平安時代では少なかったため、その瞬間、元恋人の頭中将だと判断し、夕顔が普段使っている白い扇を女童経由で差し出し、頭中将にとってはよく知ったはずの香のにおいで、夕顔がこの宿の主人だとわかるだろうという意図で、その一見不審な行動になったというわけである。これは、したがって、光の衣装=直衣、侍女の瞥見、頭中将との勘違い、女童と扇 というかたちで展開したというのが、この著者の推定で、そうであれば、夕顔との関係が生じたのも、光源氏が直衣という衣装をたまたま身に着けていたからだということになる。これが正解かもしれない。なにしろ、花を光の従者が折り取っただけで、女童が扇を持って出てくるというのは、正直、謎であったが、わたしにとっては、これで納得がいったというところである。

 空蝉(うつせみ)と小袿(こうちき)に関する考察も立派なもので、なるほどそういうことであったかと感心するばかりであり、同時に紫式部は本当に細部にまで気配りをして物語の展開を奥行きのあるものにしていたことがわかり、この著者の衣装に関する本を読んで、ますます紫式部の偉大さに驚嘆する。

 現代人、私など、にとって、十二単の大変な衣装を暑くて寒い京都で身に着けていて、生活ぶりはどうであったのだろうと思うところであるが、たとえば暑い夏場は、お姫様といえども、スケスケルックのベール紗(しゃ)のような透けた単一枚でいたとかいうことが、「常夏」の巻の“雲居の雁”と呼ばれる少女(内大臣の姫)の描写を引用して証明している。そして、「源氏物語絵巻」のなかでも彼女は子持ちの古女房だが、スケスケルックで登場しているとか。

 源氏の中心テーマとなる光と藤壺の関係の発端に関しても、この著者は衣装のありかたから、おもしろい考察をしている。長い袴の紐をときはなつのを、藤壺に許す気がなければ、光といえども意を遂げることはできなかっただろう。そのあと、宮は後悔しているが、一方的な暴力への屈し方ではなかったはずだという具合に。

この本を読んでいて、たくさんの衣装を着ているはずの女性たちが、いとも簡単に性関係に踏み込むかたちになるのがどうしてかということもよく理解できた。

「当時の慣習からいくと、身分の高いほど軽いなりをしていると思えるので、私室でひとりくつろいでいるときの宮は軽い姿だったろう。しかも紐は一本も使っていないから、光の手がきものの裾をひっぱれば、袿も単もそろって簡単にスルリと脱げて、玉のような肌があらわになったのではないだろうか。しかし、緋の長い袴ははいていただろうから、その紐をとくことなしに、光を受け入れることはできない。・・・」となる。

 ということで、源氏物語を本当に楽しみ味わうためには紫式部が本格的に扱った登場人物たちの様々な衣装についての知識をもっていることが大切だということがわかる。衣装の記述だと簡単に読み飛ばすにはもったいない、重要な内容を秘めている可能性が大いにあるのは、夕顔や空蝉そしていろいろな場面での展開であきらかなようだ。

 わたしは、この本を読んで、源氏物語の別な面白さに目が覚めたような気持がする。

 ほかに、紫式部の衣装哲学 に関する著者の考察やさまざまな場面に対する衣装関係の識者らしい考察が展開し、小冊子ながら、重要な意味を持った源氏関係文書だと思う。

ぜひ、未読の人に、一読をおすすめしたい。

村田茂太郎 2013年1月3日

7 小山勝清 「それからの武蔵」を読む

 最近、また「それからの武蔵」を読み返した。もう少なくとも、私は、5回は読んだことになる。娯楽もの時代小説としては最高に楽しめる小説であり、文庫本6冊を読みながら、わたしは毎日楽しく過ごすことができた。

 「それからの武蔵」とは、もちろん、有名な佐々木小次郎との巌流島での決闘から、その後ということで、第一冊目は、その決闘からはじまっている。

 学生時代に、この本をベースにしたと思われる映画がTV30分もので放映され、私は機会があるたびにその放映を楽しんだ。月形龍之介が武蔵を演じていて、わたしはイメージ的にVery Goodと感じながら楽しんだものであった。映画は1964-1965だけでなく、1981年、1996年にも作成されたらしい。ストーリーはすこし原作とは異なった展開をしたところもあるという。

 宮本武蔵といえば、小説では吉川英治が有名だが、これは小次郎との決闘で終わっているから、そのあとの武蔵の成長にはふれられていない。この「それから」のほうは、決闘から始まって、62歳で亡くなるまでの波乱万丈の物語を事実とFictionをまじえながら、興味深く展開しており、娯楽ものとはいえ、非常に深みのある武蔵像を上手に描き出していて、名作だと私は思う。当時としてはめずらしいほど合理的精神を保持してすべてに対処し、宗教に頼らないで独自の境地に達したようで、非情な世界を徹底して生ききった達人の姿をこの小説は描ききっているように思う。よく武蔵を読み、理解し、自分のものにして描ききっているというのが私のこの小説を楽しめる理由だと思う。

 宮本武蔵といえば剣の達人として有名だが、ほかに絵も描き、彫像や鍔もつくり、そして兵法の書や哲学的思想的な五輪書をあらわした、ひとりの文武両道に秀でた天才であり、絵は国宝級で、鈴木大拙の「Zen and Japanese Culture」にも写真が紹介されて、世界に知られているほどである。

 浜松の工学部の大学を中途退学したとき、私は友人からの餞別として何を望むかとたずねられ、自分の希望を伝えたが、ひとつは「イタリア語4週間」という本、別の友人には、宮本武蔵の「五輪書」を所望した。なぜイタリア語の入門書であったのかは、よく覚えていないが、多分、Mozartの音楽に没頭していて、ケッヘル番号表を豆ノートに全部書き写して、聴いた音楽を全部マークしていったくらいだから、そして音楽用語といえば、みなイタリア語でできていたから、そしてMozartはもちろんイタリア語のオペラと関係が深かったから、私もイタリア語が必要と思ったに違いない。

 「五輪書」はもちろん宮本武蔵が死ぬ前に書き上げた名著であり、当時、小林秀雄の「私の人生観」などを愛読していて、“独行道”とともに武蔵理解に欠かせない文献だと思っていたからである。

 「それからの武蔵」には、Fictionをまじえて、女性が5名ほど(お孝、お悠、おりん、お松、由利姫)登場する。私たちは、武蔵が結婚をしなかったことを知っているが、ここに登場する5人の女性は、それぞれ立場がちがっても、武蔵の強烈な人間性・人格に魅惑され、懊悩しながらたくましく生きようとし、武蔵自身もその影響をうけざるをえなかった。この小説で、ほとんど結婚の約束までかわしながら、武蔵が唯一君主として認めた熊本城主細川忠利が病没したため、成就しなかったことになっている最後の女性・由利姫の成長発展ぶりもすばらしい。

 史実としては、丁度、武蔵が生きた時代が、関が原から徳川幕府成立・確立の前後にあたっていたため、三大将軍徳川家光との謁見、“島原の乱”とその前後の長崎近辺の様子なども描かれ、熊本藩の内部の出来事としては森鴎外によって描き出されたため、特に有名な、殉死をめぐる「安部一族」の事件まで、かなりくわしく描出されている。ほんの断片だが由比正雪まで登場する。徳川政権安定を目指して、大名取り潰しが続出して天下に浪人があふれた様子も描き出されている。

 著者小山勝清(こやま かつきよ これは東京よみ、熊本では おやま と読んだらしい)は九州出身のひとらしく(熊本県球磨郡相良村)、九州の自然の美しさが見事に描き出されている。

 わたしは高校の修学旅行で九州の上半分を観光し、工学部の学生であったときに友人と、今度は一応、宮崎、鹿児島まで含めて観光したことがある。

 この武蔵の小説を読みながら、熊本や天草、島原、雲仙などが魅力的にえがかれていて、一度、ゆっくり九州観光をしたいという思いにかられたが、わたしも年をとり、アメリカに住んでいては、もう不可能であろう。残念である。(余談 先日、TV NHK World を見ていて、たまたま Ken Noguchi をUniversity of Tokyoのアメリカ人Professorが流暢な日本語でInterviewするという番組があり、わたしは途中から見つづけたが、この、世界7大陸の最高峰に25歳までに全部登頂してWorld Record保持者となった世界的に有名なAlpinistが、番組の最後のあたりで、日本の白神山地などが最も美しい自然だと思うといい、日本はサンゴ礁の海からほとんどあらゆる変化に富んだ自然を擁していてすばらしいとかと言っているのをきいて、世界中を見てきたはずの人も、やはり日本列島という見事な自然を擁した国のすばらしさを確認しているのを知って、わたしと同じ意見だと納得した。本当に日本全体がカリフォルニア一州に収まる程度の国の広さにもかかわらず、サンゴ礁から流氷まで、ほとんどあらゆる自然現象を擁しているすばらしい国であることを確認できるのはうれしいことである。Noguchi氏は日本人がヒマラヤにかぎらず、富士山などすべてのところで、ごみを散らかしたままで平気なのを恥ずかしく思い、自然を守り、ごみをなくす運動をヒマラヤでも日本でも組織し、清掃に効果を挙げているのは見事なものである。かれはヒマラヤ登山に欠かせないシェルパが、一緒に遭難しても、ニュースにもならないのに怒りを覚え、遺族たち、特に子供たちが教育を受けられるように基金をセットしたりして、あらゆる面で貢献しているようだ。よい番組であった。)

 室町幕府・第15代将軍・足利義昭の孫娘由利姫“というのが登場し、これがとても魅力的で、小説としての展開も面白いものになっている。長崎・島原では危険を犯してキリシタンの孤児を収容・救済する仕事に没頭し、最後のほうでは、彼女はなにもかも捨てて四国88箇所巡礼の旅まで貫徹する。

 細川忠興の孫娘“お悠”というのも、武蔵の魅力にひかれ、武蔵との愛はまっとうしないが、武蔵から学んだ生き方を自分も貫徹しようとする。

 佐々木小次郎の愛人で、正式に女房になるつもりであった女性“おりん”が登場し、巌流島での決闘の結果、すべてがぽしゃったため、恨みに思って武蔵を追い続け、短筒でねらいつづけるが、彼女はほかの女性が武蔵を恋続けるのが気に入らず、とうとうこの忠興の孫娘を撃ち殺したことになっている。彼女の相棒とも言える男もずっと武蔵を追い続けたが、そのうち、江戸で兵法指南番にまでなり、有名な寛永御前試合を将軍のまえで行うという行事を取り仕切るまでになる。それもこれも、彼が武蔵を追いかけながら、武蔵の兵法を徹底的に探求したことが、兵法の専門家にまで仕上げたということらしい。この辺はみなFictionらしいところである。

 佐々木小次郎の弟子で、武蔵を恨む何人かの若者たちが、ほんものの武蔵に触れて、武蔵の偉大さに目覚め、弟子となり、誠実に女性たちを守り続けるすがたは気持ちよい。

 そのほかに、有名な槍の高田又兵衛との試合や棒術との試合など時代物小説らしい興味深いシーンも散らばっている。新陰流で有名な上泉伊勢守の弟子の一人で九州に引退した体捨流の丸目蔵人(まるめ くらんど)を訪問する場面も非常に興味深い。

 ともかく、小説的面白さに富みながら、宮本武蔵という人間の魅力と偉大さを多面的に描き出した、すばらしい伝記小説・歴史小説である。

 著者小山勝清は1896年から1965年のひと。若いときは労働運動に参加して挫折を経験し、一時、柳田國男に師事したこともあるという。児童文学者としても有名であったようだ。「彦一 とんちばなし」・・・

 幕末から明治期に生きて、「大言海」という本格的な日本語の辞書をあらわした大槻文彦の伝記小説「言葉の海へ」を書いて有名な高田宏が「われ山に帰る」という評伝小山勝清を書いているらしいが、残念ながら読むチャンスがない。

村田茂太郎 2014年10月21日、22日




8 「An Invisible ThreadBy Laura Schroff & Alex Tresniowskyを読む

 別の本を読んでいて、その中でこの「An Invisible Thread」が紹介されていて、興味を持ち、Amazon.comで調べてすぐにオーダーし、今日(2014年4月18日)、読み終わった。

 Very good! であった。感動的で、心温まるストーリーの展開であった。同時に、こんなひどい環境の中で生きている子供たちも居るのかと現実のおそろしさを実感させる話であった。

 Sandra Bullockのアカデミー賞受賞映画に「Blind Side」というのがある。立派な家に住んでいる富裕な家庭の主婦であるサンドラが家族の協力も得て、大きな黒人の男であるが、ホームレスの高校生を家に引き取り、一緒に住まわせ、すべての面倒を見、Footballへの道を歩ませるために家庭教師までつけて、Adoptまで正式にすませ、最終的に男を成功させる話である。この映画はサンドラのてきぱきとした行動振りとその家族の和気藹々とした生活ぶりがうつくしく、何度も見直したい映画である。こういうストーリーは見るものの心にさわやかな感動をもたらし、人間の世界にまだ希望が持てそうだという喜びをうみだしてくれる。これは実話を映画化したものらしい。

 このLaura Schroffの「An Invisible Thread」も実話である。まだ若い(30代半ば)ビジネス・エリートの女性が、たまたま、New YorkManhattan 56番街の路上でホームレスの黒人の子供がよびかけた「小銭を頂戴」ということばに一度は無視して去りかけたが、なにが起きたのか、もどって子供と話あい、Macdonaldで一緒に食事をするということから始まった二人の奇妙な交際が、20年以上にわたって継続し、お互いがお互いから何かを学ぶという形で展開した。そのいわば交遊録であるが、それが内容的に、この女性の半生の回想録ともなり、またこの黒人男性の成長の記録ともなっていて、興味は尽きない。

 Panhandler(こじき、物乞い)をして家をしのいでいた黒人の子供(約11歳)の生活ぶりは、こんなにひどい子供時代をすごすこともあるのかと、驚くほどである。親も関係者(さまざまなUncleおじ)もすべてドラッグ中毒者であるだけでなく、ドラッグの犯罪者であり、一部屋に8人から12人ほどが住むという恐ろしい生き方をしてきた子供が、特に悪き犯罪者にならず、無事大人に成長して行けたのはひとへにこの女性の献身的な愛情とサポートのおかげであることは確かであり、このMauriceという男の子もそのことをよくわかっていて、彼女から学んだ教訓を生かして、まともな家族生活を築いていくことに成功したわけであった。

 このLauraという女性は彼女自身問題のある家庭に育ち、母親と兄弟姉妹との関係はよかったが、父親がアルコールを飲むと完全に人が変わったみたいになり、ものすごい暴力をふるって、本人以外のすべてのものを恐怖のどん底に突き落とすのであった。この普段はまともな父親が酒を飲むと恐ろしい人間に変貌するという話をよむと、すでに私のブログの「心霊現象の科学」をめぐって で紹介した、Georgie Ritchieの話などがまさにこれにあたると私は判断する。(心霊現象の科学―その66記載)。Georgie Ritchieは臨死体験の中でOut-of-Body Experience体外離脱体験をし、空を飛んで、ある町のバーに入って、普通の人はAuraProtectされているが、アル中のようになった人間は防御のAuraがとれて、その間にまわりにいたアル中の亡霊がとりつく様子を目撃したのであった。

 この種のアル中の亡霊がPossessedの状態でいりこむと、酒を飲むたびにこの亡霊がコントロールするかたちになり、自分の本来の個性がなくなってしまうのである。

 今なら、このような男に必要なのはDepossessedというかPossessedしたSpiritをその人間から取り除く作業が必要なのであるが、この話に出てくる父親の異常な乱暴振りは信じられないほどであった。この父親がなんとBarで働いていたのだから、毎晩、夜遅く帰ってくる父親の音を恐怖でふるえながら感じていたというのは毎晩のことで、よく耐えたものだと思う。この著者はそういう、家族すべてに(特に母と弟に)暴力をふるい、恐怖の毎日をすごさせた父親を許すことができなかった。ここで、私はDianne Arcangelの「Afterlife Encounters」のなかのElizabeth Kubla-RossWorkshopに参加した女性の“許してあげなさい”という話を思い出したほどである。(心霊現象の科学―その84記載)。許容するということは、なかなか難しい場合もあるわけだ。しかし、Elizabeth Kubla-Rossは、こういう場合でも、最後には許してあげなさいといったであろう。

 この異例なふたりの交遊録は黒人の子供の育ってきた過去と自分の苦しんだ過去の話を現在の交友ぶりの話にはさみながら、興味深く展開している。

 Invisible Threadとは、Chinese Proverbからえらんだ題名で、運命的に見えない糸が二人の人間を結びつけ、相互に影響しあうという話からえらばれたもので、まさに、この話は一見、金を持った心のやさしく豊かな女性が一方的にあわれな黒人の子供を助けているように見えるが、じつは彼女のほうも、この子供の対応振りをとおしてたくさんの大事なことを学び、自分の人生が豊かになっていくのを直接感じることができたわけで、まさに、彼女の愛情、やさしさ、寛大さは相互扶助的な効果をもたらしたわけであった。ただのビジネス・ウーマンとしての物足りない生活ぶりから脱して、彼女の生活に生きがいと喜びを生み出すような関係であった。

 毎週、月曜日の夕方、ある時間におちあって一緒にどこかで食事をするという交友が、彼女のアパートに招待するという形に進展し、おかげで家庭生活らしきものをまなびはじめ、彼女の姉妹のPartyにも友人として一緒に参加し、ほかの子供たちが彼を特別に差別しないで受け入れてくれることを知って、人間的にも成長していくわけで、丁度、映画「Blind Side」のなかで、サンドラの家庭の子供たちが黒人の大男を受け入れ、彼の成長をヘルプするすがたが感動的なのと同様、心温まる展開である。

 1000回以上も続いたこの月曜日の食事その他の交友も、時には理由があって途絶えたりしたわけであるが、この黒人の子供が結婚し、家庭を築き、彼の夢を実現していく姿を確認でき、ふたりは母と子のような信頼した関係を生きることができたのであった。

 いろいろな意味で、印象的で自分を振り返らせる、すばらしい実話であった。

An Invisible ThreadLaura Schroff & Alex Tresniowski

Simon and Schuster ISBN: 978-1-4516-4897-3 (2011)

村田茂太郎 2014年4月18-19日








9 Nicholas Sparks The Notebook」を再読して

 私のもっているPaperbackを見ると、この本が出版されたのは1996年。Paperback初版は1997年10月。 私が購入して次の日に読み終わったのが1998年1月12日と記されている。

 Nicholas Sparksは、この本がベスト・セラーになって以来、続々とベスト・セラーを生み出し、そのいくつかは映画にもなった。「Love Story」を主題とした小説家の中ではすでに信頼できる作家として定評を確立している。

 映画、「The Notebook」、「Message in a Bottle」、「A Walk to Remember」、「Nights in Rodanthe」など。

 私も何冊か、出ると、それぞれすぐに購入して読み終わっていた。

 しかし、ほかの小説のあらすじは覚えているのに、この本がどういう内容であったか、記憶にないので、Movieをまず見てみた。Love Storyはよく似た話が多いので、どれであったかわからなくなっていたわけ。

 この映画は名作であった。最初のほうのストーリーの展開は気に入らなかったが、あとはすばらしく、全体としてよくできていた。

 そして、今日、「The Notebook」の二度目を読了した。読んでみて、映画はよくできていると感心した。特に、老年のカップルを演じたGena RowlandsJames Garnerは見事であった。まさに原作に忠実なといえる展開であった。最初の場面・カーニバルで若者が示す態度(Aggressiveで無理強いを強いるような態度)は気に入らなかったが、そしてそれは原作にはない場面であったが、二人の若者がデートに入っていくきっかけを生み出すために新しく設定されたものであろう。

 「A Walk to Remember」でも、最初の場面は原作にはなかったものだが、映画としてのリアルさをもたせるために、シナリオ・ライターがセットしたという。

 ともかく、再読してみて、これは第一作目であったが、今では数多いNicholas SparksLove Story関係の書物の中でもベストに属するのではないかと思った。

 テーマは二つであると今思う。「愛の貫徹」と「アルツハイマーとの格闘」である。

 Rich金持ちとPoor貧乏人の違いのある男女の間に生まれた愛情が、その経済的・社会的環境の中で引き裂かれていくというのは、Love Storyの常套のテーマである。このブログでもすでに「Gazebo」や「The Best of Me」などを紹介した。

 この「The Notebook」もそのひとつであるが、展開がみごとである。

 この物語は3つの年代でできあがっている。現在(1995年ごろ)、1932年、1946年である。80歳の老人がSpecial Careの病院に自分も入っているのであるが、別の部屋にいる、年老いた女性を訪れる場面からはじまる。老人はNotebookをその女性に読んで聞かせることを日課のようにしており、それがこの本の題名となっている。

 話は1932年に始まる。どうやら若者は17歳、少女は15歳らしい。女性のほうは金持ちの娘でいわば別荘にひと夏を過ごしにきていて、若者と親しくなるというありふれた話である。少女にとっては、はじめてのまじめな恋愛体験であり、また自然に溶け込んだような生き方に魅力を感じたわけである。しかし、経済的・社会的な環境の違いで、ふたりは別れていく。男のほうは毎日手紙を書くが、一度も返事が届かない。そのはずで、母親が毎日、郵便受けをチェックして、娘に知らせないで隠してしまうからである。娘はReal Loveをなくした悲しさをまぎらわせるためにちょうど第二次世界大戦にアメリカが参戦したころから看護婦として傷ついた兵士の面倒をみるようになり、そのうちに兵士の一人から好かれて、婚約・結婚という方向に展開し、あとしばらくで、結婚式というときに、昔、親しんだ男のRemodelした家の写真とその男の話が新聞の一面に出ているのに気がつき、彼女は異常な気分の高まりを体験する。だまって、結婚式の準備で疲れたから、ちょっと休みに行くといって、車で、昔の男友達のいるはずの方向に向かう。これが、1946年ごろ。戦争を無事終えて生還した男が、昔、廃墟であった家を買い取ってRemodelすると彼女に言っていたことを実現したわけであった。

 14年経っていた。女性のほうは29歳になり、結婚予定の相手はAttorneyで、州の名家出身の金持ちで、結婚式にはGovernorSenatorなども招待されていた。男は彼女以上の女性はみつからないと信じるほどであるが、なにしろ弁護士稼業が多忙で、女の気持ちを斟酌する余裕を持たない。女は昔、絵を描き、大学もArtまで専攻したくらいだが、今は恋人をなくして以来、特に自分の欲望を主張する意思もない。

 女は昔の恋人のいる町のホテルに宿を取り、車で男の家のあるほうに向かう。そして、男と再会し、お互いの現在を語り合う。はじめに結婚がもうすぐだということ、どういう男と結婚するのかということまであかしてしまう。そのほうが、安全であるだろうと(?)思ったらしい。その日はDinnerだけで終わったが、次の日にも会い、カヌーですばらしいところに案内され、夕立にあって、だんだん二人の中は自然と溶け合うことになる。この日はもうホテルに帰らずに男と愛情に満ちた自然な関係にとけこんでいく。次の日、ふたりが仲良くすごしていると、訪問者があった。なんと母親がやってきたのだ。母親は娘とは一見うまくいっていないように見えたが、自分は娘を愛しているし、娘が急に新聞を見て態度が一変したのに、何が起こったかすぐに気がつき、まあ、追いかけてきたわけである。自分が仲を裂いたようなものだが、母親としては一時的なPuppy Loveだと思っていたわけであったが、娘の愛情が本物だったらしいと気がつき、気になったのである。しかし、母親は、無理強いして、上流社会の一員になるはずの弁護士との結婚を勧める気はないという。娘が自分で決めることだと。母親は、昔、男から毎日のごとく届いた手紙を娘にみせなかったわけだが、捨てたわけではなく、今その束を娘に渡し、自分は娘のためを思って見せなかったのだといいわけをする。ここで、映画では母親がブルーカラーの年配のおとこが働いているところへ娘を乗せてドライブし、自分は愛したブルーカラーの男を選ばないで、金持ちの男を選んだということをわからせる場面がある。原作にはなかったようだ。母親は娘から見れば、あきらかにHappyな結婚生活を選んだとは、子供のころから思っていなかった。母親自身、自分が金持ちを選んだが、その結婚がHappyであったとは思っていない。

 29歳の女はどちらをえらぶか、愛としてはまちがいなく、この昔愛したおとこだが、今の婚約者は悪い男ではない。人間的にも家柄も将来性もすべてすばらしく、男自体、親切でやさしい、よい男であるのはまちがいない。どこにも欠点はない。そこで、なきながら、昔の恋人とわかれて、女を捜して、抗争中の裁判を延期してもらってまで、女性を探しに来たという婚約者に会うためにホテルにもどる。婚約者の車があり、覚悟をして会いにゆく。ここで、いったん話は途切れる。娘はどちらを選んだのか?

 そこで話は現在にもどるわけである。どうやら、この80歳になる男は愛した妻と49年目の記念日を迎えようとしている。男の名はNoahといい、女はAllieと呼ばれていた。この老人が会いに行く女性も、時にはこのNotebookを読んでくれている男が、自分が昔愛した男Noahであると気づき、自分がこのNotebookAllieと呼ばれている女性だと感じることはある。医者はアルツハイマーが進行して、どんどん脳細胞が破壊され、何も見分けがつかなくなるという。男はそれにもかかわらず、毎日、Soul Mateである妻のところにゆき、二人のLove Storyを語り続けるわけであった。そこで、この男女が、主人公NoahAllie、つまり女性Aliieは、あの決定的な日にホテルで話し合い、結局、選んだのは昔の恋人のほうであったとわかることになる。二人は子供と孫にめぐまれ、彼女も絵画の天分を生かして、アメリカだけでなくヨーロッパの美術館にも飾られるほど世界的に有名なArtistに成長したということがわかる。そんな彼女のそばには、いつもおおらかでやさしく愛情に満ちた夫Noahがいたということがわかる。

 Noahも今では健康ではなく心臓も悪く、歩くのも大変であるが、アルツハイマーで夫と気づかない日が多くなる妻を毎日訪れ、Notebookを読んで、自分の名前すらわからなくなっている彼女にすばらしかった思い出をよみがえらせようと努力し、そして、そういう努力がみのり、AllieNoahと呼んで一緒になったときに、二人に死が訪れる。

 Allieはだんだん自分の意識がうすれ、今に自分すらわからなくなる日が来ると悟って、自ら看護施設に入り、Noahも一緒にはいるわけであるが、そのとき、Allieは夫Noah宛に最後の手紙を書いて手渡していた。Noahは何度もその手紙を読み返したらしい。どうやら、この「Notebook」という二人の人間のLove Storyを書き記そうと企画したのは彼女のほうであったらしい。こうして、アルツハイマーになって、どんどん記憶が破壊されていくのを感じている今、二人のLove Storyを書くことによって、お互いがよみがえる可能性もあると感じたからであった。そして、そのとおりの効果を発し、Noahが読んで聞かせるFairytaleが自分たちのことだとはわからなくなっているほどだが、ときたま、男Noahを思い出し、Allieは自分だと感じたりするということであった。

 こうしてあらすじを書くと探偵小説なら読む意欲もなくすかもしれないが、この小説はすばらしい作品で、この紹介を参考にして読んでみようとか映画を見ようという気になれば、私の紹介の意味があったということになる。小説もすばらしいが、映画も見事である。映像にすばらしい画面が出てくる。二人の老人の場面はさすがに年季の入った名役者の演出であると思う。LakeCreekかカヌーか小船か、ともかく、見事な映像を生み出している映画であった。一般評価は 7.9 ほどで、非常に評価が高い。みな同じように感じたのであろう。

 さて、アルツハイマー。Mediumたちの話では、人は死ぬとお迎えにしたがって、光を求めて別の次元に移るようである。そのとき、死ぬ前に持っていた意識、記憶、個性もすべてそのまま維持しているということで、それならアルツハイマーやComaの状態で、意識がないとか、記憶も何もなくなっているような状態で死んだ場合はどうなるのか。そのときは、いきなり異次元にうつらないで、いわば休憩所のようなところ、魂の療養所のようなところで、しばらく休み、破壊された肉体からはなれて、魂が若いころの健康な状態に戻るのを待って、別な次元に移ってゆくようである。したがって、しばらくすると、生前健康であったころの意識をもった魂となるようである。これは、Handicapの肉体を持った人間の魂は健康な知恵者の魂で、魂自体は傷ついていないのと同じである。

 また、アルツハイマーやComaの状態にあるとき、魂は肉体から抜け出して、その肉体の周辺をさまよっていたりするらしい。したがって、Comaでなにもわからないと思わないで、声をかければ、魂は理解するようである。これは臨死体験で意識のないと思われる状態で、医者や看護婦がいい加減な冗談を言っていたりしたら、Out-of-Bodyで上から見ていた魂がみな聞き取っていて、生き返ったときに、陰口をたたいていた人間をはじいらせることがあるというのと同じである。駄目になっているのは肉体だけで、魂は不滅、したがって、Out-of-Bodyの状態にいる可能性もつよいのである。

 さて、愛の貫徹。この小説の二人の主人公はそのはじめての愛情を14年後にも確認し、お互いがSoul Mateであったことを確認して、それを全うすることができた。まさにLove Storyである。

 最近、私はMatt DamonEmily Bluntの「Adjustment Bureau」(2011)という映画を見た。(DVD LA Public Library)。若いCongressmanであった、将来を期待されているPolitician David Norris (Matt Damon)が若く魅力的なDancer Elise SellasEmily Blunt)と出会い、運命的な魅力にとらわれて、すべてを投げてMattがその女性を追い、奇妙な妨害に何度もであう。これが、いわゆるAngelとかGuidesとかの別な次元からの介入で、どうやらPre-natal Planによると、この男DavidMatt)はCongressmanからSenatorそして、将来はPresidentにでもなって、この地球をもう少しまともな世界にするように働く男として運命付けられているはずなのに、Planにはない横道にそれようとし、そのため、Plannerのほうでは、なんど妨害するのだが、あきらめない。そのうちにAngel, Guideのほうの男のひとりも、そういうMattに感心して、手助けすることになり、とうとう若い二人は不思議な追っ手から逃げ切ってビルの屋上で抱き合う。追手はそこまでやってきたが、最後に、どうやら二人の愛情の深さ、真剣さに感心したPlannerが別なPlanも生まれたということで、二人を解放してやる。という筋である。

 これは、まさにアメリカでよくある、天使が介入するという話の現代版で、第一級の政治家になるように運命付けられた男が、その方向から踏み外さないように援助または妨害をし、男はそんな運命などものともせずに、Free Willを発揮して、一途に愛を貫徹するという話であり、映画ではその二人の、すべてを捨ててでも一緒になろうとする意思の力に譲歩することになるというわけである。

 話の展開がどのようなものであれ、愛情のためにはすべてをすててでも貫徹しようとするというのが本当のLove Storyであり、設定は違うがこの「Adjustment Bureau」も「The Notebook」同様、すぐれた映画であった。一般評価も7.0で、Anna Kareninaなどよりもはるかに高い。ただ、この映画はふしぎなパワーをもったあやしげな男たち(Angel? Guide? )が、二人を追跡し続けるので、場面はめまぐるしく動き、大変疲れる映画であった。

 Soul Mate! これはReincarnationの研究にはしょっちゅう出てくる話で、男女は過去のLivesでは性を変え、関係を変え、何度もくりかえしていろいろな関係を生み出しているようで、単純に、愛した男女がそのまま、また愛を繰り返すというわけではないようだ。しかし、一目見ただけで、ふるい昔からの知り合い、友人、愛人に会ったような気になるということは考えられる話で、Soul Mateが、だから男女の愛情関係だけでなく友情の場合もあるいは親子の場合もあるわけである。ともかく、今、いろいろなひとがPast-life Hypnosisをつかって、あるいはMedium経由でReincarnationの研究をおこなっている。これからも、いろいろな説が生まれるであろう。自分が納得すればよいわけで、テラピーとしては、それなりに効果はあるようだ。



村田茂太郎 2013年11月29日




10 Nicholas SparksA Walk to Remember」を再読して

 この本は1999年に出版され、私が手にいれたPaperbackは2000年9月に出版されたものであった。240ページの読みやすい本で、2000年11月に一日で読了した。私の読後のメモには、Simple, Emotional, but Very Good。と記してある。

 そのあと、これが映画化され(2002年)、DVDで手に入るようになり、わたしはDVDを購入して2度見た。そのときは読んだ本の内容も、印象的な場面以外は忘れてしまっていたのか、導入部分がちがうなと、思ったことを覚えている。ほかにも、もちろん違った部分があって、まあ、100分ほどでまとめようと思ったら、仕方がないだろうなあと思ったものであった。

 最近、映画を見直した。そして、原作をもう一度読んでみたくなった。

 昨日、やっと、Nicholas Sparksの本数冊を探し出して、「A Walk to Remember」を読みはじめ、One sittingで、その日のうちに読了した。

 映画と本との違いは導入部どころではない。基本のテーマは同じだが、それ以外はぜんぜん違っていたが、中心になる部分は見事につかんでいて、したがって、映画も小説も見事に出来上がっていた。小説のままでは確かに映画化しても、ちょっとまとめるのがむつかしいかもしれないと感じた。その点、映画のほうは原作どおりではないが、見て納得できるものとなっている。映画の一般評価も7.4とかで、かなりいいほうである。(ちなみに、Notebookは8.0.)

 物語は57歳の男が40年前の青春の体験を思い出すというかたちで始まっている。これは同じ著者の最初の傑作「Notebook」が、やはり40年前、50年前を思い出す形で展開しているのとよく似ている。Notebookの映画のほうは、したがって、現在の老人のありさまから始まっているが、A Walk to Rememberの映画のほうは、40年前の話としてではなく、現在の数年間の出来事としてつくられている。それで、悪くは無い。エッセンスは同じで、独立した話として味わえるほどである。

 17歳、High School3年生の男女がドラマ・クラブで協力し合うようになって、男のほうが、年中かわり映えの無い衣装をきた牧師の娘をよりよく知るようになり、彼女の魂の美しさにひかれていく。そして、いつしか若者は彼女を愛しているのに気がつく。

 ふたりがドラマの役割の勉強でいっしょに付き合うことが多くなったとき、彼女はひとつ条件といって、You won’t fall in love with me.私を愛するようになってはだめよ、と言ったのに対して、最初は義理でつきあっていたような感じなので、若者はそんなことは起こりえないと簡単にOKしてしまう。

 なぜ、自分を愛しては駄目よと彼女はいわなければならなかったのか。これがこのストーリの主題である。Spoilerになるが、これはミステリーではないので、話の展開に必要なので、先に言ってしまうと、若者は自分の欲望をあらわさずに、神と孤児のために献身的につとめている娘に崇高なものを感じ、自分がうまれかわっていくのを感じるわけだが、娘は彼が将来の希望のNo.1はとたずねたときに、自分は、父が母と結婚した教会で、父親の手で、たくさんの人に見守られながら結婚式を挙げることといったので、不思議な気持ちになる。結婚など好きな人に出会えればいつでも可能ではないのと思うわけだから。

 ドラマで彼女はAngelの役をし、この年のドラマが最高のものでなければならないと言い、孤児院へのクリスマス・プレゼントも最高のものにしたいといっていた彼女であったが、なぜそうなのか。

 それがわかるのは、彼女が成績優秀なのにもかかわらず大学にゆかないと言って、自分はSickなのだといったので、今気分が悪いのだと思った彼に対して、自分はLeukemiaDyingだと告白する。驚いた彼は、なぜ今になってと訊くが、彼女は医者から普通に振舞うのが彼女自身のためにもよいといわれたからと応える。

 そして、そのあと、彼女の身体は急速に悪化してゆく。Leukemia血液の癌!この若者の父親は居るのだが、映画では離婚しており、彼は恨みに思っている、小説のほうでは父親は地方の大物政治家Congressmanで一年のほとんどをワシントンD.C.にいるから、疎遠で親しくはない。地方の貧しい牧師では娘の病気の面倒もみきれない。若者は、お金持ちの父が息子のために、牧師の家庭での彼女の看護に必要な経費を全部みてやるという手配をしてくれたということで、父親をみなおし、それぞれ二人の関係もよくなる。娘は病院から出て、自分の家でやすむようになる。

 若者は日に日に娘の体力が衰えていくのをみていて、自分に何かできることはないかと検討し、そうだ、彼女の夢は父親の教会で結婚式を挙げることだと気がつく。体力の衰えた彼女に、彼は自分の願いをかなえてくれるか、もし可能ならときき、OKという承諾をもらう。それで、若者は、両親を説得して、そして牧師の父親も説得して、結婚式を挙げることになる。教会の入り口からあらわれて祭壇の前まで、小説では車椅子から立ち上がって、苦労して、時間をかけてやっとたどりつく、映画では車椅子の状態ではないが、父親に支えられながらたどりつくーこれが“A Walk to Remember”なのである。

 二人は結婚し、短いひと夏を二人はHappyにすごし、彼女は亡くなる。彼は大学に入り、映画では医者である父親と同じ医学部に進学することになる。故郷に帰った彼は亡くなった妻Jamieの父親Father-in-Lawに挨拶にゆき、Miracleは起きなかった、(彼女は死んでしまったということ)というと、牧師は、いやMiracleが起きた、それは娘があなたと出会えたということで、最高のよろこびを娘は味わえたのだという。そういえば、彼自身も世の中の見方もかわり、人間がかわり、彼女の魂を身近に感じながらたくましく生きていけるようになったと感じる。Miracleは起きたのだ。

 ほかの映画、小説と違って、この本も映画も、読むたび、見るたびに私はなんどか涙が出てきてTissue Paperがたくさん必要になる。今もこれを書いていて、Miracleがおきたと書いたところで、EyesWetになってくるのをどうすることもできない。「Notebook」のほうがSparksの作品としては最高傑作だと思うが、この「A Walk to Remember」の小説も映画も涙ナシにはおわらない出来栄えであった。

 アクションもので涙を流すことはないが、単純なLove Story、特にModestHumbleな人間を主人公とした作品で最後がつつましく終わっていると、すぐに泣いてしまう。

 映画では歌手のMandy Mooreが、控えめな主人公Jamie Sullivanの役柄をうまくこなし、涙ナシには見られない映画となっていた。

 小説のほうはNorth Carolina(著者の作品のほとんどの舞台だと思う)のBeaufort High1958年が舞台であるが、映画のほうはどこだか。「Notebook」の場合は、映画はSouth Carolinaにかえてあった。

 小説では、彼女が彼に手伝ってくれるとうれしいといって頼んだ作業が、DonationをいれるBottleをあちこちの店のカウンターにおいてあるが、もう1年経つから回収してきてくれということで、60箇所ほど、車で一日でと思ったが、結局3日ほどかけて、回収することになる。自分の家の部屋で数えてみると、それぞれ20ドル前後(1958年の話だが、わずかはわずか)、みんなで60ドルほどである。そこで彼は、彼女と一緒に数えようと提案し、ふたりで彼女の部屋で数えると240ドルほどになった。彼女は去年もおとどしも70ドルほどだったので、これはすばらしい、孤児院のこどもたちにすばらしいプレゼントができると喜ぶ。その彼女の姿を見て、彼は単純にHappyになる。あとで、彼は自分が貯めた金をつかったのだとわかる。このDonation Bottle回収の話は映画でははずされていた。私はこの場面を読んだとき、そういえば、たしかにどこの店のカウンターにも、コインをいれるDonation Bottleがおかれていて、私はコインを入れたことが無かったが、こういうこともあるのだと見直して、ある時期、おつりを入れたことがある。

 逆に映画では彼女のほうが、天体観測が好きで、自分で望遠鏡を作り夜空をながめるというシーンがいくつかでてくる。若者も天体観測に詳しく、そのうちに、あたらしい流星に彼女の名前を正式に天文学会に申請して認められたと証書を彼がプレゼントするという場面がある。最後のほうでは彼が彼女のためにこしらえた天体望遠鏡で(Dobsonian?Hyakutake流星を見るというシーンもある。Sparksの提案かシナリオ・ライターの創案か、なかなかうまいと思った。このヒャクタケの発音がややこしかったのが印象的であった。カメラのNikonニコンがナイコンと発音されるのだから、推して知るべきである。

ともかく、小説も映画も、心が洗われるような気持ちのよい作品であった。

 私がこの作品に感動するのは個人的理由があるからかもしれない。1975年、クラスメートが亡くなったのもこのLeukemiaのせいであったように思う。また、1990年、UCLAPh.D.を取得した友人が亡くなったのも、結局、このLeukemiaのせいであったように思う。この主人公が恋人Jamieからいわれるまで気がつかなかったように、わたしも亡くなる4-5ヶ月前に会っていて何も気がつかなかった。うかつな話で、私が心霊現象の科学への関心をたかめるひとつの大きな動機となった。この“A Walk to Remember”から判断すると、急速に悪化するまでは、外から見ても気がつかないのかもしれない。

 拙著「寺子屋的教育志向の中から」のなかの“癌と人生”というエッセイで、癌に関するDr. Lawrence Le Shanの考えを紹介した。今では癌はそれほどおそろしくは感じられないが、血液の癌Leukemiaには、おそろしいとう印象がいつまでもつきまとう。はやくよい治療法を発明・発見してほしいと思う。

 私自身は盲腸炎(虫垂炎)の手術、慢性中耳炎の手術など何度も外科的な手術・入院を体験してきたが、血液のなかから駄目になっていくという恐ろしい病気からはまぬがれてきた。今、Life-after-deathや臨死体験などの関係書物をたくさん読んでいると、たくさんの子供たちが恐ろしい病気で、まだ幼い時点で死んでいくのには驚くばかりであり、もっと医学が進歩して、みんな健康で長生きできる社会になってほしいと心から願う。

 若者Landon Carterは自分の愛に徹して、死に行く彼女Jamieと結婚した。みんなが満足し、それなりにHappy Endingであったといえる。これはFictionだが、同じようなことを実行したのがノーベル賞物理学者Richard Feynmanであった。彼はNew Mexicoロス・アラモスでOppenheimerらと原子爆弾の研究をしながら、死病を抱えたArleneという恋人と結婚した。彼女は独創的で大胆な発想にとんだ魅力的な美しい女性であったようだ。ベスト・セラー「You are joking, Mr. Feynman」に続いて出版された「What do you care what other people think?」という本の題名は同じ名前のエッセイからとられ、それは彼女Arlenが彼になんども説いた言葉であった。“他人のことは気にするな、汝の道を進め”、独創的な探求者には必須の名言である。もちろん彼女に限らず、エライ人は昔からその精神で活躍してきたはずである。

 映画と小説の両方を紹介しかけたため、散漫な紹介ぶりになってしまった。この「A Walk to Remember」の魅力の一部でも伝えられれば満足である。

 3日前に映画DVDを見て、本を読みたくなり、昨日、本を探し出して、すぐに読了し、また映画を見たくなって、もう一度DVDを見た。Notebookのほうは残念ながらDVDをもっていないので、もう一度本を読んだら、DVDを買いに行かねばならないと思う。いいものは身近において、何度も見たい。

村田茂太郎 2014年2月28日




11 Nicholas Sparks 「At First Sight」を読む

 これは2005年に出版された本である。最近、私はAmazon.comJ A JanceAlex Kavaその他をオーダーしたときに、Nicholas Sparksも何冊か購入した。まだ届いていないものもあるが、この「At First Sight」が一番に届いたので、J A Janceを読んだ後、すぐに読み始めて、今、読了した。(2014年11月7日)。

 若くもない男女(31歳と37歳)がSoulmateのような関係に入り、知り合ってまだすぐの状態で結婚に入ろうとする。男は離婚とそのあとの複数女性関係を経験しており、女は未婚だが、同棲も含めた男性関係はある。男の友人は早すぎると警告を出すが、男は女の棲むNorth Carolinaに移り住むつもりである。

 結婚を前提としての移住だから、男は女の住まいに一緒に住むつもりが、大都会のNew Yorkとちがって、North CarolinaSmall Townでは、数すくない住民誰もがお互いを知っている状態だから、未婚のふたりがいくら結婚を前提としても一緒に住むべきでない、そうでないとすぐにうわさされると女に説得され、どこかに部屋を借りて不便な生活をつづける。そして、車を買うとか家を買うとか、すでに妊娠していることはわかっているのでベービー用品を買うとかという日々をすごしているうちに、男は女が自分にうそをついて別の男と会ったり、手を握ったりしているのを見知って、不信感を抱く。

 おりしも、E-mailにそれを裏付けるような変な匿名のメッセージがはいってくる。それやこれやで、男は女とけんかになり、男は既に決まっている結婚前のBachelor Partyに出席のため、喧嘩別れした状態でNew Yorkに向かう。親の家で、彼の両親は、女に非常に好意的であることをみつける。彼がしらなかったけれど、毎週、女は男の母親に写真入の手紙を送って状況を報告しており、それで両親はとても喜んでいるということであった。不信感にとらわれるばかりで怒りっぽくなっていた男には目が覚めるような発見であった。

 Bachelor Partyは彼の親友が開いたものであったが、そのとき、男は不信感を増大するようなE-mailを匿名で送っていたのは、彼の親友であったことを発見し、理由が何であれ、許せないと怒り、Party 会場をとび出す。

 女は、男が怒ってとびだし、New Yorkに去って、電話もよこさないので、もう自分のところには帰ってこないのではないかとGrandmotherに悩みを訴え、Grandmotherは、時間が経てば帰ってくるから安心するようにと説得する。そして、家に帰ると、まだNew Yorkに居るはずの男が自分の家の前に車を止めているのを発見する。

 結局、ふたりはお互いをあやまり、男はなぜ不信感が増大されたのかの原因を説明し、おたがいに許しあい、本当に二人にとってお互いが無くてはならない存在だと確認する。

 男の女の妊娠に対する不審が女の挙動や匿名のメッセージで倍加されたのは、男の最初の結婚が離婚になったのは、男には子供が生まれない、精子が少ないと宣言されたからであったので、女が妊娠したというのが信じられず、もしかして、手を握っていた男が原因でないかと疑ったからであったが、すべてが解消され、ふたりはつかの間の安定期を迎えて結婚式に向かい、また出産の用意をする。

 Bachelor Partyまでが、結婚するはずでHappyなはずの二人が、不信感で喧嘩別れしたようになるはなしである。Bachelor Partyを抜け出して帰ってきてからが、第二部にあたり、これは結婚式と出産そして結末にあたる。

 第一部は謎の匿名のメッセージがあったりして、不信感と謎を増幅して、通俗的なミステリーじみているが、後半はすなおなLove storyである。

 そして、胎児の検査の途中に異常が発見される。“Amniotic Band Syndrome”というもので、紐のようなものがただよっていて、それが胎児につくと、異常なベービーが生まれるということで二人は恐怖につつまれる。それまでの楽しい期待の変わりに、どうなるかという不安につつまれて過ごすことになる。ふたりはもし異常児が生まれても立派に育てようと決心する。

 また男のほうはScientific Americanという雑誌のWriterであり、同時にフリーランサーでもあるが、いろいろ気になることが多くて特集記事が何も書けなくなって久しい。家計的にも出費が多くて、余裕もなくなり、どうなるのか気になるがどうすることもできない。

 しかし、ともかく30代の二人の愛情は深まり、お互い、ささえあって子供の出産を楽しみに生きる。

 女は健康で、ふたりは子供の名前も決め、準備万端ととのって出産にかかる。心配したAmniotic Band Syndrome も無事に素通りして、赤子はうまく生まれでたようすだが、母親のほうが、うめき声を上げたように思ったが、赤子をとりあげるのに精一杯で、ドクターが、気がついたときは母親の様子がおかしい。急遽、男を部屋から出して、Emergencyのほうに運び出したが、男はドクターたちまでがパニックに陥っているようなので赤子をみるよりも母親のほうが心配である。

 そして、男は愛する女が、ドクターの説明ではAmniotic Fluid Embolismという症状になって、死んでしまったと告げられる。あんなに元気で、子供の生誕を楽しみにしていた妻が突然死んでしまったなどと男は信じられない。しかし、事実であった。女のGrandmotherからは、彼女も孫である女の突然の死に呆然として入るが、Babyは母親に似てかわいいから、会ってやれと男に説く。

 しかし、今では男はこのBabyが生まれたために妻が死んだという事実に圧倒されて、Babyがかわいいどころか、憎いくらいになっている。しかし、そのうちに、Babyには責任がなく、亡き妻もBabyのためにすべてをささげてきたのだから、Babyの成長を見守るのが彼の役目だと悟り、Babyを見に行く決心をする。At First Sight一目見て、彼はBabyのかわいさに気がつき、彼だけが頼りだと確認する。今は亡き、妻の面影を抱いているのを知り、すべてを忘れてこの子供を育てることが自分の使命だと理解する。

 はじめて、ためらいながら赤子を抱く場面で、Nurseがこうして抱けばよいと指示し、最後に重要なことばを残す。And then, most importantly, love her for the rest of her life. (Page 262. 娘のこれからの一生を愛しつづけてやりなさい!まさにIndeed!そのとおりである。これがいかに難しいことかは、日本のニュースをみればあきらかである。最近も日本では子供を産んで捨てたり、殺したりしたニュースがOn Lineで報道されていた。ひところCoin Lockerに赤子の遺体が見つかったというような事件が多かった。今も頻繁に子供たちや赤子が殺されている事件が目に付く。本当にどうなっているのだろうと思う。

 妻が亡くなって、育児に関しては何も知らず、そして、母親も居ない子供を育てるのは大変だと男は思うが、男の母親がNew Yorkからかけつけ、しばらく面倒を見て育て方を指導し、女のGrandmotherも援助して、なんとか一人で子供を育て続ける。まわりの大人たちは男に再婚をすすめるが、男にはとてもそんな気になれない。妻の面影を宿したかわいい娘を育てるだけで自分には充分だと思っている。そして、4歳になったころ、娘がNightmareで毎晩夜中におきるため、男も不眠症になる。そのうち、きっとGhostらしきものの夢を見るのだろうと推定し、自分が娘の母親と初めて遭い、愛情が生まれることになった場所―女の親の墓場につれていく。男はその墓場で幽霊のようなLightsがみられるといううわさを耳にして、それを確かめるために訪れたのが女との出遭いとなったのだ。(これは叙述からして、わたしが目撃したTexas Marfaの有名なLightsの様子を記しているように思える。)真夜中の霧深い墓場で、娘と男は光の饗宴を見、男には見えないが娘には一度も見たことがない母親の姿をみかけたようだ。これでNightmare悪夢を見ることもないだろうと男は思う。

 女のGrandmotherはある種のサイキック(Divinerと孫娘は言う)で、生まれる子供の“性”をあてるのが上手で、一度もミスしたことがない。それで女が妊娠したとき、Grandmotherはすぐに女の子だといい、女も信用し、男もそれにしたがって、名前も用意する。いろいろやりとりがあって、結局、女が小さな子供のころに車の事故で亡くなった母親の名前Claireクレアーをとろうと男がいい、女も賛成して、子供は生まれる前からClaireときまっていた。男はJeremy Marshといい、女はLexie Darnell

 男は当初、New Yorkの刺激のある生活とはまったく異なる、鄙びた、わびしいNorth Carolinaの海際のSmall Villageでの生活が彼の作家としての才能を発揮できなくしていると思っていたが、妻が亡くなり、一人娘Claireと生活するうちに、ここが自然に近く、すばらしい場所であり、もうNew Yorkにはもどらないと決心する。子供を育てるのにこの海際の鄙びた田舎は最高だと思うようになっていた。

 愛する女がいなくなって悲しいが、ふたりの愛の結晶が健やかに育っているというだけで男はHappyであった。

 というのがこのLove Storyのあらすじである。最初は男の友人が感じたように、へんな男女の関係で、いきなり結婚にはいる(知り合って何週間!)というのは、常識的ではないが、それぞれ男女関係を経験したおとなであれば、Soulmateというような発見が行われたと見れば、ありうる話だとも思える。友人が奇怪なE-mailメッセージをのこすというやりかたは、異状だが、第一部の話の展開には刺激的な興味をかきたてる。別に第一部、第二部とセットされているわけでないが、あきらかにBachelor Party前後で話はまったく異なる。

 第一部に関してはたしかに男の不審感ももっともである。すでに婚約して妊娠している女が、ほかの男の手を握り、うそをついて男の家まで夜おそく訪問すれば誰でもへんに思うだろう。その点、女はその男が昔なじみで、今までそうだった、そして今、悩んでいるということで自分が慰めるのは当然ととり、かえって男が自分を信用しないで、あとをつけていると非難する。和解に至る前に、女のGrandmother Dorisも、やはり男が変に思うのはあたりまえで、孫の反応が間違っていると指摘する。そういうこともあって、お互いの理解も深まり、ふたりはまさしくSoulmateのように不信感を取り去った相愛の関係に至る。

 大都会の生活から、辺鄙な田舎の世界にはいり、刺激がないと感じながら生活しはじめた男が最終的に海際の田舎の町での生活に魅力を発見するまでの叙述は興味深い。Nicholas Sparksの小説はNorth CarolinaSmall Village, Townの生活がよく描き出されているが、私のように大都会Los Angelesなどで生活しているものには、Small Town Lifeは限りなく魅力に満ちている。しかし、訪問客ならともかく、いざ、その中で生活するとなるといろいろな問題が発生するだろう。小さな世界の魅力と限界も感じさせる叙述であった。

 女Lexieが出産で死んでしまうということから、昔、よく女性は出産で死んでしまったことを思い出し、こういうAmniotic Fluid Embolismとかという現象が起きたりしたせいかもしれないとか、衛生状態が悪くて、消毒が充分でなく、悪い菌が体内に入って死んでしまったケースも、そして出血多量で死んだりしたケースも多かったのだろうとひとごとみたいに想像している。ともかく、医学が進歩して、おどろくほど出産に関するもろもろの現象が解明されたのは歓迎すべきことであり、産婦人科というのもまじめにとれば直接生死につながる大変重要な職業なのだなあとわかった。

 私は不幸にして子供をもつという経験がなかった。それで、女性の出産に関してはほとんど何も知らなかったが、心霊現象の科学への興味のおかげで、胎児への影響、Soulのありかた、その他いろいろ興味深い研究がありうるのを知って、人間の科学はすべて興味深いと納得した。

 この本は若い健康な女性がAmniotic Fluid Embolismとかの症状で、出産途中で急死する可能性があることを教えてくれた。Kristin Hannahの「Firefly Lane」という小説では主人公の一人Kateという女性がIBC Inflammatory Breast Cancerで死ぬことになり、著者は特別に、女性の乳がんのなかでも、このIBCの早期発見の重要性を指摘していた。どうやら著者Kristin Hannahの母親もこのIBCで亡くなったとのことである。

 まあ、Masterpieceとはいえないが、読後、それなりに感銘を残すLove Storyであった。

 精子と卵子の結合でひとつの生命が誕生するというのは本当にミラクルである。これは何も人間に限ったことではない。わたしは学生のころ「女体の神秘」という洋画を京都で見て感激したことがあり、このブログにもそれを紹介した短いエッセイを公開した。映画の中に“ひよこ”の発生過程をたどったミニ記録映画が挿入されていて、私はひどく感激したものであった。本当に、愛する男女が愛の結晶を産み育てるというのは奇跡的な素晴らしい仕事であると思う。しかしそれが生かされるには本当にUnconditional LoveKeepすることが大切であるに違いない。犬猫を育てていても、なかなか思い通りにゆかなくて、腹が立つこともでてくる。そのとき、パワーをもっているのは私であり、彼らはまさに私に依存しているとわきまえれば、彼らの自己主張も逆にかわいく感じられる。人間も同じである。ニュースでは、みな気短で、すぐに肉体的な暴力に走るようだ。私は権力Powerをもっているものは、そのパワーはほかの人やほかの動物を助けるために使うべきで、自分を満足させるためにパワーをつかうのは最低だと思う。人間、パワーをもてばもつほど、寛大にならなければならない。実るほど頭を下げる稲穂かな!



村田茂太郎 2014年11月8日




12 Nicholas Sparks 「A Bend in the Road」を読む

 この本は2001年ごろ出版されたらしい。彼の本は今ではかなり沢山出版されているから、これは比較的初期のものといえる。

 ストーリーは単純だが、340ページほどの展開となっている。もちろん、彼のストーリーだからLove Storyであるが、内容は比較的簡単である。

 North Carolinaの海際のSmall TownDeputy Sheriffを勤めている男と都会から移り住んできた女教師(Baltimoreで金持ちと結婚し、離婚を経験した女)が愛し合うようになるという話で、男は2年前に高校以来相愛の中であった妻を突然亡くし、5歳の子供となんとか暮らしているという状況である。

 妻はJoggingに出かけて、なかなか戻ってこないと思ったら、車に轢かれて死んでいたというわけで、轢殺の犯人はすぐにわかるだろうと誰もが思っていたが、結局、2年経って迷宮入りのような状態である。

 この間、男は犯人をもとめて、苦悩の日々を暮らし、ようやくその苦しみから抜け出せたころには一人息子Jonahは学齢になっていた。

 ある日、子供のかばんから教師からの面談要請メモがでてきて、はじめて毎日OK?という程度の会話ですごしてきた子供が、教師からなにか注意されるほど問題があるとわかる。

 学校を訪れ、若く、きれいな女教師と話し合い、彼女が自分の子供の面倒を本当に見てくれていることを知り、また彼自身、妻の死以来交際は避けてきたが、彼女にあらたな関心をかきたてられる。女教師Sarahによれば、子供が人間的にはかわいい、よい子供だが、学習的には何も身につけていない状態で、このままでは次の学年にうつるのは無理だという。どうやら、今までの担当教師は、子供の母親がひき殺されて犯人もつかまっていない状況で、特別扱いするほかないと思っていた模様。彼には家庭教師をつけたりする余裕はないし、彼はDeputy Sheriffとして公務に忙しく、なかなか、特別に子供の面倒を見てやる余裕もない。Sarahは放課後居残って自分が特訓することを提案し、お菓子も用意して、毎日、楽しみながら学習ができるようにする。男Milesも賛成し、感謝し、したがって、毎日、週何度か放課後、息子を迎えに行くときにSarahと会えるのを楽しみ、急速に二人の仲はすすんでいく。

 ふたりは結婚したいと思うほどの相愛関係になり、彼女の両親とも近づきになる。そして、彼女の年若い弟BrianともThanksgivingPartyで会う。

 男Milesは妻がひき殺されて2年以上経つが、犯人をさがす努力は続けて久しい。

 あるとき、Deputy Sheriff Milesは飲酒運転でおかしい状態のおとこを捕まえ、留置する。おとこは以前、刑務所にいるとき、アルコール禁断症状で悲鳴を上げすぎたため囚人から殺されそうになったことがあり、なんとしてもPrisonにはゆきたくない。そこで、Milesの妻がひき殺された事件は町の誰もが知っていることだから、この男Simsが“自分を放免してくれれば、彼の妻をひき殺した犯人に関係する情報を与える”と言ったため、悩んだ末、誰にも相談せずに釈放する。Milesが得た情報は、酒場で、問題の多い男Otisが別の男を威嚇して、お前もあのひき殺された女のようになるぞといっているのを耳にしたというのだ。

 もともと、この男Otisならびにその仲間を問題視していたMilesは、その話をきいただけで、ボスであるSheriffのとめるのもきかず、Otisを探しに出かけ、男を家から呼び出し、拳銃で威嚇しながら男を逮捕する。その勢いはまさに頭を撃ちぬかんばかりであった。幸い発砲はしなかったが、引き連れて帰るドライブの間も乱暴な運転をして男に怪我をさせるほどである。結局、男Otisの弁護士たちが警察の横暴だと騒ぎ、Sheriffも頼りない男Simsのバーで耳にした情報だけでは、逮捕し続けることは不可能とOtisを釈放する。逆に弁護士たちはMilesを告訴するとさわいでいるので、SheriffDeputy Sheriff Milesを一時有給のSuspension停職の状態にする。

 一方、SarahMilesから具体的な経過報告を聞いていたが、あまりにも性急で凶暴ともいえる男の反応振りを見て、まさにバーで叫んだという男Otisを撃ち殺しかねない勢いなので、Sheriffにまかせるようといさめるが、男はきこうともしない。

 Sarahが、そういう愛人Milesの状態を弟Brianに説明したところ、弟がとんでもない告白を行った。

 それまでに、何度も、彼Milesの妻Missyをひき殺してしまったらしい男の告白のようなメモが話の展開のあいだに挿入されていた。その告白によると、轢殺は完全に事故であった。男がドライブしていて、前の道路わきの狭い道を女MissyJogしていた。Bend曲がりに差し掛かったとき、いきなり大きな犬が彼女の前にとび出し、おどろいた彼女はまちがってクルマが来ている前にとびだしてしまい、ひき殺すようなことになってしまった。おとこはクルマを降り、調べたが、女は溝に落ちて目を開けて死んでしまっているようであった。Truckingの仕事をしていた男は何を思ったか、ブランケットのようなもので遺体を覆ってやった。そして、そのときは気が動転していて何もできなかったが、あとで自首するつもりが、ひき逃げ事件を扱う雲行きがあやしくなって、完全に事故なのに、意図的な殺しのような感じになっているのにおじけづいて、とうとう彼は自首しないですませ、そのかわり、その遺族つまりMilesJonahがどういう様子で生活しているかを毎日のようにうかがい、また毎週、ひそかにお墓に花をそなえていた。

 その告白をしるしていた男がMilesの愛するSalahの弟Brianであったことがわかる。なぜBrianは姉に告白したか。彼は姉が愛している男が、彼がひき殺した女性の夫Milesであことを知らなかった。姉がMilesと結婚までしそうになっていると知って、このままでは、Milesが轢殺犯の姉だとわかれば、当然、結婚も駄目になり、すべてがおかしくなるのは明らかである。事件に関係のない男Otisが犯人だと疑われて殺されるようなことになれば、さらに面倒だ。ここは、姉のためにも自首するほかはないと姉に打ち明けたわけであった。

 一晩悩んだ末、Sarahはこのままでは、Milesの怒りがおさまらず、犯人だと思っている男を撃ち殺しかねないので、弟を連れて恋人Milesを訪問する。

 話を聞いたMilesは興奮してしまって、あきらかに運の悪い事故であったといわれても、納得できないだけでなく、今では彼のかけがえのない恋人である姉Sarahが、はじめから弟がひき殺したのを知っていて、償いの気持ちから息子に接触し、放課後の特訓その他を始めたのに違いないと非難し、Sarahが前日まで何も知らなかったといっても信用しない。そして、彼女の弟Brianを逮捕するといって手錠をかけ、自分の車に乗せてでてゆく。Salahは別の車であとを追う。

 車の中で、Brianはもう一度、まったく不幸な事故であって、いきなり犬がとび出してきたので、自分の車が走っている道路に彼女がとび出して、結局、どうにもならず事故になったと説明しても、それは嘘だと聞く耳を持たない感じであった。しかし、Brianが車から降りて、彼女の死をたしかめ、ブランケットかなにかでカバーしたという話を聞いて、Brianは本当にあった話をしているのかもしれないと思う。

 ふたりが車の中で話に気をとられてドライブしている間に、クルマはBend曲がりに近づき、あいにく対向車がきているのにも気がつかないで、中央分離帯をこえてしまっていたらしい。あわてて気がついたときにクルマは対向車と接触して、溝におち、Brianは頭に怪我をした。はじめて気がついたようにMilesBrianの傷をみて、身体の異常を気遣い、手錠をはずしてやる。相手のクルマはたいした損傷ではなかったようだが、ドライバーはMilesのクルマとけが人を心配する。非はMilesにあるということはあきらかだ。そして姉Sarahのクルマが現場に到着し、弟が頭から血を流しているので、Milesに怒りを発し、自分で病院につれていく。Sheriffもニュースが伝わってやってきて、様子を聞く。

 幸い傷はたいしたことはなかった。その夜、Sarahの家にMilesがやってきた。彼は、彼女が本当に前日初めて弟から打ち明けられたことをきいて納得する。しかし、Brainが彼の妻を殺し、法律を破ったのは事実だといって去っていく。そのあと、姉と弟はそれぞれ自分の住まいで、いつMilesが逮捕にくるかと待っている。しかしMilesは来ない。

 Milesはどこかから古い拳銃を探し出して、持ち運ぶ。SuspensionDeputy Sheriffとしては武装解除された状態である。古い銃を持ってどうするのか。

 どうやら彼の妻を葬った墓場にBrianが花を持っていくあとをつけていたらしい。墓場でやりとりがあり、撃ち殺さないで、沈黙をちかわせる。自分はお前を許さないし、忘れない、お前も2年間俺を苦しめていたことを忘れるな、そして姉にも誰にも何も言うな、・・・という調子である。

 Milesの息子Jonahは、最近、女教師Sarahが来なくなったし、どうしたのかと父親に訊く。Milesは息子がSarahを好きで、彼がSarahとの交際を楽しんでいるのを喜んでいると知って、元の関係に戻りたいと思う。しかし、今はとても無理だ。幸い、Sheriffが自分の別荘を何週間か貸してやるといってくれているので、息子と二人で2-3週間でかけるつもりである。Sarahのほうは、Milesとの関係が駄目になれば、もう彼の居ないほかのところにうつるしかないと考えている。そして、ともかく去っていく。

 男Milesはその後、銃を持ってBendをしらべ、本当にBendの近くの家で大きな犬が出入りしているのを知り、その犬が急にとび出したという話も本当なのだと思い始める。犬を撃ち殺すのかと思えば、犬にもまたかわいがっているOwnerがいるのだと考えて、ただ納得したわけであった。

 1週間ほどしか経っていないのに、Sarahが親の家から自分の家に戻ると、部屋にライトがつき、MilesJonahが自分の部屋でSarahの帰りを待っているのを知って、彼女の心ははずむ。

 二人は不幸な障害を乗り切って結婚にゴールインするようだ。

というのが、あらすじである。

Happy ending.

 Brianは他州に移り、医者になり、結婚して、一応、静かに暮らしている。MilesBrianを逮捕しないで、そして誰にも報告しないで、逃がしたのは、どうやら息子のJonahが傷つかないようにと思ってのことであったに違いないと想像する。逮捕すべき犯人を逃せば、今度は自分もまた犯罪者になるのだから。

 この小説では、ひき逃げが最大のテーマとなっている。ひき殺された妻を思い、その犯人を追う男の執念がテーマである。その異常なまでの執着は、単なる事故が、自首がなかったために、ひき逃げ殺人にかわったというところからくる。

 Nicholas Sparksの既に紹介した別の小説「The Best of Me」では、主人公のおとこがアルバイト中、悪い天候の中で、あやまって医者である男をひき殺し、自首して、罪に服し、数年の監獄生活を経て出獄してから、毎月、彼の働いた乏しい給料の中から、遺族に匿名で送金し続ける話が書いてある。この「A Bend in the Road」では、ひき逃げした男は自首して服役しなかったために罪悪感にとらわれ、特に姉が交際している相手が事件に関係ある当事者だと知って、ますます悩んだ結果、久々にあった姉が弟はきっとドラッグ中毒になっているに違いないと思う。実は、この罪悪感が耐え切れないほど重荷になってきていたのであった。

 結果的には、事件は闇に葬られ、女は男と結ばれるだろうという話である。

 Kristin Hannahの「Night Road」という小説では、高校卒業間際の生徒がたまたまほかにドライバーがいなくて一番よっぱらっていない女性が運転して、事故に遭い、一緒にくらしている親友が死んでしまったため、その母親は検事の起訴に同意して、裁判を起こし、結局、女生徒が有罪を認めたということで、6年ほどの実刑を受ける。この場合、アメリカでは情状酌量とかそういう斟酌はなしに、自分に責任があったと認めれば、それだけで有罪、懲役6年とかという判決が出て、おわりである。

 「A Bend in the Road」にもどると、これは一応、単純なLove Storyであるが、男のひき逃げ犯人に対する執着が異常なほどである。あやしげな男Simsがバーで誰かがしゃべっておどかしているのを聞いたというだけで、その威嚇していた男Otisを撃ち殺さんばかりに狙い、彼のボスであるSheriffが、あとは自分たちが調べるからといっても耳を貸さない。これはすこし反応が異状である。だいいち、酒場で、みんなの居るまえで、犯人未解決のひき逃げ殺人を自分がやって、お前も同じようになるぞ、などというような話はありえないことである。別室でというのならわかるが、このSimsという男が拾い聞きするくらいだから、周りに人がいるなかでのことであり、、そんな進展はありえない。おとこが威嚇のために言っているのはあきらかだから、Deputy Sheriffとしては、それを参考に、また別の角度から調査するとかするほかないはずである。ということで、これは小説だからといってしまえばそれまでである。すこし、話の進展に無理があると私は思った。

 避けられない事故というのは起こりえ、この小説の場合は当事者がすぐに自首しないで、逃亡したままになったために犯罪が成立した。事故で死んだというのと、殺されたというのとはえらい違いである。したがって、Otisという男が、自分が殺したというようなことを言っていると耳にすれば、頭にくるのもわかるが、そのあとのやり方が昔の西部の無法者のやりかたで、ちょっとLove Storyのテーマにそぐわないという感じがする。この男の態度、周囲のものの忠告に耳を貸さないという男の態度は、恋人としてみれば、すこし将来が心配になるような性格といえる。穏やかな、話のわかる男という感じではない。まあ、男女関係はいろいろだから、こういう男女もありうるということかもしれない。

 私はこれでNicholas Sparksを10冊ほど読んだことになるが、今のところ、私が選ぶTopは、最初の「The Notebook」と「A Walk to Remember」である。「A Walk to Remember」は単純で深く感じさせる内容で、読むたびに、そして映画を見るたびに胸があつくなる。小説と映画は異なるが、話のSpiritはよく捉えていると思う。小説のほうは40年前の回想となっているので、1950年代、丁度 Salingerの「Catcher in the Rye」にあらわれた文体、表現がこの小説でもつかわれていて、それが内容の展開に効果を挙げている。映画は現在の話である。

村田茂太郎 2014年11月11日




13 Nicholas Sparks 「The Choice」を読む

 これはとても面白い、魅力的なLove Storyであった。わたしは読み出して、翌日には読了した。沢山並行して読んでいるので、ほかの本も同時に読み終わった。

 この小説もNorth CarolinaBeaufortという人口4千人の小さな町を舞台にしたLove Storyである。

 海沿いの小さな町に生活する魅力がこれを読むとよく伝わってくる。

 Travis Parkerという30歳を過ぎた男性が、隣に引っ越してきた女性に惹かれ、彼女GabbyGabrielleHollandが4年越しのKevinという男性を恋人にもっているということを知りながら、彼女の魅力のとりこになり、最終的に彼女の愛を克ち得て結婚するわけであるが、表題はこの二人のSoul Mateといえる関係が、ある状況下で左右される決断を要請されたところからくる。

 Gabbyは病院で働くPhysician Assistant(看護婦ではないー准ドクターというところか?)で、そのうちにComaに陥った患者のHusbandが最初はLove StoryGabbyに喜んで聞かせたほどであったが、いつまでもComa意識不明の状態がつづいたため、彼女の家族が破壊されていくのを見、6年経ってまだ意識不明で、今ではHusbandが早く死んでくれればよいと願っているのを知って、もし自分がそのような状況に陥り、3ヶ月経って意識がよみがえらなければ、機械の補助は断ち切って、死なせてほしいという願いを夫Travisに誓わせ、今それを実行すべきかどうかと迷い、苦悩し、その困難な精神状態が続いたため、Travis本人も病的な状態になっているほどであった。

 どうやら事故がもとで、愛する妻が意識不明の状態になっているが、原因は彼Travisが妻の注意も願いも無視して、雨の中、乱暴な運転をしたため、事故を起こしたということで、自分に対する罪悪感に圧倒されている状態である。

 3ヶ月の約束も、こういうことが起こると予測しての約束ではなかったと思い、たとえ女房との固い約束といえども実行するのがためらわれる。しかし、毎日、妻の病床で家庭報告をやり、いろいろ声をかけて努力しても、まったく肉体的反応がないので、ほんとうにどうすればよいのか悩むばかりである。

 病院は3ヶ月が限度ということで、介護ホームに移動するか、栄養添加等の機械を止めて死なせるか。決断をドクターたちにつげるまえに、最後のキスをして何も反応がないのを確認し、妻の病床を去る。

 結果的には、まだ40歳前の若い妻を見殺しにはできず、介護ホームで生きているだけでも自分たち家族の力になると信じて、妻との尊厳死の約束は果たさないで介護ホームに妻をあずけ、できるだけ訪問するように努力する。これが彼のChoice選択であった。

 彼Travisは獣医Veterinarianで、当初、父と一緒に父のPet Hospitalで働いていたが、父も引退して、自分で病院を経営するようになる。しかし、いつでも父親にかわってもらえるということで、妻のComaが続く当初は、仕事は父にまかせっきりで妻につきそっていたが、妹Stephanieのアドバイスで少しは仕事に戻るようになる。

 介護ホームでの生活が始まって何ヶ月か(9週間)たったあるとき、介護ホームのDirectorから緊急電話があり、妻の目が開いたというニュースがとどく。そして、そのあと、妻は自分Travisを認め、身体的後遺症はあるが、Comaだった女房が普通に回復してゆき、子供も彼Travisも誰もがHappyになるというEndingである。

 この小説の面白さは、この最後のChoiceにあるのではなく、男Travisが、恋人が居るとはっきり言っている魅力的な女性、隣人Gabbyと男女の関係を展開していくその関係の進展ぶりにある。

 GabbyMollyという名のメス犬コリーを飼っており、TravisMobyという名の雄犬を飼っている。ある日、GabbyMollyが妊娠しているようだと気がつき、これはとなりの雄犬が放し飼いで居たせいに違いない、Puppy子犬がうまれたら、どうなることか、ちゃんと責任を取るように文句を言っておかねばと思って、隣の家に向かい、男Travisと話し始め、言いたいことを言ってさっさと家に帰った。彼のアドバイスで一応、獣医に診て貰おうと、翌日アポをとってPet Hospitalに行くと、なんと隣の男Travisが獣医であったとわかる。結局、彼女は怒って最後まで彼の話を聞かなかったわけだが、彼はなぜ自分の犬が妊娠事故の当事者でないか、を説明する。つまり彼の犬はすでに中性化してあるということで、きっと近所の別のBoxer犬のせいだろうとわかる。

 この最初の出会いから、ふたりは喧嘩のような会話をかわしていたが、お互い、いままでつきあっていた人間とはまったく違う反応振りに気がついて惹かれていく。男は女が自分に正直だから、そして本当に犬Mollyを心配しているから、喧嘩っぽく行動したのだと理解する。

 女Gabbyが長く付き合っている恋人は保険屋で、ゴルフや会合でどこかに出かけていることが多く、たまに彼女にコンタクトするだけで、まじめな結婚の話にまではゆきつかない。旅行を計画しても、それはそこに素晴らしいゴルフ場があるからという話で、なんとも味気ない。それに対し、この獣医であるTravisは信じられないほど活発で豊かな人生を楽しんでいるようであり、しかも繊細な心遣いもする魅力的な男であるとわかってくる。そして、Gabbyの恋人Kevinのあいまいな態度とは違って、はっきりと愛を表明し、結婚を申し込む。

 男には子供のころからの友達が3名おり、それぞれすでに結婚して子供も居る。彼Travisだけが短期の恋人はいたのだが、いつも結婚するところまでにいたらないで別れてしまう。このGabbyという女性を知れば知るほど、その魅力に圧倒され、なぜ今までの女性関係がうまくいかなかったのかという原因までわかってくる。つまり過去の女性はすべて彼と対等につきあえず、彼の言いなりになって行動してきたから、お互いに飽きてしまい、何ヶ月かで別れるようになっていたということであった。

 この男女のやりとりがとても魅力的で面白く、またこの男の妹が兄思いで、兄の催すささやかなPartyなどには必ず参加して、いわば兄の家の隣に移り住んだ女性Gabbyと兄の仲をとりもとうとする。その妹とGabbyとの反応も知的でみごとなもので、この小説はこのSoul Mateといえる男女とこの男と妹とGabbyとの生き生きとした会話で成り立っているといえる。それほど、その展開振りは面白く魅力的であった。

 話の内容は、単純に、いかに男が、恋人が既にいる女性を口説いてお互いのLoveを貫徹するかであり、それほどのSoul Mate的な関係であれば、Comaの状態にあっても潜在意識ではつながっていて、単純に死なせるようなことはできないということであった。

 私の、このComaに関する対応についてのアイデアは、もしComaのひとがお金持ちで、誰の迷惑もかけないで生き続けられる様であれば、自由でしたいようにすればよい。

 お金持ちでなければ、家族もちか、年齢が50歳以前かによって、対応も異なる。

 若くて家族が居る人が事故などでComaになったとき、これは回復する可能性もあるので、この小説のように3ヶ月であきらめるのではなく、まずどんなに苦労しても1年は介護ホームで面倒を見たほうがよいであろう。Comaから回復する例を小説Fictionからとると、Kristin Hannahの「Angel Falls」と「Fly Away」があげられる。Fictionではあるが、「Fly Away」ではComaになってから1年半ほどして意識が回復することになっている。その間、病院を離れてからは、母親がすべての面倒をみる。「Angel Falls」では、妻の最初の恋人でHusbandであった男が熱烈なLove対象であったことを知った今のHusbandが、妻が回復するのであればと、その妻の昔のLoverに助けを求め、その効果があって、妻の意識は回復する。

 Comaの状態というのは無意識というのでなく、意識があっても肉体的反応ができないだけという場合もあり、語りかけたり、花や音楽で普通以上に生命衝動を盛り上げるのが、意識の再生に役立つようである。そして、目を開くということが決定的に重要で、意識があっても目を開けなければ、まだComaの状態だとみなが思ってしまう。

 70歳以上であれば、もう人生を生ききったといえるので、すぐに回復しそうでなかったら、1年以上はKeepする必要はないと思う。

 すでに「心霊現象の科学」をめぐるエッセイで展開してきているように、死は最後ではなく、はじまりであるかもしれず、死を恐れていつまでも生かしておこうとするのは、かえって、魂Soulの成長発展の邪魔をしている可能性もでてくる。死は苦悩ではなく解放であるとわかれば、ただただ長生きさせることに意味があるわけではないということが理解されるはずである。Near Death Experience NDE体験者の話を読むと、本当はそのまま死んでしまいたかったが、まだこの地上の生命でやるべき義務が残されているということで生き返ってくる人がほとんどであるらしい。したがって、Comaの状態の人はSoulが既に抜け出して、そのへんをさまよっている場合もあるようで、この人に向かって、語りかければ、Soulは理解するようであり、花や音楽もSoulは理解するようである。

 私に限って言えば、私は金もなく、私を必要としている家族も特になく、年もすでにとって、充分生きたと思っているので、そして死は終点ではなく、違うエネルギー状態でのはじまりであり、Soulとして異次元で待ってくれている人たちもいるはずなので、死にそうな病状の時には、素直に、何もしないで死なせてほしいと思う。まちがって救急車で病院にはこばれると、本当に助かればともかく、生きたが植物状態ということになれば、自分が苦労するだけなので、わたしは“手遅れになって死ぬ”のが希望である。家族・子供・孫がおり、金もあれば、ただ生きているだけでも意味があるかもしれないが、そのようなときでも魂Soulは早く死にたいと思っているのは間違いないと思う。

 ともかく、この本は面白かった。会話の展開は、ベストセラー作家らしく、さすがに、なれたものだと思った。



村田茂太郎 2014年11月26日、27日

The Choice by Nicholas Sparks 2007

ISBN: 978-0-446-61831-1




14 Nicholas Sparks 「The Last Song」を読む

 最近、Nicholas Sparksの読んでいなかった本をAmazonにオーダーして、届いたものから読んでいるが、The Last Songをつい最近読み終わった。

 これについては、映画のほうを先に見て、特に感銘を受けなかったため、後回しにしていたが、今ようやく読み終わり、まあ、Goodといえる内容であるとわかった。それで、今度は、映画はどう作成されていたかに興味がわき、同じアマゾンでDVDをほかのSparks作品で映画化されたものと一緒にオーダーした。本を読んで映画を見ると、どのようにシナリオ・ライターが作品のエッセンスを摘出しているか、どう短時間で物語のスピリットをつかんでいるかに興味がわくわけで、その点、The Notebook や A Walk To Remember などは、上手に映画化されていたと思う。展開はどちらもかなり違っていたが。

 この本も、最初の部分は通俗的で、魅力を感じなかったが、父親の、子供に対する愛情の表現がなかなか魅力的で、興味を持ち出して、読むようになり、半分が過ぎるころには熱中して、その日のうちに読み終えることになった。

 この小説もSoul Mateの出会いの物語であった。

 New Yorkから弟Jonahと一緒に、父親Steveの住むNorth Carolinaの海際の住処に、父親と一緒にひと夏をすごしにきた高校卒業したばかりの主人公の女性Veronica “Ronnie” Millerと地元North Carolinaの、これも高校卒業したばかりの魅力的な若者Will Blakeleeとが、お互いがSoul Mateであると発見する物語で、一件落着するまでに、町の不良Marcusとのやりとりや、万引きの疑いをかけられて裁判沙汰になる話が伏線となっている。問題は反抗期の若者らしさを発揮して、父親に反発している主人公の女性Ronnieがなぜそうなのかが、よくわからなかったが、結局、3年前に父親が家族を置いて別れていったことに対する怒りが原因であったことがわかる。

 娘はそのうち父親の穏やかな愛情を発見して、自分の身勝手で父をうらんでいたことを知り、同時に、父親が余命いくばくもない末期がん患者であることを発見する。

 娘は何事に対しても反抗的だが、海際にやってくる絶滅品種の海がめの卵を浜辺に見つけて、それを保護する努力をする。その過程で地元の魅力的な若者と深く知り合うわけで、知れば知るほどお互いに今までに出遭っただれよりも人間的に魅力に富んだ人物であることを発見していく。

 若者は地方の有力な、金持ちの息子であり、たまたま彼に連れられて豪邸を訪問して出会った母親は娘を相手にしない。しかし、二人はますます愛し合い、ただ、貧富の差と遠隔地での交友の難しさを気にするばかりである。

 彼の希望で若者Willの姉Meganの結婚式に参加したわけだが、不良の男性のせいで騒動に巻き込まれ、その騒動の元凶のように母親はとってしまう。もう、せっかく見つけたSoul Mateだがこれで終わりだと思っていると、結婚したばかりの恋人の姉Meganが彼女を訪問し、彼に対する彼女の愛を確認し、彼女をサポートする。

 そうこうするうちに、万引きの疑惑も晴れ、テネシーの大学にいっていた若者は、うまくNew Yorkに住む彼女の近くにすめるよう、大学をColumbiaTransferすることに成功する。

 最初はすぐにでもNew Yorkに帰りたいとおもっていた娘は、恋人もでき、父親に対する誤解も解け、とても刺激的な生活を楽しんでいたが、とうとう父親が喀血して末期がん患者であったことを発見。絶望にくれるが、おだやかに父と家で密度の高い生活をするようになる。何かできることはないかと悩んでいて、父親が最後の作品に没頭していたことを思い出し、彼女のほうが作曲の才に恵まれていて、どこがまちがっているかわかり、ピアノ曲を完成させる。The Last Songを完成して父親にきかせる。父親は元Julillard音楽院のピアノ教師をしていたことがあり、彼女もカーネギー・ホールで演奏したことがあるほどだったが、彼女Ronnieにとって、父親がなぜか理由もわからずに子供をほうって一人で過ごすようになったので、父をうらんで、ピアノを放棄していたわけだが、どうやら父親が悪かったのではなく、母親のほうがおかしかったとわかってくる。父親があるとき偶然に妻が別の男と親しく会っている場面を目撃して、騒ぎ立てるかわりに自分から去っていくということにした結果、離婚、そして子供たちとも別れることになり、それをうらんで3年間、娘は父と断絶して、今回の父親訪問もいやいやで、すぐにでもNew Yorkに変えるつもりであった。どうやら、ガンの末期状態で余命いくばくもないと知った父親はNew Yorkの母親に連絡して、最後の夏を子供たちと過ごしたいといったことから、このNorth Carolinaの海岸での夏季休暇を過ごすことになったのであった。彼は二人の子供を本当に愛していて、娘が反抗的に無理を言っても、それをきいてやり、娘のほうは、はじめはそれをなんとも思っていなかったが、真相を知ると娘は母親よりも父のほうが自分たちを本当に愛してくれていたことを知り、感激し、反省し、New Yorkにかえるのをやめて最後まで父親の面倒を見ることにしたわけであった。

 一方、この魅力的な男性Willは子供のころに自分の過失で弟を亡くすというくらい過去をもつ。母親が運転する車が、自動車事故になって湖にとびこんで沈むところを助けたのが友達のひとりScottで、そのために彼は負い目を持ち、どうやら何か大事な秘密を秘めたままでいるようである。教会が焼け、いろいろな不審な事件がおこって、その秘密の一端を暴露できず、逆に不良から悪用されて、弱みとなっていたが、不良の相棒の女性Blaze Galadrielをふたりの若者が助け出したことから、秘密があきらかにされ、実は教会の火事もかれらのせいではなくて、この不良のせいであったとわかり、万引きの裁判のほうも、それを行った犯人Blazeが訴えでて、彼女は裁判沙汰から解放される。すべてはうまく片付き、父親とも最後のSongを完成して満足し、父親は亡くなる。葬式の日にテネシーの大学から訪問してきた恋人に会い、お互いの愛を確認する。

 ということで、最初の部分でもたもたした感じのこのLove Storyも終わりに行くほど、立派なLove Storyとなり、最後には父親と娘の愛情が貫徹され、娘と恋人の関係もPositiveになったところでこの小説は終わっている。

 Sea Turtleの卵から孵化までの保護を上手にストーリの展開に取り入れたLove Storyで、映画でもこの亀が孵化するまでのシーンは大事な要素となっていた。

 DVDが届いたら、映画を見て、またもう一度読み返すことになりそうだ。今はストーリーも知っているので、安心して読めそうだ。

村田茂太郎 2014年12月16日




15 Nicholas Sparks 「Nights in Rodanthe」(「ロダンテでの夜々」?)を読む

 昨日、Nicholas Sparksニコラス・スパークスの「The Lucky One」を読むのを途中でやめて、ほかの本をさがして、この本「Nights in Rodanthe」を見つけた。わたしの、本の裏に記したメモをみると2004年8月29日読了と書いてあるだけで、GoodとかVery Goodとかという印象がしるされていない。購入してすぐに読んだらしいことは確かだ。

 2013年に、この作品の映画、Richard Gere と Diane Lane 主演のDVD MovieLos Angeles Public Libraryから借りて、見て、最後の場面で感動し、そのことについては、このブログのNicholas Sparks紹介の文章の中ですこし触れたが、このStoryがわたしには映画で初めて接したような体験であった。最近、Nicholas Sparksの本何冊かが、倉庫のBoxesの中からでてきた。「Nights in Rodanthe」もみつかり、覗いてみると、Paperbackを私が持っていただけでなく、ちゃんと2004年に読了となっていたのを知って驚いた。

 いったいどういうことか。2004年8月といえば、わたしの勤めるエルパソの会社がメキシコ工場ともども、Closingにむかって縮小・整理中で、わたしも引継ぎ書を作成するようにいわれて分厚いManualをつくりおわって引き渡したころであった。そういう精神状況の中でLove Storyを読んでも、心に残らなかったということであろうか。本を読むのにもTimingが重要ということだったのかもしれない。それはすべてについていえることであるが。この本の中でも、娘がなぜ自分に言ってくれなかったのかと訊ねるところが何度もでてくるが、母親はやはり、まだその機会でなかったからと説明する場面。

 映画はもちろん小説のとおりではないが、なかなかうまくこの物語の魅力をつかんであった。熟女Adrienneを演じる女優Diane Laneと問題を抱えたドクターPaul を演じるRichard Gereはそれぞれ役にふさわしく、上手に演じていたように思う。この映画も過去の回想という形ではなく、現在の出来事として展開されている。ほかの映画化された彼Nicholas Sparksの小説(「The Notebook」、「A Walk to Remember」・・・)など、みな同様である。

 昨日、この本をもういちど読んでみようと思って、昼過ぎからとりかかったが、素晴らしい内容で、映画の場面を思い起こしながら、私は没頭し、一日で、その日のうちに読み終わった。最後のほうでは涙が出てきてKleenexが何枚も必要になったほどで、これはもしかしてNicholas SparksLove Storyのなかでは一番泣けてくるStoryではないかしらと思ってしまった。ほかに「A Walk to Remember」も敬虔な感動に包まれたが、そして「The Notebook」もすこし感動する場面もあるが、このRodantheの最後の何ページかは本当に涙が出て、これはPublicの場所では読めない本だなあと思ってしまった。最近、単純なLove Storyに感動することが多いので、ともかく、これは素晴らしい本であったと思い、映画の批評家の評判は決してよいほうではないが(通俗的ということか)、そのうち、映画のDVDも手に入れて、何度も見てみたいと思う。Richard GereのドクターとDiane Laneの熟女の取り合わせは悪くなく、わたしはこの二人をイメージしながら小説を読み終わった。

 映画と違って、小説では女主人公Adrienneには3人の子供がおり、今現在、彼女は60歳になっていて、子供たちもそれぞれ家族もちで立派にやっているのだが、どうしたことか、娘Amandaの夫がまだ幼い子供二人と妻Amandaを置いて、病気で急に亡くなった。若い夫を亡くした娘AmandaGrief嘆き悲しみは大変なもので、もう何ヶ月にもなるのに、その悲しみから立ち上がることができず、自分のまだ幼い子供二人の面倒も、ほかのひと(自分の兄弟とその妻たち)にまかせっきりである。母であるAdrienneが娘にアドバイスをしようとするが、お母さんはお父さんと離婚したくらいで、仲良く愛し合って過ごしていたわけではないから、自分の気持ちがわかるはずがないといって、聞く耳を持たない。

 Adrienneの離婚は、夫Jackが一方的に取り決めたもので、若い弁護士事務所の同僚の女性と再婚したのであった。これもまたKristin Hannahの「On Mystic Lake」やK.C. McKinnonの「Dancing at the Harvest Moon」と同様で、アメリカでは特に、この種の脱線―熟年(50代前後)の金持ちのProfessional(主に弁護士)が浮気というのでなく、さっさと若い女性と結婚に走り、糟糠の妻を離婚してしまうケースが多いようである。

 そこで、母であるAdrienneは娘Amandaに、14年ほど前、45歳のときの体験を娘に語ってやることになる。ここから、Love Storyになる。

 話は単純で、45歳になるAdrienne Willis(3年前に離婚を経験して三人の子供をもつ女性)と54歳ほどの、働きすぎて問題をかかえているDoctor Paul Flanner(妻からは一方的に離婚をもとめられ、一人息子からは一方的に絶縁され)とが、North Carolinaの海岸にあるRodantheという町のBed & Breakfast風のInnで4-5日一緒にすごしただけだが、それが二人にとってLife changing Love AffairSoul Mateの発見となったわけであった。

 ドクターPaulが季節はずれのRodanthe(ロダンテ)にやってきたのは、彼がからむ整形手術で女患者が死んでしまい、遺族から起訴されて、いろいろ面倒な手続きを経たあと、医療的には過失はないと判定されたが、遺族の夫がじかにドクターに会いたいと書いてきたため、弁護士からはその必要がないといわれたにもかかわらず、会う気になって、4-5日、宿の予約をとったわけであった。

 丁度、Hurricaneがやってくるというニュースで、時期はずれでもあり、Innに泊まったのはドクターひとりであった。InnOwnerは結婚式にでなければならないからということで、女友達Adrienneにその管理を頼んだのであった。

 そして、ふたりはお互いの、誰にも打ち明けたことのない身の上話を語り合い、よく理解しあい、そのうえで、Soul Mateの出会いのようなLife ChangingLoveを発見し、性愛とSpiritualな愛との両方がまざった、高貴な人間どうしの魂のふれあいを感じ、生涯の愛を誓う。

 ドクターは貧しく生まれたため、必死で勉強し、成績優秀ですべてをやりこなし、医者となっても富と栄誉を求めて大成功をかちえてきた。しかし、そのためになくしたものも大きかったが、ドクターは手遅れになるまで気がつかなかった。一人の息子は父親を拒絶して、彼自身ドクターになったが外国の貧しい人々のために働くといってエクアドルに去り、妻も離婚してしまった。最後に女患者の死亡をめぐって訴訟になり、調査の結果、ドクターに落ち度がなかったとわかったが、かれに深刻な思いを持ち込んだのは事実であった。

 Rodantheに宿を取って、その遺族に会いにいくと、息子らしいのがでてきて、怒りを発散させるだけであった。連絡先をのこして宿に引き上げ、その面会結果を宿の女性Adrienneに報告したところ、非常にPositiveな意見を聞くことができ、話を交わすたびに、この女性がすばらしい人物であることを発見し、こういう素晴らしい女性を離婚する男がいるとはナントばかげたことかと思う始末である。

 二人だけの食事と会話でふたりはますます打ち解けてきて、お互いがSoul Mateをみつけたように感じ、はなれられないと思うのだが、ドクターは息子が医者をしているエクアドルの山にはいって息子の信頼をかちとるために、医療のヘルプをするつもりであるということで、それでは1年後にFreeになって結婚しようということになる。息子Markが彼をAcceptしてくれるかわからないが、彼はいまやAdrienneの愛を得た以上、自信を持って謙虚に息子の愛を克ち得るつもりででかけるのであった。

 別れた二人は手紙を交換し合い、時には、都会に出たドクターからの電話連絡をたのしみに、まったく新しい人生をあるきはじめたのであった。

 こういうLove Storyを娘にはじめて明かしたAdrienneは娘Amandaからなぜ今まで黙っていて、話してくれなかったのかといわれて、それはあなたが、準備ができていなかったからで、そのころ話してもぜんぜん理解してもらえなかったのは明らかだ、あなたは、まだ自分がお父さんを受け入れようとしないことに対して、怒っていたのだから、という。

 さて、ではこの結末がどうなったのか、彼は今どこに居るのか、との質問に、母親Adrienneは手紙を一通みせる。それは同じNotebookの用紙だが、筆者はMarkとなっている。そこには、息子の目から見た父親の姿とその父親が、今まで彼が見知っていた父親とはまったく異なって、まさにDaddyとよべる本当の父らしい人間になっているのを発見した喜び、そして、その父親の人間的成長におおきな力となったのが彼女Adrienneの愛であり、父はいつもあなたAdrienneについて語ることを喜び、一緒になれる日を夢見て生きていた、父がこうして自分のDadとなれたのも、まさにあなたの愛が彼を変えたのだ、あなたはあなたの愛によって、父を変え、同時に息子私をもかえってしまった。わたしは今、本当に父を愛することができる。父はあなたと一緒に過ごせることができるなら、それまでのすべてを投げ捨ててもよいと思う人間になった、そして、わたしもあなたによって父親の本当の愛を発見できた・・・金や名声を求めていた父とは完全に違った、謙虚で、おおらかで、やさしく、暖かい人間となって自分の前に現れた、これこそまさに父があなたと出会うことによって築くことができた姿であった。

 そして、ある日、ジャングルで大雨が何日も続き、山奥の臨時診療所も危険な状態になった。父はジープを運転して、自分がいる場所へかけつけてくれて、危機一髪で災難から救出してくれた、しかし、そのあとの山道で、クルマは雨に押し流され、転がり落ちてしまい、自分は骨折その他の怪我をしたが、ともかく、生き延びることができた、しかし、父はその事故で死んでしまったということであった。

 彼女はクリスマスに彼がかえってきて、会えるのを楽しみに、ホテルも予約し、あのときに一緒に味わったWineも買って待っていたのだが(映画ではうまく描いていた)、彼は来なかった。来れなかったのだ。

 自分、息子Markは助かったけれど、怪我で動けず、こうして初めての手紙を書くことにしたということであった。

 その後、彼の息子は一度、彼女に会いに来た。彼女の書いた手紙の束その他を彼女に手渡し、父親の遺言のようなものを伝えた。

 娘Amandaは母親がそのような大きな悲しみにおそわれていたことを何も知らなかった。自分の夫が死んだときには、すくなくとも自分は最後まで枕元でみとることができたのに対し、母の場合は、死に目にも会えず、最後の言葉を交わすこともなかったのだ。

 Adrienneはドクターが自分の息子を思って、危険を冒してエクアドルの山の中に入り、息子を助け出し、自分は死んでしまった、そして彼は今同じような状況においこまれても、同じように死ぬとわかっていても息子のために助けに行くだろうと思う。

 このAdrienneLove Storyを知っているのは、今では病気でしゃべれない彼女の父親だけである。そして、この話をしたのは、娘Amandaが夫に死なれて、悲しみから立ち上がれないだけでなく、息子たちをほったらかしにしている状況からたちなおるきっかけともなればと思って話をしたのであった。

 娘は、母親が見かけ以上にタフであることを発見したのであった。

 母親Adrienneは、このドクターとの愛にめぐまれてからは、寛大な心もうまれ、若い女を追いかけて自分を離婚したEx夫も許せるようになった。もう、誰とも結婚するつもりはないほど、充実した中身を持ち、自信を持って生きていけるようになった。だが、愛するドクターがエクアドルで亡くなったとき、自分の大事ななにかも一緒になくなったのは確かであった。

 この本は230ページ足らずの小さな本だが、すごい内容をはらんだ名作だと思う。最後のほうのページをすこし覗いてみるだけで、たちまち小説空間の中に入り込み、思わず、泣けてくる。もしかして、これが私にとってNicholas Sparksのベストといえるかもしれない。感動ナシには読み終われない、すばらしい作品である。今読み終わったばかりだが、またもう一度、すぐに読み直そうと思っている。

 Love愛は何歳になっても可能で、未来に満ちているということをFictionのかたちで証明した、本当に感動的な作品であった。たった2-3日の、愛に満ちた日々が、ふたりの人生を決定的にかえてしまったのだ。それは、悲劇におわったけれども、生み出したものは、何ものにも代えがたい力を生み続けたのであった。

村田茂太郎 2014年12月1日






16 Nicholas Sparks 「The Longest Ride」を読む

 最近、アマゾンから取り寄せた本の何冊かは、未読のNicholas Sparks関係などで、「At First Sight」や「A Bend  in the Road」については、既に紹介した。

 「The Notebook」に似ているとかという評判の「The Longest Ride」を、読むまえから期待していたが、とても好かった。似ているというのは回想が入るからということで、内容的にはぜんぜん似ていない。

 “The longest ride”とは、アラスカまでのバス旅行の話ではない。人生Lifeのことを指す。

 この本はもちろんLove Storyであるが、ふたつのLove Storyが並行して展開する。

 Longestというから91歳の男Ira Levinsonの回想が主題といえるが、同時に若者のLove Storyがまじめに展開する。美学専攻の大学卒業間際の女性SophiaProfessional Bull Riderという職業をえらんでいるカウボーイの若者Lukeとの関係である。

 91歳のIraにはSoul Mateといえる妻Ruthがいたが、9年ほど前に先に亡くなった。そして、あるときドライブをしていて雪になり、山道でガードレールを踏み越えてクルマが下に落ち、がけに引っかかった状態でとまった。どうやら、あちこち怪我をして、身動きができず、どうにもならない。雪は積もるばかりで、とうとう、これでは、ヘルプも不可能で、もうこれで自分も亡き妻と一緒になれると考えるようになる。

 そのうち、車の中に妻が現れ、かれと会話をするようになる。そして、彼は妻の亡霊と自分たちの一生の主な出来事を回想することになる。それは彼が結婚する以前からの回想で、まさにLongest rideということになる。

 男Iraは第二次大戦に駆り出され、生きながらえたが病気になった。Mumpsであったと知らされる。Mumpsは男の生殖能力を破壊する病気で、こどもを産めない身体になったということを知るわけで、それは婚約者Ruthにとってもショックであった。彼の求婚に対する即答はできなかったが、よく考えて、合意する。したがって、この二人には、親がなくなれば、自分たちのほかに家族はいないのであった。

 Nicholas Sparksの最近の作品にはParanormal超自然な出来事が自然なタッチで描かれている。たとえば「Safe Haven」では、女主人公が移り住んできたLodgeのすぐ近くに、彼女にいろいろアドバイスする女性が住んでいたが、どうやらそれは主人公の女性が好きになる男性と彼の幼い息子のことを心配した亡き妻があらわれていたようで、すべてがうまく片付いたと思われる時点で、その女性が居たはずの家は廃墟としてあらわれ、女性自身は消えてしまう。

 Kristin Hannahの作品「Comfort & Joy」もParanormalな関係を扱った、それなりに興味深い作品であることは、既に私はこのブログで紹介した。「Fly Away」では、Comaの状態の主人公が、なくなったベスト・フレンドと普通に会話する場面が沢山出てくる。今では、私はありうる話だと受けとめている。

 この作品、「The Longest Ride」では、車の中で、ひとりで、傷ついた91歳の老人Iraが、死が迫っているのを自覚しながら、亡き妻との会話に勇気を見出し、水さえ手に入らない中で、Soul Mateであった妻との生涯の回想の中で、がんばって生きつづける。水はうしろにあるが手が届かない。妻が水は身近にあるとアドバイスする。そうだ、彼は雪国の話で、クルマに埋もれて2ヶ月以上何もなしに生き続けた男の話を読んだことがあるが、窓を開けさえすれば雪が手に入るのだとわかり、苦労して雪をつかみ水のかわりにのどを潤し、一息つく。



 「心霊現象の科学」をかなり勉強した私は、今では、死が近づいているときに霊界から愛する人たちがコンタクトするという話は、例外的ではなく、日常的に起きているということを知っている。したがって、この話の展開についても、昔と違って、あまり奇異な感じはしない。

 こうして、亡き妻と会話をしながらLongest Rideの生涯を回想するIraとその妻Ruthの話の展開と並行して、若者Sophia DankoLuke Collinsのほとんど牧歌的とも言える、魅力的な恋愛が語られる。

 Sophiaは失恋を体験し、そのあともストーカーのように男につけねらわれていたが、あるとき、ルーム・メイトのアイデアにしたがって遠くのBull Riding Eventを見学にゆき、たまたまLukeと出遭うようになる。ストーカーの男Brianから逃げようとして、助けてくれたのがLukeであった。そして、二人の仲は急速に進展する。

 牧畜を営む農場で、乗馬をまなんで一緒に近くの森の中へでかけ、いろいろ自然に近い、魅力的な生活を味わうことになる。

 男Lukeの父親は既に亡くなっており、彼は母親と二人暮らしである。父親もProfessional Bull Riderであり、彼Lukeもその道のWorld Championを目指して頑張っているようである。しかし、これは命がけの行為であり、Luke自身、過去に失敗してほとんど死にそうな怪我をしたらしい。それにもかかわらず、このBull Rideをやめないのは、いわば懸賞稼ぎが目的らしい。その怪我で奇跡的に命は助かったが、そのための病院代、医者代が膨大なもので、かれらの牧場はすべて銀行の抵当にはいってしまっている。そして、Loanの支払いが大変で、自分は責任があるという意識があるから、危険を承知していて、やらざるをえないというわけであった。

 この車の事故に遭った91歳の男Iraの車の中での亡妻との回想の展開と、平行して進行するSophia/Lukeの恋愛関係がどのようにつながっていくのか興味があるところである。

 若者二人が乗ったクルマが、山道でガードが壊れているのに気がつき、おかしいと思い、下りて調べてみると車が下に落ちている。車に達すると、老人はかすかながらまだ息をしているようである。自分の車に戻ってEmergency callをやり、救援隊がやってくるのを待つ。一度、Sophiaも様子を見に降りたとき、老人が手紙をさがしてくれというのを理解して車の後部をしらべると確かに手紙が見つかった。一応預かった状態で、ふたりは自分の車に戻る。

 そのあと、手紙を読んでみて、老人自身が書いた手紙であることを知り、また彼の亡妻Ruthに対する細やかな愛情が伝わるのを感じ、この手紙を病院に届けようと思う。

 老人はまだ生きながらえていたが、Sophiaは親族でもないので会えなかった。しかし、ドクターが、老人が彼女Sophiaに会いたいといっていると告げ、不思議に思う。彼女は老人の書いた手紙を読み上げる。老人は満足した様子であった。

 そして、結局、そのあと、すぐに老人は亡くなった。

 そのうち、二人は、沢山の有名な絵画のコレクターが亡くなって、競売がはじまるから、美学の教授からSophiaも参加するようにと誘われる。そして若者二人は、自分たちが助け出した老人Iraが実は、その有名なコレクターであったことを知る。

 Iraの絵画コレクションが世界的に有名な二十世紀の画家の作品だということで、競売会場に集まったのは世界中の美術館から参加したコレクターでいっぱいであった。

 ふたりは金もなく、買うつもりもないので、後ろの席に見えないように座っていた。

 担当弁護士が説明をし、まず、一枚の素人が描いたと思われる絵を見せて、競売をはじめた。それは女性のポートレートで、まさに素人らしさがのこる絵であった。

 1000ドルからスタートして、下げていったが、プロのコレクターはみんな無視して買う意思を示さない。400ドルまで下がったとき、若者Lukeが“買った”と叫んだ。若者はBull Rideで勝った賞金の一部をもっていて、恋人Sophiaが老人Iraの妻Ruthに対する執着に感動しているようであったので、その妻のポートレートは自分の愛するSophiaにふさわしく、これだけは買える値段まで下がったので、買ったと叫んだのであった。そのあとも誰も買う意思を示さず、結局、最初の絵はLuke/Sophiaのものになった。

 つぎにどの絵が売り出されるのかと期待していた参加者は、びっくりするような弁護士の説明を耳にする。これで競売はおわりだ、最初の肖像画を買った人が、このコレクションのすべてをもらいうけるというのである。会場は騒然とし、Luke/Sophiaも信じられないほどである。二人は別室に導かれ、弁護士や競売のDirectorから説明をされて、はじめて本当に何百万ドルもする絵画のコレクションが自分たちのものになったと理解する。

 弁護士は遺産相続をすると膨大な税金がかかるから、いずれそのコレクションのある部分は競売に出さねばならないだろうと説明する。

 Iraは、妻が亡くなったあと、親類も何も居ない自分たちがいかにして膨大な金額になるはずの絵画コレクションを処分するかで悩んだ末、考え付いたのがこの方法であった。一枚の一見貧弱な、しかし彼Iraにとっては何よりもかけがえのない妻の肖像を購入して大事にしてくれる人こそコレクションを託するにふさわしい。絵を愛するのでなくて、ただ金儲けのためにあつまるコレクターに売るつもりはない。彼Iraは妻Ruthのように絵に執着するタイプではなく、彼は妻が、絵が好きで、絵をコレクトして楽しんでいる姿を見るのが好きであった。したがって、彼は自分の妻の肖像画を認めてくれる人がコレクションを託するにふさわしいと弁護士に伝え、そのように遺言書を作成したのであった。

 この絵は教師を務めていた妻Ruthが家においてやろうとまで思っていた腕白坊主の子供が、あるとき突然居なくなって、妻を絶望のふちに落としこんだ、その子供がやさしくかわいがってくれた教師Ruthを思い出しながら、写真を見て描いたものらしく、実は、この子供が成長して結婚した女性が彼Iraを訪問して届けてくれたものであった。教師である妻Ruthがこの子供に未来の可能性について無限大だとおしえたことをしっかり覚えて、成長し、立派に社会に貢献していたが、病気に克てず、30代の若さで亡くなったとのことで、自分がこの絵をKeepするよりは、Iraにわたしたほうがよいと判断したのであった。この絵を彼はどこにゆくにも持ち運んでいて、妻であるその女性には理由がよくわからなかったが、あるとき、裏からふるびた写真つきメモが見つかって、理由がわかったというわけである。Iraはその絵が亡き妻の面影を伝えているのを認め、大事にしていたのであった。そして、コレクションの配分に関して、本当に自分たちのコレクションの意味を理解してくれる人に全部贈呈するのが亡き妻にとってもベストであろうという考えに達し、若者二人の手に入ることになったのであった。ある意味でシンデレラまたは“大いなる遺産”Great Expectationの現代版といえるかもしれない。

 遭難車を発見し、その老人の秘密の一部に接し、美術を専攻する恋人との縁で競売場に参加したことが、思いがけない遺産分配にあずかることになったのであった。

 抵当に入っていた牧場も、おかげで、無事に収拾がつき、若者ふたりは正式に結婚し、まさにすべてがうまくかたづくHappy endingとなった。

 あとがきで、Professional Bull Riderに関する著者の関心や調査、絵画の競売に関する関心、North Carolinaを舞台にいかにうまく関連付けるかといった創作上の内輪話も語られている。今はなくなったらしいが、1933年にBlack Mountain Collegeという大学がNorth Carolinaにつくられ、そこが20世紀アメリカ絵画のひとつのメッカになったということで、これを組み込んで小説Love Storyを完成したということである。

 私はエルパソにはじめて住みだしたとき、同僚とロデオ・ショーを見に出かけたことがある。なかなか面白く、なるほどカウボーイ・カウガールたちは牛や馬を追っていないときは、こういう練習をしているのかと感心したことがある。駆け出した小牛を何秒でつかまえるかとかといった競争で、若いカウガールたちの競争も興味津々たるものであった。最初の印象がとてもよかったので、翌年、もう一度、見に出かけたが最初のときほどの面白みはなくて、それっきりになった。あばれる牛を乗り回すロデオももちろんあった。暴れだすのは、牛の後部を縄でゆわえるから、牛は怒り出し、はずそうと暴れるのであった。

 大学でのArt専攻の女性と農牧をいとなむカウボーイの青年とがどのように結びつくのか。興味があったわけだが、相愛の二人に悩みが一挙に解決するような、大いなる遺産がころがりこんで、無事解決ということであった。これは、古典ギリシャでDeus Ex Machina 機械仕掛けの神 といわれるものに近い解決法であったと思う。しかしありうる話らしい。

村田茂太郎 2014年11月26日、27日

The Longest Ride By Nicholas Sparks 2013

ISBN: 978-1-4555-2063-3






17 Nicholas Sparks “The Best of me”を読む

 Nicholas Sparksは「The Notebook」でLove StoryRomanceの世界に登場して以来、かずかずのそれなりに感動的な場面を描いてきた。彼の小説はHappy Endingとは限らないが、ある種の感銘を残す。

 私は全作品を読んできたわけではないが、いくつかは読み、その映画もみた。また、つい最近、小説は読んでいないが、DVDを借り出して、シンプルなLove Storyで感動し、図書館に返却する前に、最後に近い場面を、何度か繰り返してみた。DVDはVHSと違って、その点、操作が簡単で便利である。“Nights in Rodanthe”という映画で、Richard GereDiane Laneの主演の映画であった。これは、ほかの映画(特殊技術や大人数を必要とするActionもの映画)に比べて制作費用はほとんどかからないわりには、たくさんの収益を生み出した映画らしい。評価は必ずしも高いほうではないが、わたしは最後のほうで、Richard Gereを待っていて、彼が来ないで一夜が明け、翌日、見知らぬ人間が玄関に立ち、彼女が待っていたドクターの息子だと名乗られて、ものも言わないDiane Laneの表情が息子訪問の意味を悟って、くしゃくしゃに泣き出しそうな表情になる場面が、よくできていて、何度か繰り返してそのムードを味わったわけであった。

 最近読んだのは、“Best of me”という作品で、330ページほどの作品だが、すぐに一日で読める内容であった。

 Nicholas Sparksの作品は、Kristin Hannahと違って、Happy Endingになることが少ないようである。The Notebook がどのような内容であったのか、私は忘れてしまったが、 Messages in the Bottle とか A Walk to Remember など、そして映画の Nights in Rodanthe も、一応は Love や Second Chance がまっとうされないで終わることになっている。

 この“Best of me”もその点、例外ではない。金持ちの娘Amandaと貧乏人で問題のある不良家系の家に苦労して育った男DawsonHigh  Schoolで相愛の仲になり、そして、娘の親に引き裂かれてしまう。女のほうは希望の大学に行き、DentalのドクターFrankと結婚して、子供ももち、一見、幸せそうな暮らしだが、一度、おさない娘を病気で亡くした暗い過去を持ち、夫はそれに耐えきれずにアル中的な状態になって久しい。

 男のほうは、腕が器用で、High School在学中は親切な男Tuckの家に住み込んで、Antique Car自動車修理を手伝いながら、学校を終えたわけである。そして、彼の場合、人生は単純ではなく、仕事でのドライブ中に、雨の中、対向車を避けようとして、間の悪いことに、Joggingをしていた男を撥ね殺してしまう。そして、彼も、4年の監獄刑期をつとめるわけである。

 そのあとは、Oil Rigの仕事を引き受けて、New Orleansの沖合で危険な作業をし、物語がはじまるときには、爆発事故で奇跡的に救助されて、何か月かの休養にはいるところである。そこへ、その高校生時代に世話になったAntique Car修理の男Tuckが亡くなって、Lawyer弁護士が会いたいと電話してくる。男は、そのHigh Schoolで金持ちの娘を愛して以来、結婚もせず、恋人も作っていない様子であった。

 実はLawyerからの手紙は男のほうだけでなく、女のほうにも送られていた。女のほうは結婚後も、何かあると(親がそこに住んでいるので)、故郷に戻り、High School時代の恋人とすごしたAntique Car修理屋のガレージに行き、その恋人を世話してくれていた男と親しく話をすることに慰めを見出していた。

 二人はそれぞれ違った方向から、その亡くなった男の家を訪れ、お互いを見つけたのであった。25年ぶりの再会。

 ここで、Faithful貞潔というか、First Loveが忘れられず、あるいはFirst Loveに匹敵する相手を見つけることができず、結婚も愛人も作らずに生きて生きた男と、結婚をして子供も二人は無事に育て上げ、三人目も元気に育っているが、夫のアル中的状態に嫌気を指している女が、亡くなった男Tuckが用意した家で出会ったわけであった。

 ふたりは、昔を思い出し、First Love で Best Love であったことを確認するのだが、結局、亡くなった親切な男Tuckが遺灰を撒いてくれと依頼した場所を二人で訪れ、用を済ませた後、いったん去ったが、また戻ってそこで一夜を明かすが、結婚している彼女のためを思って、なにもしないで過ごす。そして、女のほうは母親と言い争いをしながら、結局、家族を択んで夫のいる家のほうに向かう。

 一方、夫はゴルフがすんだあと、アル中でビールを飲みすぎて、ドライブできない状態になり、息子に連絡して、Pick upしてもらう。そして、息子の運転するクルマで帰る途中、交差点でGreenになってすぐにとびだしたため、事故を起こし、二人とも入院してしまう。女のほうは、家に向かうドライブ中にその連絡が入ったため、病院に直行する。夫は血だらけということであったが、それは鼻血でたいしたことはなく、息子のほうが頭を打って大変だとわかる。そして、そのあと、実は息子は心臓がおかしく、このままでは長持ちしないとつげられる。そして、最終的にHeart Plant心臓移植の手術が必要で、ふつう自動車事故での場合は対象外なのだが、まだ20歳にならない若者で、一応、該当する心臓が手に入れば、優先的に心臓手術が受けられるというところまでくる。

 男Dawsonのほうは、親戚のあくどいギャングが自分をねらっていることでもあり、さっさとこの弔いの用事を済ませて、かえろうとして、Antique Car修理の親切な男の最後のクルマの修理を終えて、テストドライブを兼ねて遺灰をまきに出かけたときに、その男が特別自分あてにメッセージを書いてくれた手紙を車におきわすれたのを思い出し、取りに戻ろうとする。

 すると、いつも何かがあるとあらわれる亡霊のような男が、まるで自分についてこいというような風をみせるので、あとを追っていると、Barにたどりつき、中に入ると、例の、彼を狙っている悪い二人のギャングが若者を半殺しにしている場面に出遭い、助けようとして、Barの外に連れ出す。そのとき、二人組のひとりが、彼に気が付いて銃を何発も発砲するが最初はあたらない。そして、痛めつけられていた男をBarの外に連れ出したとき、銃を持った男が最後の銃弾を発射し、それは頭にあたって、男は即死する。すでに乱闘のなかで誰かが警察・救急車を呼んでいたので、結局、男の身体は病院に運ばれるが、脳死の状態であった。

 女のほうは、医者から息子の心臓にマッチする42歳の男の心臓がみつかったということで、病院では急遽、心臓手術に入り、しばらくたって、うまくいったと知らされる。

 一方、Lawyerからは、男宛の手紙が暴力的に破壊された車から発見されたから女のほうにおくろうかという連絡が入る。女は男宛の手紙なのだから、男に送ればよいと応えると、Lawyerから彼女は何も知らないのだと知らされる。別れたあの日の夜、Barで男を助けようとして、男Dawsonは頭を打たれて死んだということを初めて彼女は知らされる。信じられない思いであった。そして、自分の息子が心臓移植手術を受けられたのは、たまたま42歳の男が死んだからということから、彼女は調べてみて、息子はいわば自分の愛人の心臓をもらって生きているのを知る。

 2年たって、移植心臓に感覚的に、そして心理的な動揺から慣れてきて平静になった息子は、母親に、自分が生きているのは、その男が死んだおかげだから、自分はその人の家族にサンキューの手紙を書きたいとつげる。そして、彼女はそうだ、その男については、もっとたくさんのことを自分は知っているのだと思う。彼、自分の最初で本当の恋人であったDawsonBarで男を、殺されそうな場面から助けただけでなく、自分の息子も助けてくれたのだ。彼は、彼女に“I gave you the best of me.”といったが、本当にそのとおりであった、と息子の力強く鼓動を立てる心臓の動きを感じながら思うのであった。

 Barまで亡霊のように彼を導いてきた男は、実は彼が24年ほど前、誤ってAccidentalに撥ね殺した医者の亡霊であり、Barで殺されかかっていた男はその医者の息子であった。男Dawsonは自分がOil Rigの事故でも助かり、このLawyerからの呼び出しの際にも、悪いギャングの襲撃を未然に防げるように、それらしき合図をしてきたのも、みな、この最後の場面に至るためであったのだと悟る。サイキックな要素を含んだLove Storyであった。償いのサイクルが完了したということである。

 ということで、高校の時の恋が二人にとってホンモノであったことを25年ぶりに再会した二人は確認し、あたらしい二人の生活を希求しながら、結婚している女の負担になるような無理強いはしないで、おとなしく去っていこうとした男が、結局、ギャングの暴行の犠牲になるという悲劇である。悲劇であるが、彼の行為によって、ふたりの男が救われたのであった。アル中の夫は、今度はまともにアルコールを断ち、再起する決心をし、また実行しているということで、一時は意味のない結婚生活にまで至ったと女Amandaは思っていたが、この最後の息子の事件をきっかけにして、家庭は良い方向にむかうことになった。

 Tuckの遺灰を希望通りにまくために、二人がはじめての山道をドライブして、登っていくと、頂上付近でみごとなお花畑にであった。それはAntique Car修理の男Tuckが、彼のワイフのために作った別荘のようなところで、Wild Flowerの種をまいて、時折手入れをして、見事なお花畑になるまでに育て上げていたのであった。そして、そこにワイフの遺灰をまき、自分の遺灰もまいてもらおうと、信頼できる恋人同士であった二人 Amanda と Dawsonに依頼したのであった。

 一方、事故で男を撥ね殺したDawsonは監獄の刑期を終えても遺族に責任を感じており、当初、すぐに謝罪に行くがはねつけられる。そのあと、働き始めて、その給料のなかから、毎月定期的に匿名でその寡婦宛に送金をする。それは、働き手のドクターが死んで経済的にきびしくなってきていた遺族を助ける働きはした。この弁護士仲介による25年ぶりの故郷訪問のときも、自分が事故で死なせたドクターのお墓に花をそなえ、とうとうその寡婦と話す機会を持つ。彼女は、もう充分で、自分を責め続けるのはもうやめにしなさいと告げる。

 そして、すべてから解放され、すっきりとしてルイジアナに帰ろうとして、男Tuckの手紙をとりに戻ることになり、亡霊の招きでその彼の息子を助けながら、自分は凶弾に倒れてしまう。しかし、運命の働きで、彼の心臓は恋人の息子を助ける役割をした。事故で男を撥ね殺した彼は、その男の息子を助けるはめになり、自分の命を犠牲にするということになった。

 ギャングがでてきて、単純に甘いLove Storyではないが、それなりに甘い、印象的な再会の場面があって、この物語を救っている。あらすじを紹介したが、ずいぶん長い紹介となった。

 この現実社会で暗い出来事が日常的に起きているとき、Love Story, RomanceFiction架空の話とはいえ、別な世界がありうるのだという夢を育ててくれる。

現代の Mystery, Suspense Storyの世界は、殺伐として、おそろしい人間の在り方を示唆して、それなりに暗黒世界の存在を告知し、警報を与えてくれるが、読んでいて気持ちの良いものではない。そういうとき、夢のような愛の在り方を示してくれる Love Storyの存在は、貴重なものである。

 私は、最近、昔読んだ Love Story, Romanceを読み返している。Kristin Hannah もその一部で、ほかに Emily Graysonなども、Very goodと最後にメモしてあるので、読み返すことにした。Nicholas Sparksの「The Notebook」も読み返すつもりである。すでにJames Pattersonの2冊のLove Storyについては、再読し、このブログでも紹介した。彼は恐ろしい犯罪小説をたくさん書いているが、単純なLove Romanceも書けるということを知るのはうれしいことである。

村田茂太郎 2013年4月23日、24日

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